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「赫の王」との闘い2

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 兵たちは寝入っていた。
 敵地にあって、警戒していなかったわけではない。ただ、自分たちは腕力において南信州の妖怪を圧倒しているという自負も、少なからずあった。起き抜けでも、対応できないなどということはない。
 北側に見えた川――表でいう阿智川――をいたずらに渡らず、その南側に柵を設け、簡易ながら土手も設けた。
 これで備えは充分だ。阿僧祇も、ほかの兵たちもそう思った。
『赫の王』軍の六士の残りは、阿僧祇、その弟の載、知多ちた阿賀祢あがね、オロソギという。
 前軍には、阿僧祇と知多がいた。後軍には、載と阿賀祢。中軍の恒河沙の傍らに、オロソギ。
 正直なところ、自分と載以外の五匹は、腕力任せで考えが足りない。それが、阿僧祇の悩みの一つでもあった。だから兄弟三人が、前・中・後軍に分かれて配置されている。
 だが、妖怪の戦というものは、その大部分が勢いで決まる。強力な妖怪が全線で敵をなぎ倒し、後の者がそれに続く。基本的に、敵の大将を倒してしまえば勝負ありだった。そして、六士にはそれを手っ取り早く実現するだけの力がある。
 ただ、赤炎郎を倒した妖怪というのがどうしても気になる。それを調べるために幾度か放った斥候が一匹も戻ってこない。捕らえられ、恐らくは始末されているのだろう。諜報よりも実戦闘力のほうがずっと重要だというのは、『赫の王』陣営の末端に至るまでの共通見解だが、敵はそうではないらしい。
赤炎郎の部下から、『赫の王』軍の陣容も聞き出しているかもしれない。
どうやら、情報戦に対する意識には彼我で大きな差がある。この情報量の差がどう出るか、阿僧祇には払拭できない懸念だった。
 そんな時に。

「なんだ、あれは!」

 兵士たちの声がした。
 阿僧祇が声のもとへ出ていくと、そこにいた狸の妖怪が、北東を手でさした。

「あちらから、煙が上がっております!」
「なんと。火攻めか?」

 裏世界では、煮炊きや入浴のために火を起こすことはほとんどない。人間と違い、生活のための火による失火というのは考えにくかった。
 少数の南信州勢が反抗してくることを考えると、必然的に、放火戦術に考えが至る。
 阿僧祇が叫んだ。

「物見をやれ! あれが火攻めであれば――いや、十中八九そうであろう! 敵の数と内容をつかんで参れ!」

 はっ、と叫んで、たちまち十数匹の小柄な妖怪が火のほうへ向かう。
 煙の様子から見ると大した規模の火ではないし、火元はまだここからは数キロは離れた地点だろう。
 だが、これまでにないなにかが起きる。阿僧祇はそう予感していた。



 阿僧祇の放った物見は、そのほとんどが、もとの陣に帰ることはできなかった。
 この物見らも、斥候と同じで、『赫の王』の軍にあっては、落ちこぼれのような扱いを受けている者たちである。おしなべて士気は低い。
それを、伊織以下のカマイタチが山に伏せ、手当たり次第に転ばせた。そして、同行している犬妖たちが刀を抜き、たちまちとどめを刺してしまう。
犬妖の刀――牙――は、太刀と脇差の中間くらいの長さで、殺傷力はやや低いものの利便性と小回りに優れていた。
『赤の王』軍は、この後最後まで、霧風軍の本当の陣容を知ることはなかった。
 伊織は、茉莉の指示通りに、物見を全滅はさせず、あえて三匹ほどは無傷で帰らせた。
「我らは南信州の総力を挙げて集めた軍、その数は千を数える。今、貴様らの先遣隊との戦いで、火攻めをもってまずは圧勝せしめた。いざ勝負せよと、大将に伝えよ」と宣言して。

 千哉率いる第二軍は、すでに大きく先行し、『赫の王』軍の後軍の背後に回りつつある。
 第一軍と第三軍もそれぞれ別の動きをする予定だが、この時はいったん合流していた。
 その中で、成家が慌てた様子で茉莉に食ってかかった。

「マツリ殿おおおお! わが軍の軍師は、あなたでありましたなああ!? 先ほど山中に火を起こさせたのは、あなたですかなああ!?」
「はっ、はいっ!? そ、そうですっ!」

 女の足では行軍についてこられないだろうということで、茉莉は、黄色い体色をした鹿の怪異の背に乗せてもらっていた。一応鞍とあぶみと手綱はつけてもらっていたが、この朔日ついたちという鹿が人を乗せるのを大の得意としているとのことで、そうでなければとうに振り落とされていたかもしれない。
 その朔日の上で、両肩を跳ねさせておののく茉莉の前に、切風が立つ。

「なんだ、成家。なんか文句あんの? 言っとくけど、朔日は毒持ってるからな。下手に茉莉にちょっかい出したらその目ん玉舐め上げさせるぞ」
「文句があるともお! よいですかなマツリ殿、つい最近まで人間の少女として日々を送り、戦のなんたるかをご存じないあなたが、けなげに奮闘しておるのは重々承知! 時には失策もあるでしょう! しかしこれは見過ごせません、名宰相として見過ごせんのですわあ!」

 ぶんぶんとかぶりを振りながらそう言う成家に、切風が「いつどこの宰相になったんだ?」と突っ込むが、まるで聞こえていないようだった。

「よいですかな!? 我々はこれから、『赫の王』の軍に奇襲をかけるわけです! で、奇襲とは、大前提として敵に気づかれてはならんのです! 敵に露見した時点で、それは奇襲としては失敗! 不意打ちになっておらず、戦う前からすでに軍略が破れておるのですよ! 愚か! なんと愚かな! これは兵法の基礎! わしのような戦術の専門家からすれば、この上ない愚行でありますぞおお!」
「そ、そうですね。そう思います。普通は」

「そうですねえ!? こともあろうに、火を焚くとはどういうおつもりですかな! これで我らの進軍は敵にばれてしまいましたぞ! ……ん?」

 そこで成家が、一度言葉を切った。それから、「普通は、とは?」

「今回に限っては、なんですけど。私たちの進軍が、先に敵にばれたほうがいいんです」
「……なぜゆえに?」

 切風が、成家があまりにうるさいので両耳をふさいでいた手のひらを下ろし、
「戦術の専門家だってんなら、ちっとは自分で考えろよ。ワタヌキの話じゃ、多少知恵の回るやつが敵の先陣にいるらしいじゃん。そこへおれたちが攻めてきてることが知れれば、なにが起きるか。ま、おれもえらそうなことは言えねーけど。情報戦、……これほどのものか」

 切風が茉莉を見て、にやりと笑った。
 茉莉はうなずいて、「みなさんのおかげです。それに、まだ成功してませんよ。ここからです」と顔を上げ、これからの展開を思い浮かべてうるさく鼓動し続けている心臓を落ち着かせながら、成家に告げた。

「ここから、第一軍と第三軍は分かれます。切風さんと私が、みなさんに次に会う時は、……決着がついた時です」



 阿僧祇のもとに、三匹の物見が戻った。早口でつっかえながらしゃべるので、いらだたしさのあまり、思わず薙ぎ払いそうになったが。

「なに、千。そう言ったのか、敵が?」
「は、確かに、そ、そのように」

「それで、本当に千もいたのか」
「は、ち、ちらりと見ただけでしたが、確かにそのくらいはおったかと」

 もちろん、これは茉莉の指示で、わざと多勢であるように見せている。
 阿僧祇は思案する。今までは百匹も群れて来なかったのが、いきなり千とは。
南信州の妖怪を、敗残兵合わせかき集めれば、ありえない数ではない。
こちらは慣れない道を行軍して陣まで張り、多少疲れている。
 わざわざ奇襲してくるからには、そしてそれをわざわざ言ってくるからには、相応の準備をしてのことだろう。
 敵は、この一戦にかけてくる。
 逆に言えば、ここでその千を倒してしまえば、南信州はもらったも同然だ。そこで橋頭保を築けば、その後、北へ向けて攻め上がるのもかなりたやすくなるだろう。
 山深く、多くの霊地を抱え、強力な神も住まう信州。それが、もう少しで手に入るところまで来ている。
 必勝を期さねばならない。

「おい。誰か、中軍へ伝令を出せ。旗本を十匹と、兵を五百借りてこい」

 阿僧祇にそう言われたむかでの妖怪が、「旗本十匹と、兵を五百もでございますか? この前陣だけでも千五百おりますのに」と首(むかでなので分かりにくいが)をかしげた。

「念のためだ。この一戦、辛勝ではだめだ。圧倒的に、やつらを蹂躙して勝つ。妖怪は火を恐れる者が多いが、やつらは火攻かこうを苦にせんようだ。恐らくそれで兵数差を埋めるつもりだろう。向こうに半端な戦力を残して蹴散らしただけでは、また終結されるとやっかいだからな。一兵残らず皆殺しにするつもりでやれ」

 この時、阿僧祇は、千という数に気が行き、なぜわざわざ切風たちが先に火を起こしてまで奇襲を知らせてきたのかなど、気にもしなかった。
 また、先遣隊など前軍より先には出していないのだが、軍から勝手に突出した雑兵でも倒したのだろうと、その不自然さを追求することもしなかった。仮に追求したとしても、目の前の千騎という脅威に対応せざるを得なかっただろうが。
 これが、千という兵数と、炎を先に見せつけたことの効果だった。
 恒河沙は、弟からの要請を鷹揚に許諾した。
 これで、『赫の王』の中軍からは、千匹のうち五百の兵が減った。



 切風側の第二軍、千哉が率いる部隊は、『赫の王』軍のうち後軍の背後に到着した。
 身を潜めながらの行軍だったため、ほかの二軍よりもだいぶ早く犬神茶房のある本陣を出たのに、予定時間ぎりぎりの到着だった。
 この部隊には、人間は千哉しかいない。子供のころから怪異には慣れていたが、さすがに周囲びっしりを二百匹の妖怪に囲まれている状況というのは初めて体験で、
(こいつら、本当に僕の言うことをちゃんと聞くのか?)
 と多少不安にもなる。もっとも、指揮系統を守ることについては、切風たちが何度も何度もこの第二軍の兵士たちに言い聞かせていたが。
 切風のいる第三軍は作戦の要なので、武術達者な犬妖が多く配置されている。
 また、第一軍が瓦解してしまっても作戦は成り立たないので、こちらにも犬妖とカマイタチをはじめとした主力部隊が集められていた。信州の軍は動物の怪異が多く、鹿、猪、狸、狐、テン、カエル、トンボなど虫類、クマタカやハヤブサなどの鳥、蝙蝠、サンショウウオまでいる。また年経た植物の変化も加わっていた。これらを、伊織や成家、紺模様が率いている。
 一方で千哉の第二軍は、いわゆる幽霊や呪いの顕現のほかに、鏡や鉱物などの無機物、または霧や水、煙の怪異などの自然物が主力だった。実際の戦闘では、ほとんど戦力にならない面々である。
 だが今は、彼らこそが頼もしかった。
 千哉は周囲の怪異に「幻朧陣げんろうじん、始めるぞ」と合図して、印を切り、呪文を唱える。
唱えながら、取り出した水盆に、竹筒から出した水を張る。やがて、自ら白い煙が立ち上り、それが人の形を作り始めた。
一体、二体、三体――あっという間に、十体、二十体と増えていく。犬神茶房を囲んだ、幻の兵士たちだった。水が原料なので、触れれば砕け、強い風が吹けば霧散する。だが、これを鏡の怪異が合わせ鏡にしたり、水や煙の怪異が姿を似せることで、さらに無数の兵がそこにいるかのように見える。鉱物の怪異も、自身の上に幻影を出す能力を持つ者が多くいた。
また、あまりに一様な兵士ばかりだと幻だと見破られる可能性が高まるので、適当に幽霊の類を間に混ぜる。
二百匹ほどの第二軍は、やがて、千匹近い兵数を装った。
ちょうどその時、頭上に、大ぶりなカラスが飛んできた。ガア、ガ、ガア、と妙な鳴き方をする。
簡単な暗号になっているその声を聞いて、千哉がうなずいた。

「よし。切風たちと伊織たちが分かれて、伊織たちが敵の前陣ともうすぐ接触するぞ。おれたちも作戦開始だ」

 そう言って、千哉は周囲を見渡した。
 ふわふわとした幽霊や、物言わぬ鏡ばかりだったためにうなずきさえされなかったが、まあいいか、と千哉は前進を始めた。
 目指す先は、表世界で言う座禅草公園のあるところ――裏世界では、同じ程度の広さの空き地。
 そこに陣取っている、敵の後軍だった。



 後軍の実質的な大将である載は、己の役目を完全に果たしているつもりでいた。
 周囲に、物見などは走らせていない。もとより自分たちはしんがりなのだ。ここに敵が来るには、前軍と後軍を突破しなくてはならない。
 後背から攻められる可能性がないわけではないが、それをやるとすればこれまでに通過してきた土地土地で倒してきた勢力の、敗残兵ということになる。そもそも信州の妖怪の抵抗は散発的で、せいぜい数十匹といった規模であり、そいつらが再び来たとて警戒するほどの相手でもない。
 その載と、六士の一角である阿賀祢のもとに、兵士が注進に来た。

「なんだ、どうした」
「はっ。この地より南方に、千近い妖怪の群れが見えます。人の姿をしていますが、恐らくは信州妖怪かと」

「千!?」

 載は、阿賀祢と顔を見合わせてから、
「千。なくはない数字だが、そうだとするとやつらの全霊をかけた奇襲だな。しかし前の陣をどうやってすり抜けたんだ?」

 阿賀祢が答える。

「この辺りはやつらの根城ゆえ、抜け道でもあるのだろう。どの道、なぎ倒してしまえばよいこと。出陣しようぞ」

 載は舌打ちした。こうした命令系統の無視は、恒河沙の軍の中では珍しくない。
 誰もが腕自慢なだけに、自分が大将のように振る舞う。

「待て、阿賀祢。勝手を言うな。ただでさえここは慣れない土地で、この空き地には後軍のすべてが入りきらず、森の中に侍っている者も多い。このように見通しのきかない場所で、山中に突っ込むのは愚策だろう」
「……ならば、載殿はどうなさる。載殿は思慮深いのは結構だが、決断力に欠けるとみんな言っておりますぞ」

 もの言いたげな阿賀祢の目が鋭い。
 この熊は、あくまで仕えているのは『赫の王』こと恒河沙にであり、載にではないと、態度でものを言うところがある。載にすれば当然面白くないのだが、「もっとおれを敬え」と命令するわけにもいかない。
 目上の者が相手でも、おれはお前を見下しているぞという態度を平気でとる者がいる。そんな組織で本当にいいのかとは、載も思うのだが、腕力が全ての畜生の軍にあってはそれでいいような気もする。
 つまるところ、自分に至らないところがあるとも思う載と、思い上がれるだけ思い上がるたちの阿賀祢では、絶望的に相性が悪い。知多のようになれれば楽だろうな、と載は思うが、それだけはごめんだとも思う。

「みんなとは、誰と誰だ?」

 このくらいの釘は刺しておかなくてはなるまい。

「誰ということはござらんが、みんなであります」

 この程度の返答しか戻ってこないとしても。

「……そうだな。阿賀祢、お前の言うとおり、ここはやつらの土地だ。罠が張られている可能性もある。我らはゆるゆると進軍し、後詰めに、中軍から兵を借りてここにとどまらせよう。我らは千五百、敵が千ならば、地の利がないといえど油断せねば遅れはとらんだろう」
「ほう。兵はいかほど借りるので?」と阿賀祢。

「二百もいればよかろう。それに、旗本を十匹ばかりつけてもらえばいい。我らは敵をとり逃がしてここが奪われないよう、用心しながら進むのだ」

 伝令はすぐに中軍へ飛んだ。この時、載のいるところからは、遠いせいで北のほうの火煙が見えなかった。見えたとしても、載の動き方は変わらなかっただろうが。
 恒河沙は、またも鷹揚に――というよりも興味もないように――これにも許可を出し、載の望み通りに、兵と旗本が南へ向かった。
 これで、恒河沙の中軍は、六士のオロソギ以下、兵が三百、旗本が三十匹となった。

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