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第三部 天 獄
8 対峙④
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「うわッ……闇の精霊とか使うのかよ、て当たり前か! アンタとオレ、相性最悪かも」
暁の神であるアドリスが眼前の黒い霧を打ち払いながらぼやく。
だが目に見えて、現れた精霊の数が少ない。せいぜい数百というところか。当然だ、ここは地上界であり闇の精たちの本来の住処ではない。夜も明けきり、地表にはじりじりと陽光が差してきている。
ナシェルは、自分の体が本調子ではないことに気がついている。
顔中をおかしな汗が滴り落ちてゆく。
不利な状況に、心臓が異常な早鐘をうっているのが分かる。
それでも王女らを逃がすため進路を塞ぎ、赤毛の神と切り結びながら、馬上の栗毛男の様子をうかがう。
(あの数では時間稼ぎにもならぬか? せめてあと1刻、追いつくのが早かったなら!)
夜が明けきる前ならば、たとえ地の利を差し引いてもこちらが有利に展開できるのだが。
闇の精霊をもっと集めて―――いや、そんな考えは無駄だ。
――王は気づいただろうか?
私の気配が冥界から消えたことに気づいただろうか。
――こういうときにでも脳裏に王を思い浮かべるほど、あれに囚われ続けている己が心底煩わしい。また、己の招いた危機だというのに都合よく王の助力をどこかで欲している己に気づき、それもまた厭わしかった。
ナシェルは、脳裏にこびりつく紅い双眸を打ち払う。
そうだ、貴方の力は借りぬ。エベールの小細工に引っかかったのも己の責任、罠とわかっていて独断で飛び込んだのも、己の責任だ。
キン! という音で我に返った。
「ぼっとしている暇はないんじゃないのか?」
剣を繰り出しながらレストルが嘲笑う。
何故だ、なぜこの男はこれほどに余裕なのだ。弾き返し、逆に打ち込みながらナシェルは奇妙な違和感を感じ始めていた。
手元の剣が己の意思に反するような、異様な感覚……。
「お前は俺の神司を知らんようだが……」
鍔迫り合う中、至近に迫ったレストルの青紫の瞳がにいと歪む。
「この世の剣精は全て俺の意のままだ。剣で俺に勝てると思うな」
「!?」
手元で、アドリスから奪った剣に亀裂が入ったかと思うや、鍔の根元から真っ二つに折れた。
折れた刃が眼前に迫り、からくも避ける。
避け遅れた黒髪が数本、宙をはらはらと舞った。
ナシェルの頬を掠めた刃は、銀色の欠片を散りばめながら足元に落ちる。
いや……銀色の破片と見えたのは、羽根を羽ばたかせて虚空に飛び立つ、剣に宿りし精霊だった。
「もらった!!」
一旦飛び退ったレストルが再びナシェルに向けて踊りかかる。
(そうか、この男は剣に集う精を操るのだ、戦の神の一族か?)
振り下ろされてくる相手の剣を見上げながら、ナシェルは束の間、冷静にそんなことを考えていた。
「ナシェル! 受け取れ!」
背後からの呼びかけに、ハッと我に返る。
きゅるきゅると速い速度で回転しながら地面を滑ってきたものが、足に当たった。咄嗟にそれを拾い上げ目の前にかざす。
キィン……という硬い音を響かせて、間一髪、ナシェルの手には自分の剣が鞘ごと、握られていた。
「……なに!?」
渾身の攻撃を受け止められたレストルが、一歩退がりながら眼を見開いた。
ナシェルはその隙に立ち上がり、装飾のちりばめられた鞘から己の剣を抜き払う。
鞘から眩い刀身とともに踊り出でたのは、黒々とした神気。
冥王との番いの神剣であった。これを待っていたのだ……。
「なるほど、貴様はこの世のあらゆる剣に宿る精を従える神か」
ナシェルの手からゆっくりと打ち捨てられた鞘が、渇いた地面に甲高い音を立てる。
ナシェルは神剣をレストルに向け構え直した。
「だが残念だったな。私のこれは、泉界の剣だ。貴様の精霊など宿りはせぬ」
「……って、カッコつけてる場合かよ!!この馬鹿ッ!!」
絶妙のタイミングで剣をナシェルに放った者が、背後でゼエゼエと喘ぎながら身を震わせている。ナシェルは声を投げた。
「…ヴァニオン、遅かったな、待ちかねたぞ」
「待ちかねたぞ、じゃねえッ! お、お前が後先省みずに独りで突っ走りすぎなんだよ! 今のはマジでやばかっただろ!?」
絞り出すようにヴァニオンが叫ぶ。あと一瞬遅かったらと考えているのだろう。
「まあな。だがお前が後ろから来ているだろう、とは思っていた」
「もぉぉ……!何なのよ、その妙な達観はよ! お前といると心臓いくつあっても足りないぜ! ヒヤヒヤさせやがって」
頭をかきむしったヴァニオンは、近くに倒れているサリエルと、座り込む王女の姿を発見し、そちらに駆け寄っていく。
「サリエル!この大馬鹿野郎ッ……」
「ヴァニオンさま……」
「ヴァニオン、気が散るからどいてて!」
サリエルを抱き竦めようとするヴァニオンと、彼に向って癒しの神司を試みようとしているルーシェが軽く揉み合いになっている。
とりあえず、あちらは大丈夫のようだ。
暁の神であるアドリスが眼前の黒い霧を打ち払いながらぼやく。
だが目に見えて、現れた精霊の数が少ない。せいぜい数百というところか。当然だ、ここは地上界であり闇の精たちの本来の住処ではない。夜も明けきり、地表にはじりじりと陽光が差してきている。
ナシェルは、自分の体が本調子ではないことに気がついている。
顔中をおかしな汗が滴り落ちてゆく。
不利な状況に、心臓が異常な早鐘をうっているのが分かる。
それでも王女らを逃がすため進路を塞ぎ、赤毛の神と切り結びながら、馬上の栗毛男の様子をうかがう。
(あの数では時間稼ぎにもならぬか? せめてあと1刻、追いつくのが早かったなら!)
夜が明けきる前ならば、たとえ地の利を差し引いてもこちらが有利に展開できるのだが。
闇の精霊をもっと集めて―――いや、そんな考えは無駄だ。
――王は気づいただろうか?
私の気配が冥界から消えたことに気づいただろうか。
――こういうときにでも脳裏に王を思い浮かべるほど、あれに囚われ続けている己が心底煩わしい。また、己の招いた危機だというのに都合よく王の助力をどこかで欲している己に気づき、それもまた厭わしかった。
ナシェルは、脳裏にこびりつく紅い双眸を打ち払う。
そうだ、貴方の力は借りぬ。エベールの小細工に引っかかったのも己の責任、罠とわかっていて独断で飛び込んだのも、己の責任だ。
キン! という音で我に返った。
「ぼっとしている暇はないんじゃないのか?」
剣を繰り出しながらレストルが嘲笑う。
何故だ、なぜこの男はこれほどに余裕なのだ。弾き返し、逆に打ち込みながらナシェルは奇妙な違和感を感じ始めていた。
手元の剣が己の意思に反するような、異様な感覚……。
「お前は俺の神司を知らんようだが……」
鍔迫り合う中、至近に迫ったレストルの青紫の瞳がにいと歪む。
「この世の剣精は全て俺の意のままだ。剣で俺に勝てると思うな」
「!?」
手元で、アドリスから奪った剣に亀裂が入ったかと思うや、鍔の根元から真っ二つに折れた。
折れた刃が眼前に迫り、からくも避ける。
避け遅れた黒髪が数本、宙をはらはらと舞った。
ナシェルの頬を掠めた刃は、銀色の欠片を散りばめながら足元に落ちる。
いや……銀色の破片と見えたのは、羽根を羽ばたかせて虚空に飛び立つ、剣に宿りし精霊だった。
「もらった!!」
一旦飛び退ったレストルが再びナシェルに向けて踊りかかる。
(そうか、この男は剣に集う精を操るのだ、戦の神の一族か?)
振り下ろされてくる相手の剣を見上げながら、ナシェルは束の間、冷静にそんなことを考えていた。
「ナシェル! 受け取れ!」
背後からの呼びかけに、ハッと我に返る。
きゅるきゅると速い速度で回転しながら地面を滑ってきたものが、足に当たった。咄嗟にそれを拾い上げ目の前にかざす。
キィン……という硬い音を響かせて、間一髪、ナシェルの手には自分の剣が鞘ごと、握られていた。
「……なに!?」
渾身の攻撃を受け止められたレストルが、一歩退がりながら眼を見開いた。
ナシェルはその隙に立ち上がり、装飾のちりばめられた鞘から己の剣を抜き払う。
鞘から眩い刀身とともに踊り出でたのは、黒々とした神気。
冥王との番いの神剣であった。これを待っていたのだ……。
「なるほど、貴様はこの世のあらゆる剣に宿る精を従える神か」
ナシェルの手からゆっくりと打ち捨てられた鞘が、渇いた地面に甲高い音を立てる。
ナシェルは神剣をレストルに向け構え直した。
「だが残念だったな。私のこれは、泉界の剣だ。貴様の精霊など宿りはせぬ」
「……って、カッコつけてる場合かよ!!この馬鹿ッ!!」
絶妙のタイミングで剣をナシェルに放った者が、背後でゼエゼエと喘ぎながら身を震わせている。ナシェルは声を投げた。
「…ヴァニオン、遅かったな、待ちかねたぞ」
「待ちかねたぞ、じゃねえッ! お、お前が後先省みずに独りで突っ走りすぎなんだよ! 今のはマジでやばかっただろ!?」
絞り出すようにヴァニオンが叫ぶ。あと一瞬遅かったらと考えているのだろう。
「まあな。だがお前が後ろから来ているだろう、とは思っていた」
「もぉぉ……!何なのよ、その妙な達観はよ! お前といると心臓いくつあっても足りないぜ! ヒヤヒヤさせやがって」
頭をかきむしったヴァニオンは、近くに倒れているサリエルと、座り込む王女の姿を発見し、そちらに駆け寄っていく。
「サリエル!この大馬鹿野郎ッ……」
「ヴァニオンさま……」
「ヴァニオン、気が散るからどいてて!」
サリエルを抱き竦めようとするヴァニオンと、彼に向って癒しの神司を試みようとしているルーシェが軽く揉み合いになっている。
とりあえず、あちらは大丈夫のようだ。
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