泉界のアリア

佐宗

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第三部 天 獄

13羽搏き往くもの④

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  若き神々は、捕獲した黒き神をもの珍しげに覗き込む。血塗れで倒れ伏すそれに手を触れようとする者はおらぬものの、彼等が興味津々であることは確かだった。かつて醜き異形として冥界に追われた闇神セダルの子が、意識を失っているとはいえ、まさかこれほどの美貌を備えているとは誰も想像していなかったのだ。

 ひそひそ声や下卑た笑い声にレストルは何故か憤りを覚え、黒き神に群がる彼等を追い散らした。

 「これは俺の獲物だ。お前等はさっさとあの穴を塞げ。こいつ等は皆、あの穴から出てきたんだからな。新手が来たら、また厄介なことになる」

  彼らは、冥界と地上界を繋ぐ亀裂の存在を初めて知らされ驚きながらも、不意打ちに注意しつつ深々と洞窟に近づいた。
  そこで彼らが目にしたものは、洞窟の少し奥まった所で動けずにうずくまっている奇妙な二人連れ……、泣いている幼女と、怪我をしている灰髪の、ひ弱そうな青年であった。


 後ろから近づいてきたアドリスが想定外の事態に堰をきったように爆笑しながら、
「まあ、この二人もこの際連れて行くしかないっしょ」

というので、彼らは二人を捕獲した。その際、怪我を負った青年よりむしろ幼女のほうが過激な抵抗をみせ、数人が手や足を噛まれるという被害にあったが、抵抗といっても所詮その程度のものだった。

「名前、なんつーんだっけ? おチビさん?」
 顔を近づけアドリスが問うても、捕らえた幼女は必死に涙をこらえ唇を引き結んで答えぬ。
「可哀想にねえ、あんなに集めといて、まだ精霊の使い方、わかんないのねぇ」
 そして一度は拒絶したはずのサリエルに、アドリスはこう声をかけた。

「仕方ないからさあ、アンタも連れて行くことになったよ。幸運だったね、サリエル? これでお望みどおり、帰れるじゃん。みんなが受け入れてくれるかどうかは別として、だけどさ」

 蒼白のサリエルもまた答えなかった。
 サリエルもとうに悟っていたのだ。天界に帰りたいなどという想いは、エベールによって巧みに誘導された思考の結果にすぎなかったのだと。

 確かに心の奥底に故郷への想いは燻り続けていた。だがそれはサリエルのみならず、故郷を離れた者が誰しも抱く感情である。
 サリエルはそれを打ち払い、あの世界でヴァニオンと共に生きることを誓っていたのに、心の弱さにつけこまれ、この結果を招いたのだ。

 だが今さらそれを理解したところで、一体、何になるというのか!



 彼ら天の警邏団は、大いなる神司を以ってその大地の裂け目をしっかり塞ぎ封印したあと、荒寥たる地上界テベルを後にした。

 レストルの手刀を食らって伸びている魔族の男、これだけは連れて行くわけにはいかなかったので打ち捨てておいた。

 殺しておいたほうがいいという意見もあったが、レストルはわざわざそうまではしなかった。捕らえた黒髪の神(ナシェル、と呼ばれていた、)が、抵抗せぬかわりにこの者には手出しをするなと、潔い所を見せていたのだ。

 高潔な己ら神族が、約束に反するわけにはいかぬ。……と思いきや、無責任な弟のアドリスが去り際に短槍で突いていたので、レストルは叱った。

「馬鹿ッ、何してる。そんなのは放っておけ」
「大丈夫だよぉ、殺してないって。こいつがその辺に黒天馬隠してたら、冥界にすぐ帰られちまうでしょお? だから、足だけはやっとかないとと思って」

 なるほど、それもそうかと納得する。

「ヴァニオン様!」

 捕らえられたサリエルが悲鳴を上げる様子を見て、レストルは初めて、この堕神に憐憫を覚えた。

 遠き昔、冥き世界に囚われたことにではない。
 卑しき魔族におもねらねば生き延びられなかったのだろうなと、哀れんだのだ。
 耀けし種族である彼らには、卑下してやまぬ魔族とのあいだに真実の愛が生まれ得るなど、思いもよらぬことであった。


 そしてレストルは馬上に引き上げた己の俘虜に視線を落とす。幾人かが輸送を申し出たが断り、その黒き神はいま直々にレストルの手の中にあった。
 卑しき闇神の子。だが白皙の頬にこびりつく血は彼らと同じ色をしている……。

 瑞々しさを失った唇は、意識を失う前まで確かに誇り高き言葉を口にしていた。
 今は剣を退くが決して屈したわけではないとばかりに、激情を湛え真っ直ぐに彼を睨み据えてきた、群青色のまなざし……。
 神秘ともいうべき、この芳しき肢体。
 これほどに気高く華麗なものが、あの闇の世界に存在していたなどと、誰が想像していただろうか。
 これが、心に魔が忍び入るということか?
 そんなはずはない……。馬鹿げている。この俺が、闇に魅入られるなど。

 そう内心で否定しながらも、腕の中の熟れた果実の如き虜囚の姿に、確かにレストルの心は疼きを覚え、瞬きごとにかき乱されていく……それは、確かな狂熱のしるしであった。


     
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