24 / 52
第七章 ナシェル、墓穴を掘ろうとする
3
しおりを挟む……いろいろとふとどきなことを真面目に考えるうち、気がつけばアシールが真剣な表情でこちらを見つめていた。
「……私の顔になにか付いていますか?」
「あっ、これは失礼! あなたの俯いた表情が本当に素敵なのでつい見惚れてしまって……すみません」
アシールは我に返ったように目の前の食事をつついた。しかし口に運ぼうとはせず、改めてナシェルに差し向った。
「ナシェルさん。正直、わたしは貴方にすっかり魂を奪われてしまいました。
あなたの美貌を喩えるためには、夜空に浮かぶ月や星などでは到底足りません……たまにふとお見せになる愁いをおびた表情などは……なんと言ったらいいのでしょう、夕暮れになると湖畔に現れるという霧の女神のようでもあります。ご気分を害されたらすみません、女性に喩えるべきでないのは分かっているのですが、貴方の美しさを表す言葉がどうにも私の語彙の中にはほかに見つからなくて」
「なるほど……商売をされているからか、口上手でいらっしゃる」
美辞麗句もナシェルにとっては無用の長物だし、神族の自分が魅力的に見えるのは当たり前、という感覚だ。うっすらと皮肉な笑みで応じる。
「いや、この歳になってもちっとも詩的表現がうまくならないのです、女神に喩えるなんて本当に失礼をしました、申し訳ない。私はこんなだからちっとも恋人ができないのかな」
アシールは照れたように頭を掻く。ナシェルは少しばかり愛想はふりまいておかねばならぬと感じ、少し眉を開いて柔らかい表情を作った。
「謝られることはない、怒ってはおりません。それより意外です、貴殿は機転も利いて立ち居振る舞いも立派だ。お仕事も順調のように見受けられますし、なにより、男前でいらっしゃる。きっと到着先の港では、将来を誓われた方が首を長くして待っているのだろうと、勝手に拝察して羨んでおりましたが……」
「とんでもない! そのような方は一人としておりません、恥ずかしい話ですが。……あの、ナシェルさんこそ……お互いに誓いを立てた方はいらっしゃらないのですか?」
「私ですか? ……そうですね、今は――その……」
いろいろなものが瞼の裏で踊る。
まさか兄(と偽っている父)が目下のそれ、だとは面倒くさくて口が裂けても言えないし、遠い将来に予定されている相手もいるが、その気心は春風の赴く先のように気ままで当てにはならない。
「い、――今は―――いないですね」
と、一応答えてみる。正直、この答えでまずい方向へ行くかな? と感じる部分もあったが、とりあえずの金ヅルを捕まえておくためには致し方ない。背に腹は代えられぬ。
案の定、アシールは大きく安堵したような息を吐き顔を輝かせた。
「そうですか、この場合、良かったと申し上げるべきなのかな……? ほっとしてしまいました。私にも、チャンスがあるわけだ」
「チャ……チャンス、……と仰ると?」
かまととぶってみせる。すると目の前の宝石商は身をずいと乗り出してきた。
「ナシェルさん――その、昨夕出会ったばかりだというのにこんな話をして、浮ついた男だと思われるかもしれないのは承知で申し上げます。この私と、真剣にお付き合いいただけないでしょうか。――むろん結婚を前提とした正式なお付き合いです」
「け、結婚?!」
あまりにも飛躍した単語が出てきたので驚いて、口のなかの肉を思わず塊のまま呑み込んでしまった。んぐっ……と胸元を叩くと、アシールがグラスに酒を注ぎ足して勧めてくれる。
「大丈夫ですか?! すみません驚かせてしまって―――いや、分かってます。あなたは美しいけれど男性だってことも分かっているし、出会ったばかりで何を言っているんだと思われるのも分かってます……。けれどどうにも私は、あなたを一目見てから運命的なものを感じてしまって……」
ナシェルは盃を干し、なんとか肉ごと嚥下した。
(危なかった。この富豪、本当は大陸ごとに女囲ってるような性質なんじゃないだろうな? 金にものをいわせて気に入った相手には次々にこうして結婚を申し込んでいたりして……恋人もできないような男が果たして昨日出会ったばかりの相手に結婚を申し込んだりするものか――いや、恋人がいないからこそかけひきに慣れてないのか?)
ナシェルは一部、鋭いのだが、そもそもにおいて彼にはアシールの職業に対する誤認があって、その間違った前提において相手を適度にひっかけようとしているのである。アシールも同様に、ナシェルの立場を家出中のどこぞの国の王侯貴族の御曹司だと思っていて口説いているのだから、お互い様なのである。
アシールはまだ照れたように話を続けている。
「ナシェルさん、知っていますか? 西の大陸では認められていませんでしたが、東の大陸では今や同性婚が認められている国のほうが多いのですよ。ナシェルさん、私でよかったら、一緒にそうした国へ行っていずれ合法的に結婚しませんか。何一つ、不自由はさせません。良かったら、お兄さんも一緒に住むといい」
「っ!!」
今度こそ口に含んだ酒を吹きそうになったがすんでのところで堪えた。こいつ冥王ごと囲う気か―――無知というのは時に、恐ろしく壮大な発言を生み出すものだ。
0
お気に入りに追加
65
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。
あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。
無言で睨む夫だが、心の中は──。
【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】
4万文字ぐらいの中編になります。
※小説なろう、エブリスタに記載してます
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
BL小説家と私小説家がパン屋でバイトしたらこうなった
二三
BL
BL小説家である私は、小説の稼ぎだけでは食っていけないために、パン屋でバイトをしている。そのバイト先に、ライバル視している私小説家、穂積が新人バイトとしてやってきた。本当は私小説家志望である私は、BL小説家であることを隠し、嫉妬を覚えながら穂積と一緒に働く。そんな私の心中も知らず、穂積は私に好きだのタイプだのと、積極的にアプローチしてくる。ある日、私がBL小説家であることが穂積にばれてしまい…?
※タイトルから1を外し、長編に変更しました。2023.08.16
訳ありな家庭教師と公爵の執着
ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝名門ブライアン公爵家の美貌の当主ギルバートに雇われることになった一人の家庭教師(ガヴァネス)リディア。きっちりと衣装を着こなし、隙のない身形の家庭教師リディアは素顔を隠し、秘密にしたい過去をも隠す。おまけに美貌の公爵ギルバートには目もくれず、五歳になる公爵令嬢エヴリンの家庭教師としての態度を崩さない。過去に悲惨なめに遭った今の家庭教師リディアは、愛など求めない。そんなリディアに公爵ギルバートの方が興味を抱き……。
※設定などは独自の世界観でご都合主義。ハピエン🩷
※稚拙ながらも投稿初日(2025.1.26)からHOTランキングに入れて頂き、ありがとうございます🙂 最高で26位(2025.2.4)。
※断罪回に残酷な描写がある為、苦手な方はご注意下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる