泉界のアリア

佐宗

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第四部 至高の奥園

22冥府神の系譜③

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  ナシェルは何となく話の行きつくてを悟り始め、遮ろうとした。
  我が子の表情の変化を悟り、父は彼を落ち着かせるようにことさら穏やかな表情をしてみせる。
「敏い子だ。余の言いたいことが分かったのだね、」
「……………………」

 ナシェルは首を左右に振った。話の意図が読めないのではなく、分かりたくない一心で。

「――そなたの思っている通りだ。余はね、『余とそなたによる支配』ののちの冥界のことを考えていたのだよ。
 余もそなたもいつか消滅し、創世界の父神のもとに転位する時が来るであろう。人間共の命などに比べれば永劫に等しい若さを持つとはいえ、だ。恐らく、長命の魔族らよりもさらに数千年の寿命はあろうと思われるが……それでも我々が不死の種族でないことは明らかだ。

 ナシェル。想像してごらん。
 万が一にも余がたおれ、そなたが斃れるようなことになったら、この世界はどうなる?」
「………」
「統治者たる神を失った魔族らは再び争いあい、妖獣どもは暴走して棲み処を彷徨い出、死者どもの魂は輪廻のめぐりを断ち切られて安息の場を失う。
 その先にあるのはこの世の滅び、果ては三界の崩壊、ただそれのみだ。
 そなたはそれを漠然と、気の遠くなるほど先の話だと思うておったのやもしれぬな。
 だが実際、そなたは余をおいて、先に天上界で消滅しかけた」

 父は悲しみを思い出したようにナシェルを強く抱いた。

「余がそなたを失うかもしれぬと、独り残されてどれだけ焦燥したか分かるか?」
「……父上……」

 冥王は暫く沈黙してナシェルの髪にじっと唇を寄せた。ナシェルの無事を心の底から噛み締めているようだった。

  父王の言わんとしていることを、ナシェルは悟っていた。

 父は一貫して、自分たちのいなくなった時に備え、後を継ぐべき冥界の新たな後継者を、必要としていたのだ―――。

 そして生殖それには、とにかくも女神が必要不可欠。
 それも、自分らと同じ『闇の血を引く』女神でなければならない。

 闇と交わることによって天上の女神が死んでしまうのなら……。
 天上の女神をこれ以上、幾人も犠牲にするわけにはいかないから。



「もう、分かったようだね。余とセファニアがなぜ、転生までして混血の女神ルーシェルミアにこだわったのか」

 耳もとで王が囁く。

 「余とそなたしかいない状態では、この冥界の安寧を、恒久のものとすることはできぬ。
 ……そのためにセファニアには、とても辛い役目を担わせてしまった。だがセファニアは幸いにもルゥとして生まれ変わり、そなたと再会することに希望を見出してくれた。
 ティアーナも、セファニアも、余にはできすぎた妻だったよ。

 ナシェル……、道のしるべは余とセファニアがおおかた立ててやった。
 あとはそなたとルーシェがその道をならし、次の世代に受け継がせてゆけ」

 次の世代……。

「父上……あなたは、だからあの時、私に『ルゥを娶れ』と仰ったのですね」
「そう」
「もう随分前からそれを考えておられたのですか」
「そうだよ。そなたの母ティアーナを失ってからずっとね。
 セファニアを娶る前はしばらくそなたを育てることに夢中になっていたので、だいぶ時間がかかってしまったが……。それにまだルゥが成神するまでには数百年かかるゆえ、それまでは余も気が気ではないよ」

 冥王の長い睫毛の下で、紅玉の瞳がこれ以上ないぐらいの慈愛を湛えてナシェルを見つめていた。

「余が万が一、消滅したとき、この冥界に遺されたそなたが唯一の異端の神となって、孤独を味わわずとも良いように……。
 それのみをずっと考えていた。

 余は天上界から堕ちてきたとき、たくさん孤独を味わった。ティアーナを得て、たちまち喪って『自分もまた不死なる存在ではない』とはじめて知ったとき……、たったひとりの同族であるそなたを、この地に独り遺しては逝けぬと思った。それのみを思った。

 そなたのために妻を迎えるにしろ、この世界でそなたと共に生きてもらうためには『単なる天上の女神』であってはならなかった……。それをすれば、今度はそなたが妻神を死なせてしまうことになるから。
 愛する妻を己の司で殺してしまうという、余がティアーナを失ったときと同じ苦しみを、そなたが味わわねばならなくなるから。

 だから余は、天上の女神たちのうちでも唯一の転生術の使い手だったセファニアに、冥界に来てくれるよう頼んだのだ。いざ娘を拵える段階で、少々予定が変わったが」

 ……この衝撃を、どう表せばよいのだろう。

 父が統治者として、この冥界の行く末を案じ続けて立てた数千年がかりの壮大な計画。

 時にナシェル自身さえも手駒としながら進めてきたそれは、巡り巡っては全てナシェルのためであるという。


――聞き捨てならない。何度聞いても、聞き捨てならない。
――とくにあなたが、いつか消滅するときが来るなどというのは。

「父上……貴方は、永遠にこの世界の支配者でいるつもりはないとおっしゃるのですか?」

「未来のことを預言するつもりはない。そなたも己の消滅を前もって知ることはできぬであろう。
 ならば最悪の事態を想定して予め手を打っておくのが、統治者としての義務だ。
 そなたも王になればいつか余の立場が分かる」

「私は……王になどなりません! 貴方の立場など分かりたくもない!」

 ナシェルの叫びはもはや、溺れた者のように苦しげだ。冥王は双眸を閉ざしたまま。

「今はまだ、それでも良いよ……、その立場にまだ置かれていない今、すぐに全てを理解せよというのは酷かもしれぬ」
「……貴方は、永久に私を支配し続けるつもりはないというのですか? あれだけ私を弄んでおきながら!」

 既視感のある会話。前にもこんな会話を――そうだ。最後に会ったときも父は。

「そなたは……余の支配から逃れたかったのではなかったのか? 今の言葉は、まるで真逆に聞こえるぞ」
「………………」

 ナシェルは王の腕の中から逃れて座り直し、正面から王と向かい合う。

「貴方は卑怯です……! それは何ですか? 
  ご自分の死をも餌にして、私を脅迫でもするつもりですか?」
「脅迫とは穏やかでないね……。そんなつもりで言っているのではないのだが。
 だが『脅迫されている』と思うぐらいに、そなたは余がいつか消滅するときがくることを、恐れてくれているのだね」

 冥王はナシェルそっくりな顔に、あり得ないほど優しい笑みを零した。
 それを受けとめながらナシェルは、ほとんど訳が分からなくなっていた。王の両腕を掴んで狂ったように揺さぶった。もう、散らばった意地の欠片を拾い集める平常心も持てなくなっていた。

 ――そうだ。そう。私は恐れている。
 貴方の束縛のない世界を、貴方の消滅した後の世界を恐れている――!
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