泉界のアリア

佐宗

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番外編

午餐の間にて②

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 ……ナシェルは黒髪を靡かせるようにして円卓を半周し、ちょうどヴァニオンの真向かいに着席した。
 座るなり眉をしかめ、背凭れにどしりと背中を預け、ガッと腕組みした。
 ……一見してすごく機嫌が悪そうだ。

(!? うっわぁ……何だありゃ。超不機嫌オーラ出してやがる……)

 ヴァニオンは内心で冷や汗をかく。
 父王と何かあったのだろうか? ……と、いうより実家である冥王宮であの表情ならば、それ以外には思い当たらない。
 それ以前に、あの目の下の不健康そうなクマは何だろう? 目も血走っているようだ。二日前、別れた際は普通だった。
 昨日も一昨日も、ちゃんと寝ていないのだろうか?


 ……ナシェルは視線は誰とも合わせたくないようだが、同席者の顔ぶれだけは一応気になるらしい。顔こそうつむきがちなものの、濃青の瞳だけが上目遣いになり右から左へ、テーブルのふちをなぞるように動いた。

 ヴァニオンの服を確認したあたりで視線が止まり、視線がちょっと上がった。

 心配げなヴァニオンと一瞬、目が合ったが、ナシェルは表情を変えず視線を外した。
 興奮状態にあるのか、耳介が赤く染まっているのをヴァニオンは発見した。
 頭の上に一匹、死の精がとまっていて、それが主の機嫌とは裏腹に寝そべって腋の下を掻いている。だがそんなこともナシェルは気にならない様子だ(というか気づいていないようだ)。

 公爵たちは王子の表情の異様さに気づいたものの、その頭の上の一匹からどうしても目を離せない様子で、全員の視線が無言でそこに集中する。

「………」

 ヴァニオンは注意深く彼を観察した。
 ナシェルは明らかに苛々鬱鬱とした様子で、精霊を一匹頭の上にのせたまま、組んだ二の腕の上で四本の指をタタタタ、と躍らせている。下顎が小刻みに左右に揺れている。何らかのストレスで奥歯を強くかみしめているようだ。

(おいおい、なんだありゃあ……陛下と喧嘩でもしたのかな?)

 隣のファルクが小さく耳打ちしてきた。
「殿下、何だか様子が変ですね。心当たりは?」
「知るわけねえよ……」

 その直後、冥王が入室して来、一同は一層深々と礼をして出迎えた。
 冥王はナシェルの隣に着席し面々にも着席を許した。
 ひととおりの当たり障りのない挨拶ののち、食前酒が運ばれ乾杯し、午餐会が始まる。

「今日は珍しい者が来ているな」
「ご無沙汰しております陛下、お招きに預り光栄でございます」
「サリエルは疑似天にて息災にしておるか」
「は。陛下のご厚情の賜物に存じます」
「ヴァニオン卿、そう堅苦しくするな、そなたらしくもない。なあ、ナシェル」
「……ええ」

 ナシェルは呻くように生返事したのち食前酒の杯ではなく水を取り、あおった。
 グラスを持つ少し手が震えているように見える。……ヴァニオンの位置からでは判別しづらいが、首筋に汗が浮かんでいるようだ。機嫌が悪いというより、具合でも悪いのか。

 様子を見ていた王子の右横のジェニウスが思わず、小さく声をかけるのが分かった。

「恐れながら殿下、ご気分が……すぐれないのではございませんか?」
「いや……そんなことはない。そなたの気のせいだ」
「食欲が沸かぬのか? 食事の後には暗黒界へ帰るのだろう。食べねば馬に乗るのに体力が持たぬぞ」

 冥王が、前菜用のフォークを取ってナシェルに持たせた。
 ものめずらしい光景に、公爵たちの食事の手も完全に止まっている。

 ファルクとヴァニオンは、その様子を凝視する。
 しぶしぶフォークを受け取ったナシェルが、冥王をちらと窺う。
 瞬間、その血走った視線に、怒り以外にも色々な感情が混ざっているのをヴァニオンは感じ取った。

 ナシェルは眉間にしわを寄せ猛然と怒っているにも関わらず、上目遣いのまなざしの奥には微妙な甘えがあり、こちらから見る横顔は目のふちに涙を溜めているようでもあり、また何かを強請り主張しているようにもみえた。しかし遠目には明らかにナシェルを包むのは憤怒以外の何物でもないのだ。

 対する冥王は腹心のジェニウスと他愛ない会話をしつつ、時おり優しい眼差しで王子の方を見る。それはあくまでも親が子にする自然な振る舞いの範疇であった。嫌がられるのを承知で、少々いつもより明確に世話を焼きたがっているように見えるが……。

(まさか……)

ヴァニオンは唐突に、ひとつの可能性に思い至った。
(いや、でも、まさかだよなあ)

 ナシェルが、何かの行事以外で冥府に帰るのだとしたら、その理由はたぶん補給だ。
 種族が違うため詳細は定かではないが、目に見えない何かを補給するのだとヴァニオンは理解している。補給元は無論、冥王だ。

(ナシェルのやつ、もしかして補給に失敗したんじゃ…?)

 なにか外的な要因があったのか。それとも口喧嘩でもしたのか。
 とにかく、里帰りの目的を未だ果たせていない可能性……は、大いにある。
 でなければ部外者もいるこの席で、あそこまで無防備に(色気を垂れ流しながら)キレることなど、ありえないだろう。

「ははあ、だいたい分かりましたよ」
 ファルクが丸眼鏡の奥の目を光らせ、ひそひそと耳打ちしてきた。

「あれは『おあずけ』喰らってる顔ですね……」
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