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第三章 アイドルと怪異!5

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 時雨さんは鳥人間のほうに向き直って、構えた。
 時雨さんが顔の前に出した腕を、猛スピードの空飛ぶ影が、ざぎっと嫌な音を立てて弾く。

「くっ……」

 赤いしぶきが、ぱっと舞った。

「あっ!」
「大丈夫ですあいねさん、大したことはありません。なかなかの速さですね」

 時雨さんのシャツのひじのあたりが避けて、血が流れてる。
 私の顔から血の気が引いた。時雨さんがこんなふうにけがするのなんて、見たことない。

 ランド・ハーピーが、屋上に立った。
 やっぱり大きい。身長が三メートルくらいある。

 体つきは女の人らしいっていえばらしいけど、羽毛で体中が覆われてるし、筋肉質でがっしりしてる。
 両腕の翼は、ワシみたいに力強くて、左右に広げると大人が何人もすっぽり包まれちゃいそうなくらい大きい。
 足の鉤爪は、爪っていうより刃物みたいで、パン切りナイフみたいに長くてぎざぎざがついてる。これで、今、時雨さんを傷つけたんだと思う。
 顔は、目の吊り上がった女の人みたいだった。
 でも耳元ま避けた口は、とても人間には見えない。

「吸血鬼か……先日は目障りな化け猫を追い払ってやったが、またずいぶんと強力な怪異が出てきたものだな」

 あいつ、ってマリカちゃんがうめいた。
 ランド・ハーピーの声は太く低くて、時雨さんが言ってたみたいに、魅力的な歌声が出せるなんてとても思えない。
 時雨さんが、腕の血をぴっと払って言った。

「人の言葉が話せるとは、それなりの格の怪異のようだな。もっとも、言葉が通じたからと言って、話が分かるとは限らないが。繰り返すが、今なら彼から離れれば穏便に済ませてやるぞ」

 時雨さんはそう言うけど、ランド・ハーピーって、時雨さんよりずっと体が大きくて強そうに見える……大丈夫なの?

「はっはっはっ。吸血鬼というのはみなそうよな。おのれがなによりも優れていると思い込んでいる。そこの人間二匹は、貴様の餌か?」

 ランド・ハーピーが、私とマリカちゃんをにやっとしながら見た。
 それだけで、またぞぞぞっと悪寒が走っちゃう。
 時雨さんはランド・ハーピーをきっとにらんだ。

「ぼくのご主人様と、その友人だ。無礼は許さんぞ」
「貴様こそ、人の餌をかすめ取ろうとはいい度胸だ!」

 ランド・ハーピーの姿が、いきなり消えた。
 違う、また時雨さんに襲いかかったんだ。慌てて時雨さんのほうを見る。

「時雨さんっ!」

 でも今度は、時雨さんは腕でランド・ハーピーの爪を弾いた。
 お返しに蹴りを出したけど、ランド・ハーピーはひらりと舞い上がってそれをかわしちゃう。
 そして、本物の鳥みたいなきょろっとした目で、怪異がこっちを見た。

「あ……っ」

 私はとっさに、マリカちゃんを抱きしめて、背中をランド・ハーピーに向ける。

「ちょっと、なにしてんのあんた!? それじゃあんたが……」

 がきんっ!

 背中のすぐ先で、鋭い音が響いた。
 背中は、……痛くない。
 おそるおそる振り向くと、ランド・ハーピーの長い爪を、時雨さんが手のひらで受け止めてた。

「し、時雨さ……」
「まだです!」

 時雨さんが、マリカちゃんごと私を両腕で抱きしめてきた。

「ひゃっ!?」

 それどころじゃないって分かってるんだけど、声が出ちゃう。
 時雨さんの温かさと頼もしさが伝わってくる。
 時雨さんは私たち二人をぐいっと横に引っ張って、そのおかげでランド・ハーピーの二発目のキックをかわせたみたいだった。

「ガル、お二人を連れて離れていろ!」

 時雨さんだけが屋上に降りる。
 ガルちゃんが宙に浮かんで、いつもよりも素早い動きで、ランド・ハーピーからは離れたところまで飛びのいた。
 つ……強いんだ、あの怪異。
 それに気づいてたから、時雨さん、栄養補給なんてしたのかも。ううん、きっそうそうだ。

「……ずいぶんと力を蓄えたみたいだな」時雨さんがランド・ハーピーをにらむ。

「はっはっ。そうとも。その人間の男は、人間たちを魅了して、魂の力を吸い取るのにうってつけだ。アイドルというのだな。ライバルが大勢いる中で抱いている不安につけこめば、とり憑くのはたやすい。するとファンとかいう者たちが、自ら魅了され、魂をささげに群らがってくる。絶好の餌場であったわ」

 そんな。
 シュンくんを、ファンの人たちを、そんなふうに利用するなんて。

「許せない……」

 私と同時に、マリカちゃんもそう口に出したので、びっくりした。
 二人で顔を見合わせる。
 そうか、マリカちゃんから見ても、あの怪異がやったことは許せないんだ。

「あたしたちを、ファンを、なんだと思ってんのよ……ていうかあいつ、シュンを操って、なにか悪さしたんじゃないでしょうね」

 マリカちゃんが歯ぎしりする。
 私も、それがすごく心配だった。
 もし、ランド・ハーピーを退治できたとしても、とり憑かれてたシュンくんがファンの女の子に危害を加えてたら、それはシュンくんの仕業になっちゃう。
 すると、そのマリカちゃんの声が聞こえたみたいで、ランド・ハーピーがこっちを向いて答えてきた。

「はっ。安心するがいい。その男はやたらと強情でな、ファンとやらどもから魂の力は吸い出せても、それ以上のことは頑として拒みよった。だが、それも時間の問題よ。ここで貴様らを始末すれば、いずれその男も完全に屈服し、我が操り人形になるわ」

 なっ……そんなこと!

「そんなことをさせるわけがないだろう。ここで退治されるのはお前だ」

 時雨さんがそう言ってくれる。
 でも、ランド・ハーピーは余裕たっぷりの顔で言い返してきた。

「ははあ。なかなかに強気よな。いかに吸血鬼とはいえ、夜でもなく、しかもその疲れ切った体で、勝てるつもりでおるのか。ハーピー族は、力を振るうのに昼夜を問わん怪異だぞ」

 ……疲れ切った体?

「やってみれば分かるさ!」

 時雨さんが駆け出した。

「まさに!」

 ランド・ハーピーも翼を広げる。
 空を飛べる二人の戦いは、空中戦になった。屋上の上に舞い上がって、ランド・ハーピーは鋭い爪を、時雨さんはパンチやキックを出してぶつかり合う。

「あいね、あの吸血鬼、疲れてるってどういうこと? なにかあったの?」
「そんな……時雨さん……」

 私の奥歯が、かちかちって鳴った。
 思い当たるところは、ある。
時雨さんにはぐらかされて、ついそのままにしちゃってたけど。

 吸血鬼は人間と違って、昼夜逆転生活をするはずだ。
 時雨さんは、夜の間は、家の外で私を襲ってくる怪異を追い払ってくれてた。
 そうしたら普通昼間は寝てるんだろうに、夜が明けた後は、私と一緒に行動してくれてた。

 夜にやって来てた怪異は、どれだけいたんだろう。
 私が知ってるのは、ほんの数匹だ。
 怪異は夜のほうが活発になるはずだ。
 何日かそんな暮らしをしたら、人間ならふらふらになっちゃう。
 吸血鬼は人間よりは体力があるとしても、時雨さんはまだ十五歳だって言ってたし、まだ吸血鬼として成熟してないかもしれない。

 怒りとか悲しみとかとは違う涙が、私の目から流れた。
 私、全然だめだ。
 だめな主人だ。
 時雨さんに甘えて、無理させてた。
 こんなことになるなんて、知ってたら。無理やりにでも休んでもらうんだった。

 ランド・ハーピーの爪が、時雨さんの足にかすって、また血が舞った。
 よく見ると、時雨さんはほほやわき腹にも傷がついてる。ランド・ハーピーは、特にけがした様子はないのに。
 押されてるんだ。
 私のせいで。

 足から力が抜けて、がくんと膝をつきそうになる。

「あいね!?」

 その膝を両手で押さえて、私はもう一度立った。
 今ここで、泣いてしゃがみこんじゃうのが、一番いけない。
 なにか、私にできることをしないと。
 手の甲で涙を拭いた。
 人間の私が、足手まといにならずに、時雨さんを助けられる方法を考えないと。
 できることなら、今すぐ時雨さんのそばに行って協力したい。でも、ただ飛び出すだけじゃだめだ。

「はっはあ……しぶといなあ、吸血鬼!」
「お前こそ、もうばてたのか!? 動きに鋭さがなくなってきてるね!」

「おのれ、減らず口を……む?」

 宙に浮かんでたランド・ハーピーが、またこっちを向いた。
 その顔がにやっと笑う。

「はっはっは! やはり先に、その小娘どもを仕留めてやるかあ!」
「なっ!?」

 ランド・ハーピーの体が私たちのほうに向き直って、ぎゅんっと加速してきた。

「きゃああっ!?」
「あいねさん! マリカ殿!」

 でも、ガルちゃんも素早く動いてくれて、もともと距離もあったから、これならランド・ハーピーの攻撃をかわせそう。
 でもその時、ランド・ハーピーがくるっと後ろ――時雨さんのほうを向いて、足を振り上げた。

「なに!?」
「ははっ、そう来ると思ったよ! 貴様のような甘い怪異は、追いかけて来ずにいられないよなあ!」

 私たちを助けるために全速力で飛んできてくれてた時雨さんは、ランド・ハーピーの不意打ちに気づいても、体がかわしきれそうにない。

「くそっ――」
「もう遅いわ、くらえ吸血鬼!」

 私は思わず、ガルちゃんの背中から飛び出そうとした。
 でも、ランド・ハーピーまでは何メートルか距離があったし、私が精いっぱいジャンプしたって届くわけない。
 長い鉤爪が時雨さんの頭に振り降ろされるのが、スローモーションみたいにゆっくり見えた。
 やだ。
 絶対、そんなの、だめ。
 サッカーボールくらいの青い塊が、時雨さんのおなかに横から思いっきりぶつかって、時雨さんが真横に吹っ飛ぶ。
 ランド・ハーピーの爪は、そのせいで空振りした。
 時雨さんが屋上にごろごろと転がった。
それから体を起こして、あっけにとられた顔をしてる。
けがはしてないみたい。よかった。

 よかった。
 私は胸をなでおろす。
 ほんとによかった。時雨さんが無事で、ほんとに……

 ……あれ?
 今なにか、おかしなことが起きたような……?

「キエロ!」

 私のすぐ横で、マリカちゃんが叫ぶ。
 キエロ? って、マリカちゃんと仲良しの怪異? 確か、ブルー・キャットっていう……

「あっ!? えっ、猫!?」

 見ると、時雨さんとランド・ハーピーのちょうど真ん中のあたりに、真っ青な猫が堂々と座ってた。
 今、時雨さんに激突したのと同じ青色だ。
 あ、あれ!? あれがキエロ!?

「あたし、家で寝てるように言ったのに……なに出てきてんのよ! いや、よくやったけど! ああもう、さすがあたしのキエロ!」

 ランド・ハーピーがちっと舌打ちする。

「はっ。なにかと思えば、この間撫でてやった猫の怪異か……。引っ込んでおればいいものを。貴様ごときが出てきて、なにができる」
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