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番外編
かけがえのない日々②
しおりを挟む扉が押し開かれ、王に先んじて扉を開けた公爵が、恭しく脇に避けた。
冥王は室内に足を踏み入れたとたん、む? と立ち止まり、その美しい紅玉の瞳で室内をぐるりと見渡して――眉をひくりと動かした。早くもこちらの存在に気づかれたかもしれない。
「……おお――そうであった」
と急にぽんと手を打つ王に、背後から公爵が声をかける。
「陛下? どうかなさいましたか」
「済まぬ、予定が変わった。盤駒の決着はまた後日だ、ジェニウス。猫の世話をせねばならぬことをすっかり失念していた」
「猫ですと? 猫をお飼いになられたとは初耳に存じますな――」
「うむ、毛並みの良い魔性の猫だ……まだ仔猫だが、性格がちと凶暴でな……余以外の者には決して懐かぬ」
冥王はこちらに聞こえるように言ってから背を向け、戸口の公爵に向き直った。
「いきなり飛びかかることもあるゆえ、そなた室内に入っては危ないぞ」
「臣には見えませぬが猫など何処にいます? それほどに気性の荒い魔獣を手懐けられるとは、さすが陛下。なんという種の猫ですか」
「さぁ、詳しくは調べておらぬゆえ種は分からぬが黒毛の猫だよ、ほら、知らぬ者を連れて来たからか機嫌が悪いようだ。あの辺りで唸っておる。唸り声が聞こえぬか?」
王はジェニウスを制し、こちらに向けて耳を澄まさせている。心なしか声が楽しそうだ。
「……はて。臣には唸り声など聞こえませぬが」
「しぃ、ほれあの辺りで低く唸っておるではないか、よく聴いてみよ」
「……」「……」
聞き耳を立てる王と公爵の間には、数瞬の沈黙が降りる。
――……は……?……まさか私に、猫の鳴きまねをしてみせよと?
……不意にナシェルは父の酔狂な思いつきを察知し、手に汗を握った。王の背中は明らかに『猫』が声を出すのを待っている様子なのだ。鳴いてみせねば公爵をこのまま室内に招き入れるぞ、という無言の圧までもを感じて、ナシェルはぷるぷると打ち震えたが仕方なく、息を吸う。
「ぅなぁあ゛ぁ~お゛ぉ゛……!」
鼻に皴を寄せながらナシェルの出した、迫真の唸り声を聴いたヴェルキウス公爵はたちまち表情を強張らせた。
「――陛下、陛下あれは失礼ながら只の猫などではございますまい。どこから迷い込んだのかは知れませぬが魔獣界に棲息する妖豹の仔ということはございませんか。もし、そうだとすれば牙と爪に猛毒があると聞き及んでおり、飼い馴らすのはあまりにも冒険的かと――」
「いやいやただの猫だよ、心配には及ばぬ。初めは手こずって随分引っかかれたり噛まれたりしたものだが、もうだいぶ手懐けたゆえ、フフッ、余にだけは慣れておる」
身を潜めるナシェルの不機嫌まるだしの鳴き真似が面白かったのか、それとも渾身の唸りをきいた公爵が猛獣と勘違いしはじめたのがツボに入ったのか、王はもうこらえきれない様子で鼻から息を漏らしながら嘘を重ねた。
「陛下の御手に噛みつくとは、まこと道理を弁えぬ狼藉猫にございますな」
「気まぐれな性分の仔猫に、ものの道理を説くなど無駄なことよ。かえってその自儘なところが良いのだ。
……と、いうわけで余以外の者にはまだまだ攻撃的でな。檻に入れるのは忍びないゆえ室内で放し飼いにしているが、そなた噛まれるか、引っかかれるかするであろうから、部屋に入るのは今宵は止した方がよい」
「おお、なんと残念な。では盤駒の決着はまた後日……次回、臣が参上いたしますときは檻に入れておいて頂きたく存じますな。噛まれてはかないませぬ」
「次からはそうしよう」
戸口で公爵と別れた冥王は扉を閉め、上機嫌に声を掛けてきた。
「出ておいで! 公爵はもう行ってしまったから大丈夫だよ」
「ペット扱いは止して下さい、誰が凶暴ですって?」
ナシェルは体に巻き付けていた天蓋の紗幕を剥がし、王の前に姿を現す。
王はむくれるナシェルに近づいて、笑いながら両手を伸ばした。
「好演技だったよ。そなたの威嚇があまりに迫真だったので、公爵がどんな猛獣かと青褪めはじめて思わず吹いてしまった」
「父上が急に無茶振りなさるからですよ。まったく悪ふざけが過ぎます」
「済まぬ済まぬ、咄嗟にああでも言わねばジェニウスを追い返せぬと思ったのでな。
だが余の機転がなければそなた、そこに隠れたまま何時間も余と公爵の盤駒勝負を見届けるはめになっていたのだぞ? 悪ふざけはそなたも同じであろう」
「それはそうですね、考えたらぞっとしてきました」
強靭な腕に抱擁され、ナシェルは神秘的な紅の瞳術にたちまち魂を縫い留められる。
冥王はナシェルの顎を持ち上げて惚れ惚れと群青の瞳を覗き込んだ。歓迎と慈愛の込もった眼差しに見下ろされ、ナシェルはすっかり心奪われて瞬きの速度を落とす。自然に息が上がる。
「お帰り、可愛いナシェル。それにしても気配を消して帰ってくるから部屋に入るまで全く気付かなかったよ。余の部屋でこそこそと何をしていたのかな?」
「突然帰省して驚かせようと隠れ場所を探していたのです。でも無駄でしたね、一瞬で気づかれちゃったし」
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