上 下
109 / 116
反乱鎮圧編

情報整理 1

しおりを挟む
 冬を越えて温かくなってくると、室内で育てていた苗が畑に出始める。まだ若く、眩いほどの緑を持っている彼らを受け入れる土の準備も、もう出来上がっているようだ、とセスは思った。

 セスは土については詳しくない。
 それでも、汚れても良く、動きやすい服に着替えているアレイスターが土を触り、食べ、満足そうに立ち上がるのを見れば、そう思うのも当然だろう。

「豊作になりそうかの?」

 少し大きめに声を張れば、アレイスターが立ち上がった。セスに向かって片膝をつく。周囲の人々も同様に。

「これは陛下にクノヘ様。わざわざこのようなところに」
「良い。皆の作業の手を止めるつもりはない」

 アレイスターが一度頭を下げた。
 ゆっくりと立ち上がると、セスに礼を払っていた者も動き始める。

 アレイスターが手を拭いながら、セスの傍に来た。

「して、どうだ?」
「そればかりはまだわかりません。先々の天候は読めない上に、私はこの地で農耕を行うのは初めてですので」

 アレイスターが生真面目に答えた。

「尤もだの」
「下手をすれば、今年は減る可能性もございます。これまでは最も可食部位の多くなる物を優先して作っておりましたが、今年からは土の状態、環境を重視して、畑によって作物を変えておりますので」

 蓄えの多くを人間に奪われた以上、同じような食事が続いたとしてもまずは食わせることを優先していた。お金にも限りがあるため、食事を買い続けるわけにもいかない。故に、セスとナギサは残す部分が少なく、食べられる場所の多い作物に生産を絞っていた。

 だが、ここに、しっかりと農耕を学んだ者がいる。
 先を見据えて、どの畑でどれをどの順番で作っていくのか。それを、任せられる者がいる。

 北部とヴァシム城の近くでは環境は異なるが、それでもとアレイスターを農耕のトップに据えたのだ。

「長い目で見て増えるのであれば、それで良い」
「此度の南部遠征で、しっかりと搾り取れたからな。食糧の買い付けに回せるお金ができたのだ」

 ナギサがセスの言葉に補足を加える。
 アラクネについた部族には、制裁金を科した。寝返った者も、予め連絡がない寝返りならば罰と褒美で相殺。

 さらには、人間の商人の取り込みもどんどん成功し、今やムイス港からアルケミーゲルの街、チッタァ・ハブルを繋ぐ高速輸送は香辛料などの軽くて高価な物を運ぶ主力通路である。無論、秘密裏に近く、知っている者が居ても公然の秘密となっているのだが。

「それは心強い言葉にございます。されど、私も武器よりも鋤や鍬を持つ時間が長いと言われた身。五年で、二倍に致しましょう」

 できて当然というような、淡々とした調子でアレイスターが述べた。
 セスは目じりを緩める。

「頼もしいの」

 アレイスターが深々と頭を下げた。

「すでに聞いておるとは思うが、シルは植える予定の作物のどれも気に入ったぞ」
「王妃様の反応を直接ご覧になっている陛下からそのお言葉を頂けるのは、また格別なものにございます」
「五日後、マルシャンと会うのだが何か買い付けておくべきものはあるかの?」

 マルシャンの商いは手広く行われている。そのため、農耕から武具、装飾品まで彼に頼めばという万能性が存在した。

「物は、十分に。……ただ、我が儘を言わせていただけるのであれば、もう少し土地が広ければとは思いますが」
「……イシオンか」

 人間からすれば、魔王(ヴァシム)城への前線基地である城塞都市イシオン。
 常に喉元に突きつけられているその短刀が、ヴァシム城近郊の農地改革の邪魔にもなりつつあった。

「そうは申しましても、詮無き事。先日の勇者一行に話を聞きましたが、勇者も戦士も僧侶も、農耕はさっぱりでした」
「やはりか」

 勇者(エイキム)は当然として、国の騎士でもあった戦士(カルロス)ならば、民を救う僧侶(イルザ)ならばと思ったが、駄目だったらしい。

「アレイスター殿から見て、奴らの様子はどうだった?」

 ナギサが聞いた。

「我が父、イリアス・ヘネラールを討ちに来た時に見た時と比べ、筋力は低下したようですが、勇者も戦士も牢屋で出来る限り体を動かしている様でした。僧侶は、相当米言っているようですね。男女で分ければ彼女は一人で牢に入っているわけですから、致し方ありませんが」
「僧侶は筋肉の衰えが出にくかろう。参っているのがどの程度かにもよるが、彼奴等は未だに力を保っていると見てよいか」

 アレイスターが首肯する。

「生半可な者を引き合わせるのは危険かと。多くの者が憎んでおり、隙あらば首を獲りたいと思っているのならば、返り討ちに合うのは必定。詳しいことは伏せておくのがよろしいかと」

 念のため、どの牢に入れているのかは秘密になっている。
 それどころか、ヴァシム城決戦以後に来た者には、そもそもヴァシム城地下に勇者一行を捕らえているのかすら隠していた。ピルヴァリの砦で会談をすることも多く、ムイス港で商談をすることもある。

 だからこそ、そのどちらかに居るのでは、という意見もセスの耳には入ってきていた。

 それだけ錯綜するなら、しばらくは大丈夫だろうと思っている。

「ムイス港に、誰かを輸送いたしますか?」

 自分(アレイスター)が出会った以上、と言う話だろう。

「構わぬ。ヴァシム城に居る者の方が、まだ自制が効こう」
「かしこまりました」

 セスは遠くの方を見るように目を動かす。

「アラクネの接待、ご苦労だったの」

 アレイスターも頭を動かした気配がした。

「いえ。元々、用意してくださっていた道に乗っただけでございます。私の苦労はさほどありませんでした」

 そうは言っても、滞在している間はアレイスターがプロディエル、エルモソらの要望に対応していた。時間は、かかっただろう。

「苦労されたのは陛下や四天王の皆様の方ではありませんか? 痛み分けのような形だったと伺っておりますよ」

(痛み分けの)

 セスは意識的に口元を少しだけ緩めた。
 ナギサが周囲に意識を這わしてから、アレイスターの方へと近づく。

「どのように聞いている?」

 ナギサの動きを、周囲に会話が漏れることはないという合図と受け取って、セスはアレイスターに問いかけた。

 アレイスターの顔が上がる。

「漏れ伝わった話では、本題に入る前にエルモソが独壇場を開いたと。プロディエルも陛下も差し置いて、恨み言を漏らしたと専らの噂。無論、クノヘ様が不快感を露にしたとも聞いておりますが、クリンゲル様が激昂したと、そこが殊更強調されております。故に、エルモソとクリンゲル様の間に因縁があるのではないかと邪推するモノが主流でしょうか」

 セスは大きくならないように息を吐きだした。

 あまり、良い傾向の噂には成らなかったか、と。
 ニチーダに心の中で謝罪する。

「下種な話が好きなのは、誰も彼も同じだな」

 ナギサが厳しめの口調で言った。
 アレイスターが小さく同意を示す。

「そこはエルモソの思い通りに進んだと言えましょう。おそらく、彼女も厳しい処罰が待っていることは承知だったはず。プロディエルだけを救えれば、とも思っていたでしょう。その中で処罰を下されたけれども、態度を見れば当然。むしろ軽いまでありうると見えたのは、アラクネが一目置かれる要因にもなり得たでしょう」
「失敗したとでも言いたげだの」

 セスは唇をあまり動かさないようにして、アレイスターに返した。
 アレイスターが頭を下げる。

「アラクネなら渡り合える可能性がある、と思わせたのは間違いありません。その後の接待も四天王が外れるのもエルモソは想定内ではあったでしょう。ならば狭量と笑ってやろうと。ただ、そうはならなかった」
「シルと、ロルフか」
「仰せの通りです。加えるならば、本人にその気は無くともクリンゲル様が王妃様の寝室に一晩泊ったのも、大きかったでしょう」

 シルヴェンヌの体調が悪いから抜け出す、というのは笑う者もいるがある種仕方ない事ともいえる。だが、今回は治療に関してセスの信任の厚いニチーダが一晩つきっきりになったのだ。

 病状は重いのでは、という憶測が流れるのは当然の流れ。

 憶測が流れれば、批判もしにくくなる。セスとシルヴェンヌの仲の良さを知っていれば、尚更。

 ナギサが駆けまわっているのは皆が知っているし、最近は商談も多くムイス港にも行く日が増えている。アラクネにつきっきりになれないのは自明の理。メゼスは、接待には向かないと認識されているだろう。

 これで、ロルフ以外は接待をしない『理由』ができてしまった。

 では、そのロルフはどうしたのか。
 バリエンテを持ち上げたのだ。

 邸宅に案内して、武勇伝を聞く。時に酒を飲み、別の種族を交える。
 謁見時のエルモソの話を聞き、彼女に拝謁するのが恐ろしいがアラクネの話は聞きたいとでも理由を付ければ、ある程度は誹りから逃れられた。バリエンテも、本当に武勇伝などの話しかしていないため、後ろめたいことはない。疑われても、『今更やめれば後ろめたいことがあったという証明になる』と唆せばロルフ邸に足を運ばざるを得なかった。

「ロルフから、一度きりだと言ったのも良かったの」

 滞在中、アラクネが要望を伝える、今日の予定を教えるというのは、必ずアレイスターに最初に報告された。それから、ナギサを通ってセスに伝わる。

 逆もそうだ。

 セスからナギサ、そしてアレイスターと言ってから従者が駆ける。
 これは、非常に時間がかかるやり取りであり、嫌う者も多い。

 だからこそ、一度だけバリエンテからロルフ、そこからセスにいったことがあった。情報の帰り道は、セスから直接プロディエルである。
 一度だけ、扱いが違いすぎたのだ。

「ええ。互いに、針の入っているかもしれない水を、相手に飲ませたように見えます」
「で、あるの。針はないと証明せねばならぬとは。面倒くさい置き土産をしてくれたものよ」

 セスは目を細めた。
 その瞳に、一瞬の悲しみが映ったのを二人の優秀な臣下は読み取ったが、何も言わないでいてくれた。
しおりを挟む

処理中です...