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第四部 至高の奥園
2 双神②
しおりを挟む「……私でないことは確かだが、誰であるかは云わない。それを知ってどうする? この広い天上界じゅうを探し回り、見つけて殺すのか? 復讐に狂って?」
「――あれの受けた傷に比べれば、貴様らの命など取るに足らぬ。いくらでも創世界送りにしてやる」
「……それがかつての同族に対する台詞か?」
言葉を受けるレオンの表情は寂しげであった。
「……とにかく。あの子がああいう状態になったのは私の不注意のせいだ。そのことは詫びるが、復讐することは認めない。復讐は何も生まないからね。それに当事者も今は反省している」
「そんなもので済むと思うか!?」
冥王は天王の手を振り払った。寝台の方にむけた鋭い双眼の上で、睫毛が憤激に震える。
「あれの状態を見てみよ! 体の奥深くまで光に蝕まれている。長い時間をかけて与えた余の神司も殆ど消えてしまった―――あそこに居るのはもはや神とは呼べぬものだぞ。何としてくれる!?」
「ならば尚更のこと、我々とこうしてやり合っている時間はないのではないか?」
「………………」
冥王はナシェルの眠る寝台を見つめたまま黙した。脳裏に渦巻く汚らしい罵詈が、口を開けばまだ彼らしからぬ勢いで猛然と迸りそうだったが、怒りの矛先を向けるべき方角を、今は天王が遮ってしまっていた。
「それにね、セダル」
天王が背後で溜息混じりに続けた。
「こちらの世界も混乱していた。神々の多くは怒りに満ちている。お前が若き神々を十人まとめて消滅させてしまったおかげでね」
「――余がやり過ぎだったとでも抜かすつもりか? 余に責任を転嫁するとは卑しむべき論法だな。奴らは寄ってたかって、余の国を侵したのだぞ。そして余の配下の魔族を数多く死に追いやった。当然の報いだ!」
「だがああした状況は、お前の子供たちが地上界に出てきたことにそもそも端を発している。彼ら若い神々の行動は、その報復行為だった」
「十対一だぞ!? あの広大な冥界を余はひとりで守らねばならなかった。奴らはそれを分かっていて乗り込んできたのだ。貴様はそれでも余に、手加減しておけば良かったのだなどと言うつもりか? ――そんな余裕はなかった!」
レオンは目を眇め、冷静に冥王の言葉尻を捕らえた。
「……嘘だね。手加減できなかったのではないだろう、セダル。
お前は手加減しなかったのだ。容赦なくあの青年たちを屠った――。彼らが十人束になってかかっても、お前に敵う訳がないのは感じる神司の強さで明らかだったろう。狩猟神を除けば皆、下級神だったんだ。
お前はナシェルたちを奪われた怒りに任せて、大人げなく彼らを消滅させたのだ。……違うか?」
「……ああそうだ、確かに我が神剣の肥しにもならぬ程度の取るに足らぬ神どもであった!」
冥王は凄艶な表情で吐き捨てる。
「だが貴様の弁を用いるならば、神の命は絶対に失われてはならぬもので、下位種族である魔族は死に絶えても惜しくはないということになる! 暗黒界で多くの魔族が――余の民が、万単位で奴らに消されたのだぞ」
「誰も魔族の命など惜しくないなどとは、言っていないだろう」
「――お二方とも、それぐらいにしておかれませ!」
天王と冥王のやり取りを聞いていたアレン神が、溜まりかねて兄たちを制した。
「こんな、戸口で立ち話にするような会話の内容とも思えませぬ。せめて隣室に移られてはいかがか」
「――ああ……それもそうだな。昏睡状態の王子の前で口汚く論戦するのは、礼節に反している」
頷くレオンだが、冥王は寝台に視線を送ったまま動かぬ。王子の傍を離れるのをよしとしない様子だ。
「セダル、案ずるな。この天宮は封鎖済みだ。部外者はここまでは来ない。……隣の部屋で話そう」
凭れかかっていた扉から身を離し、隣室に入ろうとするレオンにセダルは低く声を投げた。
「――王女はどうしている。ルーシェルミアは?」
「……あの子は元気だ。気丈にも自分なりに兄を守ろうと頑張っていたよ。後で連れてこよう」
セダルは隣室に移る前に今一度、寝台に近づき、ナシェルの寝顔を見つめた。
弁論で己の怒りをねじ伏せようとする天王に、彼は怒っていた。あの男は常に正論しか言わない。それが却って冥王を苛立たせる。
セダルは怒りを押し殺したまま、しばらく王子の寝顔を見つめていた。出来ることなら今すぐに揺さぶり起こしてでも……いや、こうして眠っているままでも抱きしめ、愛し、己の神司を施してやりたい。
――こんな状態の王子は見るに堪えない。
母譲りの群青の眼で父を見返し、我が愛に反抗してつんと冷たくそっぽを向くナシェルこそが、冥王の知る普段の姿だ。
セダルには常日頃、そうしたナシェルの素直でない反応を愉しむ余裕さえあったのに。
ナシェルの、己を呼んでいた譫言のような声をセダルは思い出す。
呪法によって王子の魂を震わせ、その居場所をつきとめたとき、この子は確かに心の底から己を求めて叫んでいた。
……それは胸の裡に纏うすべての鎧を脱ぎ棄てた、魂からの肉声だった。
――ナシェル。早く余をその唇で求めてみよ。あのとき余が耳にした熱い叫びのように。
余を欲していたあの声。あの激情の迸りこそが、そなたの本心なのだろう――
反発を続け、愚かな裏切りを続け、自業自得の罠に落ちてこんな状態になるまで身を滅ぼし尽くした我が子である。
セダルも一時は完全にその魂を見失い、見つめ合えば確かに感ぜられたはずの互いの想いすら、信じられなくなっていた。だがあの声を聞けば全ては杞憂だったと分かる。
この子は確かに己を愛している。……愛しているなどと、当の王子は面と向かって認めるはずはないが。
「…そなたの心の声を聞いたよ。案ずるな、直ぐに連れて帰ってやる。ここでの用をすべて終わらせた後に。……それまで、もう暫く待っておれ」
セダルは眠る愛し子に向けてようやくゆっくりと言葉を紡いだ。最後の言葉には、愚かな我が子への慈愛と叱責とが入り混じる。
「――ほんとうに馬鹿な子だ……、帰ったら……たっぷり叱ってやらねばな」
長い指を伸ばして頬を軽く擦ってやるも、反応はない。顔を近づけ息のかかるすれすれのところで覗き込むが、ナシェルは主の気配に応ずるでもなく、こと切れたように瞼を閉ざしたまま。
かすかな呼吸を確認したのち、セダルはそっとナシェルの唇に己のそれを重ねた。
柔らかいナシェルの唇を押し開き、吐息を吹き込むようにして司を移し与えた。
むろんその程度で失われた神司が回復するわけではないが、応急処置のつもりだ。
放っておけば消滅してしまいそうなほど儚く眠っていたから。
待ち焦がれた王の口づけを受けたナシェルは、そこで初めて幽かな反応を示した。
体は動かぬし、貌も死んだように蒼白だったが、ただその眦にうっすらと雫を溜めた。
雫は大粒になり、目の横を伝い落ちる。
戻らぬ意識の根底で、王の迎えをこのときようやく理解したようであった。
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