泉界のアリア

佐宗

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第一部 血族

25寵愛と枷③

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 二人の心臓は跳ねた。

 ファルクは声の主を見るなり弾かれたように立ち上がり、膝を折る。
 ナシェルも首を捻って戸口のほうを振り仰いだ。

 声の主は、寝室とテラスの間の仕切り戸に片手をついて寄りかかり、恐ろしいほどに無表情に、ナシェルを見つめていたのである。



「そなたら……一体、何のつもりだ?」








 いつからそこに居たのだろうか、足音ひとつしなかった。
 怒りの深さと反比例するような、静かな口調。

 この状況を切り抜ける手段として死んだふりぐらいしか思いつかない自分に嫌気がさしたが、とりあえず射殺されそうな視線を避けるためにナシェルは目を瞑った。

「これは、一体、何の、お遊びだ、と訊いておる」
 一語一語区切って、再び冥王は尋ねた。

「陛下、恐れながら申し上げますと、殿下に絵の練習に付き合っていただいておりました。今、細かいポーズを指定させて頂いている所で」

 ファルクはしゃあしゃあと述べた。冥王がゆっくりと近づいてきてナシェルの傍らに立ち、痛い視線が真上から注がれるのを感じた。
「王子を縛って、服をはだけてか」
 ナシェルは死んだふりをあきらめ目を開けた。最初に飛び込んできたのは父王のこめかみに浮かぶ青筋だった。

「父上、な、なぜここに…?」
「よく云うわ。わけのわからぬ文を送ってきたのはそなたの方であろう、王女が花畑を所望しておるとか、何とか。意味が判らぬゆえ取り急ぎ前線より直行してきてみれば…」

 ぐっ……そうだった。たしかにルーシェの件で伝文を送った。しかし多忙な冥王が、自分の丸投げに近い要請に、まさかこんなにも早く対応してくるとは思わなかったのだ。
 頭をかきむしりたい所だが、あいにく両手は繋がれたままだ。

 冥王は怒りが収まらぬ様子で二人を交互に睨み下ろす。

「余の目が届かぬと思って、かくも奇しな遊びをしておったとはな…」
「誤解です、父上。ただの絵のモデルです」
「殿下のおっしゃるとおりです。しかも未だ、これから描く所で」
「黙れ! ならば画材を持って来てみよ」

 ファルクは飛ぶように奥の間に消えた。


  冥王はあられもない姿で長椅子にくくり付けられたナシェルの手の先から足の先までを冷ややかに観察した。

「奴隷のように縛りつけられるのがそんなに好きとはな……死の影の王シャフティエル
「あ、いや、ですから、誤解です」
「そもそもなにゆえ公爵あやつがこの城におる。そなたが呼んだのか?」
「いえ、呼んではいませんが…モデルになる約束はうっかり、したかも……?」
「馬鹿な安請け合いをしおって! あやつが危険なことはそなたも知っておろう。身の危機を感じたなら何故精霊を使わぬ」
「……使おうかなと思う前にはもう、こうなってしまって……」
「……」
 身動きのとれぬナシェルは冷や汗をかき微笑を繕う。

「で……あのぅ……恐縮ですが、そこの鍵をお取りいただけませんか」
 王子に視線で示され、円卓の上に放ってあった手枷の鍵を見つけた王は、しばらく何かを思案する風に静止していたが、やがて口元に見たこともないような冷笑を浮かべて鍵を手に取ると、ナシェルの目の前にちらつかせた。
「この鍵か? 欲しければ、自分で取ってみせるのだな」

 あろうことか、王はその鍵を自分の唇に咥えた。ナシェルはあっと声を上げたが、王はそのまま先程のファルクのように上から圧し掛かってくる。これでは役者が交代しただけだ。

「ちょっ……、……お戯れは止して下さい」
「なぜ?そなたらの余興に付き合ってやろう。そなたの姿を絵画に写し取ることが目的なら、ここでそなたが余に愛される様を公爵に描かせればよい。余に縋りついて乱れるそなたの媚態をな、」
「そ、んな」

 冥王は再び鍵を口に含んで、反論の間も与えず口付けてくる。
 ナシェルはさすがに今の提案は冗談だろうと思った。
 堅い鍵の感触が誘うようにナシェルの唇に触れ、思わず奪い取ろうと舌を伸ばした。
 すると王は舌で鍵を絡めとり、また口の中に仕舞う。
 王は興がのってきた、とばかりに笑い出した。

「ふふ……もっと舌を使わねば取れんぞ」
「もう……!」

 再び深い接吻。冥王の舌の熱さと、時折触れる銀の感触とが、ナシェルの思考を麻痺させる。
 鍵が欲しいのか、それとももうそんなことはどうでも良く、ただこのまま口づけを深めたいのか、だんだん判らなくなる。ナシェルはいつしか首を伸ばすようにして冥王の口の中に舌を差し入れていた。
「んん……ぁふ、」
 王は口の中で鍵を転がしながらナシェルの舌を弄ぶ。
 舌を使ってナシェルを溺れさせておきながら冥王は不意に唇を離し、奥の間に声をかけた。

「ヴァルトリス公! まだか、用意は」
 何と本当にファルクをここへ呼ぶつもりなのだ。甘い陶酔から一気に現実に引き戻される。
「父上、…お戯れは止してください!」
「戯れなどではない。どうせ画くなら、そなたのもっとも絵になる表情を描かせてやろうという余の計らいだよ」

 今にも暴発しそうな狂おしい嫉妬と、憤怒の嵐を紅の瞳に宿したまま、冥王は残酷な声色で笑うのだった。

「…ここでこのまま余と交わる様を公爵に見せつけるのが嫌なら、正直に申せ。公爵あやつを呼びつけたのはなにゆえだ? そなたと公爵が私室で二人きりになるほどの仲とは、知らなんだぞ」
「………」
 冥王は眉間にわずかに皺を寄せる。
「云わぬ、か。では仕方ない、」
「……ッ……」
 ファルクが鞄ごと画材を持ってバルコニーに現れた。ナシェルは鋭い眼光で威嚇し追い払おうとしたが、再び丸眼鏡をかけた彼の表情は、王に対するおそれとこれから行われることへの微量の期待感に溢れていた。

「ちょっとにやついてる場合かこの馬鹿っ、誰のせいでこうなったと思ってる!」
 ナシェルは腹に据えかね、冥王の体の下で手かせをガチャガチャ言わせながらファルクに凄んだ。
「何で馬鹿正直に画材なんか持ってくるんだこのっ雑巾頭、今の隙にそのまま逃げ帰ってしまえばよかっ……ん、ぐ!」
 全て言い終わらぬうちに冥王に口を塞がれる。

「汚い言葉を使うな、少し黙っておれ。余が退出せよと命じておらぬのに公爵が出て行けるわけがなかろう。
 ――で、公爵、そなたの目的はあくまでも王子の姿を絵画に収めること、でよいのだな」
「む……無論でございます、陛下」
「では余とそなたの利害は一致している。そこに座って今から王子の痴態を存分に描くがよい。いい表情を描けよ」
「か……畏まりました」
「ん゛ん゛―――!!?」

 ナシェルはいよいよ竦み上がり、涙目で喉から抗議の絶叫をふりしぼるが口を塞がれて叫び声にならない。―――嫌だ、絶対に嫌だ。

 抵抗しようと蹴り上げた足を王に掴まれ、片膝を折りたたまれた。
 そのまま、ぐっと体重をかけて冥王の体が落ちてくる。
「公爵、例の薬はまだ持っておるか」
「は……、ご、ございます」

 自分が使おうと持ってきたのかどうか分からないが、ファルクは鞄のポケットから赤い小瓶を出して王に捧げた。
 前に飲まされて記憶が飛んだ例の媚薬だ。
 ナシェルは恐慌で真っ青になりながらも、抗議の意を込めて冥王を睨み上げた。
 冥王は口から出した銀の鍵と、赤い小瓶を、それぞれナシェルのはだけた胸の上に置いた。
 口を塞いでいた手が、離れる。

「選べ、ナシェル。媚薬を飲むなら、せめて両手は解いて自由にしてやる。膏油で尻の穴を充分に解してやってもよい。飲まないなら、この体勢のまま今すぐそなたを犯る。どちらがいい」

 ナシェルは冥王の紅玉の瞳の奥に、暗い怒りの炎を見た。冗談で云っているのではない……、王は本気で、今ここで、ファルクの目の前で事に及ぶつもりのようだ。
 ――なぜ、そんなことが出来……

「早う選べ。五つ数える間に言わなければ、薬を使うし、鍵も外してやらぬぞ」
 五……四……三……二……一……」
「嫌です、…その、おかしな薬は死んでも飲みません」

「ほう。飲めば痛みもやわらぐし、羞恥心も消えるし、記憶も残らずに済むのに?
 奇妙な子だ。正気のまま鎖に繋がれて姦られたいとはな」
 冥王は云うや否や、手枷の鍵と、薬の小瓶を掴んで壁に向けて叩きつけた。

 ――ガシャン!

 鍵の金属音と、瓶の破裂音が同時に響き渡る。
 ことの始まりを告げる音であった。


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