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第四部 至高の奥園
44ひとすじの光道①
しおりを挟む同じ神司、同じ容姿を持つ双りの神々は、静穏を識らぬ大火山の山膚にあって互いを凝っと見つめていた。
ごごごごご……と遠く、かすかに、この黄泉の大地の底が胎動している。足の下から這い上って来る灼熱が、その内部の地脈の力強さを物語っている。
地表を挟んで彼らの足の下には、岩漿があかあかと燃え滾っているものと思われた。
ナシェルはその震動を通じて、凝縮された山の鬱憤と暴威とを感じ取っていた。
「領域」を侵す訪問者への怒りなのだろうか?
神々をその懐に迎えた大火山は、先刻より、明らかに鼓動を速めていた。
地響きは、いよいよ激しさを増している。
噴火という形で、大地がいまにも激昂するのではないかとナシェルは思った。
しかし……なぜだ? なにゆえ冥界に聳ゆるこの山は、我ら冥界神の訪いを拒もうとするのか?
火山の烈気を憂うナシェルに呼応するように、王が口を開く。
「……そなたも感ずるか? この火山の嚇怒を。この山は冥界と天上界を繋ぐ道の役割を果たしていると同時に、その道を塞ぐ「門」でもある。火山は生きており、全身で門番の役割を果たしているというわけだ。
……かつて天上界より余がこの冥界に追放された折、余はこの火山口へと堕ちて来た。
本来この門は、その時一度のみ開かれ、二度と門としての役割を果たすことはないはずであった。火山はいままで、小規模に活動していたとはいえ、平らかな惰眠の中にあったのだ……。
余が先日、封印していた門を『こじ開ける』まではな」
馬上から降り注ぐ冥王の声は、宛も魔族たちの数十万の軍勢に下知を与える時のように厳しく、朗々と澄み渡る。
ナシェルは眩しげに王を見上げた。
冥王は凛々しく背を聳やかし、洞穴から漏れだして来る緋色の火山光をおのれの背景としていた。
しかし冥界にふさわしからぬ一種の奇妙な「赤光」の中にあっても、王の放つ青みを帯びた暗黒の神気はいささかも損なわれることなく彼を取り巻いており、そこだけくっきりと彩度が低いことが分かる。
大火山の持つ烈気を「動」と表現するならば、冥王を包む黒黒した神気は「靜」の境地であった。
「も、門を、こじ開ける……?」
足から這いのぼる地熱にあてられて、ナシェルは早くも頭が朦朧としてきていた。頬を火照らせ、ぼんやりと問い返しながらひとつのことを感じていた。
つまり、父の取る策は全ての方面においてつねに常軌と限度とを逸脱しており、後始末にたいてい苦労するということを、だ。
「時間がなかったゆえな。火山の“大いなる意思”に諒解を得る暇も惜しかったのだよ」
さらりと嘯く冥王はどうやら『あの時はそなたを救うのに、なりふり構ってはいられなかった』…とでも言いたいらしい。
「先ほども言ったとおりこの山は謂わば、ひとつの意思をもった生き物のようなものだ。自ら動くことは出来ぬが、この三界のうちでもっとも大きな生物という言い方もできる。……不思議な存在だ。
ある意味、我ら神族よりもなお高い次元の摂理に基づいて、界を繋ぐ門としての役割を果たしておるようにも見える」
「……それはつまり、創世界の理に基づいて、ということでしょうか」
「上の次元のことは余にも分からぬが、あるいはそうかもしれぬ。
非常用の通路として三界を繋ぎつつ、各世界が不用意に交わることのないように、神族とはまた別のこうした存在が『界境の守護』の役目を担っている。…そしてこの世界に於いて至高の存在であるはずの神族の通行さえ禁ずるのだ。
その意味では、この山は我ら以上の法則力を持つ存在と言えるであろうな。
三界を造った創世父の意思が介在しているのかも知れぬ。
……そしてこの山は今、門を破壊されたことに対する大いなる怒りの中にある」
ひとごとのようにそう云うと、門を破壊した当人(当神)は手綱を片手に纏め、ようやく馬から降りた。
ナシェルは火山の唸り声に耳を澄ませ、ぞっとした。
乳兄弟の邸宅の裏にそびえていた火山が、それほど重大な存在とは知らなかったのだ。
「我々がここへ来たことによって、さらに活発になっているようですが……」
「そう。界境に近づこうとする者があれば、それが神でもそれを阻止するのがこの大火山の務めなのであろう。時には噴火という非常手段を使ってでもな。火山道は界を超えるための緊急通路ではあるが、本来ならば用いてはならぬ道だということだ」
「……そんな危険があるなら何故、天上界から戻ってすぐに封印しなかったのですか。
けっこう時間が経っているではありませんか」
ナシェルは細長い指で、額を伝う汗をぬぐった。三日三晩にわたって王宮で己と愛を確かめ合う暇があったなら、さっさとここへ来ていればよかったのに、と言外に滲ませる。
「優先順位は先ずもってそなただ。大火山が噴火しようがそなたを連れ帰ることのほうが余には重大事だった」
冥王は断言する。
「それに、言ったであろう。そなたにここを見せておくために連れて来たのだと。……そなたも冥界神としてこの地の封印方法について詳細を知っておく必要がある。ゆえに、そなたの回復を待っていたのだ。
その間に本格的な噴火の予兆があれば炎獄界より報せが入ったであろうから、そこは案ずるまでもない」
「ああ……そういうことですか。
でも父上、本当に噴火の危険があるかどうかはさておき、その穴が天上界に通じる近道だというなら、封印してしまうのは惜しい気がするんですが。
もしルゥの気が変わって『今すぐ迎えに来てほしい』と言われた時、あの火口を通ればすぐに天上界に往けるんでしょう……」
じめじめとまた姫のことを持ち出すナシェルも、かなり往生際が悪い部類に入るだろう。
案の定、冥王は眉宇に揶揄の色を滲ませた。
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