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遺体争奪編

開戦

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 ナギサはセスの右前に立ち、いつでも間に入れるようにする。メゼスの粘体も広く間に広がったようだ。
 一方の人間側は、誰もウェルズに続かない。ウェルズも上に一度目をやっただけで、声を上げれば会話に支障はない距離まで来た。攻撃範囲からしても、限界、いや、ウェルズ自身の危険性で言えば限界を超えているだろう。

「名乗りが遅れたが、オネット・ウェルズと申す。浅学非才の身ながらも魔族討伐軍の筆頭を務めさせてもらっている。貴殿は、セス・サグラーニイ陛下で間違いないか?」
「何故、そう思う?」

 ウェルズの目がナギサに向いた。

「最強の魔法使いヘクセ・カルカサールを討ち取ったのは薄黄緑の髪をした、中性的な妖狐だと聞いている。その妖狐が雷獣の血が流れていることも知っていれば、そこの者がその妖狐だと考えることは可能だ。それほどの者に守られて当然の顔をできるものなど、次代魔王しかいない。そうでしょう?」

 流石に時間が経ちすぎたのか。
 メルクリウスが使い始めた時はまだ魔法使(ヘクセ)いが存命だと思われていたのに、もう意見が変わっている。

「ご明察の通りだの。ならばどうする? 魔族討伐軍筆頭将軍らしく、我の首を狙うのかの?」

 ざわり、と、ぞくり、と。
 ナギサの背後と頭上で魔力が大きく膨れ上がった。ベルスーズ姉弟だろうとはすぐにわかる。
 人間の部下もにわかに魔力が動き出した。

「やめろ」

 ウェルズが片手を挙げて言った。
 魔力はそのままだが、音は止む。

「これは国の総意でもなく、軍ですり合わせた意見でもない。それを前提で聞いてほしい」
「……ナギサ、形態を変えよ」
「は」

 詳しく指定されなくても、ナギサにはセスが何を求めているのかがわかる。故に、狐耳に尻尾二本の感知形態に変化した。

「変化なしです。残りの一千近くも散ったまま。分けた部隊の移動のための時間稼ぎ以上の目的はないようです」

 小声で唇をあまり動かさずにナギサは言った。
 ご苦労、とセスが言って、ウェルズに目を戻す。

「構わぬ。申してみよ」
「私は、エヘルシットが翼人族を攻めたのは失策だった思っている。乗り遅れたままで居るべきだったと。事実、陛下は魔王城を取り戻された。未だに勝った気でいる、また勝てる気でいる人間が多くいる中、少なくない血がまた流れている。どちらの血であれ、流れて良い血など存在しない。そうではありませんか?」

 上空の魔力が隠ぺいを止めたかと錯覚するほどに研がれていく。
 翼人族にとってみれば、引き起こした張本人が何を、ということだろう。

「結果論だの。そもそも、命令を下したのはお主だろうて」
「ああ。その通りだ。だから何とかできないかと、この地位を利用して取次ができそうな魔族と関係を持った。アラクネはその一つだ。サグラーニイを名乗っているから、良い緩衝材になると期待したのだ」

 セスがシルヴェンヌをより引き寄せたような衣擦れの音が聞こえた。

「続けよ」

 セスが言う。

「だが、アラクネは裏切った。先帝の遺体を欲して、奪っていった。その様子から見るに、アラクネの名乗ったサグラーニイも怪しい。ならどうだろう。これまでの手打ちとはならないかもしれないが、こちらは陛下が先帝の遺体を持って行くのを黙認する。もちろん、上や国民への説明義務もあるからここにいるアラクネだけは討たせてもらうが……」
「アラクネの処分もやっておくからどうですか、ということかの」

 プロディエルの魔力が揺れた。
 ともすれば、必死で抵抗するかもしれない。

「そのような恩着せがましいことは言えません」

 ウェルズが言う。

「どちらにせよ、その提案は呑めぬの。アラクネは味方になるかもしれぬ種族。無駄に殺すことはできぬ。加えるならば、お主の行動には一貫性が見られない。海上で襲った時は本気であろう」
「ええ。翼人族が居れば、どのみち、あの時点では戦うしかなかったかと思います。ですが、お互い無駄に削り合わないように博物館に早めに詰め、今回も時間稼ぎだけで大規模な戦闘は避けようとしました」
「物は言い様だの。博物館は開けても外では本気でぶつかっていたのは知っておる。それとも、そこで流れる血は許容範囲だと?」

 ウェルズの表情に変化はない。
 もちろん、魔力も乱れず、後ろの人間にも変化はない。

「私と繋がることで魔族に提供できるのはエヘルシットにおいて発言力があること。ならば、発言力を維持するために必要な戦闘もございます」
「論外だの。それを呑めと言われて呑んでいては魔王などやってはいけぬ。何より我の伴侶は翼人族。父上の遺体は自力で取り返したのに見過ごすなど、無償で義理の両親を殺した張本人を見過ごせと言っているようなものではないか」
「…………はは、御尤もだ」

 少し目を遠くに泳がせてから、ウェルズの目が据わった。

「交渉が決裂した以上、戦闘はやむなしだ。私が隊列に戻るまでに非戦闘員がいるならば避難させておくことをお勧めします」

 ウェルズが背を向けて、歩いていく。人間が数人、銃口を上に向けたまま前に出てきた。あくまでもこちらを警戒しつつ、まだ攻撃を仕掛ける意思はないと言っている様である。

「メゼス」
「はい」
「保護した者たちをしっかりと隠しておけ」
「かしこまりました」

 ウェルズが剣を拾い、隊列に入って行った。
 人間の群れの中から、光弾が打ちあがる。海上で魔力の動きが慌ただしくなった。

「兄上、違う、違うんだ。裏切ってなんかいない。ね、そうでしょう?」

 プロディエルが喚く。セスはちらりと目をやっただけで、海の方を向いた。
 代わりにナギサがプロディエルを睨みつける。

「お静かに」

 かあ、と怒りからか顔を紅潮させたが、プロディエルが黙った。
 翼人族の矢が、自分をも狙っていることぐらいはわかるらしい。

「撃ってくるかの?」

 セスが海の方を向いたまま言った。
 船の中、地上の隊列と動きを観察する。船は大砲に弾を詰められるような状態にしているようだが、まだ入れてはいないだろう。大砲周りに人が多すぎる。隊列の方も、頭を収容したというのに動きがない。

「まだ、積極的に仕掛けてくる様子はありません」
「増援の気配はあるか?」
「ございません。相変わらず、回り込もうとしている輩がいるのみです」
「厄介だの」

 どれだけ効果があるかはわからないが、セスの下では好戦的だったのは人間側ということにしておきたい。

 一方で囲まれるのを待ってでは遅い。会話の間に、こちらも威圧を掛ける意味でのセスの傀儡の展開は終わったが、流石精鋭と言うべきか。乱れがない。

「クラーケンが我の支配下にないことを、彼奴等は知っていると思うか?」

 ナギサと、メゼスにも聞いたとわかる声である。

「知っていてもおかしくはないかと。現に、無差別にクラーケンに襲われかけたのを見ている者もおりますので」
「ウェルズ将軍が魔族について調べているのは事実です。把握している可能性も十分あるかと」

 セスの目が少し細められた。
 水底にセスの魔力が展開されたのがわかる。
 どぷり、と。産み落とされるがごとく何かが海底に現れた。セスの魔力の混ざった、見覚えのある魔力。

 海面が浮き上がり、霧の中に太く大きいクラーケンの脚が見えた。
 反射的にナギサは刀の柄を掴んで、セスとクラーケンの間に入った。シルヴェンヌとメゼスは動かず、プロディエルは尻を引き摺りながらまた下がった。

 クラーケンの触手が人間の方へと叩きつけられる。

「撃て!」

 拍手ですら万人が集まれば大地を揺らす。

 何百人単位で放たれた銃撃の音は、意図せずとも音への警戒が薄れていたナギサにダメージを与えた。ナギサの前に、セスから糸が垂らされる。時を同じくして、人間の隊列から赤色の光弾が上がった。クラーケン出現の真上で、爆ぜ散る。

「陛下?」

 疑問にセスが答える前に、鉄甲船からの砲撃。触手があらかじめ砲撃で散らかされていたかのように弾けそうになり、セスの魔力糸が伸びて繋ぎ止めている。

「今回は、そなたに助けられた部分が大きいの」
「偶然です」
「そなたは得難き忠臣だの」

 クラーケンを呼び起こして逃げるという手段を選べたのも、高火力の銃をきちんと全員が揃って撃たれることがこんなにもダメージを喰らうことだと知らなかったのも、全て。
 セスが魔力を込めた手を自身の喉に当てた。

「なるほど。クラーケンに攻撃をすると同時に合図も無しに我の大切な臣下にも攻撃を与えるとは。流石は筆頭将軍と言うべきかの。それでは、こちらも、遠慮なく」

 言葉が終わると同時に、頭上の霧の中から翼人族の攻撃が降り注いだ。
 クラーケンに注意が向いていたとはいえ、人間の対応も早く、防衛魔術が展開されている。

「陸は任せる」

 す、とナギサの前にセスの糸が持ち上げられた。
 受け取る前に、ナギサは糸を辿ってセスと目を合わせた。後ろではシルヴェンヌが昏い目で自分を見ているのがわかる。

「陛下、念のため首輪でもよろしいでしょうか?」
「……ああ、好きなだけ使うがいい」

 受け取り、首に持って行くと首輪が形成された。
 セスに行く情報が過多になりすぎないように気をつけながら、ナギサが立ち上がる。二体目、三体目のクラーケンの傀儡が海底から船団を狙っているのが分かった。同時に、それは黒い沼が広がっているということでもある。

 人間の隊列から、二十二人の塊が射出されるように駆けだしてきた。

「セス・サグラーニイ! 一騎打ちを所望する!」

 先程まで会話していた距離まで来ると、二十一人が散開して、半円を作った。後ろは防衛に徹底しており、翼人族の攻撃に反撃をしていない。クラーケンの触手にも弾くだけである。

「交渉が駄目なら一騎討を挑むとな」

 海底の沼が船団を飲みこめるほどに広がった。

「無駄な血は流したくはないのは同じはず。互いに、価値の大きい首だろう?」

 セスとシルヴェンヌの下にも黒い沼が広がった。
 警戒するようにウェルズの目が動く。

「どこの王が一騎討に応じるのだ。王が戦う可能性があるのは本陣近くでの乱戦。配下がいる場合のみ。それともエヘルシットの王は無駄な血を流さぬために積極的に一騎討をする輩なのかの?」

 最早マッチポンプだが、振り下したクラーケンの触手をセスの沼が受け止めた。
 ずるり、ぬらり、と飲みこまれるようにクラーケンの黒に当たった部分が消えていく。

「我が結界へ歓迎しよう。海に居て、我らに仇なす者よ。その全てを。……ゼグロ。此処にいては危険だろう。そなたも来るがよい」

 一瞬だけセスの魔力が噴き出て、残像を残すように消えていった。太陽を直接見た後にその影が残るように、セスの魔力が霧に影を残したかのように。
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