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番外編
アムレス河畔にて②
しおりを挟む冥王は口に出してはこう述べた。
「うむ? なんのことかな。余は増えすぎた魔象を狩ろうと魔獣界へ狩猟に来ることを決めただけだよ」
「また都合の悪いことは忘れたフリをなさる……」
ここで初めてナシェル王子は王へ視線をやった。澄み切った濃青の瞳には険が込められているが、むろんそれは王が許せるぎりぎりの範囲のとげとげしさである。
「私が砦の再築の采配で忙しいのはご存知でしょう。貴方は私を直接誘えば芳しい返事がもらえないことを承知していた。そこで貴方はあれなるヴァレフォール公爵を利用したのです。
つまり老公爵が、暗黒界にいる孫に『陛下が行幸先に魔獣界をお選びになった。お前もナシェル殿下にお願いして、随行員を拝命しなさい』と囁いたわけです。老公爵からすればひさびさに孫に会いたい一心ですから、こっそり漏らすのも頷けます」
「ほほう……そんなことが?」
と、王は宙を睨み顎に手をやった。背中を冷や汗が垂れてゆく。
ナシェルは咳払いして続けた。
「すっとぼけた振りをなさっても無駄です、陛下。随行することが決まった都の騎士たちが騒ぐのは致し方ないでしょう。彼らには準備が必要ですから。
ですが陛下の行幸先は、本来出立のぎりぎりまで機密事項のはず。それを上の立場にあるお方が率先して辺境の部隊にまで漏らすようでは規律が保てませぬ。違いますか」
「違わんな」
「……イルファランは数日前の夜、私に申し出てきました。祖父からの手紙を部下たちに見られた、申し訳ありませんと。私は最初何のことだかサッパリ分からず彼に詳しい事情を聞きました。そしてようやく、陛下が魔獣界へ行幸することを知ったのです」
冥王は上出来の首尾に頬が緩むのをこらえ、沈鬱な表情を繕う。
「では騎士たちがそなたより先に、余の行き先を知ってしまったわけだね」
「そういうことです。数日後に陛下からも狩りのお誘いの手紙を頂戴しましたが問題はすでに勃発したあとでした。……暗黒界方面隊はそもそも辺境部隊ですから士気の維持に常日頃ものすごく気を遣わねばなりません。お分かりでしょう」
「べつに辺境とは思うておらぬが、分かるよ。近ごろは騎士団とは名ばかりで、土木工事ばかりだしね」
「なのに冥府の本隊は陛下に随行して狩猟の旅に出かけるとか聞いて。いわばご褒美旅行みたいなもんです。……あまりの待遇格差に鬱憤を溜めたわが辺境部隊が、どういう行動を起こしたか、分かりますか」
「……何かね?」
「職務放棄です」
ナシェルは声に凄みを効かせた。
「……数日前、わが騎士団は冥王陛下に随行する権利を求めて一斉に立ち上がりました。士官たる彼らが怠業したので一般兵士にも動揺は広がり、騒ぎはたちまち大きくなりました。もう彼らの中から選抜隊を結成してここへ連れてきてやらねば収拾がつかない、といった事態にです。その最中ですよ、陛下が私に狩猟旅行の件を伝えてきたのは。……すでに取り返しのつかないことになっていたので仕方なく私は、彼らに武勲の機会を与えてやるためにここへ参上したという次第です。やりかけの仕事もほぼそのままにしてね」
「事情はよく分かった。色々と大変だったようだね……」
「ほーう……なるほど、せっせと火種をこさえてご丁寧に導火線のそばで火打ち石まで鳴らしておいて、その後火消しに奔走した私をねぎらってくださる、というわけですか……」
ナシェルの声はもはや重低音だ。怒りの蒼い神司がゆらゆらと肩から立ち上り、長い黒髪が揺れる。かろうじて敬語だがほとんど『暴れるぞコラ……』といわんばかりの語勢だ。
「待て、待て……余は狩りの計画を立てただけだと云うておる。だいたい余が老公爵を利用した証拠もーー」
「では行幸が決まったあとなぜすぐ私に知らせなかったのです。いつも真っ先に気合の入った企画書出して誘ってくるくせに、今回に限って二日以上も後になってサラッと一筆だけ……不自然だし、忠誠篤い老公爵が手紙のような証拠の残るもので機密を孫にバラすのも考えにくいですし。……総合すると陛下の発案で先に外堀埋めたとしか考えられないんですよ。偶然にしては全員あまりにもうっかりが過ぎます」
「あー……」
全身トゲでも背負ったかのようなナシェルの態度に困り果て、冥王は笑顔のまま汗を垂らす。
……とりあえず作戦どおり、狩猟旅行にナシェルを巻き込む、という目論見は成功したわけだが、肝心の王子は父の策略に違いないと確信を得たようだ。
エレボス城内部に「王の行幸があるらしい」と噂を流せば、騎士たちに随行を求められてナシェルが応じざるを得ないだろう、とまで考えたのは良かったが、まさか彼らが職務放棄までするとは王も考えてはいなかった。
父の魂胆と最初から気づきつつも、作戦に乗らざるをえなかった王子の苛立ちが伝わってくる。冥王は反省の態度を示してみせた。
「……ナシェル悪かった。このとおり謝るから機嫌を直しておくれ」
「我が城内に行幸先をバラしたこと、お認めになるんですね?」
「認める。浅慮な行いであった。しかし騎士らの日頃の頑張りに報いる意味でも、彼らを連れてきてやったことは決して悪くはあるまい?」
「結果論としてはそうですが、うちの全員を連れてこれるわけでもなし。誰を連れてくるかで相当悩んだのですよ」
つーんとそっぽを向いたナシェルの周りを、冥王は馬をあやつってとぼとぼと一周する。
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