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名称継承編

再行動

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 翼人族は文字通り翼がある種族。空を駆り、その利点を活かすことが多い印象だが、作成する陣地の特性は地を這うものもあるのがセスには意外だった。何かが通れば、その揺れが離れの陣地まで草木の揺れとして伝わり、何かがどこかに来たのかがわかる。離れの陣地と言うのがみそで、もし追われたとしても本陣は無事であり、狼煙で伝えるという捨て身のめんもある陣だ。急な長旅を可能にする種族の特性が垣間見えた気がする一面である。

 さて、その離れから何者かが迷いなく近づいてきているという報告を受けてロルフを呼び戻してから間もなく、旅装に身を包んだナギサが本陣に現れた。



「ただいま戻りました」

「ご苦労」



 ナギサが頭から風よけの布によるフードを取って、跪いた。



「どうであった?」



 丸太の椅子であるが、玉座の背もたれに手をかけるようにシルヴェンヌがセスの肩に手を置いた。



「は。予想通りイシオンで勇者一行の甦りの儀式が行われたそうです。どうやら、ヴァシム城攻略の前に立ちより、その時からパーティーが全滅するとイシオンの教会に転移される仕組みだったとのことです」



 横に立っていたロルフの眉間に皺が寄った。



「なるほど。全滅させても甦り、誰かを生かしたままでも持ち帰られて生き返る。言葉の通り、魔王を討つまで旅を続ける勇者一行だったというわけか」



 だからこそ四天王をあっさりと討つことができたのか。

(でも、それなら何かしらの報告があってもおかしくないはずだの)

 セスは頬を挟むように右手で唇に触れる。



 報告がなかったのは、わからなかったのはなぜか。最初に打ち取られた四天王がオフィシエだったからか? 実力的にそこまで劣るわけではないが、四天王最弱と陰口をたたかれていれば、全滅させたけど甦りました、などと報告すれば殺せていなかっただの、別の者に死体を奪われているではないかだのと言われる可能性が高かったため報告をしない心情も理解できる。

 軍が追随し始めたのも、そのことを知っているものを殺し尽くすためだとしたら。あの能力なら、オフィシエを殺した後ならば実力的にも警戒レベル的にも全滅することはそうそうないだろう。ならば、口封じもできてしまうのか。



「どうします? このままだと城を奪い返せばまーた勇者一行の死なない旅が始まりますよ」



 ロルフの軽い声色に睨むナギサも久々だの、などと呆けた思考を隅でしつつ、セスは視線を宙に這わす。ゆっくりとシルヴェンヌがセスに抱き着いてきた。



「教会、潰しましょう。私達の邪魔です」



 シルヴェンヌがセスの耳元でささやく。



「……勇者一行は、確かにイシオンを離れてはおりますが、全滅した後に転移される場所は各地に置いてあるそうです。もちろん、こちらは鎮撫隊を派遣していたような距離の街にも。それらを全て潰す前に、幾度勇者一行と戦うことになるかわかりません」



 ナギサが、やや低い声で答えた。



「次からは逃走前提ではなくて?」

「だからと言って、危険性が下がるわけではありません。各地に広がりすぎていますので、潰して回っているうちに別の地点が復活する可能性もあります」

「じゃあ街ごと壊しましょう」



 セスに抱き着く手が強くなった。



「ここまでやられたのだ。イシオンくらいは、そのうち攻め取らねばならぬの」



 感情のはけ口として、各地で勝手に攻撃を仕掛けて各個撃破されるのを防ぐためにも。

 何か言いたげに顔を上げたナギサに、セスは右の手のひらを突き付けて言葉を封じる。



「あくまでそのうちだ。今は明らかに戦力が足らぬ。復活地点を壊し続けることに関しても、最初はうまく行ったとしてもそのうちしっかりと対策されよう」

「打つ手なしってことで、とりあえずは離脱? その復活地点とやらの間で最大の距離になるところに居を構えれば撃退した後の時間は一番稼げるはずですし」



 ロルフが手を動かしながら言った。

 翼人族を代表して末席に控えているフェガロフォトもロルフの言葉遣いにか内容にか、わずかに眉をひそめた。

 いや、本来であれば本拠地である城を目前に撤退の提案など、理解できていても納得がいかない、というのがこの隊を俯瞰した時に一番強い感情だからであろうか。

 真面目な感情を表情に垂らしながら、ロルフがフェガロフォトにも顔を振って続ける。



「どっちみち、戦力の糾合には集合地点が必要でしょ。全滅させてもイシオンに復活されたんじゃあ毎週が死闘だよ。来る人も来ないよね、それじゃあ」

「その程度で逃げるような輩、要らないのでは?」



 シルヴェンヌの声が、背骨の代わりに氷が入るように響く。

 硬直するフェガロフォトと硬い表情のナギサを他所に、ロルフは肩をすくめて笑った。



「個人の武勇が物を言うのがこの世界のルールだけど、数だって脅威だよ。数が並んでいれば怖気づく。死ぬかもしれないと思えば逃げることを考えて本気にならない。こっちに数がいれば有象無象は無視して、死を恐れずに突っ込んでくる勇者とかの一部の者への警戒でいいんだから」

「数がいた結果、裏切り者が出ては元も子もありませんでしてよ」



 するり、とシルヴェンヌがセスから離れた。顎をやや上げて、「ヴェンディ」と良く通る彼女にしては低い声を出す。風切り音と、草をかき分ける音がして、西瓜の入りそうな大きさの縦長の木桶を持った翼人族の戦士が現れた。

 シルヴェンヌが腰から短刀を取り出して無造作に近づき、桶を括り紐を斬る。平らなのは底だったらしく、下が見えなければ円柱に思える蓋が取り外された。最初に見えたのは黒い塊。額には二本の小さい角があり、石のようでありつつも滑らかな肌。次に腐臭。大鷲が魚を掴むように、シルヴェンヌがすらりとした綺麗な指を広げて、頭を掴んで持ち上げた。



「この顔に、見覚えは?」



 ロルフに見せた後、物体の正面がナギサに移った。



「シグラッダ殿かと」

「ええ。この一帯のガーゴイルの長で、裏切り者のポナード・シグラッダ」



 シルヴェンヌの手が開く。

 ぼと、と湿った音を立てて首が地面に落ちた。



「周囲の様子を観察している時に見つけたこれは、セス様の配下の数が増えていれば何食わぬ顔で軍団に加わる気でいた。そうでしたよね、ヴェンディ」

「は」



 シルヴェンヌの足がシグラッダの頭の上に乗り、切断面が地面にこすりつけられるように揺れる。



「あっちへ行ったりこっちへ行ったり。数は暴力になるとは言いましたが、裏切られては付け入るスキを与えるだけではなくて? まあ、わたくし達が言えたことではありませんでしたね」



 魔力が込められて、頭頂部がへこむように、顔面が裂けるようにシグラッダが弾けた。

 灰色と赤黒い物体がシルヴェンヌの足を汚し、近くで膝をついていたヴェンディの服にも眼球や血管や肉片がくっついたが、彼は動かない。ロルフは、「うへぇ」とわざとらしく言いながら自分の近くまで飛んできた脳髄を土で隠した。



(厄介なことになったの)



 セスは眼球すら動かさず、一通りの動きを見つめていた。

 シルヴェンヌが振り返る。



「申し訳ありません。迷惑でしたか?」



 先程までの憤怒はどこへやら。お菓子をねだった直後に叱られたことを思い出した子供のように、シルヴェンヌがしおらしく縮こまりながらセスの顔を窺ってきた。



「我が目の前で裏切ったのだ。お咎めなしで済ますわけにはいくまい。……討ったのは、シグラッダで全てか?」



 セスはなるべく優しい声を出して尋ねた。



「いえ。側近も含めて十四名。討ち漏らしはございません」



 偵察に出てもらっていた翼人族は最大で戦士四名、旅人一名、たまにシルヴェンヌが居なくなっていたので彼女も加わったとしても倍以上のガーゴイルを逃がすことなく討ち取ったことになる。純粋な戦闘の戦果としては、上々以上のものだ。

 ナギサの視線を感じて、セスが顔を僅かに動かす。



「殿下、こうなった以上致し方ありません。ガーゴイルの殲滅を優先いたしましょう。力で屈服させ、彼らの品でもってマルシャンと取引を行い、拠点を整える。それがよろしいかと」

「後半は賛成しかねるけど、俺も前半部分には賛成です。一個ぐらい粛清した方が、既に殿下の元にそれだけの力が集まっていることのアピールにもなるし、裏切り者は許さない前例にもなると思います。そういう自覚がある連中はガーゴイル討伐中に集まるんじゃないですかね」

「ガイエルさん、貴方はセス様の元に烏合の衆を集めたいと?」

「最初っから精強な集団っていうのはないんじゃないかなー、と思うんですけど、姫様はどう思います?」

「ガイエルさんのそれは、レシピを見ずに調理して、『最初からおいしく作れる人はいない』と言っているようなものではなくて?」

「今からやることにレシピがあるなら、誰だって欲しいですよ」

「そこまでにせよ」



 シルヴェンヌが次の言葉を放つ前に、セスは停止を呼びかけた。

 シルヴェンヌが小さく頭を下げて、ロルフの反対側に並ぶ。ナギサはややロルフよりの中央にいたままだ。



「誰も捨て石にはなりたくない、か」



 呟くように、噛み締めるように、セスが言った。

 すかさずシルヴェンヌが口を開く。



「セス様が生涯にわたって片時も忘れることなく覚えていてくださるなら、わたくしは捨て石として扱っていただいても構いませんよ」



 セスは払いのけるように左手を振った。



「我も捨て石のように誰かを扱いたいわけではない。マルシャンの話を今一度思い出しただけだ」



 前のめりになり、ナギサに視線を向ける。



「イシオンの様子を詳しく聞いていなかったな」

「は。イシオンは平時とさほど変わった様子はありませんでした。ただ、街の人の話を統合すると、勇者一行が転送されてきた直後は大きく動いていたそうです。防備を固めて、イシオンの全方位に物見を放ち、城壁に着かせる兵力を増やしたという話を耳にしました。無論、これは数日前の話で、現在は兵数が増えているわけでもなく、武具や食料などの在庫が減っている、価格が変動している様子はありませんでした」

「騒がれなかった要因に、心当たりは?」



 目をやや横に流してから、ナギサが答える。



「一つは、スヴェルとアダマスのモノと思える痕跡がイシオンから離れたところで見つかったこと。もう一つは、その地に装備を整えた勇者一行が向かったことかと。陛下を討ち取った勇者一行に対する信頼と、その発言力はとても大きく、戦略を左右するほどのものであると、改めて認識いたしました」

「ふむ」



(勇者一行が出たから解決すると思われたか)

 セスは頭の中でイシオンの様子を組み立てる。

 要は、騒ぎはすでに収束したということか。



「そちがイシオンに入った時は、まだ勇者一行がいたか?」

「はい。この目でも確認いたしました」

「その時の街の様子は?」

「一行が出発する前と後で変わらず、同じ営みが繰り返されていたように思います。旅人の装いである私に警戒する者はおらず、市場には活気が溢れ、道具屋武具屋は我先にと勇者一行に売り込みをかけておりました」



 ナギサのイシオン入りは、勇者一行を全滅させてから五日後といったところだ。そのわずかな日数で混乱なく落ち着いているというのは、にわかには信じがたいが事実だろう。



「マルシャンが言った言葉を覚えておるか?」



 ナギサの眉間に皺が寄り、徐々にいつもの顔に戻って行く。



「申し訳ございません。どの言葉でしょうか」



 その言葉を聞いて、セスもわからなくて当然の質問であったな、と自覚した。



「勇者が死んだら」

「大騒ぎになるという話ですね」



 今度は間髪入れずに、忠実な従者が答えた。



「そちの話を聞いた限りでは、我には大騒ぎになったようには思えないのだが、実際に見て聞いて、どうであった?」

「大騒ぎには、程遠いかと」



 セスが前のめりになっていた体を戻し、どっかりと丸太に腰かけた状態に戻る。



「えーっと、そのマルシャンって奴が嘘を吐いた、的な?」

「その可能性もないわけではないの。ナギサ、金貨は、どちらも使えたか?」

「はい。マルシャンから頂いた金貨も、勇者一行が落としていったものも疑われることなく」

「勇者一行の転移先から金貨がごっそりと消えた、などということは?」

「見た限り、聞いた限りではありません。隙をわざと作っても、襲ってくることはなく、特別な金貨というわけではないようです」

「フェガロフォト。戦士階級の皆を集めろ」

「は」



 大きな声で返事が来て、フェガロフォトがメリハリのついた動作で下がった。



「セス様?」



 シルヴェンヌの呼びかけに、セスは目を向けることなく口を開いた。



「甦りの呪文がある限り、全滅は死ではない。全滅した折に残していった金貨同様に、普通のことだということだろう。理解しがたいことだがな」

「こっちの殺したと、あっちの死んだは等符号で結ばれないってこと?」



 肩を丸くして落とすような声で、ロルフが嘆いた。

 ナギサが凛々しい顔で目を瞑る。



「で、あるな。殺そうとし続けるだけ無駄。勝ち目はない。終わりはない」

「殿下は、如何なさるおつもりですか?」



 ナギサが力強い目で、指示を仰いできた。



「捕獲する。永久に。武器を握れなくなるまでな」

「腕を落とすってこと?」



 ロルフが聞く。



「落としたところで生えて来ても、もう我は驚かんぞ」



 セスが丸太から立ち上がる。



「監禁場所は魔王城地下。そこならば、最も安全に飼い続けられよう」

「は」



 ナギサが涼し気な表情を崩さずに、片膝をついて返事をした。ロルフは口角を上げて、口を薄く開いており、隙間から犬歯が覗いている。シルヴェンヌは弓を取り出し、左手で掴んで軽く頭を下げていた。

 いくつかの足音が聞こえ、翼人族の戦士が現れる。ヴェンディも頭を下げたまま下がって行ってその列に加わり、セスからはやや離れた場所で全員が膝をついて翼を地面に着けた。



「これより我が居城、ヴァシム城に進軍する。ナギサ、先鋒は任せる。万難を排し、城に近づけ。フェガロフォト、皆を連れてナギサと共に先に進め。藪に潜む漁夫の利狙いの者どもも敵と思え。ロルフ、背中を任せる。斬りかかるなよ」

「しませんって」



 最後におどけたように言うと、ロルフも笑って返した。

 シルヴェンヌの視線が厳しくなる。



「フェガロフォト」

「……は」



 シルヴェンヌに気を遣ったのか、フェガロフォトの返事が遅れた。



「陣の引き払いは、呼ばなかった者に任せて大丈夫か」



 フェガロフォトの下がったままの頭が、わずかにシルヴェンヌの方向に動いたのがわかった。

 ナギサとロルフの視線もフェガロフォトに注がれる。



「……大丈夫だと、思います。いえ、大丈夫です」

「伝えておけ」

「は」



 ナギサが中央に出てきた。



「では、これより出発します」

「ああ。そちに言うことではないかもしれないが、城に籠る者どもが敵対しているとは限らないことにくれぐれも留意してくれ」

「心得ております」



 ナギサが頭を下げてから、踵を返す。

 フェガロフォトらもそれに続いた。



「俺も、またすぐに合流しますがちょっと抜けますね」



 ロルフの言葉に、セスは頷いて返した。

 居なくなったタイミングで、シルヴェンヌの視線にセスがやっと答えるように顔を向けた。



「何か、不快にさせてしまいましたか?」



 酷く沈んだ声である。

 胸に痛みを覚えながらも、ゆっくりとセスは口を開いた。



「シルのことだから、きっちりと考えた末の行動だとは思っている。思ってはいるが、一言ぐらい言ってから行動に移してくれ。裏切り者にも利用価値はある。裏切りと思わせているだけで相手の行動を探る場合もある。何より、これでは烏合の衆と周りに思われても仕方がない。まあ、我の指導力がその程度と言われれば、その通りかもしれぬがな」

「そのようなつもりは」

「よい。シルだけではなく、我にも責任はある」

「そんなことはありません。私が、全面的に悪いのです」

「シル」



 少し強めに名を呼ぶ。

 その後、出来る限り柔らかい笑みを作るようにして、セスはシルヴェンヌの肩を優しく掴んだ。



「どちらが良い悪いではない。我はシルと夫婦になりたいと思うておる。ならばどちらか一方の非となることはありえまい。我のためと思っても、重要な決断は黙っては行ってほしくないのだ。我は、シルがそこまでせねばならぬほど頼りないか?」



 ふるふる、とシルヴェンヌが小さく首を振った。



「セス様は十分に頼りがいのある男性です」

「ならば、そなただけが汚れ役をしようとするな」



 頭を撫でて、セスはシルヴェンヌから離れた。



「隠し事を無しにはできぬが、少ない方が良いからの」



 近くにロルフを認めて、セスはシルヴェンヌに背を向ける。

 ちょっと抜けるとは言っていたが、大方、セスがシルヴェンヌに何か言いたいことがあると察して席を外してくれたのだろう。彼のような人材をすぐに手に入れられたのは、良い兆候だ。

 後ろから動き出す音が聞こえず、セスは動きを止める。



「……そうですよね、隠し事は少ない方が、良いですよね」



 呟く、言い聞かせるというよりは地面に零していくような声が後ろから聞こえた。



「シル……?」



 シルヴェンヌの目に翳が入り、拗ねるような攻めるような色が浮かぶ。



「ええ。ええ。マルシャンというお方は」

「安心しろ。男だ」



 呆れたような顔を作り、即答する。

 それを聞いたシルヴェンヌが嬉しそうに顔を綻ばせて、セスの腕に体を巻き付けるように抱き着いてくるのだった。

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