泉界のアリア

佐宗

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番外編

氷竜の恋②

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 それに気づいたとき、ディルムトは怒り狂い氷の息を吐きに吐いた。

――ではどうあっても我がものにはならぬか!
汝は我が鱗に口づけて言ったではないか。
「私のそばを離れてくれるでない」と!




 暴れまわる氷竜の前に、王子のあるじたる闇の王が現れディルムトを制した。

「鎮まれ、氷竜よ。幾ら高位の竜であろうと妖魔は妖魔。残念ながらそなたと王子ではまるで釣り合わぬ。そなたの硬く冷たい鱗では王子を包むどころか傷つけてしまうのみよ」

 ディルムトは牙をむいて王に反論した。
「黙れ冥王、我はこの姿に固執してはおらぬ」

 そういうと氷竜は魔術で目の前の双神のような、美しい銀髪の男性へと姿を変え、ナシェルを愛おしげにひしと抱き寄せた。ナシェルは腕の中より王を試すかのように忍び見、王は事ともせぬとばかり、冷厳な眼差しで応じた。

 銀髪の青年は王子の髪を撫でた。
「ナシェルよ、我が、いとしき蒼の死神。我は冥王のように汝を手酷く泣かせたりはせぬ。氷獣界の湖にある、我が城においで。ただひとり汝だけを永久に愛すると誓おう……」

 ディルムトは身を強張らせる王子の顎をとらえ、薄く形のよい青い唇をナシェルのそれに重ねた。冥王は無言で静かに腰の得物を鳴らした。

 ……やがてナシェルが手を持ち上げて、青年の姿をした竜を押し返した。あと数秒、口づけが長ければ氷竜は王の剣に貫かれていただろう。

「ディルムトよ小竜の姿に戻るがよい。お前の唇は私には冷たすぎる。お前の唇は私に安らぎを与えてはくれぬ」

 そういうと御子はディルムトの腕を離れ二歩、三歩と冥王に近づいて、その神なる美貌にそっと指を奔らせた。
「それに私が受けている呪縛は、この御方が三界から消え失せるまで私を縛り続けるものだ。……そして私はこの呪いが解かれることを希んではおらぬ」

 ディルムトの氷柱のような視線が冥王に向けられる。かれは憤怒に駆られて咆えた。
「王子に死ぬまで解けない血の呪いをかけたな! 貴様は何という悪の化神だ」

 闇の王は泰然と聞き流し、ナシェルの愛慾に満ちた眼差しを汲んで彼の頤をすくい、長々と唇を重ねた。唇の熱にナシェルの睫毛が震え、全身が愛の歓びに満ちて輝くのをディルムトは見た。
 唇から唇へ、圧倒的な神司の移ろいをも感じとり、魂がその場にへたり込むほどであった。



 ナシェルを愛おしげに闇色のたもとのうちに包み込んで王は言った。

「分かったであろう。これなるを悦ばせることができるのは余が神司のみ。そなたは余に楯突いてなお、この世界に留まるを望むか? 創世神の元へ行き、分相応な別なる生物へ転生を請うた方が良いのではないか」

 すると袂に包んだナシェルが王の脇腹をつついて言った。
「ディルムトは私の竜です。勝手に処分しないで頂きたい」
「だがこやつは余に逆らい、あまつさえそなたの唇を奪った、生かしてはおけぬ」
「私の竜ですから、処分は私が決めます、陛下」
 ナシェルは譲らず、王がひるんだ隙にその懐から出で、未だ銀髪の青年姿で佇んでいるディルムトに近づいた。

「小竜の姿に戻り二度とその紛らわしい姿を取るでない、そうすれば先ほどの分をわきまえぬ非礼な発言は不問に付してやろう」
 ディルムトはさめざめと涙を流し呟いた。
「御子よ、だけど我は本当に汝を愛しているのだよ。一度でいいからこの姿で床を共に……」
「しっ、止しなさい。それ以上ごねると父上に本当に創世界送りにされるよ。早く戻るがよい」

 ディルムトが両腕に収まるほどの小竜に戻るとナシェルは胸を撫で下した。冥王は念を入れて、二度と人の姿を取れぬようその両脚と首に呪をかけた。


 
◇◇◇



「いやに呪が念入りですね」
「なぜかだと? そなたの好きそうな長身の美男だったからに決まっておろう」
「心配なんですか? 男なんぞに興味はないですよ。ご安心を」
 屈んで呪を施し終えた冥王は、何か云いたげに、非常に湿度の高い目つきでナシェルを見た。

「……あ、違った、女も特に興味ないです。興味あるのは、ええと貴方だけ」
「都合のよいことよの。まさか、興味はないと云いつつも来るものは拒まず味見する、といった信条なのではないだろうね?
 先程もこやつに抱き寄せられて、そなた少しも抗わなかったではないか。もっと早く突き返すこともできたはずだ。どうせ唇の味見をして気に入らなんだだけであろう」
「いえあれは……父上がどういう反応をなさるか興味があって。……怒ってます?」
「当たり前だ。もっとあからさまに激怒し早くに割って入るべきだったか? 余も、そなたがどうするかと見ておったのだが…正直限界だったよ」

 父が冷厳な眼差しの裏で本当は心穏やかでなかったと知り、ナシェルは大いに溜飲を下げた。
 小竜を抱きあげるナシェルに王が命じた。

「そこなる檻に入れておけ。見せしめに、そなたを抱く所を一部始終こやつに見せつけてやる」
 ナシェルは顔から蒸気を噴き上げ抗弁した。
「小竜をどうするかは私が決めると云ったでしょう。そんな酷いことはできません」
「余は氷竜に命じておるのではない。そなたに命じておる。余の目の前で堂々と他の男に唇を許した罰だ」
「ペ……」
ットとキスするぐらい、いいじゃないですか。と思ったがさすがに口には出せず、ナシェルはしぶしぶ主命に随い竜を檻に入れた。

 小竜ディルムトは暴れに暴れ、憎しみの息吹で周囲の床を凍りつかせたが、王はお構いなしにナシェルを長椅子に横たえ、延々と攻め立てた。ナシェルが悦楽の波に陥ち従順になると、王は優しく彼を愛し慰めた。夜着を剥かれたナシェルが切ない喘ぎ声を上げるたび氷竜は怒って檻を破ろうとした。

 長い夜となり、熱い長椅子の上以外、部屋の調度すべてがディルムトの嫉妬の吐息で凍りつくほどであった。
 冷気は城の外にまで伝わって、暗黒界は珍しく氷と雪に覆われた。城の外では兵らが首をかしげながら総出で雪かきに追われた。

 エレボス城を覆い尽くした氷が全て溶けるのには(地上界の暦を使えば)その後三日三晩かかったという。



 冥王は竜の凄まじき力を認めてはいるのだ。王子の側に置いているのもその戦闘力の高さと、言霊の支配力、そしてナシェルへの忠誠を信じているがゆえである。

 くして雪は溶け、ディルムトはいまも暗黒界のかの城で、小竜の姿で闇の御子ナシェルの周囲を護衛しているのだという。

 冥王セダルとは相変わらず不仲のようだが、ナシェルがそのつど仲裁して何とか今のところ静穏に暮らしているようである。


氷竜の恋 了
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