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第一章 乳兄弟、旅の資金をスられ金策に走る
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西の大陸の端にある、由緒正しい港町。
大型客船が次々と入港しては、人や物を積み下ろし、また乗せ、西の大陸の各地や東の大陸へ向け船出していく。
停泊した、ひときわ大きな豪華客船からは乗客や水夫たちが降りてきて、陸での束の間の休息を楽しもうと繁華街に繰り出していく。
力夫、商人、娼婦などさまざまな職業の老若男女で溢れ返り、港はいつにもまして活気づいていた。
ここは東の大陸までの長い航路の、最後の寄港地であった。
◇◇◇
港のにぎやかな大通りを、一人の青年が歩いている。
均整のとれた身軽そうな長身に、茶黒の短髪。長くのばした前髪を、さらりと横に流している。黒い瞳は鋭い光を放ち、面立ちは古代の英雄像のように彫り深く、すれちがう者が男女問わず振り返るほどの美丈夫だ。
……だが恵まれた容貌にも関わらず、いま青年は背を丸めて胸の前で腕を組み、ぶつぶつと呟きながら俯き加減に歩いてゆく。まるで元気がない。時おり溜息をつきながら赤く腫れた頬に手をやって、顔を顰めるのだった。
「……いちち」
青年はぼやく。
「くそッ。ナシェルのヤロー……いくらなんでも、マジでぶん殴るこたぁなかろうよ?」
旅の連れである乳兄弟を小声で罵りながら、青年は振り返る。
自分が降りてきた船(いや、正確には追い出された客船)「アヴェイロニア」号を遠目に眺めた。
白亜の豪華帆船アヴェイロニア号がこの港に停泊して、二日目の朝を迎えていた。
「そりゃさ……旅の資金の入った財布を掏られたのは俺の不注意のせいだよ?
だけどその分を必死でなんとか工面しようとした俺の涙ぐましい努力ぐらいは、認めてくれてもいいじゃねぇか……」
ひとり言に言い訳を繰り返してみても、聞いてくれる者はいない。
親友の華麗な美貌と、それに似つかわしくない峻烈な一発を思い返すと、頬がまたずきずきと痛んで、彼を……ヴァニオンをげんなりさせるのだった。
――じつは、ヴァニオンのこの言い訳には不備がある。
正確な状況をもらさず吐露しているわけではない。
正確な状況はこうだ。
冥界の王子にして『死の神』であるナシェルと、その乳兄弟で親友の魔族ヴァニオンは、ゆえあって地上界へ転生したナシェルの妹・ルーシェルミア女神を探す、旅の途中である。
西大陸の探索は見当違いに終わり、東大陸へと探索場所を変更するにあたって、移動手段にこの豪華客船を選択した理由はひとえに、ナシェルのわがままに端を発したものだ。
ふだん冥界にいるときは、彼らは背中に大きな翼を持つ黒天馬に乗って旅をするが、残念ながら地上界では天馬などに乗るわけにはいかない。翼を封じ、ただの黒馬のふりをさせている。
すると当然、大陸間の移動には人間のように船を用いざるを得ない。
船賃をけちったヴァニオンははじめ、ランクの低いボロ客船の席を手に入れてきた。この先の行程のことを考えて出費を最小限に抑えたかったのだ。
だがナシェルは人間どもと同じ狭い船室に押し込められる長い航海が嫌だったのだろう。そこでひと悶着あった末に、ヴァニオンは反動的にこの超豪華帆船の特等船室を確保した……してやったのだ。
一つ手前の寄港地で乗船し、ここに至るまでの数日間の航海は素晴らしく順調だった。
VIP船室の居住性はすばらしく、また船内には一等乗客以上専用のカウンターバー等や賭博室もあり、客を飽きさせないもてなしだ。ナシェルもまあさすがに気に入ったらしく、不平を垂れることもなくなり、彼らは人間にまじって何事もなく船旅を続けてきた。
財布役のヴァニオンにしてみれば想定外の出費だったが、まだこの時点では幸いにして軍資金には余裕があったので、特等船室の続き部屋を占拠しての船旅にとくに支障があるわけでもなかった。
……唯一彼らが犯したミスというべきは、ふところ具合など考えたいはずもない王子が、この魔族のお気楽御曹司にまるっと財布を預けていたということだ。
昨日、この寄港地について繁華街に繰り出したヴァニオンは、さっそくミスを犯した。その財布を掏られたのである。賑やかな人ごみのなかで、一度少年とぶつかったのを思い出す。おそらくあの時だろう。
財布の中には、冥界から持ち出してきた貴金属類をすべて紙幣に換金した、いわば旅の軍資金のほぼ全額が入っていたのだ。
さしものヴァニオンも慌ててナシェルの所に戻り、悲嘆的状況を訴えた。
「――財布をスられただと? このド間抜けが……」
舳先に近い、甲板の傘つきテーブルで優雅に夕暮れ時のお茶を楽しんでいた黒髪ロングヘアの美人――冥王の御子ナシェルは、無論その優美な眉を吊り上げたが、さすがにその時点で鉄拳をくらわすことはなかった。ヴァニオンは不注意だったとはいえスリの被害者なのであるし、すでに東の大陸までのVIP船室の代金は納めてあるので、この船に乗ること自体に支障はないのだ。
だが、一文無しでは、あとからまとめて支払うことになる船内での遊興費やら飲食代――ナシェルの今楽しんでいるティーセットもだ――が払えないと判明するや、殿下は
「この港を出る明日の夕刻までに、金を何とかしてこい」
と、実にアバウトかつ横暴な命令を下した。
大型客船が次々と入港しては、人や物を積み下ろし、また乗せ、西の大陸の各地や東の大陸へ向け船出していく。
停泊した、ひときわ大きな豪華客船からは乗客や水夫たちが降りてきて、陸での束の間の休息を楽しもうと繁華街に繰り出していく。
力夫、商人、娼婦などさまざまな職業の老若男女で溢れ返り、港はいつにもまして活気づいていた。
ここは東の大陸までの長い航路の、最後の寄港地であった。
◇◇◇
港のにぎやかな大通りを、一人の青年が歩いている。
均整のとれた身軽そうな長身に、茶黒の短髪。長くのばした前髪を、さらりと横に流している。黒い瞳は鋭い光を放ち、面立ちは古代の英雄像のように彫り深く、すれちがう者が男女問わず振り返るほどの美丈夫だ。
……だが恵まれた容貌にも関わらず、いま青年は背を丸めて胸の前で腕を組み、ぶつぶつと呟きながら俯き加減に歩いてゆく。まるで元気がない。時おり溜息をつきながら赤く腫れた頬に手をやって、顔を顰めるのだった。
「……いちち」
青年はぼやく。
「くそッ。ナシェルのヤロー……いくらなんでも、マジでぶん殴るこたぁなかろうよ?」
旅の連れである乳兄弟を小声で罵りながら、青年は振り返る。
自分が降りてきた船(いや、正確には追い出された客船)「アヴェイロニア」号を遠目に眺めた。
白亜の豪華帆船アヴェイロニア号がこの港に停泊して、二日目の朝を迎えていた。
「そりゃさ……旅の資金の入った財布を掏られたのは俺の不注意のせいだよ?
だけどその分を必死でなんとか工面しようとした俺の涙ぐましい努力ぐらいは、認めてくれてもいいじゃねぇか……」
ひとり言に言い訳を繰り返してみても、聞いてくれる者はいない。
親友の華麗な美貌と、それに似つかわしくない峻烈な一発を思い返すと、頬がまたずきずきと痛んで、彼を……ヴァニオンをげんなりさせるのだった。
――じつは、ヴァニオンのこの言い訳には不備がある。
正確な状況をもらさず吐露しているわけではない。
正確な状況はこうだ。
冥界の王子にして『死の神』であるナシェルと、その乳兄弟で親友の魔族ヴァニオンは、ゆえあって地上界へ転生したナシェルの妹・ルーシェルミア女神を探す、旅の途中である。
西大陸の探索は見当違いに終わり、東大陸へと探索場所を変更するにあたって、移動手段にこの豪華客船を選択した理由はひとえに、ナシェルのわがままに端を発したものだ。
ふだん冥界にいるときは、彼らは背中に大きな翼を持つ黒天馬に乗って旅をするが、残念ながら地上界では天馬などに乗るわけにはいかない。翼を封じ、ただの黒馬のふりをさせている。
すると当然、大陸間の移動には人間のように船を用いざるを得ない。
船賃をけちったヴァニオンははじめ、ランクの低いボロ客船の席を手に入れてきた。この先の行程のことを考えて出費を最小限に抑えたかったのだ。
だがナシェルは人間どもと同じ狭い船室に押し込められる長い航海が嫌だったのだろう。そこでひと悶着あった末に、ヴァニオンは反動的にこの超豪華帆船の特等船室を確保した……してやったのだ。
一つ手前の寄港地で乗船し、ここに至るまでの数日間の航海は素晴らしく順調だった。
VIP船室の居住性はすばらしく、また船内には一等乗客以上専用のカウンターバー等や賭博室もあり、客を飽きさせないもてなしだ。ナシェルもまあさすがに気に入ったらしく、不平を垂れることもなくなり、彼らは人間にまじって何事もなく船旅を続けてきた。
財布役のヴァニオンにしてみれば想定外の出費だったが、まだこの時点では幸いにして軍資金には余裕があったので、特等船室の続き部屋を占拠しての船旅にとくに支障があるわけでもなかった。
……唯一彼らが犯したミスというべきは、ふところ具合など考えたいはずもない王子が、この魔族のお気楽御曹司にまるっと財布を預けていたということだ。
昨日、この寄港地について繁華街に繰り出したヴァニオンは、さっそくミスを犯した。その財布を掏られたのである。賑やかな人ごみのなかで、一度少年とぶつかったのを思い出す。おそらくあの時だろう。
財布の中には、冥界から持ち出してきた貴金属類をすべて紙幣に換金した、いわば旅の軍資金のほぼ全額が入っていたのだ。
さしものヴァニオンも慌ててナシェルの所に戻り、悲嘆的状況を訴えた。
「――財布をスられただと? このド間抜けが……」
舳先に近い、甲板の傘つきテーブルで優雅に夕暮れ時のお茶を楽しんでいた黒髪ロングヘアの美人――冥王の御子ナシェルは、無論その優美な眉を吊り上げたが、さすがにその時点で鉄拳をくらわすことはなかった。ヴァニオンは不注意だったとはいえスリの被害者なのであるし、すでに東の大陸までのVIP船室の代金は納めてあるので、この船に乗ること自体に支障はないのだ。
だが、一文無しでは、あとからまとめて支払うことになる船内での遊興費やら飲食代――ナシェルの今楽しんでいるティーセットもだ――が払えないと判明するや、殿下は
「この港を出る明日の夕刻までに、金を何とかしてこい」
と、実にアバウトかつ横暴な命令を下した。
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