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いのちの祈り
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さて、王子さまはその夜、夢を見ました。
ふわふわと、暗闇で白い光がちいさく揺れています。
「……虫かな?」
小さな白い光に導かれるようにして暗闇の中を進んでゆくと、そこにはひとりの金色の髪の若い女性が、姿勢よく座っていました。
泉のそばの、背の高い切り株に。
泉はきらきらと薄く光り、あたりは幻想的なまでに蒼くぼんやりと照らされています。光源は、女性の手の中にある見覚えのある短剣でした。――いいえ、というよりも、短剣の上に座る、一匹の精霊でした。王子さまが見たことのない蒼白い精霊でした。
「ナシェル」
優しい声が王子さまの名を呼びました。女性の白いドレスは泉の水に照らされて、風もないのにゆらゆらと揺れ動いているように見えました。
どうしてぼくの名を知っているのかな、と王子さまは思いました。けれど警戒よりは興味が先に立って、王子さまはウサギが耳を立てるようにきょとんとしたまま、女性のそばに近づきました。息が止まるほどに美しい女性でした。
「どうしてその短剣を? ぼくの名前、どうして知ってるの?」
女性の手の中で、剣の光は弱々しくなっていきます。
「……もしかして、あなたはぼくの母さまですか?」
女性はにっこりと微笑みました。
「見て。短剣に宿していた私の力がもうじき底をつくみたいなの。でも最後に一度だけでも、あなたを守れてよかったわ」
金髪の女性……女神さまは膝の上に短剣を置きました。王子さまに向かって優しく手を広げた彼女は、やさしい微笑みを浮かべて言いました。
「いらっしゃい、ぼうや。あなたの命にはわたしたちの祈りが込められているのよ」
「わたしたち?」
王子さまは次の瞬間には、やわらかな優しい手で抱きしめられていました。
「私は命を産み出す者。あなたは『死』を司り次の世代の『命』を産み出す者。私たちはそうして生と死を交互に繰り返して、この世界の礎を築いてゆくの。でも残念ながら、礎造りはまだまだ途中なのよ」
「ぼくは、何をすればいいのですか?」
「今はまだ何も。あなたはまだ神といってもとても小さいんですもの、お父さまのそばにいて。礎の話は……あなたがずっとずっと大きくなって、お父さまぐらいの歳になったころ、やっと意味が分かるかもしれないわね」
「それじゃきっと、ずっと分からないままです。だってとおさまは、いったいお幾つなのか聞いても教えてくれないんですもの」
「あらまぁ、お父さまは年齢をごまかしているの?」
王子さまが途方に暮れる様子を見て、女神さまは吹き出しました。
「……これだけは覚えていて、あなたの命にはわたしたちの祈りが込められている。あなたはこの世界の未来なのよ」
王子さまは女性の脇に立ち、柔らかな胸に抱かれたまま首を傾げました。この世界の未来って。まだ何もできないし、しなくていい、と言われたわりには、身に余る大きさのものを託されたような気がしました。
女神さまの声は優しく降り注ぎます。
「短剣が失われてもがっかりしないでね。もう、あなたには、私の加護は必要ないのだから」
「……じゃあぼく、もうすぐ子どもじゃなくなるんでしょうか?」
「いいえ、それはまだまだ先。もう少しあなたのやんちゃな精霊さんたちが、あなたの言うことを聞いてくれるようになったらね」
女神さまはくすっと笑い、王子さまの黒髪をなでました。
「綺麗な髪ね、ナシェル。お父さまにそっくり。
でもいつかこの髪の色やあなたの司のことで、みんなに蔑まれたり、からかわれたりするときが来るかもしれない。あなたは冥界に住んでいても神族だから…。きょうだいたちは、自分たちとちがうものを認めたがらないの。私はそれだけが心配。
でもね、あなたは誰にも劣ってなんかいないし、あなたほど必要とされて、待ち望まれて生まれた子はいないのよ、覚えていて」
王子さまには彼女のいう意味があまり分かりませんでしたので、目をぱちぱち瞬かせてただ何となくうなずくだけでした。みんなとか、きょうだいたち、と言われても、誰のことか分からなかったのです。
女神さまはしばらく黙って王子さまの顔を両手ではさんで、見つめていました。
「お別れの時間よ。……ね、最後にもう一度、わたしのことを、かあさまって呼んでいただけないかしら?」
「かあさま……」
王子さまが呼ぶと、女神さまは抱きしめた王子さまの額にちゅっと口づけして、にこやかに微笑みました。
「さようなら、ナシェル。お父さまをお願いね……」
その姿はだんだんと薄くなってゆき、いつしかぬくもりだけを残したまま、消えていました。
切り株の上には短剣だけが残され、白い精霊がいっぴき休んでいます。その精霊がひどく疲れているのを、王子さまは感じとりました。
精霊は最後の力をふりしぼるように、王子さまの目の高さまで跳んで……その綿毛のような穏やかな光も、次のまばたきのあとには消えてしまいました。
王子さまはもっとお話したかったけれど、声を上げて女神さまを追いかけようとしたり、探し回ったりはしませんでした。
ぽつねんと暗闇に残された王子さまは、いつしかそっと隣に立って自分の手を握りしめている、大きな存在に気づいていたからです。
暗闇の中、それはとても心を安らがせる気配で、とても淋しげでもありました。
泣いてはいけない、と王子さまは自分に言いきかせました。王子さまが涙をみせれば、冥王さまはもっと悲しむでしょうから。
王子さまは大きな手をぎゅっと強く握り返し、ふたりでしばらくじっと、お母さまのいなくなった泉のほとりに佇んでいました。
「……許してくれ、ティアーナ……」
お父さまがなぜ謝ったのかは、王子さまにはよく分かりませんでした。けれど、きっと責任を強く感じておられるのだということが伝わってきました。お父さまの気を引かなくちゃ、と思い、王子さまはお父さまの手をぐいぐい引っ張って、戻りましょうと訴えました。訴える自分の声で、目が覚めました。
さて、王子さまはその夜、夢を見ました。
ふわふわと、暗闇で白い光がちいさく揺れています。
「……虫かな?」
小さな白い光に導かれるようにして暗闇の中を進んでゆくと、そこにはひとりの金色の髪の若い女性が、姿勢よく座っていました。
泉のそばの、背の高い切り株に。
泉はきらきらと薄く光り、あたりは幻想的なまでに蒼くぼんやりと照らされています。光源は、女性の手の中にある見覚えのある短剣でした。――いいえ、というよりも、短剣の上に座る、一匹の精霊でした。王子さまが見たことのない蒼白い精霊でした。
「ナシェル」
優しい声が王子さまの名を呼びました。女性の白いドレスは泉の水に照らされて、風もないのにゆらゆらと揺れ動いているように見えました。
どうしてぼくの名を知っているのかな、と王子さまは思いました。けれど警戒よりは興味が先に立って、王子さまはウサギが耳を立てるようにきょとんとしたまま、女性のそばに近づきました。息が止まるほどに美しい女性でした。
「どうしてその短剣を? ぼくの名前、どうして知ってるの?」
女性の手の中で、剣の光は弱々しくなっていきます。
「……もしかして、あなたはぼくの母さまですか?」
女性はにっこりと微笑みました。
「見て。短剣に宿していた私の力がもうじき底をつくみたいなの。でも最後に一度だけでも、あなたを守れてよかったわ」
金髪の女性……女神さまは膝の上に短剣を置きました。王子さまに向かって優しく手を広げた彼女は、やさしい微笑みを浮かべて言いました。
「いらっしゃい、ぼうや。あなたの命にはわたしたちの祈りが込められているのよ」
「わたしたち?」
王子さまは次の瞬間には、やわらかな優しい手で抱きしめられていました。
「私は命を産み出す者。あなたは『死』を司り次の世代の『命』を産み出す者。私たちはそうして生と死を交互に繰り返して、この世界の礎を築いてゆくの。でも残念ながら、礎造りはまだまだ途中なのよ」
「ぼくは、何をすればいいのですか?」
「今はまだ何も。あなたはまだ神といってもとても小さいんですもの、お父さまのそばにいて。礎の話は……あなたがずっとずっと大きくなって、お父さまぐらいの歳になったころ、やっと意味が分かるかもしれないわね」
「それじゃきっと、ずっと分からないままです。だってとおさまは、いったいお幾つなのか聞いても教えてくれないんですもの」
「あらまぁ、お父さまは年齢をごまかしているの?」
王子さまが途方に暮れる様子を見て、女神さまは吹き出しました。
「……これだけは覚えていて、あなたの命にはわたしたちの祈りが込められている。あなたはこの世界の未来なのよ」
王子さまは女性の脇に立ち、柔らかな胸に抱かれたまま首を傾げました。この世界の未来って。まだ何もできないし、しなくていい、と言われたわりには、身に余る大きさのものを託されたような気がしました。
女神さまの声は優しく降り注ぎます。
「短剣が失われてもがっかりしないでね。もう、あなたには、私の加護は必要ないのだから」
「……じゃあぼく、もうすぐ子どもじゃなくなるんでしょうか?」
「いいえ、それはまだまだ先。もう少しあなたのやんちゃな精霊さんたちが、あなたの言うことを聞いてくれるようになったらね」
女神さまはくすっと笑い、王子さまの黒髪をなでました。
「綺麗な髪ね、ナシェル。お父さまにそっくり。
でもいつかこの髪の色やあなたの司のことで、みんなに蔑まれたり、からかわれたりするときが来るかもしれない。あなたは冥界に住んでいても神族だから…。きょうだいたちは、自分たちとちがうものを認めたがらないの。私はそれだけが心配。
でもね、あなたは誰にも劣ってなんかいないし、あなたほど必要とされて、待ち望まれて生まれた子はいないのよ、覚えていて」
王子さまには彼女のいう意味があまり分かりませんでしたので、目をぱちぱち瞬かせてただ何となくうなずくだけでした。みんなとか、きょうだいたち、と言われても、誰のことか分からなかったのです。
女神さまはしばらく黙って王子さまの顔を両手ではさんで、見つめていました。
「お別れの時間よ。……ね、最後にもう一度、わたしのことを、かあさまって呼んでいただけないかしら?」
「かあさま……」
王子さまが呼ぶと、女神さまは抱きしめた王子さまの額にちゅっと口づけして、にこやかに微笑みました。
「さようなら、ナシェル。お父さまをお願いね……」
その姿はだんだんと薄くなってゆき、いつしかぬくもりだけを残したまま、消えていました。
切り株の上には短剣だけが残され、白い精霊がいっぴき休んでいます。その精霊がひどく疲れているのを、王子さまは感じとりました。
精霊は最後の力をふりしぼるように、王子さまの目の高さまで跳んで……その綿毛のような穏やかな光も、次のまばたきのあとには消えてしまいました。
王子さまはもっとお話したかったけれど、声を上げて女神さまを追いかけようとしたり、探し回ったりはしませんでした。
ぽつねんと暗闇に残された王子さまは、いつしかそっと隣に立って自分の手を握りしめている、大きな存在に気づいていたからです。
暗闇の中、それはとても心を安らがせる気配で、とても淋しげでもありました。
泣いてはいけない、と王子さまは自分に言いきかせました。王子さまが涙をみせれば、冥王さまはもっと悲しむでしょうから。
王子さまは大きな手をぎゅっと強く握り返し、ふたりでしばらくじっと、お母さまのいなくなった泉のほとりに佇んでいました。
「……許してくれ、ティアーナ……」
お父さまがなぜ謝ったのかは、王子さまにはよく分かりませんでした。けれど、きっと責任を強く感じておられるのだということが伝わってきました。お父さまの気を引かなくちゃ、と思い、王子さまはお父さまの手をぐいぐい引っ張って、戻りましょうと訴えました。訴える自分の声で、目が覚めました。
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