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第三部 天 獄
3 暁光に見(まみ)ゆ③
しおりを挟む……サリエルに剣を突きつけた男。
それは確かに故郷の同族であった……。それもかの世界においてよく見知っていた者である。
三百年の刻を経ても、何らその容姿に変化はない。
真正面に立つ男の、後ろで束ねられた赤金の髪、そして紫がかった青の眸。それらが、懐かしさのあまり溢れ出したものでゆるゆると歪んだ。サリエルは万感の想いを込めて、故郷を同じくする男の名を呼んだ。
「レストル様……!」
しかし頬をはらはらと伝い落ちる涙を、同郷の男は訝しげに一瞥しただけで、長剣を水平に構え直しサリエルの喉許に突きつける。
「お前は……誰だ?」
つい、と上向かされた喉元で、剣先が朝日を浴び鋭く光る。
サリエルは両の腕を挙げて掌を眼前の男……剣神レストルに晒した。
レストルは太陽神アレンの長子。天王につぐ第二神位にある太陽神の子として、天宮への出入りも多く、天王の情人であったサリエルとはかつて面識があった。
戦神でもある太陽神の苛烈な側面をのみ受け継いだ彼は、きりりと引き締まった賢しげな顔立ちにそぐわぬ粗暴さを持ち合わせている……。待ち望んだ迎えに思わず感極まったサリエルだが、もしかしたら一族内でもっとも厄介な者を呼び寄せてしまったのかもしれない……。
「レストル様……、私です」
「……なぜ俺の名を知っている?」
サリエルの胴衣の広い袖口から覗く細りきった腕を、名を呼ばれたレストルは訝しげに凝視している。
その冷ややかな視線がやがてサリエルの相貌の周りを泳ぎ、銀灰に染まった髪を突き刺し、またサリエルの泣きぬれた頬に戻る。
そして彼は侮蔑の表情を作った。お前のような醜き者は断じて知らぬという自信のようなものすら覗かせていた。神族とはみな金色の髪を持っているのだ。魔族と交わることで銀灰に変じてしまったこの髪では、気づいてもらえないのも無理からぬこと……。
「私です。サリエルです……!」
その名にレストルは眉だけ動かした。記憶の引き出しを漁るように、その名を繰り返す。
「サリエル……? サリエル……ふん」
何を馬鹿な…とばかりに失笑しながらも、彼の青紫の眸はサリエルの顔に、かつて見知っていた者の面影を探している。すぐには信用できないようだ……。まさか数百年前に冥界に連れ去られ行方不明となった同族がまだ生きていて、まさか今、このような地上界の荒野に立っているとは思いもよらないのだろう。
「嘘ではありません、私は、」
「この場の精霊たちを動かしたのはお前か? いや、違うな……」
剣神はサリエルの言葉を最後まで聞きもせず、剣を鼻先でちらつかせながら独りごちた。
レストルは端からこの銀灰の髪をした見知らぬ青年の言葉など聞く耳は持っていなかった。彼はサリエルから視線を外し、背後の大岩の境目に開いている洞窟に視線を遣った。
「……怪しい奴、そこを退け」
「…ッ」
レストルは当然のことながらサリエルを迎えにやって来たわけではない。彼はこの場に一瞬にして精霊たちが集った理由を求めていた。
そして彼は今、眼前の、サリエルを名乗る不審者の背後にこそ、確かに同族の気を感じていた。
サリエルが退かぬと分かるとレストルは一歩を踏み出し、剣を持たぬほうの手でサリエルの体をぐいと脇に突き飛ばした。粗暴な剣神の力強さに細身のサリエルはあっけなく倒され、地面に手をつく。
とたん、背後の洞窟から飛び出してきたふわふわしたものが、倒れこんだサリエルを庇うように抱きついた。
「サリエルをいじめちゃ駄目!」
「姫様……!?」
サリエルは愕然と叫んだ。走り去ってはいなかったのだ。然もあらん……、幼い王女にしてみればサリエルをこのような場所にひとり残し、疑似天へ帰れるはずもなかったのだ。
案の定、目の前に立つレストルは、子兎の如く走り出てきた幼女を、虚をつかれて見下ろしている。
「なんだ、このガキは……!? 姫、……だと?」
「サリエルをいじめないで!」
ルーシェは両の拳を握り締め力いっぱい叫んだ。そしてサリエルを庇うようにすっくと立ち上がり、両腕を広げてレストルと対峙した。精一杯背筋を伸ばし肩を怒らせ、いつものおとぼけぶりはどこへやら、サリエルに向けたちっちゃな背は毅然としている。
「姫様……」
その肩に止まった数匹の精霊もまた、女神の怒気に応じるように相手に対し身構える。
レストルは眼を見開いた。眼前で喚く娘に、確かに同族の気を見出したのであろう。
「この娘か! この辺りの命の精霊を呼び寄せたのは!? いったい、お前たちは……」
「サリエルと、ルゥだもん! あなたこそだれ?」
事態は転がるように最悪の方向へ向かっていた。サリエルとしては王女の精霊を拝借したものの、王女自身を巻き込むつもりはなかったのだ。
「サリエル……やはり、あの、冥界に連れ去られた月神一族の……サリエルだというのか、そこの灰髪のお前が?」
「そうです、レストル様。わけあって生き延び、今、ここで迎えを待っておりました……」
サリエルはよろよろと上半身を起こしながらレストルを見上げた。レストルの眼差しは漸くここへ来てサリエルの面影を見出したように愕然と開かれている。
「信じられぬ。なぜ今頃、お前が……? 俺を騙そうとする罠ではないのか? ……魔族らの」
「そんなこと、するわけないでしょ! ばーか!」
ルーシェが二人の間でいきり立つ。レストルは眉を動かし、再び王女に眼差しを注いだ。
「ではサリエルとやら、この娘は何だ、説明してみろ。お前とちがって、見た感じ我らと同じ『神族』のように見えるが……なぜこの娘は魔族の肩を持つ? そしてなぜ精霊を使役するのだ」
「……」
王女の素性を明かせば、この男はどうするだろう……。だがもはや、王女をすんなりと逃がせる状況ではない。
ここは事情を説明し、理解を求めるしかない……。
仕方なく、サリエルは重い口を開いた。
「この方は……かつて冥界に降嫁されたあのセファニア様の忘れ形見です……」
「セファニアの……忘れ形見、だと? セファニア叔母は消滅していたのか、やはり」
レストルは驚きを露わにした。やはりサリエルの思ったとおり、天上界には女神の死すら伝わっていなかった……。
「はい、二百年前に、残念ながら……。セファニア様の神司は、いまは全てこのルーシェルミア姫に属しています」
「そうか。セファニア叔母が冥界へ連れ去られた後、彼女の持っていた神司が天上界へ戻ってこぬので、てっきり生きているとばかり思っていたが……。この娘にすべての神司が受け継がれていたのだな。
では、この娘は『冥界の王女にして命の女神』、というわけか」
「そうです。冥王の王女です」
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