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Pseudo fathers with desires
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しおりを挟むその女子生徒は、体を売ったことはなかった。
アプリで募集した客たちに売ったものは、ただ、「女子高生」と過ごす時間。
歳の離れた男性と、カフェで飲み物を一緒に飲んだり、軽い食事をしたり。
その合間に、軽く体が接触することはあったが、気づかないふりをした。
まともに取り合えば、その先が展開してしまう。
気づかないことで、なかったことにして、何事も起こさずにその場をやり過ごしていた。
その土曜日も、彼女は、三十代後半と思われるサラリーマン風の男性と、下町のカフェで会っていた。
午後三時、店は空いている。
店員からは、自分たちはどう見えているんだろうと、彼女は頭の隅でちらりと考えた。まあ普通に、パパ活してる女子高生とその客か。今時珍しくないだろうし、こういうの。
「わあ、かわいいね。僕が君くらいのころ、そういう感じの服装が好きな子から告白されたんだよ」
何十年前の話ですか、と言いたくなるのをこらえて、彼女は
「あ、分かるかもですー。ヤマダさんの雰囲気って、そんな感じですよねー」
と微笑んだ。
会話には、なるべく中身がないほうがいい。意味のある言葉は、客の感情を刺激してしまう。
客の男たちは、ある程度より上の年齢になると、大人というよりも彼女と同じ学校の先輩のように扱われることを喜ぶことが多い。
そういう手合いは人生の先達として敬われるより、若い人たちと同じ価値観を持ち、同じ場所に溶け込めることを喜びとする。
彼らは、女子高生の父親役ではなく、その気になれば高校時代と変わらない振る舞いのできる、現役の男なのだと表明したがる。
どう頑張っても「学校の先輩」とは思えないほど老けた彼らに、しかし、その現実を突きつけてはいけない。
同時に、結局、深層意識では客たちは、知性において女子高生を圧倒的に上回っている自信を持っている。
彼女はまだ始めて間もない「仕事」の中で、すでにそう学んでいた。
いくら理数系であることを誇っている客がいても、彼らに対して、現役で学校で習っている数式や物理法則について話題にしてはいけない。慢心している彼らでは、現役高校生にかなわない。
彼らのプライドを傷つければ、その影響は報酬の額の低下という形で跳ね返ってくる。
「ヤマダさんて、女子のポイント見る目が優れてる感じしますよねー。私、自分のことでも、ヤマダさんに言われて思わずハッとしちゃうこと多いですよー」
「おー、ありがとー。それが分かるなんて、マキちゃんて地頭いいっていうか、頭の回転が速いんだね。そうでない子は、なに言われてもぽかんとしてるからー」
この、地頭がいいとか回転が速いとかいうのは、女の子をそう持ち上げましょうと、誰かに習うんだろうか。
そう思えるくらい、彼女はこの手の誉め言葉をもう何度も投げかけられていた。
いつも通り、内容のない笑顔で応える。男は喜ぶ。このやり取りのどこに、頭の良さがあるのだろう。
客の男がしゃべり続ける。
彼女は、「本当ですか」「そうなんですか」「すごいじゃないですか!」のローテーションだけで、最低限のカロリー消費で会話を成立させていた。
彼女はもともと話術が巧みなほうではない。できる限り、男のほうに饒舌になってもらったほうが、楽しんでもらえるし自分の負担も少なくて済む。
客が聞きたがる彼女の話といえば、好きな芸能人とか趣味や勉強の話ではなく、プライベートな個人情報だった。
だからこそ連絡先はもちろん、住んでいるおおよその地域も決して教えない。それは彼女なりに徹底していた。
彼女がこの「仕事」ができるのは、主に土日。
家が学校から離れており、通学だけでそれなりに時間がかかるので、母親や妹に怪しまれない程度の時間を外で過ごせるのは、休日だけだった。
放課後に制服姿の彼女と会いたがる客は少なくなかったが、そうした客には特に危ない気配を感じたので、彼女は制服では仕事に臨まないことにしている。
普通のアルバイトをしないのは、単純に、かかる時間に対して時給が安いからだ。家族には、レストランのホールスタッフをしていると言ってあるが。
高校生活は三年間しかない。その間に、進学費用のため、まともな時間に帰宅しながら母子家庭に負担をかけない程度の金額を稼ぐには、グレイゾーンに――それでも限りなく白に近いところにいようと心が得ていたが――踏み込むしかなかった。
わずか数ヶ月で、世間並みの高校生として望むものならたいていは買えてしまうだけの金額が現金で彼女の手元にあったが、これは物欲や刹那的な欲求を満たすためには一円たりとも使うつもりはなかった。
その欲望に負ける時は、白側から大きく黒側へ踏み込んでしまう時だと彼女は思った。
高校を卒業した後、やりたい仕事や、行きたい大学が見つかった時に、金銭面を理由にあきらめたくない。
それだけの理由でこの「仕事」をしているのだから、必要なおおよその金額も使い道もおのずと決まっている。
そこから外れれば、極端に強い意志力があるわけでもない自分は、どんどん道を踏み外してしまうだろうという自覚はある。
客と会うのは、真昼間か、遅くても十七時まで。どんなにスカートを望まれても服装はパンツスタイル。首から上と手足以上の露出はしない。それで難色を示す客とは会わない。
それが彼女のグレイゾーンへの線引きだった――有効なものかどうかは彼女にも分からなかったが。
特に時間は厳守して、予定の時刻になったらなにをどう言われようが帰ることにしていた。
客の中には、そうさせないよう、あの手この手で別れの時間を引き延ばそうとする者もいる。
六時半にならないと開かない店がある。日が落ちると夜景がきれいなんだ。涼しくなって、動きやすくなるまで待たない? ――自分のような子供にどういうつもりなのか、言い訳に手が込んでいると思えば思うほど、彼女は冷めていく。
基本的には、「門限なので」の一言で振り切れる。
この日も、ヤマダとはおしゃべりしているだけで一時間以上が経過し、十七時が近づいていた。
あらかじめ提示しておいた金額も、時間も、予定通り。それで済んでくれれば、なんの問題もない。なのになぜ、食い下がる人たちがいるんだろう。いつも彼女はそれを不思議に思う。
「じゃあ、ヤマダさん、あと三十分くらいで時間ですけど、ここでお話して終了って感じでいいですか?」
ヤマダと名乗るこの客とは、もう三度目になる。
これまでは紳士だった。
ずっとこの調子でいてくれるなら、問題なく会い続けるだろうと思っていたが。
「ああ、んー」
あ。
彼女は不穏なものを感じ取る。
客の返答というのは、イエスの即答でなければ、すべてノーであって、保留や中間はない。
「実は、マキちゃんのためにちょっと企画したことがあって。ちょっとだけ時間もらえないかな」
ここで、ちょっとって何時ですか? などと訊けば、駆け引きが始まってしまう。きっぱりと切らなくてはならない。
「ごめんなさい、門限なんです」
「ちょっとくらい大丈夫だよ。まだ九月で、明るいしさ」
この大丈夫という言葉が、彼女はこの仕事を始めてから、大嫌いになっていた。
大丈夫なことなどこの世になにもない。すべての事象はいつでも起こり得るし、どんなに大切なものでも次の瞬間には失ってしまい得る。
だから約束の終了時間になっても「まだ大丈夫だよね?」などと訊いてくる客は、底抜けのばかに見え、ひっぱたきたくなる。
おかげで、転校しての登校初日の前日、母親に「明日の準備はそれで大丈夫?」と訊かれた時にまで、危うく「大丈夫なわけないでしょう!」とかんしゃくを起こしそうになった。
「ごめんなさい、時間で決まってるので、帰らないと」
「じゃあ、後で送っていくから。ならいいでしょ? ね、ちょっとだけ」
こういうことはよくある。このあたりから、会話が成立しなくなっていく。
約束を守れない男の人に家まで送ってもらいたいなんて人間が、いるわけがない。しかも、パパ活の相手に。
だめだからだめだと言っているのに、「ちょっと」なら許されるはずだというように連呼してくるのも、意味が分からない。
客はそれぞれ千差万別で、いろんな人がいることくらいは彼女も分かる。
しかし、パパ活の客が十人目を超えるころには、さすがに、思い知らされざるを得なかった。
どの客も、どんな言葉や約束を交わして会い始めたとしても、最終的には女子が体を許してくれるものだと思っている。なぜか、心の底ではそう信じている。
そのために、時間や、手間や、相応の金額がかかるが、彼らは最後の目的のために耐えている。
だから、想定外の期間と出費を経ても思った通りにことが進まないとなると、いきなり我慢の限界を迎えることがあるのだ。
今が、ヤマダのそれかもしれない。
「あはは、だめですよー。ちゃんと約束はきれいに守らないと」
「約束はしたけどさ、こういうのは対人間じゃん。人間て、気持ちの生き物じゃん。お店とか通してるのと違って一対一なんだしさ、ここは気持ちだよ、君の気持ち」
ここからの軌道修正は困難だ、と彼女は悟った。
これはもう、お金をあきらめて帰ったほうがいいかもしれない。
そう考え始めた時。
「じゃないと、家までついてくよ」
ぞくりと背中が震えた。
分かっている。自分がやっていることは、こういう時に誰も助けてくれない、それどころか痛い目に遭ったほうがいいという人も大勢いる行為だ。
いくつかの対処法はネットで調べてある。しかし、いざ目の前に迫る脅威に、思考が飛びそうだった。客は今この瞬間、彼女に怒鳴ることもできるし殴ることもできるのだから。
それでもかろうじて、とにかく舐められないことが大切だという原則だけは思い出し、ポーカーフェイスで答える。
問答をすれば、同じ土俵に上がってしまう。こちらの要求を明確に述べて、相手の話は取り合わない。ただし、逆上させないように。
「門限があるので、もう帰らないといけないんです。今日はありがとうございました」
ゆっくりそう言ってから、なだめるような笑顔を浮かべる。真顔から笑顔へ、客への冷却材は、メリハリがあったほうが効きやすい。
やっぱり、お金はあきらめよう。彼女はそう決めた。必ず報酬が手に入るとは限らない、ということも、この仕事を始めた時に覚悟はしていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。十七時までまだ二十分以上あるじゃん。約束違反でしょ、そっちのほうが。それは通らないよ、約束、ほら、約束」
こみ上げる嫌悪感に耐えて、言う。
「約束を守っていただけるなら、予定の時間までお話ししましょう。でもそれがだめなら、帰らないとです」
「帰るんならお手当あげないよ」
「仕方ないですね、それも」
彼女は、練習してきた、寂しげな笑顔を浮かべた。
どのみち、報酬を人質にとったような交渉にはのらないつもりで今までやってきた。その時点で、相手がやっていることは脅迫なのだから、応じればつけあがらせるだけだ。
高校一年生にして、ずいぶんかわいげのない女子になったものだと、彼女は胸中で苦笑した。
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