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北方遠征編
ヴァシム城北部、竜人族砦
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「お待ちしておりました。サグラーニイ陛下」
ピルヴァリが、人間態でも二メートルに迫ろうかという巨大な図体を折り曲げてセスに挨拶をした。
「出迎えご苦労」
セスが玉座に深く腰掛けたままそう返した。セスの左にはシルヴェンヌ。列に入って、セスから見て右側、入り口からは左側の一番セスに近い位置にナギサ。左側の最前列、シルヴェンヌに近い位置にメゼス。ロルフは、ナギサの横、四天王で一番セスから離れた位置に立っていた。ロルフの隣にはアレイスターがおり、向いはピルヴァリの位置だったが、今は中央に出て礼を取っているので空いている。
「あれが、噂の鉄甲船でしょうか?」
「どのような噂かは知らぬが、あれが鉄甲船であることは間違いないの」
ピルヴァリの目が二度三度と動き、口を真一文字に結んで巻き込んだ。
唇が次に見えた時に、ピルヴァリがそのまま口を開いた。
「単刀直入に聞かせていただきます、陛下。あれは、私達への示威行為でしょうか」
『私達』と言ってはいるが、ピルヴァリの基本的な一人称は『自分』である。一応、気を遣って、だろう。
「初めに動くというやりにくいことをしてくれたそちに、何故(なにゆえ)示威行為が必要か?」
「ヴァシム城奪還前の陛下の誘いを断っております」
「そのような者、数え切れぬわ。気にしてはおらん。現に、ヴァシム城に招きたくない客人を受け入れてもらっているしの」
セスの目が、ピルヴァリの後ろ、列の後方で縮こまっているゼグロに向いたように見えた。感じ取ったのか、ゼグロの肩も跳ねる。
「だが、竜人族以外に対しては、多少そのような面があったことは否めぬな」
ガーゴイルも含めて、だろう。
セスがひじ掛けに肘を付き、やや前傾になった。手の甲で顔を受け止めている形で、肘を付いている。
「ゼグロ・ブランコ。プロディエルと母御前はいつ来る?」
「は。いや、それが……その……何と言いましょうか……」
頭を下げたゼグロが、冷や汗を大量にかく様が似合いそうな様相を呈した。
「そのような演技をここでするでない。そちの能力が一歩下がった方が発揮できるものだとしても、表面上まで同じにする必要はあるまいて。結論は、出ているのであろう?」
ゼグロが目をロルフを初めてとする三人の四天王に這わせた後、綺麗な臣下の礼に体勢を変えた。
ちなみに、セスの言った『能力』とは、戦闘スタイルのことではない。
「来ない、と思われます。エルモソ様の言い分は、『息子が母親に会いに来るのが筋。そもそも、ヴァシム城が落城した折に母親に助けを求めに来なかった者が今更言うと、裏があるようにしか思えない』とのことです」
空気が急激に冷えた気がした。
ロルフはもう見ずともシルヴェンヌが怖い顔をしているのが想像できる。だが慣れていないピルヴァリは頭を下げたまま固まっており、シルヴェンヌに腕をもがれたことのあるゼグロは顔を真っ青にしていた。唇も紫色である。
「はっはっはっは」
セスが大声を上げて笑い出した。
圧が消えて、ロルフもすんなりとセスの方を見られるようになった。珍しく、というよりもロルフが初めて見るセスの大笑いである。シルヴェンヌも困惑したような目でセスを見ていて、メゼスは釣られて笑っている。ナギサだけがいつものすまし顔で直立不動を保っていた。
「面白いことを言うのう。そうか、はるばるアラクネの里まで下れと申したのか。母上は、ヴァシム城に居たのが昔すぎて距離を忘れてしまったのかの? 裏があるとも申したか。母上は立場を理解しておらぬようだな。盗人猛々しいとはこのことよ」
楽しそうな調子を崩さずにセスが言った。
怒気が感じられない分、ゼグロにとっては厄介だろう。
セスが玉座に座ったまま、姿勢を少しばかり崩した。目だけは笑わないまま、視線がゼグロに注がれている。
「ゼグロ、木桶に入れた米をそのまま腐らせたことはあるかの?」
一拍遅れて、ゼグロの肩が動いた。
「いえ、ございません」
「そうか。入れたまま腐らせるとな、桶も駄目になるのだ。洗ってもそのまま使えば腐ったような臭いがする。その部分を削って作り直すか、常以上の洗浄を行えばまた使えるようになるがの。だが、父上が存命していた時には基本的にその木桶を捨てて新しい物を使ったものよ。我も余裕ができれば、そうするやもしれぬな」
「しかと、伝えておきます」
「何、ただの世間話に紙を無駄にすることもあるまい。そなたも、そろそろ里に帰りたかろう? 話したいなら、そなたの口からにせよ」
ゼグロが返答に詰まる。
セスが身を起こし、玉座から降りた。ピルヴァリが素早く通路を開けて列に戻る。空いた中央を、セスがゆっくりと進んだ。ゼグロの身がますます硬くなる。
セスがゼグロの傍まで近づくと、ゼグロの前でしゃがんだ。セスの方が頭の位置が高く、肩に曲げた状態の手を置ける位置である。
ロルフの横にいるナギサの目が細くなり、ゼグロを注視しながら柄に手をかけていた。
「アラクネにそなたの返還を請われるまでは帰さぬと言ったわけではない。そなたの優秀さが良くわかったから帰っても良いと言ったのだ。アラクネの未来を考えれば、そなたは必要であろう?」
セスが左手でゼグロの肩を二度叩くと、そのまま手を放さずに立ち上がった。膝が伸び切って、ようやく手が離れる。
「モリテ、と申したな?」
部屋の外、扉の近くでずっと頭を下げていたガーゴイルにセスが声を掛けた。
種族を率いる立場でありながら、一人で部屋の外に待たされているだけでも扱いが知れようもの。同時に、この扱いは裏切りによって損害を被ったピルヴァリ率いる竜人族や首を狩る程の怒りを見せたシルヴェンヌの連れている翼人族に配慮したものでもあるのだろう。
「はい。サグラーニイ陛下に置かれましては、ご壮健の様子、喜び申し上げます」
再び圧が強くなったが、シルヴェンヌにせよナギサにせよ、モリテとの間にはセスがいるため不用意な行動はとれない。
「また、裏切り者である我らに拝謁の機会ばかりか、挽回の機会を与えてくださり、感謝の言葉もございません」
かくかくと手を震わせながらモリテが声を張った。
ロルフが横目で見たピルヴァリですら、モリテには冷たい視線を送っている。ただ、彼の場合は責める目ではなく冷めた目に近いと、ロルフは思った。
「そなたらの真意を確かめたいから此処に来いと申したな」
「は」
セスが紙を取り出したのが、ロルフからも見えた。右手から糸でつながれ、モリテの前に投げ捨てられる。
モリテは顔を上げずに、動きもしなかった。目は、向いたかもしれない。
「先に北部に行き、サフアンの南に陣を張れ。決して仕掛けることなく、ただ睨みを聞かせ続けよ。余計な挑発もせず、兵を出しにくくすればそれでよい」
(ピルヴァリには、信用できないから遠くに置いているようにも、いざ戦いとなったら働くかわからないから追いやったというようにも見えているのかねえ)
ロルフの視線の先の男は、真面目な顔を崩してはいなかった。
「かしこまりました」
モリテの頭が床に隣接する。
「詳しい場所、配置はそなたに任せる。されど、その意図をしっかりと説明せよ。細かい指示はその紙に書いてある。どこに文を送ればよいかもな。道中で確認しながら、位置を決めると良い」
「かしこまりました」
頭を下げて、モリテが紙を手に取った。
「行け」
「は」
頭を下げて座ったまま退いた後、モリテが下を見たまま立ちあがった。腰から折って礼をし、去っていく。
セスが振り返った。
「ピルヴァリよ」
「何でございましょうか?」
「そなたの用意した軍が見たい。それを知って変える策もあろう」
セスがまっすぐに玉座に進みながら言った。
「かしこまりました」
「メゼス」
「はい」
「我の護衛をせよ」
「陛下の仰せのままに」
セスが玉座に着く。
シルヴェンヌがセスの視界に入るような形で小首を傾げた。
「無論、シルも来るがよい」
「はい」
シルヴェンヌの顔に華が咲き、悦の入った声での返事が聞こえた。
「ナギサ」
「は」
「そなたは鉄甲船の様子を確認して参れ。停泊中にどのくらい揺れるかも、調べてはおらぬからの」
ナギサの目がわずかに大きくなった。それ以上に、瞳孔が大きくなっている。返事も、出てこない。
「ロルフはナギサの手伝いを頼む」
「りょーかい」
ロルフは軽い返事をしつつ、終ぞ瞳孔が開いたままだったナギサを横目で確認した。
ピルヴァリが、人間態でも二メートルに迫ろうかという巨大な図体を折り曲げてセスに挨拶をした。
「出迎えご苦労」
セスが玉座に深く腰掛けたままそう返した。セスの左にはシルヴェンヌ。列に入って、セスから見て右側、入り口からは左側の一番セスに近い位置にナギサ。左側の最前列、シルヴェンヌに近い位置にメゼス。ロルフは、ナギサの横、四天王で一番セスから離れた位置に立っていた。ロルフの隣にはアレイスターがおり、向いはピルヴァリの位置だったが、今は中央に出て礼を取っているので空いている。
「あれが、噂の鉄甲船でしょうか?」
「どのような噂かは知らぬが、あれが鉄甲船であることは間違いないの」
ピルヴァリの目が二度三度と動き、口を真一文字に結んで巻き込んだ。
唇が次に見えた時に、ピルヴァリがそのまま口を開いた。
「単刀直入に聞かせていただきます、陛下。あれは、私達への示威行為でしょうか」
『私達』と言ってはいるが、ピルヴァリの基本的な一人称は『自分』である。一応、気を遣って、だろう。
「初めに動くというやりにくいことをしてくれたそちに、何故(なにゆえ)示威行為が必要か?」
「ヴァシム城奪還前の陛下の誘いを断っております」
「そのような者、数え切れぬわ。気にしてはおらん。現に、ヴァシム城に招きたくない客人を受け入れてもらっているしの」
セスの目が、ピルヴァリの後ろ、列の後方で縮こまっているゼグロに向いたように見えた。感じ取ったのか、ゼグロの肩も跳ねる。
「だが、竜人族以外に対しては、多少そのような面があったことは否めぬな」
ガーゴイルも含めて、だろう。
セスがひじ掛けに肘を付き、やや前傾になった。手の甲で顔を受け止めている形で、肘を付いている。
「ゼグロ・ブランコ。プロディエルと母御前はいつ来る?」
「は。いや、それが……その……何と言いましょうか……」
頭を下げたゼグロが、冷や汗を大量にかく様が似合いそうな様相を呈した。
「そのような演技をここでするでない。そちの能力が一歩下がった方が発揮できるものだとしても、表面上まで同じにする必要はあるまいて。結論は、出ているのであろう?」
ゼグロが目をロルフを初めてとする三人の四天王に這わせた後、綺麗な臣下の礼に体勢を変えた。
ちなみに、セスの言った『能力』とは、戦闘スタイルのことではない。
「来ない、と思われます。エルモソ様の言い分は、『息子が母親に会いに来るのが筋。そもそも、ヴァシム城が落城した折に母親に助けを求めに来なかった者が今更言うと、裏があるようにしか思えない』とのことです」
空気が急激に冷えた気がした。
ロルフはもう見ずともシルヴェンヌが怖い顔をしているのが想像できる。だが慣れていないピルヴァリは頭を下げたまま固まっており、シルヴェンヌに腕をもがれたことのあるゼグロは顔を真っ青にしていた。唇も紫色である。
「はっはっはっは」
セスが大声を上げて笑い出した。
圧が消えて、ロルフもすんなりとセスの方を見られるようになった。珍しく、というよりもロルフが初めて見るセスの大笑いである。シルヴェンヌも困惑したような目でセスを見ていて、メゼスは釣られて笑っている。ナギサだけがいつものすまし顔で直立不動を保っていた。
「面白いことを言うのう。そうか、はるばるアラクネの里まで下れと申したのか。母上は、ヴァシム城に居たのが昔すぎて距離を忘れてしまったのかの? 裏があるとも申したか。母上は立場を理解しておらぬようだな。盗人猛々しいとはこのことよ」
楽しそうな調子を崩さずにセスが言った。
怒気が感じられない分、ゼグロにとっては厄介だろう。
セスが玉座に座ったまま、姿勢を少しばかり崩した。目だけは笑わないまま、視線がゼグロに注がれている。
「ゼグロ、木桶に入れた米をそのまま腐らせたことはあるかの?」
一拍遅れて、ゼグロの肩が動いた。
「いえ、ございません」
「そうか。入れたまま腐らせるとな、桶も駄目になるのだ。洗ってもそのまま使えば腐ったような臭いがする。その部分を削って作り直すか、常以上の洗浄を行えばまた使えるようになるがの。だが、父上が存命していた時には基本的にその木桶を捨てて新しい物を使ったものよ。我も余裕ができれば、そうするやもしれぬな」
「しかと、伝えておきます」
「何、ただの世間話に紙を無駄にすることもあるまい。そなたも、そろそろ里に帰りたかろう? 話したいなら、そなたの口からにせよ」
ゼグロが返答に詰まる。
セスが身を起こし、玉座から降りた。ピルヴァリが素早く通路を開けて列に戻る。空いた中央を、セスがゆっくりと進んだ。ゼグロの身がますます硬くなる。
セスがゼグロの傍まで近づくと、ゼグロの前でしゃがんだ。セスの方が頭の位置が高く、肩に曲げた状態の手を置ける位置である。
ロルフの横にいるナギサの目が細くなり、ゼグロを注視しながら柄に手をかけていた。
「アラクネにそなたの返還を請われるまでは帰さぬと言ったわけではない。そなたの優秀さが良くわかったから帰っても良いと言ったのだ。アラクネの未来を考えれば、そなたは必要であろう?」
セスが左手でゼグロの肩を二度叩くと、そのまま手を放さずに立ち上がった。膝が伸び切って、ようやく手が離れる。
「モリテ、と申したな?」
部屋の外、扉の近くでずっと頭を下げていたガーゴイルにセスが声を掛けた。
種族を率いる立場でありながら、一人で部屋の外に待たされているだけでも扱いが知れようもの。同時に、この扱いは裏切りによって損害を被ったピルヴァリ率いる竜人族や首を狩る程の怒りを見せたシルヴェンヌの連れている翼人族に配慮したものでもあるのだろう。
「はい。サグラーニイ陛下に置かれましては、ご壮健の様子、喜び申し上げます」
再び圧が強くなったが、シルヴェンヌにせよナギサにせよ、モリテとの間にはセスがいるため不用意な行動はとれない。
「また、裏切り者である我らに拝謁の機会ばかりか、挽回の機会を与えてくださり、感謝の言葉もございません」
かくかくと手を震わせながらモリテが声を張った。
ロルフが横目で見たピルヴァリですら、モリテには冷たい視線を送っている。ただ、彼の場合は責める目ではなく冷めた目に近いと、ロルフは思った。
「そなたらの真意を確かめたいから此処に来いと申したな」
「は」
セスが紙を取り出したのが、ロルフからも見えた。右手から糸でつながれ、モリテの前に投げ捨てられる。
モリテは顔を上げずに、動きもしなかった。目は、向いたかもしれない。
「先に北部に行き、サフアンの南に陣を張れ。決して仕掛けることなく、ただ睨みを聞かせ続けよ。余計な挑発もせず、兵を出しにくくすればそれでよい」
(ピルヴァリには、信用できないから遠くに置いているようにも、いざ戦いとなったら働くかわからないから追いやったというようにも見えているのかねえ)
ロルフの視線の先の男は、真面目な顔を崩してはいなかった。
「かしこまりました」
モリテの頭が床に隣接する。
「詳しい場所、配置はそなたに任せる。されど、その意図をしっかりと説明せよ。細かい指示はその紙に書いてある。どこに文を送ればよいかもな。道中で確認しながら、位置を決めると良い」
「かしこまりました」
頭を下げて、モリテが紙を手に取った。
「行け」
「は」
頭を下げて座ったまま退いた後、モリテが下を見たまま立ちあがった。腰から折って礼をし、去っていく。
セスが振り返った。
「ピルヴァリよ」
「何でございましょうか?」
「そなたの用意した軍が見たい。それを知って変える策もあろう」
セスがまっすぐに玉座に進みながら言った。
「かしこまりました」
「メゼス」
「はい」
「我の護衛をせよ」
「陛下の仰せのままに」
セスが玉座に着く。
シルヴェンヌがセスの視界に入るような形で小首を傾げた。
「無論、シルも来るがよい」
「はい」
シルヴェンヌの顔に華が咲き、悦の入った声での返事が聞こえた。
「ナギサ」
「は」
「そなたは鉄甲船の様子を確認して参れ。停泊中にどのくらい揺れるかも、調べてはおらぬからの」
ナギサの目がわずかに大きくなった。それ以上に、瞳孔が大きくなっている。返事も、出てこない。
「ロルフはナギサの手伝いを頼む」
「りょーかい」
ロルフは軽い返事をしつつ、終ぞ瞳孔が開いたままだったナギサを横目で確認した。
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