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北方遠征編
腹の中か手のひらの上か、それとも柵の外か
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レオニクスを先頭に、アレイスターとセスが並ぶようにしてフロスト・ブレイヴに入る。中では闘牙族の屈強な戦士たちが矛を高く上げ、不動の姿勢を保っていた。彼らが作る道の間を進み、中心部まで進むと今度は非武装の、正装を着た人がずらりと並び、頭を下げている。
挨拶を一斉に、ということはなく、アレイスターが代表してセス、シルヴェンヌ、メゼス、ロルフ、ピルヴァリの順で紹介した。
紹介したと言っても、基本的には頭を下げっぱなしであったため、ピルヴァリまで行くとどこまでの人が覚えたのかは定かではない。
それでもかまわぬと、セスが先を促せば、アレイスターに促される形でレオニクスが人を呼び、次々と軍勢の滞在する場所が決まっていく。家に全員とは言えず、竜人族の一部は陣幕を張ることにはなったが、フロスト・ブレイヴの堀の中である。外よりはマシであろう。
(さて、と)
狭いが他の部屋よりも上等な間に、神狼族だからわかる程度の匂いが届いたのを感じ取り、ロルフはピレアに合図した。彼女が頭を下げ、扉に近づいた。
アレイスターが闘牙族にヴァシム城で立てた作戦、竜人族の砦で立てた作戦を説明、実行の説得にあたっている間に来たということは、闘牙族にあまり聞かれたくない事なのだろう。
「陛下、いい?」
招き入れても、である。
上座に座るセスが頷いた。相変わらずセスの傍にいるシルヴェンヌの表情は変わらず、メゼスはうつらうつらとしたままである。
扉の内側で警備にあたっていた翼人族のフェガロフォトが扉から離れ、ヴェンディがピレアに協力する。隙間から水が流れ込むように、素早く流麗に、ロルフが北部の群れを任せていたアプリカドが部屋に入ってきた。
赤毛の髪を耳が完全に出る程度の長さにしており、頭頂部はその髪質の所為か立っている。
「陛下、こちらにいるのがアプリカド・カールソンです。ほら、俺が北部に残した仲間で、別の群れを見ていると言った。あと、食糧調達を任せた奴です」
ナギサが居ないため、いつもより突き刺すような視線が少ない。
「初めましてになり申す。アプリカド・カールソンでございます」
非常にはきはきとした声に、変な言葉遣い。
思わずロルフの笑顔も固まってしまった。副産物として、シルヴェンヌの視線が和らいだのは良い事ではあるが、代わりにメゼスの寝ぼけ眼がぱっちりと開いた。
「陛下に至ってはフロスト・ブレイヴに入られ……入りて? 入りる?」
ロルフがアプリカドに近づく。
「ごめんごめん。いつも通りでいいよ。陛下には俺から言うから」
中央の、セスの椅子から真っすぐに絨毯を引いたら被るようなところに半分だけ体を置いて、ロルフがアプリカドを見下ろすような形で片膝をついた。
「っす」
さっきよりもぼそぼそっとした、低い声でアプリカドがロルフに返した。
アプリカドが顔を上げる。多分、一瞬の動作でもセス達には見えていたとは思うが、アプリカドの鼻筋から左頬にかけて走っている傷跡が露になった。
「わざわざ遠くまでお疲れ様っす。単刀直入に言うと、場所、移した方が良くないっすか? 一応、こちらで拠点は確保してますし」
セスへの声が遠くまで走って行くような声だとしたら、今回は地を両腕の力で進んでくるような声でアプリカドが言った。
「何で?」
「ここの闘牙族だって一枚岩じゃないっすよ。特に、レオニクス・ヘネラールは好意的とは言い難いっす」
「それは見てて思ったけど、アレイスターには大人しく従うんでしょ?」
「そりゃ、闘牙族族長は兄だって叫びながら戦場を駆けまわるような男っすからね。猪武者ですけど、愚かではないっすよ。一気呵成に仕掛けるところ、退くところを間違えませんから。武具で着飾り、先陣を切って突撃する。その性質上、不利な戦で突貫はしないですし」
「武具で着飾る猪武者だけど、嗅覚は発達してるねえ」
挨拶の時もそうだったなと、ロルフは思った。
最初は武威を示すために、セスの顔を見ないようにするという定石を破って進んだ。しかし、セスの怒りに触れる前に一転して頭を下げる。いや、ここはアレイスターが居たから判断できたのかもしれない。
「まあ、でも苦戦していたのは容易に想像ができるねえ。その戦い方なら同数程度、同格程度なら優位に進められるけど、倍の兵力、倍の力を持つ相手には突撃を受け止められて囲まれて死ぬ。死ぬから戦わない。まさに武闘派がレオニクスにとって戦いたくない相手ってことでしょ」
出迎えの兵士は十分な力があっただろうが、街を歩いた感じ、彼らは必死にかき集めた威圧感のある兵士だろう。闘牙族自体は戦闘が得意な種族だが、その中でも戦う力の低い者が集まっているように思える。いわば、一獲千金を狙えない者、他の派閥では生き残りにくい特技の者。そういったものがアレイスターの元にいる。
対して武闘派は、全員が力の強い者。戦いが得意な者。全員が戦力。
いざとなればアレイスターと同数程度の兵力と言うのも調べがついている。
「アレイスターは?」
「集めた情報によれば、領地をよく見回っているらしいっす。おかげで、あまり戦場には立たないとか。鍬や鋤を持つ時間の方が槍や剣を持つ時間より長いと専らの噂っすよ」
「話を最初にもどそっか」
アプリカドがロルフの言葉に頷いた。
「退かなきゃいけない理由は?」
「レオニクス・ヘネラールの望みは兄が族長を続けることっす。それも、イリアス・ヘネラールのような強い族長。その兄が簡単に頭を下げる相手に好い印象を抱かないってのは当然じゃないっすか」
「そうだねえ」
ロルフも同意を示す。
ロルフにとって、魔王陛下たるセスに頭を下げるのは当然のことだ。だが同時に、族長であるならば下げすぎも良くはない。ここのバランスは、ロルフにとっても未だ手探りである。
そんなロルフでも、アレイスターはへりくだりすぎていると言い切れた。
「でもさ、此処、フロスト・ブレイヴは三重の柵と四つの堀に囲まれた防衛集落。外敵の侵攻に対して、此処以上に防御力の高い拠点になってる?」
「無理っすね。急造っすから」
フロスト・ブレイヴはアレイスターらの祖父の代までは奪った食糧を守るための防衛集落でもあった。祖父の代からは中心地としての役割が強くなったが、時間もお金も人手も無しで作り上げた陣地が並べるほどやわな防衛能力ではない。
ロルフが立ち上がる。
「とまあ、これがアプリカドが闘牙族に出くわさないようにしてまで来た理由ですけど、どうします? 王妃様だけでも避難しますか?」
シルヴェンヌがセスから離れた。
紅く昏い目がロルフを捉え、弓を出して引き絞ってもセスに影響のない立ち位置に移動している。
「ボスッ!」
弾かれたように立ち上がりかけたアプリカドを、ロルフは振り返らずに右手で制した。
昏い光が一度だけアプリカドに行き、またロルフに戻ってくる。
「わたくしに、セス様から離れろと?」
「まあ、形だけの提案ですよ。流石にねえ、俺だって可愛い部下からの提案を陛下に伝えずに却下はしたくないっすから」
ロルフは右足に重心を移して、アプリカドにかかる自分の影の面積を大きくした。
セスが口を開く。
「アプリカド」
「っす。あ、いえ、はいっす。あ、はい」
言い直して、最後ははっきりと通る声でアプリカドが返事をした。
「そちの提案は棄却させてもらう」
「はいでございます」
声はきびきびとしている。声は。
「されど、其れとは別にいざと言う時の拠点は必要だの。その時まで、しかと隠しておくように頼むぞ」
「うっす!」
アプリカドが頭を下げた。
「あ、はい! 承知仕りました」
その状態でアプリカドが言いなおした。
セスが楽し気に口元を緩めながらロルフを見る。
「余程、優秀な臣下なのだろう?」
セスとの受け答えがこれでも、自分の群れを持つことを認めているのだから、ということだろうとロルフは判断した。
「仕事はきっちりとできるし、最悪、報告は別の誰かがすればいいからねえ」
仕事を一緒にする仲間とのコミュニケーションに問題はないのだから、ロルフとしては気にするところはなかった。少しだけ、セスと会わせた時の言葉遣いが不安ではあったが、セスなら許してくれるだろうと言う甘えに近い信頼も、ロルフの中にはある。
(とはいえ、甘えすぎもよくないけどさ)
だからこそ、ロルフはここで役に立つだけでなく忠実にセスに従うところも見せねばならないと、シルヴェンヌにもはっきりとわかる形でセスへの忠義を示さねばいけないと考えている。
挨拶を一斉に、ということはなく、アレイスターが代表してセス、シルヴェンヌ、メゼス、ロルフ、ピルヴァリの順で紹介した。
紹介したと言っても、基本的には頭を下げっぱなしであったため、ピルヴァリまで行くとどこまでの人が覚えたのかは定かではない。
それでもかまわぬと、セスが先を促せば、アレイスターに促される形でレオニクスが人を呼び、次々と軍勢の滞在する場所が決まっていく。家に全員とは言えず、竜人族の一部は陣幕を張ることにはなったが、フロスト・ブレイヴの堀の中である。外よりはマシであろう。
(さて、と)
狭いが他の部屋よりも上等な間に、神狼族だからわかる程度の匂いが届いたのを感じ取り、ロルフはピレアに合図した。彼女が頭を下げ、扉に近づいた。
アレイスターが闘牙族にヴァシム城で立てた作戦、竜人族の砦で立てた作戦を説明、実行の説得にあたっている間に来たということは、闘牙族にあまり聞かれたくない事なのだろう。
「陛下、いい?」
招き入れても、である。
上座に座るセスが頷いた。相変わらずセスの傍にいるシルヴェンヌの表情は変わらず、メゼスはうつらうつらとしたままである。
扉の内側で警備にあたっていた翼人族のフェガロフォトが扉から離れ、ヴェンディがピレアに協力する。隙間から水が流れ込むように、素早く流麗に、ロルフが北部の群れを任せていたアプリカドが部屋に入ってきた。
赤毛の髪を耳が完全に出る程度の長さにしており、頭頂部はその髪質の所為か立っている。
「陛下、こちらにいるのがアプリカド・カールソンです。ほら、俺が北部に残した仲間で、別の群れを見ていると言った。あと、食糧調達を任せた奴です」
ナギサが居ないため、いつもより突き刺すような視線が少ない。
「初めましてになり申す。アプリカド・カールソンでございます」
非常にはきはきとした声に、変な言葉遣い。
思わずロルフの笑顔も固まってしまった。副産物として、シルヴェンヌの視線が和らいだのは良い事ではあるが、代わりにメゼスの寝ぼけ眼がぱっちりと開いた。
「陛下に至ってはフロスト・ブレイヴに入られ……入りて? 入りる?」
ロルフがアプリカドに近づく。
「ごめんごめん。いつも通りでいいよ。陛下には俺から言うから」
中央の、セスの椅子から真っすぐに絨毯を引いたら被るようなところに半分だけ体を置いて、ロルフがアプリカドを見下ろすような形で片膝をついた。
「っす」
さっきよりもぼそぼそっとした、低い声でアプリカドがロルフに返した。
アプリカドが顔を上げる。多分、一瞬の動作でもセス達には見えていたとは思うが、アプリカドの鼻筋から左頬にかけて走っている傷跡が露になった。
「わざわざ遠くまでお疲れ様っす。単刀直入に言うと、場所、移した方が良くないっすか? 一応、こちらで拠点は確保してますし」
セスへの声が遠くまで走って行くような声だとしたら、今回は地を両腕の力で進んでくるような声でアプリカドが言った。
「何で?」
「ここの闘牙族だって一枚岩じゃないっすよ。特に、レオニクス・ヘネラールは好意的とは言い難いっす」
「それは見てて思ったけど、アレイスターには大人しく従うんでしょ?」
「そりゃ、闘牙族族長は兄だって叫びながら戦場を駆けまわるような男っすからね。猪武者ですけど、愚かではないっすよ。一気呵成に仕掛けるところ、退くところを間違えませんから。武具で着飾り、先陣を切って突撃する。その性質上、不利な戦で突貫はしないですし」
「武具で着飾る猪武者だけど、嗅覚は発達してるねえ」
挨拶の時もそうだったなと、ロルフは思った。
最初は武威を示すために、セスの顔を見ないようにするという定石を破って進んだ。しかし、セスの怒りに触れる前に一転して頭を下げる。いや、ここはアレイスターが居たから判断できたのかもしれない。
「まあ、でも苦戦していたのは容易に想像ができるねえ。その戦い方なら同数程度、同格程度なら優位に進められるけど、倍の兵力、倍の力を持つ相手には突撃を受け止められて囲まれて死ぬ。死ぬから戦わない。まさに武闘派がレオニクスにとって戦いたくない相手ってことでしょ」
出迎えの兵士は十分な力があっただろうが、街を歩いた感じ、彼らは必死にかき集めた威圧感のある兵士だろう。闘牙族自体は戦闘が得意な種族だが、その中でも戦う力の低い者が集まっているように思える。いわば、一獲千金を狙えない者、他の派閥では生き残りにくい特技の者。そういったものがアレイスターの元にいる。
対して武闘派は、全員が力の強い者。戦いが得意な者。全員が戦力。
いざとなればアレイスターと同数程度の兵力と言うのも調べがついている。
「アレイスターは?」
「集めた情報によれば、領地をよく見回っているらしいっす。おかげで、あまり戦場には立たないとか。鍬や鋤を持つ時間の方が槍や剣を持つ時間より長いと専らの噂っすよ」
「話を最初にもどそっか」
アプリカドがロルフの言葉に頷いた。
「退かなきゃいけない理由は?」
「レオニクス・ヘネラールの望みは兄が族長を続けることっす。それも、イリアス・ヘネラールのような強い族長。その兄が簡単に頭を下げる相手に好い印象を抱かないってのは当然じゃないっすか」
「そうだねえ」
ロルフも同意を示す。
ロルフにとって、魔王陛下たるセスに頭を下げるのは当然のことだ。だが同時に、族長であるならば下げすぎも良くはない。ここのバランスは、ロルフにとっても未だ手探りである。
そんなロルフでも、アレイスターはへりくだりすぎていると言い切れた。
「でもさ、此処、フロスト・ブレイヴは三重の柵と四つの堀に囲まれた防衛集落。外敵の侵攻に対して、此処以上に防御力の高い拠点になってる?」
「無理っすね。急造っすから」
フロスト・ブレイヴはアレイスターらの祖父の代までは奪った食糧を守るための防衛集落でもあった。祖父の代からは中心地としての役割が強くなったが、時間もお金も人手も無しで作り上げた陣地が並べるほどやわな防衛能力ではない。
ロルフが立ち上がる。
「とまあ、これがアプリカドが闘牙族に出くわさないようにしてまで来た理由ですけど、どうします? 王妃様だけでも避難しますか?」
シルヴェンヌがセスから離れた。
紅く昏い目がロルフを捉え、弓を出して引き絞ってもセスに影響のない立ち位置に移動している。
「ボスッ!」
弾かれたように立ち上がりかけたアプリカドを、ロルフは振り返らずに右手で制した。
昏い光が一度だけアプリカドに行き、またロルフに戻ってくる。
「わたくしに、セス様から離れろと?」
「まあ、形だけの提案ですよ。流石にねえ、俺だって可愛い部下からの提案を陛下に伝えずに却下はしたくないっすから」
ロルフは右足に重心を移して、アプリカドにかかる自分の影の面積を大きくした。
セスが口を開く。
「アプリカド」
「っす。あ、いえ、はいっす。あ、はい」
言い直して、最後ははっきりと通る声でアプリカドが返事をした。
「そちの提案は棄却させてもらう」
「はいでございます」
声はきびきびとしている。声は。
「されど、其れとは別にいざと言う時の拠点は必要だの。その時まで、しかと隠しておくように頼むぞ」
「うっす!」
アプリカドが頭を下げた。
「あ、はい! 承知仕りました」
その状態でアプリカドが言いなおした。
セスが楽し気に口元を緩めながらロルフを見る。
「余程、優秀な臣下なのだろう?」
セスとの受け答えがこれでも、自分の群れを持つことを認めているのだから、ということだろうとロルフは判断した。
「仕事はきっちりとできるし、最悪、報告は別の誰かがすればいいからねえ」
仕事を一緒にする仲間とのコミュニケーションに問題はないのだから、ロルフとしては気にするところはなかった。少しだけ、セスと会わせた時の言葉遣いが不安ではあったが、セスなら許してくれるだろうと言う甘えに近い信頼も、ロルフの中にはある。
(とはいえ、甘えすぎもよくないけどさ)
だからこそ、ロルフはここで役に立つだけでなく忠実にセスに従うところも見せねばならないと、シルヴェンヌにもはっきりとわかる形でセスへの忠義を示さねばいけないと考えている。
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