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第一章 ずっとずっと好きだったけれどもういけない
きょうだいだから1
しおりを挟むそれからしばらく、代り映えのない日々か続いた。
九月の半ばを過ぎ、まだ残暑は頑張っているが、少しずつ気温は落ち着いてきている。
この頃は秋が短い、と大人たちが言っているのを、海は何度か聞いていた。しかしいつと比べての「この頃」なのかは海には分からなかったし、変わっていくほうが自然なのだろうと思った。
「おはよう、青四季くん」
「あ、うん。亜由歌、おはよう」
平和な毎日だったので、つい気が抜けて、教室でそんなふうに応えてしまった。
亜由歌はあっという顔をして、周囲のクラスメイトがにわかに色めき立つ。
「えっ!? 青四季くん、今、鮎草さんのこと下の名前で呼んだ!?」
やたらと声の大きい一人の女子がそういうと、騒ぎは教室全体に及んでしまう。
「えっえっ!? どういうこと!? 二人、つき合ってんの!?」
なぜかとても嬉しそうな顔でそう言ってくるクラスメイト達を前に、海は、逆に気持ちが冷え冷えとしていく。
海は、この手の論法が苦手だった――というより、大嫌いだった。二人が了承し合っていれば、どんな呼び方をしようが自由だろうに、なぜか全然関係ない人間が首を突っ込んできて、その二人の間柄を邪推する。
亜由歌を見ると、顔を真っ赤にしていた。
迷惑をかけた、と胸中で舌打ちをする。
務めて冷静な声で、海は、ゆっくりと言った。
「いいや。そういうわけじゃないよ。ただそういう呼び方をしているだけだ。つき合ってはいない」
「えー! 嘘だー!」
先ほどの女子が、大きな口で嘘だと叫ぶ。なぜだ、と海は頭痛がしてきた。
「嘘を言ってどうする。ほら、戻った戻った」
「えーでもさ、結構仲いいってことでしょ、二人!」
「仲は……」海はちらりと亜由歌を見て、「……いいと思う。出会ったことに感謝しているし、敬意も抱いてる。女子の中では一番気が合うと思ってるよ」
「えっ」と、亜由歌が声を上げた。
しまったかな、と海は思ったが、本当のことだから仕方がない。
「えーじゃあさ、鮎草さんのことかわいいとは思ってる? もちろん女子として」
この質問に答えることは、あまりに容易だったので、海は即答した。
「思ってる。凄くかわいいよな。亜由歌をかわいいと思わない人間も、それは探せばいるんだろうけど、個人的にはそいつ眼科行ったほうがいいんじゃないかって感じだ」
わああ、と女子たちがのけぞった。
男子たちは、なにやら嬉しそうな、複雑そうな顔で、一歩下がっている。
「えーだったら、鮎草さんは顔も中身もいいってことじゃん!」
「そうだ」海はうなずいた。頭の片隅で、この子は最初にえーと言わないとしゃべれないのかなと思いつつ、「それは疑いないだろう?」
今の今まで喧騒にあふれていた教室が、静まり返った。
よく分からないが、一件落着したのか? と海が状況を把握しようとしていると、亜由歌が、
「わ、私……席着くね、あ、ありがとう、……カイ、くん」
と言ってよちよちと歩き出した。
その顔は、トマトのように赤い。
おれもそうするか、と海が自分の席に座ろうとした時、誰かの声が聞こえてきた。
「え、……あの二人、あれでつき合ってないの……?」
亜由歌がおれなんかとつき合うわけがないだろう、と心の中だけで毒づいて、海は椅子に腰を下ろし、一時限目の教科書を取り出した。
・
その日はどうも一日、クラス中がぎくしゃくしていたように思う。
ようやく放課後を迎え、この日は特に陽菜や杏子との約束をしていなかった海は、まっすぐに家へ帰ってきた。
「ただいま」と、返事が来ることを期待せずに言って玄関のドアを開けると、エアコンの利いた空気がそよりと流れてくる。
なるみがリビングにいた。
なるみは一人でいる時は毎回鍵をかけるので――以前は鍵をかけない主義だったが、親からよくよく注意されて施錠するようになった――、ドアを開けて靴を見るまで、いるのかいないのか分からない。もっとも、平日ならば昼間は基本いないが。
「あ、お帰り」
「あれ姉さん、仕事は? 今日平日だよな?」
「この間あたし休日出勤したから、代休。問題ないでしょ」
「……いや、あるよ」
ちょうど冷蔵庫から出した麦茶のボトルをグラスに傾けていたなるみは、ぎらりと海をにらむ。そのせいで狙いが外れ、床に麦茶が数滴こぼれたが、気にもしない。
だらしないのではない。拭けばいい、と思っているだけなのだ。海はそう胸中で勝手に弁護してやるが、姉がおおざっぱなのは否めない。
「なんでよ? あたしが家にいたらなにがいけないわけ?」
「恰好」
なるみは、レースはついているがあまり飾り気のない布面積の広い白いショーツに、上はグレーのタンクトップといういで立ちだった。一応ブラジャーはしているようだが。すらりとしながら優美な曲線を描く足は、当然、つけ根まで丸出しになっている。
なるみが高校生の頃、ミニスカートを穿きだしたので、親がもう少し足を隠せとよく注意していた(聞かなかったが)。あの時小学生だった海は、胸や股ならともかく足を出していたからなんなのだろうと不思議に思ったが、今は痛いほど理由が分かる。
「なに、あんたまたあたしに興奮してんの」
「またって言うな。興奮もしてない」
嘘ではなかった。自制心を総動員して、いやらしい気持ちになるのをどうにか抑えている。
なのに、なるみはグラスをテーブルに置いた。
床を拭きもせずに、海へと歩いてくる。
「なに……」
「女の子に悪さするなよ」
「してない」
「でも、たまるでしょ」
タンクトップの上から、なるみの胸の隆起が見て取れる。
下は、白い布地一枚向こうに、なるみの部分がある。
意識してしまうと、もうだめだった。
「あ、大きくなってきた」
「なってない」
「あんた、あたしに彼氏いるの知ってるよね。優しくて、めっちゃいい人」
「……知ってる」
「相手がいる女に、こんなになっちゃうんだ」
「なってない」
海は、同い年の人間が集まる中では、よく、大人びていると言われる。
少し年上の集まりに混じっても、一番年上に見られたりもする。
それがなるみの前では、幼い子供同然だ。自覚しているからこそ、悔しい。
なるみの手が、海の制服のズボンのジッパーを下げた。制服のベルトは硬くて嫌いだ、とそういえば前に言っていた気がする。その割には、ベルトもあっという間に緩めてしまった。
「姉さん、なにを」
「うるさい」
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