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初陣 赤炎郎との闘い2

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 切風が、剣に殺気を込める。
 赤炎郎の腕が、力を込められて膨らんだ。
 しかし。

「野良犬、と言うのをやめてください」

 茉莉の声が、二人の緊張の間に割って入った。

「……ああ?」
「茉莉?」

 赤炎郎だけでなく、切風も拍子抜けした声を出す。

「あなたに言っているんです。赤炎郎さん、とおっしゃるんですよね。切風さんの名前を知ったんですから、野良犬と呼ぶのをやめてください。そもそも、野良犬ではないので」
「……てめえ、なに言ってやがんだ? てめえにそんなこと言われる筋合い……聞くと思ってんのか?」

「筋合いは、ありませんよね。聞いてもらえるとは、思っていません。でも、私は言わなくてはいけない」
「てめえ、どうかしてんのか?」

 茉莉やめとけ、と言おうとして、切風は、茉莉の足が小さく震えているのに気がついた。
 よくよく聞いてみると、凛として聞こえた声もわずかに震えている。

「切風さんは、私の命の恩人です。その人が失礼なことを言われてそのままにしておくのと、かなわないまでも反論してあるのとでは、全然違います。それはよくない、と言う人がいることを、見せたいんです。これからお二人が殺し合うというなら、なおさら」
「……ほお。なぜ、なおさらなんだ? つまりよ――」

 赤炎郎の目が、ぐにゃりと笑った。
 茉莉がたじろいで、腰が引ける。それから急いで、改めて背筋を伸ばす。

「――つまりよ、おれが死んだら野良犬って呼びっぱなしのままになるからか!? いい度胸だなあ、煽ってやがったのかてめえ!」
「ち、違……」

 赤炎郎が茉莉に向かって目を剝いた。足がたわみ、跳躍の前兆を見せる。
 だん、という音と共に、赤炎郎が跳んだ。
 振り上げられた右腕が、まっすぐに茉莉に振り下ろされていく。
 しかし切風が、赤炎郎よりも数段速く跳び、一瞬で茉莉を抱きかかえて跳びすさった。
 空振りした己の腕に重心を崩され、着地した赤炎郎がたたらを踏む。

「あれあれー。おれとさしじゃなかったの、赤炎郎さんは」

 赤炎郎の小さな目は、赤みがかかっていた。それが怒りの表出なのだということが、茉莉にも分かった。その震える肩を、切風が優しくなでながら地面に下ろしてやる。
 うなりながら、熊の怪異は答えた。

「知るか。てめえら、まとめて殺してやる。さっき遠目だったが、てめえの刀はどうやらその女から生えるらしいな? てこたあ女をやればその刀も消えやがるんだろ? それからなぶり殺しにしてやる」
「残念。この剣は茉莉が生み出してんじゃなくて、茉莉の中に封じられてんだ。茉莉が死んだら、多分だけど、封印が解けておれの手に戻ってくる。逆に、なんの制限もなくなるんだな」

 え、と茉莉がすぐ横に立つ切風の顔を見上げた。

「そうかよ……やっぱり……先にてめえを殺しゃいいってこった!」

 再び赤炎郎が駆け出した。

「そうそう! そう来ないとさ!」

 茉莉を後ろに離れさせ、切風が迎え撃つ。片手で持った剣の先を斜めに下段へ下げた、独特の構えだった。
 両雄が接近し、再び、赤炎郎の右腕が振り上げられた。

「てめえの刀より、おれの腕のほうが長かろう! かいくぐれるもんならやってみろや!」
「そうだね。なんで、」

 熊の腕。
 切風の剣。
 二つが同時に奔る。

「まずはそれをもらおう」

 柳の葉が風に揺れるように、切風は力みなく動いた。
 だから茉莉は、最初、それが斬撃だとは気づかなかった。敵の攻撃をかわすためのしぐさだと思った。下段にあった剣が振り上げられたのを見てもなお。
 しかし、その一合で、赤炎郎の右腕は肘から切り飛ばされていた。

「……な……こん……がああああ!?」

 まずは違和感、ついで激痛が赤炎郎を襲った。

「見誤ったろ。ただの刀じゃない。おれの牙なんだよ。ところで、お前に訊きたいことがあるんだ、赤炎郎。お前みたいな部隊長が、『赫の王』の下には、ほかに何匹いる?」

「て、めえ……てめええ!」
「教えてよ。そうしたら、逃がしてやんないでもない」

「だ、誰が……逃げ……」
「まさかとは思うけど、お前、おれが怒ってないと思ってるわけじゃないよな? へらへらしてても、眷属と一つ屋根で暮らしたねぐらを好きにされて、前の仲間は奇襲で散り散りにされて、平気なわけないでしょ。これでも、すげえ譲歩なんだけど」

 赤炎郎は、不意打ちで左手を突き出した。
 右腕のように振るのではなく、踏み込んで突いてくる。
 これを、先ほどとほとんど同じ動きで、切風は切り上げて払った。
 赤炎郎の左腕もまた、肘から先が、宙を舞って落ちた。

「ば……かな……」
「何匹?」

 切風が、剣先を、赤炎郎の鼻の前にぴたりと定める。
 さっきまで血走っていた赤炎郎の目から、みるみる戦意が萎えていくのを、茉莉は目にした。

「ご……五匹……」
「ふーん。六匹もお前みたいなのがついてんだ。厄介だこと。確認なんだけど、お前ら『赤の王』が攻めてきてんのって、南信州だけなんだよね? つまり、西やら北やらから攻めてきてる連中は、『赫の王』とは関係ないと」

 がく、と赤炎郎がうなずく。

「てことはやっぱり、『赫の王』だけやっつけてもだめなんだな。他のやつらも全滅させないと。あー、結構骨だなー」

 頭をかいた切風が、ふっと脇見した。
 あっ、と茉莉が声をあげる。
 吠えるでもなく赤炎郎が、またも不意打ちに、くわっと剥いた牙を切風に浴びせかかった。
 その目には再び闘志が燃えている。

「そうだ。お前らは、前足がなくなればそれしかないよね」

 いつの間にか、切風が上段に構えていた。
 夜空に突き立った、空よりも黒い剣が、真下へ閃く。

「『赫の王』以下、残り五匹!」

 だんっ。
 切風の牙は、赤炎郎の頭を唐竹割にした。
 後頭部までどころか、背中の一部まで届く傷を大きく開かせ、赤炎郎は絶命した。
 傷口から、黒い灰が表れては消えていき、その度に赤炎郎の体も雪が解けるように減じていく。

「さて」と切風が茉莉へと向き直る。「ごめん、怖い思いさせて」
「い、いえ……あの、この赤炎郎っていうヒト……魏良さんたちを一蹴したっていう妖怪ですよね?」

「そだね」
「切風さんって……そんなに強かったんですね……」

「ま、王ってだいたいこんな感じだと思うよ。自分で名乗り出すやつもいるけど。もともと日の本最強の七王ってのがいて、それにならって呼ばれ出したらしいけどさ。一対一で戦うなら、王って呼ばれてるやつが、そうでないやつに後れを取ることはないと思う」
「ということは、『赫の王』っていうのも……」

「おれ以外のやつをぶつけるのは、賛成しないかなー。あっ」
「どうしました?」

「あいつら」

 遠巻きに見ていた、雷蘭、伊織、そのほかの郎党たちが、一斉に歓声を上げながら切風に殺到してきた。

カラスの姿だった雷蘭は空から舞い降りる途中で人間になり、「切風様! さすが!」と叫んで着地した。
伊織はぶんぶんと尾を振って、切風に「危ねーな!?」と言われ、慌てて両手で尾を押さえた。
森の奥に引っ込んでいた犬妖たちも続々と出てくる。

「切風様、お見事!」
「マツリ殿の策、見事図に当たりましたな!」
「人のおなごでありながら、なんという軍略家振り! 感服いたしました!」

 茉莉は目を白黒させながら、なんとか答える。
 人間にすらこんなにも声と視線を浴びせられたことはないのに、妖怪に囲まれて褒めそやされる日が来るとは、思いもしなかった。

「は、はい、え、あ、ど、どうも……!? で、でも凄いのは、やっぱり実働部隊のみなさんでして」
「奥ゆかしい! お人柄もご立派であらせられる!」
「切風様だけでなく、このような俊才が我らに加わってくださるとは!」

 延々と続く賞賛に、切風手の中の剣を消してばんざいをした。

「分かった分かった。いーから、とりあえず、久し振りの我が家に戻ろうぜ。あの中には、……」

 切風が、鼻を鳴らして真顔になった。

「においからして、あんまり、楽しくねえもんがある気がするしさ」

 一行は、犬神屋敷の扉をくぐった。
 さすが勝手知ったるというところで、めいめいが中を探索していく。
 玄関(人間の家を模しているがさすがに靴箱はなく、みんな土足で上がるので、茉莉もそうした)を上がると、居間らしい大部屋や、台所らしい土間が見て取れた。
 そういえば妖怪の家ってトイレとかあるのかな、なかったら私どうしよう……などと茉莉が考えていたところ。

「あっ!」と伊織が声を上げた。
「……いたか?」と切風がそちらへ向かう。
 そこは、土の上にかまどや流しが並んだ、台所だった。
 薄暗い隅に、大きな体が横たえられている。猿にしては巨大な、しかし猿としか呼べないその体躯。
 茉莉もそこを覗き込み、「山次、さん!」とその妖怪の名前を呼んだ。

「ち……そいつ、あの、小娘か……。恥をさらしたな……」

 一度は殺されかけた相手になんと声をかけていいか分からず、目を泳がせていた茉莉は、それを見てしまった。
 山次の足先が、黒い灰になって朽ちていっている。思わず、茉莉は切風を見た。切風は首を横に振る。

「へ、参ったぜ……どうやら切風、お前気が変わったみたいだな……なのに、共に戦えんとはよ……」
「おれ一人いりゃ、信州の護りは充分だよ。お前なんていたっていなくたって」

「こいつ。……魏良は、逃がした……手傷を負ってるだろうが、生きてるはずだ……」
「あー。絶対見つけて、合流する」

「おお……ほれ、お前ら、安心しろ、切風がああ言って……」

 山次はそう言って、体をよじった。その視線は土間の隅に向けられたが、そこにはなにもいない。
 いや、よく見ると、黒い灰が少し、うずたかく積もっていた。位置からして、山次のものではない。
 その意味を察して、茉莉は息をのんだ。ここには、山次だけが押し込められていたわけではなかったのだ。少なくとも、つい、さっきまでは。

「くは……根性のねえやつらだ……おい、切風……」
「あんだよ」

「牙を……剣を、持ってくれ……見せてくれ……」

 切風が茉莉を見た。
 茉莉はうなずいて切風の横に立つ。
 その腹から、黒い剣がせり出してきた。
 右手でそれを持った切風が、逆手になかごを握って二三度刃を翻す。

「おお……それだ……それが見たかっ……なぜだ、なぜ……もっと……早く」
「悪い」

 切風は顔色一つ変えないが、その声にはわずかに震えが混じったのを、茉莉は聞き取った。

「そうすれば、お前と、わしと、二人で……どんな敵も……わしら……一緒に……」

 そこから先は、声がかすれて茉莉には聞こえなかった。
 山次の体は、足から胴を経て、頭までもが黒い灰に変わった。山次は消えた。

 しばらく、誰も言葉を発さなかった。
 切風が再び剣を手から消し、台所の端の窓を開けると、山次たちの灰はそこから吹き込んだ風にまかれて消えた。

「さて、と。少し手を入れりゃ、すぐ使えそーだな」

 わざとらしく明るい調子で、切風が言う。

「使う? なにをですか?」
「なにって、この炊事場だよ」

「なににですか?」

 再び茉莉が訊くと、切風は笑顔で答える。

「茶と菓子の支度に決まってんだろ? 祝杯と、献杯にさ」

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