泉界のアリア

佐宗

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第二部 虚構の楽園

18満たされぬ愛③※

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 ゆっくりと寝台の上に横たえられる。
 ヴァニオンは大きな指でサリエルの泣き濡れた睫毛を拭った。
 そして寝台を沈み込ませながらサリエルに覆いかぶさってきた。
 二人はもう一度、はじめから……口づけからやり直した。

 すでに胸に色づいていた蕾を、ヴァニオンの熱い舌が再び刺激しはじめ、サリエルはまた快感に耐えられず淫らな声を上げた。
 ヴァニオンは構わずに無骨な指を滑らせ、もう片方の乳首に愛撫を加えた。

「……あ……あ……ッ」

  銀灰の髪を乱して、サリエルは悶えた。
  舌と指で充分に狂わせておいてから、ヴァニオンはサリエルの下半身に絡まっていた部屋着の帯を緩め、衣服をすべて脱がせた。
  露にされた己の体の貧弱さを、サリエルは恥じる。そして対照的に逞しい彼の躯を見たいと思った。

「ヴァニオンさまも……」

  彼の襟に手をかけると、ヴァニオンはそれを押し留め、少し躊躇いながらも自分で上半身だけ脱いだ。
  二人はもう一度、今度は互いの熱を感じながら隙間なく寄り添った。

  男の肌の匂いに、耳朶を這う柔らかな舌の感触に、サリエルの中心は再び熱を帯びてひくひくと疼く。
  ぴったりとくっつけ合ったそこは、ヴァニオンの服越しであっても、お互いの昂ぶりが明らかにわかるほどに怒張している。
 彼を体内に容れることはできなくても……、この手や唇で愛することなら……。
 いや、彼が望むのなら……、躯を繋げることさえもやぶさかではない。
 成り行きのままに……。辿り着くところまで往ってしまおう……。
  サリエルがそう考えたときにはすでにヴァニオンの指が、サリエルの熱く滾ったそれに絡められていた。

「あ……っ……」

 指で触れられただけで、気が遠くなる。
 ゆっくりと包み込まれ、揉み扱かれはじめ、サリエルは快感に一層喘いだ。

「はあ……や……あ、あぅ……あ……ッ」

 シーツを掻く手が、脱ぎ捨てた己の部屋着に偶然触れた。サリエルは思わず掴んだ。
 先奔るもので濡れそぼったサリエル自身を、丹念に擦りあげる、ヴァニオンの力強く優しい指。

「あ、あ、あ……い、や……いや、」

 湧き上がる衝動に耐える躯は、わなわなと震え、言葉とは裏腹に更なる悦びを求めて反り返る。
 自分も同じようにヴァニオンのそれを愛したい思ったが、もう聳り立っているはずの彼のものは、まだ服の中に仕舞われたまま。

 どうして脱いでくれないのかという思いが一瞬脳裏を掠めたが、それよりも大きな快感のうねりが、次々に押し寄せてくる。
 屹立したものを手で無心に愛撫しながら、ヴァニオンは湿った唇でじっくりと胸の突起を虐めてくる。

 二箇所を同時に責め立てられ、サリエルはついにゆるゆると限界を迎えた。

「だ、め……もう、だめ……、あああぁ……っ」

 とうとう、切ない悲鳴を上げてサリエルは果てた。
 吐き出させられたものが、サリエルの下腹部とヴァニオンの手を白く卑猥な色に染めている。
 意識も、白く混濁した。


 だが、絶頂の余韻に落ちかけたのはほんの数瞬。
 サリエルは重い瞼を持ち上げた。

「ヴァニオン、さま……?」

 残響にうっとりしていた頭が、急に冴えた。今までサリエルを熱っぽく翻弄していた彼が、不意に身を離したのだ。
 彼は背を向けて、寝台の端に腰を降ろしていた。

「どう……したのですか、まだ……」

 彼が晒しているのは上半身のみ。サリエルが愛したいと思った箇所は、まだ服の中で疼いているだろうに。
 サリエルは嫌な予感に身を起こした。
 まさか、ここで止めようというのでは……。
 私だけ満たして……。

 「サリエル、駄目だ。これ以上はできない」

 サリエルは驚愕に目を見開いた。

「そ、そんな……だって、貴方がまだ……」
「俺はいいんだ」

  ヴァニオンは湧き立つものに耐えるように、膝に置いた手を握り締める。

「いいって……そんな、いいはずが」
「いいんだ! 黙ってろ!」

 僅かな彼の苛立ちを感じ、サリエルはびくりと押し黙る。
 どうして。どうして?

 彼がしてくれたのと同じように、彼を導きたいと思っていたのに。彼が望むなら、譬えその先にあるのが癒えぬあの病だとしても、彼自身を躯に入れることももう構わないと、さえ……。

「済まない、」

 ぽつりとヴァニオンが謝った。
 何を謝ったのか。サリエルはその意味を考えた。
 声を荒げたこと?
 それとも、これ以上は進めないということ……おそらく、その両方なのだろう。

「私だけなんて、卑怯です。貴方は最初から、そのつもりで……?」

 ヴァニオンは横を向いたままそれには応えなかった。長い茶黒の前髪が、俯いた顔に落ちかかっていた。

「私だけなんて……」

 サリエルは我ひとり乱れきっていた事を思い出し恥辱に頬を染めた。
 同時に、やはり彼を同じように快楽へと導いてやらねばならぬと思う。

 だがヴァニオンは想像したとおり、サリエルの躯を気遣うがゆえに、踏みとどまったのだ。

「……これ以上進んだら、お前はまた病気になっちまう。ここまでだって、本当は……良くないんだろ。魔族と肌を寄せ合うなんて」
「私のことなんて……。ただ私は、貴方と触れ合いたかった。貴方に想いを遂げてほしかった。
 私は何も怖くありません。あの死の病とて……、貴方に触れられない寂しさに比べれば、何でもないんです。……もう一度、ひとつになりたいだけだったのに。溶け合わさってしまえたら、もうあとは、何も怖くない。死ぬことだって」
「そんなこと云うな!」

 ヴァニオンはサリエルを遮って苦しげに叫ぶ。

「何のために生き永らえたんだ。姫さんが救ってくれた命だ。もっと大事にしろ。
 俺だって……俺はいくら我慢してもいいから……、お前に、生きていてほしいんだ。
 お前を愛してるから……お前を、こんな一時の過ちで、もう死病に苦しめたくない」
「……」

 私の浅はかな情愛が彼をこんなにも苦しめたのだ。
 私以上に私の躯を思いやってくれていたのに。
 乱れた自分が恥ずかしい。彼に己の欲望を処理させただけではないか。
 苦しみの中で、彼は今、必死に耐えているというのに……。

  サリエルの薄蒼色の瞳が再び涙で溢れた。

 つかんだままだった己の服に顔を埋めてひそかに嗚咽を漏らした。
 ヴァニオンは、身じろぎもせず寝台の端に腰掛けたまま、向こうを向いて項垂れている。
 声を殺して泣き咽ぶ堕神を抱き寄せるでもなく、今は距離を保って。

 届きそうで届かないのは、二人の距離だけではない。
 とうの昔に通い合っていたはずの心さえ、お互いへの愛ゆえに、こうしてすれ違うのだ。

「ヴァニオンさま……ごめ……んなさ……」
 謝罪の言葉さえも嗚咽に霞む。

「お前が謝ることじゃない。これは全て、もとは俺が招いたことだ。
 俺は一生かけても償いきれない過ちの代償を、今こうして支払ってるんだ。お前は何一つ、悪くない。
 だから、そんな風に、泣いたり謝ったりするのはやめてくれ」

 ヴァニオンは目を合わせず一息にそう云いおえると、立ち上がった。

 「謝るのは俺の方だ。お前を攫ってきた責任も、お前をそんな体にした責任も、全て俺にある。
 ……済まない、許してくれ。今さらこんなことを云える道理もないが」
「ヴァニオン様……」
「それから、」
 ヴァニオンは躊躇いがちに付け加えた。

「こういうことは、もう止そう。お前の躯がまたおかしくなるよりは、マシだ」
「……!……」
「頭を冷やしてくる」

 浴室の方に消える彼を、サリエルは呼び止めることができなかった。

 呼び止めてどうする。もう触れ合うことはできないのに……。
 サリエルは顔を覆った。

  聞こえ始めた水音に、ただ己の慟哭が掻き消されることを祈った。

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