泉界のアリア

佐宗

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番外編

アムレス河畔にて①

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――魔獣界。冥界の中の小世界のひとつであり、その名の通り荒ぶる魔獣どもが多く生息する世界だ。

 天宙を覆うは青雲にあらず。見上げる先には瘴気の靄が黒くたれ込め渦を巻く。――洞窟世界の暗鬱な天の下。時おり黒い雲海の上で、稲光とともにゴゴゴと雷鳴が迸る。

 ひるがえる王旗。本陣を示す漆黒ののぼり
 ごおう、と吹き荒ぶ風に、王と魔族らの外套がはためく。

 
 勢子役の隊が、獣笛と呼ばれる楽器を鳴らしながら魔象ベヒモスの群れを追い込んでゆく。
 やたらと狩り尽くすわけではない。生息数を把握し、また適度に“間引き”をすることで、魔獣が増えすぎ他の小世界に害が及ぶのを防ぐ目的もある。


 …年に一度、こうした冥王の狩猟の旅に随行できるのは、黒翼騎士たちにとってはこの上ない名誉だ。
 随行者は団長が毎年、騎士団の各隊から二百人ほどを選抜する。選ばれた者はみな誇らかに、家の名誉を背負い、新調した騎士団正装に磨き上げられた甲冑姿でこの旅に送り出される。

 常日頃、冥王宮で執務と審判を執り行う冥王は、騎士たちにとってはそうなかなか近づける存在ではない。しかしこうした数週間の狩猟の旅の間は、王が直々に陣頭に立ち指揮を執るし、毎晩のように野宴が催されて、王も寛いだ様子を見せる。一介の騎士たちにも気軽に声がかけられることもあり、臣下らとの距離が縮まる数少ない機会であった。


***


 群れを追い込んでいた勢子たちが、追い込む方角を変えた。魔象たちがこちらへ突進してくる。
 王は“帝影”と名づけた若い黒天馬の鞍上から、ギリギリと強弓を引き絞り鋭い一矢を放った。

 矢音が大気を切り裂いた次の瞬間、先頭の魔象の眉間から血飛沫があがった。
 魔象はグオオオゥと呪詛の嘶きを上げて荒野に倒れ、血泡を噴き零す。

 それが合図であったかのように、整列していた黒翼騎士たちが剣を抜いた。他の魔象を仕留めるための一斉突撃が始まる。
 獲物を仕留めることができた者には王からたいてい何がしかの褒賞がある。勲章であったり武具であったり魔石の一部であったり、時には家名であったりと、その都度さまざまなものが王の気まぐれで、惜しみなく授与されるのだ。若い騎士たちは武勲を得ようとわれ先に魔象の群れに突入していった。




 騎士らの勇猛な姿を、少し離れた小高い丘から見守っていた冥王は、やおら魔獣界の宙を振り仰いだ。冷然とした口元に、幽かな笑みが浮かぶ。
 王の馬は本日は闇嶺セレドイルではない。闇嶺の子・帝影シャハールである。親馬ゆずりの猛々しい悍馬だが近ごろはようやく王の手綱に順応し、御しやすくなってきた。
 狩猟の旅に乗ってくるのは今回が初めてだが、荒野に平原、湿地帯と、いろいろな景色を翔るのを彼も楽しんでいる様子だ。

 宙を見上げ表情をやわらげた冥王に、随行のヴァレフォール公爵が馬を寄せてきた。王の顔をほころばせた正体は何ぞやと、同じく宙へ目を凝らす。
「陛下どうなさいました。何か、宙を飛ぶタイプの魔獣でもおりましたかな」
「そうではない。そうか分からぬか……」
 王は秀麗な美貌に苦笑らしきものを浮かべ、異形の老爺を振り返った。
「黒翼騎士団にそなたの孫がおったであろう、なんという名であったかな」
「は、イルファランですかな」
「おおそれ、その者がそろそろ到着するぞ」
「は、どこに……」

 老公爵が目を凝らして見上げると、勢子隊の中から声が上がった。勢子隊は獲物を探して討伐隊のほうへ追い込む役であり、特に視力にすぐれた者たちで構成されている。
 勢子たちが指さす彼方の方角に黒い一団が見え始めた。
 一秒ごとに大きく濃くなってきた騎影はどうやら騎士団の、別の隊のようである。

 宙を旋回し降りてきた部隊は蒼い旗を掲げ、およそ五十騎ほどで構成されているようにみえた。中でもひときわ大きく力強い羽搏きをする黒天馬が、前へ進み出た。

 双角の老公爵は喜色満面に篭手を叩く。
「ほほ、なるほど、ナシェル殿下がじきじきに直属をつれておいでになったか」

 ヴァレフォール公爵は部隊に馬を寄せた。老公からすればいずれも孫ほどの年齢の若者たちである。

「ナシェル殿下、ご無沙汰しております。馬上からの挨拶で失礼つかまつりますぞ。いやはや驚きました、まさか殿下がお越しになるとは思っておりませなんだ。魔獣界にお出でになるのは数百年ぶりではござらんかな」
 王子は澄ました表情で老公の挨拶を受けている。その傍らから一行の隊長とおぼしき端正な青年が馬を降りてきて、サッと冥王に敬礼した。
 対する冥王の返礼は大雑把だ。
「堅苦しい挨拶などよい。それより、ここ一帯の獲物が狩りつくされる前に本隊に加わってくるがよい」

 その青年――老公爵の孫・イルファランは随行してきた王子のほうを振り仰ぎ、彼の了承を得た。老公爵へ短い、気のおけぬ挨拶を済ませてから、部隊を狩りに参加させるため馬首の向きを変えさせる。

 部隊と離れ、ひときわ立派な黒天馬がようやく冥王のほうへ近づいて来た。
 濡れたような艶の蒼黒毛は、王の乗る帝影とまったく同じ。(この二頭は、いずれも闇嶺セレドイルの子であり兄弟馬である)
「無沙汰をお詫び申し上げます、陛下」
 轡を並べるようにして鞍の主が声をかけてくる。表面上は慇懃いんぎんさとつっけんどんさが絶妙に入り混じった無表情で、少し背を反らしている。

 冥王は、その蒼い瞳の奥にある本心を得ようと王子の清雅な美貌を覗き込んだ。王子がこの父を『陛下』などと呼ぶのは腹に一物を抱えているときか機嫌を損ねているときぐらいだ。

「無沙汰はいつものことゆえ慣れておるが……、果たして今日は登場早々、何ゆえ臍を曲げておるのかな? ナシェルや」
 馬上の王子はむしろ狩りのほうにしか興味がないとでもいいたげに丘の下へ視線をやりながら、質問に質問で返してきた。

此度こたびの魔獣界への行幸のこと、私よりもなぜか先に、一介の騎士団幹部にすぎぬあのイルファランが知っておりました。陛下、もしや私に伝える前に、老公爵を使ってイルファランの耳にお入れになったのでは……?」

 冥王は内心の可笑しさを隠して澄ました笑みを浮かべた。ナシェルは聡い。そして王は、ナシェルがどうしてつっけんどんなのかをその言葉で理解したのだ。

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