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第一章 ずっとずっと好きだったけれどもういけない
青四季海の奉仕
しおりを挟む九月最初の朝、青四季海は二学期の始業式に参加すべく、最寄り駅へと歩いていた。
残暑が厳しく、夜が明けて大して時間が経ったわけでもないのに、もう汗がにじみかけている。
千葉県の柏駅から、常磐線に乗って、学校へと向かう。入学したばかりの一年生ではなく、一部を除けばまだ進路と向き合わなくてはならない学年でもない、二年生という時間。それはとても貴重に思えたが、一学期はあっという間に過ぎ去ってしまった。
この春から夏にかけては、海にとって、自分としては大きな決断をしたつもりだった。少なくとももう、無差別に近い無防備さで体を売ったりはしない。相手は選ぶ。行為も選ぶ。
女ならともかく、男の自分の体にあんなに需要があるとは思わず、驚きながらもとりあえず「お客」の要望をできるかぎり満たしてきた。
「需要が思ったよりある? それはさ、君がその歳だからだよ」と、上得意だった三十代後半の女に言われた。「肌が違うもん、肌が。年齢は関係ないとかいうのは嘘だね、嘘。十代か二十代か、学生か勤めてるかで、値段全然違うの自分で周り見てて分かるでしょ? ……君、まさかだけど、少し大人びた中学生とかじゃないよね?」
その言葉とまなざしには、かすかに、期待がこもっていた。行為の相手が一歳でも若いことに価値を感じる人種というのは、確実にいる。それも少なからず。
値段の違い。確かに、海にも分かる。
海よりも美容に気を使っていて、生まれつき整った顔立ちをしている「先輩」でも、成人したとたんに、がくんとオーダーされる回数と金額が下がったという。彼は、
「今より十パーセント醜くなってもいいから、五歳若返りたい」
と言って泣いていた。
海にはできることがなく、なにも言わずに、詰め所になっている古くさびれた雑居ビルの四階を後にした。
もうそこの「事務所」とは縁を切っている。
嫌なことも苦痛なこともあったが、求められることへの喜びもあったのは否めない。ただ、決してそれに溺れてはいけないということも分かっていた。その耽溺を肯定することは簡単だけれど、後戻りできなくなれば、きっと失うもののほうが大きい。
満員電車から降りて、学校へ着くと、始業式はあっという間に終わった。
「青四季、今日おれらとどっかいかねえ?」
そう誘ってくれたのは、二年から同じクラスになった竹中というクラスメイトだった。愛嬌があり、友達が多そうだ。自分とは違う。
「ありがとう。でも、少し行くところがあってさ」
「そっかー、青四季って帰宅部なのに、なんかいつも忙しそうだよな。なんかやってんの?」
竹中の質問は、どれも非常にあいまいだった。あいまいなままでも他人と会話ができる。これは海にはない能力だった。自分には必要ないと思うのに、うらやましいとも思ってしまう。
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
「あれだろ、青四季、彼女だろ。青四季って髪の毛サラサラだし、顔かっこいいし、もてるよなあ」
よく、もてるだろうと言われる。
眉のあたりまで伸ばした前髪は、なんとなく額を露出する自分というのが間抜けだと思ってそうしたのだが、存外よく似合っているらしく、評判がいい。身長は、一年の時に百七十五センチを超えた。順調に育っているといえるだろう。
「そんなことないよ。彼女なんて、できたことない」
本当だった。特定の恋人を持ったことはない。恋人となんて決してしないだろうというような、はしたない行為しかしていない――そのくせ、妙に技術だけは身について、肝心なことはまだしたことがない。
「あとおれ、帰宅部じゃないよ」
「え、嘘、なにやってたっけ」
「華道部」
「え、まじで!? あの、花生けたりするやつ?」
「幽霊部員だけどね」
教室を後にする。
この日は部活はなかったが、部室に使っている和室にはいつも誰かしらが来ているので、たまには顔くらい出しておくことにした。部活がある日に顔を出すべきだとも思いはするが。
平屋の和室は、校舎の西側に、ぽつんと独立して作られている。
引き戸を開けると、上履きが三足ほどそろえて置かれていた。
「お疲れ様です」
「わあ、青四季くん! 久しぶり!」
中にいたのは、二年の女子が一人、一年の女子と男子が一人ずつ。
「夏休み挟んだからね。華道部は夏休み中の活動ないもんな」
「なに言ってんの、青四季くんは部活ある日でも来ないじゃん。どうしたの、今日は?」
「ああ、ちょっと顔だけ出しておこうかと思って。……ひまわり?」
三人の前には一つだけ壺が置かれ、小ぶりなひまわりが生けられていた。
「うん、季節的に最後かなーって。でも全然花器と似合わなかった。変でしょ?」
確かに、武骨でずんぐりした茶色い壺に、茎がやや細いひまわりは、花のほうが負けている。
「確かに、似合ってはいないかもしれないけど。でも、きれいなものを作ろうとしてできたものは、たいてい好きだよ、おれは」
おお、と三人が息を漏らす。
海にすれば、自分の体が汚いものだと感じているからこそそう思えてしまうようで、負い目に近い感覚ではあった。
「青四季先輩、そういうことよく言いますよね」
そう言ってきたのは、男子の後輩である穂楼閃人だった。名前が鮮烈なわりに男らしくない性格なんです、と自虐的な自己紹介をされた時のことをよく覚えている。
男らしいとからしくないとかは海にはよく分からなかった――男が男らしかったとしていいとも悪いとも思わない――が、閃人の場合、性格よりも外見のほうが、明らかに女性的だった。
つややかな黒髪を肩まで伸ばし、時々女子にからかわれて後ろを結ばれている。本人が嫌がっていれば助けようかと思ったが、当の閃人は全然気にしていないようなので、放っておいている。
「では、おれはこれで」と言う海に、
「えっ!?」と閃人が声を上げる。
「本当に顔出しただけじゃないですか!?」
「だからそう言っただろう」
くるりと背中を向ける海に、二年の女子が後ろから声をかけた。
「明日は例会あるからね、おいでよ」
振り向いて、たぶん、と答え、海は和室を出た。
なんのためにきたんだろうとは、自分でも思わないでもない。ただ、「普通の人」たちに会いたかっただけかもしれない。海は、自分が特別だとは思わない。ただ、異常ではあったというだけだ。
渡り廊下を歩いていると、知った顔が向こうから歩いてきた。
同じクラスの鮎草亜由歌だった。腰近くまで伸ばした黒い髪に、細いフレームの眼鏡。その真面目そうな見た目から、あだ名は、
「委員長、ばいばーい」
「はーい、ばいばい」
通りすがりのクラスメイトからたった今呼ばれたとおり、「委員長」である。
海は思わず、
「鮎草さんて、生徒会に入ったこともないのにな」
とつぶやいた。
それを聞いた亜由歌も、
「本当だね。いいんだ、慣れたから」
と笑う。
「青四季くん、今帰るところ?」
「まあ、そんなようなところ」
つまり、帰るところではないということなのだが。はっきり答えるわけにもいかない。適当に嘘をついてしまったほうが人間関係というのは円滑にいくのだろうが、海にはなかなかそれができない。
特に、亜由歌には。海の知る限り、彼女は誰にでも分け隔てなく優しく、穏やかな性格で、思慮深い。善良な人間だと思う。そういう相手に嘘をつくと、自分が救いようのない人間に思えて、ふさいでしまう。
「じゃ、また明日ね」
「ん」
すれ違いざま、亜由歌が、ただの同級生にするのよりはわずかに長く、海へ視線を残したように思えた。
心配されている、気がする。亜由歌が海のしてきたことを知っているはずがないのに。自意識過剰だな、と胸中でため息をついた。
そして意識を切り替える。
ここからは、「普通」ではない時間だ。
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