泉界のアリア

佐宗

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第三部 天 獄

46離宮の幻景②

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 ナシェルはまなじりに光る雫を浮かべ、鼻を啜るように息を吸う。
 甘えた呼吸音だ。

 ――ねえ早くして、父上。貴方が欲しい。貴方のを下さい、貴方でいっぱいになりたい……。
 ――いいよ、上手におねだりできたね。

 王は苦笑とともに許し、ナシェルは陸離たる表情で、彼の愛の施術に身を任せはじめる。

 やがて長い時間をかけ、手順に沿って彼の躯を熱く解きほぐしたあとで、蕾の奥をはじめは静かに、やがて狂おしいまでの剛さで穿ちながら、セダルは問いただす。

 ――他にも本心があるのなら云ってごらん。そなたの望みを。その通りにしてやるから……。
 ――本当に?

 影の王は薄く瞼をあけ、官能に曇った蒼の眼差しを彼に向ける。

 ――私の本当の望み……。

 半身は昇りつめる間際の、肉感的な視線を虚空に飛ばす。
 そして、王が引き緊まった双丘を強く掴んでその奥へと神の源を注ぎこんだその時、影の王はしなやかな腕を彼の首に回して歓悦の泣声を漏らしながら、自身をも同時に解き放ち、切れ切れの声で挑戦的な望みを、王へ向けて囁いたのだった。

 ――自由を下さい。私を繋ごうとしないでください。 
 ――好きに、……させてやっているではないか? 領地もあげて、自由にやらせている。

 ――でも、何処にいても貴方を感じる。あなたが私を見ている。瞼を閉じるとあなたのその眸の血色を感じるのです。…見張られているのと何ら変わらない。

 王はくぐもった溜息と共に、精の残火をこすり付けるようにナシェルの内側に吐いた後で、幾らか戸惑ったようにやさしく、影の王の頬に触れた。その頬は濡れていた。

 ――それは、愛しているからではないの? 余を感じるのは目を閉じたときいつも余を想い浮かべてくれているから……ではないの。

 ナシェルの頬を雫が伝い落ちていく。彼は雫の正体を悟られぬためにか顔を手で覆う。

 ――ちがう、違う……。その反対です、父上なんか嫌いです。そもそも、私の育て方がめちゃくちゃだった。貴方なしで生きられないように神司という名の呪いをかけた! 他の者を愛するなと云って、私の心を抑えつけた……。

 ――だが、さっきは、ひとつに溶け合いたいと云っていたではないの。余を癒したいと。あれも一つの本心だと。
 ――そう。あれも……いいえ、あれは嘘。ただ貴方の神司が欲しくて云っただけです。

 半身は覆った手の間から声を絞り出し、強がりとしか思えぬことを云う。
 王はしばらく待ったが、言葉は続かなかった。



 ……そなたが、余を愛していないはずがない。



 しかし振り子のように揺らめく感情を、ナシェルが持て余している様を王は感じ取り、やがて身を起こして貫きを抜き去った。

 抜き去る瞬間、名残惜しげにきゅうと締めつけてくる。
 ナシェルのその行為は『嫌い』という言葉と相反するものだ。
 反射的にそうしてしまったのだろう、ナシェルは己の行為の矛盾に気づいて一層口惜しげに肩を震わせた。

 愛おしくてたまらなくなり、もう一度抱きしめたかったが、半身は今は泣いて拒絶を露わにしている。きっと振り払われるだけだろう。
 王は落ち着かせるように王子の額を軽く撫で、寝椅子から立ち上がる。

 ――分かったよ。そなたの気持ちは分かった。
 ――……、
 

 覆った指の隙間から濡れた群青色の瞳が、狂惑の色を灯したまま見上げてくる。

 ――好きにするがいいよ。そなたがそれで満たされるなら。そなたの望むものを余が与えなかったことがあるか?

 抱擁を拒まれ、しかし王子の葛藤を理解していることを伝えたくて、セダルが返すことができたのはその言葉以外にはなかった。



◇◇◇



 はっとセダルは我に返り、鏡を覗き込んだ。
 鏡に映し出されていたのはあの一夜の光景などではなく、己の、血色をした双眸だった。

(……そなたが求めたものを余が与えた結果が……これか)



 我に返ったのは歩哨の、戸を叩く音がしたからだった。

「陛下、ヴェルキウス公爵が到着されました」
「陛下! 疑似天の状況が分かりましたぞ」

 歩哨を押しのける勢いで入室してきたジェニウスは、戦装束を解かず帯剣も佩いたままの冥王を捉え目を見開いた。

「少しも休んでおられないのですか」
「休んでなどおれるか。余の戦いは終わっておらぬ」

 続いて入室してきたアシュレイドは報告書を手に、ジェニウス以上に硬い表情をしている。

「陛下……」
「砦の状況は芳しくないようだな。ひとまず報告を聞こう……簡潔にな。余は急いでおる」


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