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第三部 天 獄
47断罪①
しおりを挟む……冥界に侵入してきた異界の神々との、あの熾烈な戦いが終わって丸一日以上が経過していた。
アシュレイドに前線の一号砦・二号砦の被害状況を調べさせ、報告を待つ冥王は戦禍をまぬがれ無傷で残ったエレボス城にひとまず引き上げていた。
疑似天へ赴いていた冥界軍総帥ヴェルキウス公爵も合流し、主のいない領主の執務室において、互いの報告を交わしあった。
冥王に対して先にジェニウスが報告した内容は、王よりもむしろ傍らで聞いていたアシュレイドを愕然とさせるものであった。
「ルーシェルミア姫が、攫われたですと?! その抜け穴から?」
「ああ。エベール殿下のおっしゃるにはな。王女殿下を攫ったのはあのサリエルという若者だそうだ」
サリエルの名を口にするとき、ジェニウスの表情にはより深い苦渋の色が浮かぶ。そもそもその者をこの冥界に連れてきて幽閉していたのは、彼の息子ヴァニオンなのだ。そのヴァニオンも、今は王子と共に行方不明であった。
「それをナシェル殿下がお追いになり、地上界で神々と遭遇したのだろう。……そしておそらく、もろとも天上界に連れ去られた。陛下、そういう推察でよろしいですか」
冥王は肯定の代わりに黙し、じっと瞼を閉ざした。
報告書を握る手を震わせるアシュレイドを、ジェニウスがやんわりと制する。
「しっかりせよアシュレイド。殿下と姫様のことはもう冥王陛下にお任せするよりほかない。それよりも今、ナシェル殿下がおられぬ以上、暗黒界の采配はお前の双肩にある。……さしあたり我々は我々で現状、出来ることをせねば。生存者の救出、負傷者の手当、砦の修復。お前が陣頭指揮をとらねばいかがする?」
「……そう、でした」
自分が取り乱している場合ではない。アシュレイドは公爵を見返す。公の息子とて生死不明の状況であるのに、公爵は努めて冷静を保ち職を全うしようとしている。まして王は……あまりにもかけがえのないものを一度に奪われたのだ。
冥王は表面上は冷静さを保ったまま、執務卓に寄りかかり腕を組む。
「して、砦の被害状況は?」
若き将軍は我に返り、戦死者数と被害状況の報告を読み上げる。
「……最も被害の大きかった一号砦は壊滅的打撃を受けました。駐留部隊歩兵1万のうち戦死者4千5百名あまり、負傷者約5千名。黒翼騎士団第一大隊6百騎のうち、生き残りは僅か50騎余りで、それもほとんどが重傷です。副団長も戦死しました。
歩兵の死傷者の大半は、崩壊した砦の下敷きになったものです。騎士団のほとんどは交戦の結果敗れ去ったものでありますが……。
二号砦は歩兵1万のうち戦死者1千9百名、負傷者3千名。黒翼騎士団第二大隊6百のうち死者5百名を出しました。やはり歩兵よりも黒天馬の【騎兵】が魔族狩りの重点的な標的となったと思われます。
二号砦自体は崩壊は免れましたが半壊で、こちらもやはり再建が必要なものと……。
三号砦の損傷は、城砦上部のみで軽微。人的被害については先にまとめ提出した通りです」
ジェニウスが王に向き直る。
「陛下。つねづね魔獣どもの少ない暗黒界にこれほどの兵力を……特に、貴重な黒天馬部隊を多数配置していることには疑問を呈して参りましたが、愚昧な拙官にもようやく分かりました。陛下は初めからこういう場合を想定しておられたのですか」
「……そうだ。三途の河を超えればその先には地上界がある。余はこの世界に堕ちてきて、そのことに気づいたときに、まず砦か何かを建造し黒天馬の軍勢を配置せねばならぬと思った」
王は腕を組んだままジェニウスに応じた。
「冥府との距離を考え、万が一【侵入者】があったときに余の馬でどれだけの速さで駆けつけられるかを計算し、砦を三重の造りとした……。命を落とした兵らには悪いが、まさに二つの砦の犠牲のおかげで今、我らはここにこうしておれるというわけだ。黒翼騎士団二個大隊が、ほぼ全滅するまでの死闘を繰り広げておらねば、ここエレボス城までたった数時間で侵入されていたであろう」
「三重の防御壁の内側にこの城をつくり、ナシェル殿下を配置したことも、その一環ですな?」
「そう。侵入者が神族だった場合、やはり神族にしか対抗できぬ。冥界は余がひとりですべてを治めるには広大すぎる。余は基本的には冥府に在らねばならぬゆえ、王子を育ててこの地を任せることにしたのだ。ナシェルの神司そのものが、三途の河を超えようとする連中への抑止力となる。三連砦と黒翼騎士団はナシェルを守るためのものであり、同時にナシェルは暗黒界を神族の攻撃から守るためにここに在らねばならなかったのだ。
……砦に関して言えば、ようは、余か、余と同等の神司を有するナシェルが到着するまで黒天馬の部隊が持ちこたえられれば良い。つまり、砦というよりむしろ大事なのは黒翼騎士団の配置だ。砦には、黒翼騎士団の収用場所としての機能さえあればよかった」
(ましてやこの冥界の中にありさえすれば我ら二柱神は無敵。
ナシェル……、こういう事態のために余の分身たるそなたに、暗黒界を任せていたのだぞ)
「存じませんでした。……そこまで計算なさって全てを配置しておいでだったとは」
冥王は答えず、考え込むように瞑目している。
(望みどおりにしてやった。その結果がこれか。
そなたの求めたものが、結果的に多くの犠牲者を出した……。
どうすればよかった? 余がそなたの願いを聞かなければよかったのか)
冥王は重い思考を打ち払うように首を振り、執務卓に寄りかかるのをやめ部屋の中央付近に立った。
「話を戻そう――騎士団司令部の生き残りは誰がいる?」
「は。騎士団長はこの城の護りに残しておりましたので無事であります。副団長4名中2名が戦死。残る副団長は三号砦の大隊長ゼキスと、疑似天に派遣したヴァレフォールの2名ですが……」
アシュレイドの報告にジェニウスが口を挟んだ。
「ヴァレフォールは別命で既に地上界に向かわせている」
「地上界に?」
弟騎士イスマイルとともに疑似天に向かったイルファラン・ヴァレフォールは、そこで軍務卿ジェニウスから新たな命令を受けた。すなわち、地上界側から(おそらく神々の手によって)蓋をされた『界の亀裂』の状況を把握せよとの。
彼ら一隊は戦の傷痕を残す暗黒界をくぐり抜けて、亀裂の反対側の状況を探るべく地上界へと旅立っていったのである。越河は本来ならば、硬く戒められているにも関わらず。
「あまりに危険な任務です、若者たちを遣わすには……。もし、再び神々に遭遇でもしたら」
「分かっている。そうならぬことを願うしかない」
長い長い青年期を過ぎ、老年期に差しかかろうとしている公爵の眼もとにも、濃い影がさしている。
アシュレイドは沈黙した。すべてがもう遅くとも、せめて彼の息子ヴァニオンの亡骸だけでも回収できればいいのだが、と願った。
ジェニウスは不意に王の方へ向き直った。
「陛下。聞けば王女誘拐犯たるサリエルという者をこの冥界に招いたのは、我が愚息とか。……おそらく、愚息もすでにこの世の者ではありますまいが、臣も父親としてこの件に対する責を負うつもりです。軍の混乱に収拾がつき次第、死してお詫びを申し上げる」
「軍務卿閣下!」
アシュレイドが目を見張る。
ジェニウスは握った拳を握りしめる。
「我が愚息の過ちをお詫びいたします。殿下のおそばにありながら、殿下をお守り通すこと適いませず……。
陛下。臣などが申し上げるのはおこがましいことでありますが、あえて最期に申し上げます。
どうか殿下と姫様を、お救いください。あのお二方は、貴方様がこの混沌の世界に与えて下さった希望です」
と云い終えると、直立不動の姿勢をとった。
王の真紅の双眸はいつにも増して深遠であった。
「ジェニウス。死して詫びるなど愚にもつかぬことを申してくれるな」
王は組んでいた腕を外し、積年の忠臣に歩み寄るとその肩を掴んだ。
「誰もこれ以上余を置いて死することは許さぬ。そなたの息子が何をしくじったのだとしてもだ!
多くの兵の血が流れ、多くのものが失われた。
神の血であろうと魔族の血であろうと、血の尊さは比するべきものではない。これ以上、一滴の血も流してはならぬ。むろん、そなたの血もだ」
「陛下……」
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