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しおりを挟む「まあそうなるかもなー、とは思ったよ。あんたたち、お互いに好感度高いのが丸出しだったから、これで気が合ってタイミングよければもしかするかもなーって」
「合わなかったらどうしたの?」
「そりゃ、いいお友達の一人でいいでしょ。万が一あんたが一方的にあの子につきまとわれるようになったりしたら、しかるべき対処をするしね」
「そんなことはないと思うけど……」
私も、ハンバーグランチセットに箸を入れた。
一応彼氏と彼女にはなった、はいいんだけど、これからなにをどうしていいのかがもう一つよく分からない。
つき合いだして最初の平日。二日目の平日。三日、四日、やがて週末。なにをして過ごすべきなんだろう。みんな、どうしてるんだろう。
とりあえず今日は、壮弥くんは文化祭の後片づけでいつもよりは早く学校が終わると聞いている。そして。
「でもさ、三織、本当に全く気にならないわけ?」
「なにが?」
「だって彼、女装してガード緩めに女性客をガンガン接客してんでしょ? お店じゃ人気あるみたいだし。そういうのは、なんとも思わないの?」
「え、全然大丈夫だよ。気になったことないもの」
そして、アンドロアンサスの出勤日なのだ。
・
「ようこそ、アンドロアンサスへ! 三織さん、いらっしゃいませ!」
早めに夕食を済ませた夕方、シンさんの出迎えを受けて、私はアンドロアンサスに入った。
段々と常連になりつつある中、私の呼び方はツミでも三織でもいいと言ったので、キャストさんごとに好きに呼ばれている。
店内のキャストさんたちが、口々に「いらっしゃいませ!」と言ってくれた。その中には、壮弥くんが扮したスイさんもいて、彼だけは
「い、らっしゃいませ、ようこそ!」
と少し声がぎこちない。今まさに、二人の女性客から、同時に両端から赤いフレアスカートをつまみ上げられかけている最中だった。お店でしか見たことのない壮弥くんの太ももが、半ばまであらわになる。
お客さんは冗談でやっているのは分かっているし、こうした悪ふざけも仕事のうちだって分かってはいる。実際、今までは平気だった。のに。
あれ?
シンさんが、私を奥の一人掛けソファに案内してくれた。
「ご指名はスイですよね? すみません、今指名が入ったばかりで。少しお待ちいただけますか。お詫びに、ハーブティをサービスいたします」
シンさんはうやうやしく言うと、落ち着く香りのするお茶を持ってきてくれた。
「エルダーフラワーです。お気に召さなかったらご遠慮なく」
「え、そんなことないです、いい香りですっ。ありがとうございます!」
私と壮弥くんのこと、アンドロアンサスの人たちは知ってるのかな……などと思いつつ、アクリル製の透明なお茶のカップを傾ける。
十五分ほどして、壮弥くんが私の横にきてくれた。
「ごめん、三織さん、お待たせ」
「ううん、全然平気」
ロングヘアのウィッグは今日もよく似合っている。ウィッグはものによってかなり質に差があるらしく、アンドロアンサスではなるべく高級品を使っていると、前にシンさんが言っていた。オーナーいわく、
「女装のウィッグが低品質だと、見ていて一気に冷める」
らしい。なかなか奥が深い。
「来てくれるのはうれしいけど、お金使う必要ないよ。三織さんには、おれから会いに行くから」
「でも壮弥くん、お父さんに返すためにお金貯めてるんですよね? 私も、少しでも足しになればと思って……そんなに大した額にはなりませんけど」
頭をかきながら言うと、壮弥くんはふうと息をついた。
「どこの世界に、彼女にたかる男がいるんですか」
「……まずかったですか?」
「まずいというか、そんな理由ならやめておきましょうということです」
「そんな……」私は頭を抱えた。「私って、推しに課金できない、つまらねー女ですか……?」
「どこでそんな言葉を、というかおれは推しだったんですか。……実を言うと、おれ、ここやめようかと思ってるんですよね」
後半は小声だった。
私は、頭を(まだ)抱えていた手をぱっと放して、すぐ横にある壮弥くんの顔を見上げた。
「そうなんですか?」
「だって三織さん、おれの今の仕事見てどう思います? この仕事、お客にある程度の夢を見せるものなので、ボディタッチは必須なんですよ」
壮弥くんはスカートの裾をつまんでひらひらと振った。
「あ……」
「それに、三織さんに悪いなってことだけじゃなくて。母にここの仕事知られちゃったんですよね」
壮弥くんが片手を頬に当ててため息をつく。
「え、お母様に」
「父親がああなので、生活は大丈夫なのかと探りを入れられてたんですが、そのおかげで露見してしまいました。で、親にお金を返すだなんて考えるな、そのまま貯めておけと。で、はっきりは言いませんでしたが、あまりよく思ってないみたいですね。無理もないですが」
「そんな……壮弥くんのスイさんは、こんなに美しいのに……」
男性の骨格で女性の服を着るとこんなに映えることがあるのか、と私はいつも驚かされている。
まあ母親としては複雑なんじゃないですか、と壮弥くんは苦笑した。
「ついでに、騒がしくなりそうな問題がもう一つ」
「と言いますと」
「おれの仕事のことで、母さんがけっこう困惑したらしくて、親族の約一名に、相談がてらぽろっとおれが女装置していると漏らしたそうなんです」
親族。
ということは。
アンドロアンサスのドアが開いた。
いつも通り、シンさんたちが出迎えをする。
私はドアのほうを見て、体がぴたりと固まった。
壮弥くんが嘆息する。
「あいつに」
そこには、荒い息をつく、海未さんが立っていた。
・
壮弥くんの仕事終わり。
私と壮弥くんと海未さんの三人は、柏のファミレスに入っていた。
海未さんはあの後、目を白黒させながら、何人かの女装さんに入れ替わり立ち代わり接客されていた。最初は戸惑って傷みたいだけど、段々と笑顔を見せるようになっていた。そして、その笑顔が、緊張がふっと緩和した様子が伝わってきて大変にかわいい。
「で、壮弥」
「ん?」
レモンスカッシュのグラスを持つ海未さんが、コーヒーのカップを揺らしている壮弥くんをにらんで言う。
「なんで女装のままなのよ?」
「別にいいだろ。おれは、特に恥ずかしい真似してるわけじゃないと思ってるから」
壮弥くんは、ウィッグも服装もアンドロアンサスにいた時のままだった。
明るいブラウンのロングヘア。白いサマーニットに、裾の広がり方が上品でかわいらしい赤いスカート。筋肉がついていても細い足に、体重を感じさせない、軽やかな足音。
いろんな要素が女性らしくても、あくまで壮弥くんは「きれいに女装した男性」だった。これが、彼の女装の方向性なんだなと改めて思う。
「あと、なんでこの人も一緒なのよ」と海未さんが私のほうを向く。思わず、肩が跳ねた。
「三織さんはおれにとっての重要人物だから。……この間とは関係性も変わったしな」
それを聞いて、海未さんの目の色が変わった。
視線は一瞬、激しく気色ばんで、その後、打ちのめされたようにしおれていく。
「いずれ、改めて紹介しようと思ってた。ちょうどいいだろう?」
初めて、壮弥くんをとがめたくなった。
いつもはあんなに優しいのに、海未さんにだけはずいぶんつっけんどんに感じる。
「……飽きたのかと思ったのに」海未さんがぽつりと言った。
「なにに? なんの話だ?」と壮弥くん。
「なんでもない。……その人のマンガが好きだからつき合う、とかじゃないんだよね?」
「なくはないけど、別問題だよ。変な言い方だけど」
そして海未さんは私のほうへ視線を投げた。
「ツミ先生、ですよね? そうお呼びすればいいですか?」
「先生だなんて……。三木元三織と言います」
「では、三木元さん、二人でお話してもいいですか? 壮弥、ちょっと外してよ。十分くらい外行ってきて」
壮弥くんが軽く顔をしかめる。
「この格好でか?」
「いいじゃん。恥ずかしい真似じゃないんでしょ?」
おれはいいけど、と私を見て言う壮弥くんに、私からも言った。
「いいです、壮弥くん。私、海未さんとお話ししたいです」
「分かりました。……海未、変なこと言うなよ」
壮弥くんが席を外した。
海未さんは、視線を落として、
「飽きたのかと思った」
と言った。
「さっきも言ってましたよね。誰が、なににですか?」
「壮弥が、女子とつき合うのに。あいつ、親が離婚した頃荒れちゃってて、見た目がいいもんだからすぐちょっかい出されてはほいほい何人も彼女作って」
頭の中に、壮弥くんが同い年の女の子に囲まれている姿が浮かんだ。
ずきん、と胸が痛む。
「でもあいつ、その時のはどれも軽いつき合いっていうか、つき合うって言えるのかどうかも微妙な程度だったみたいですよ。相手に深入りしないしさせないっていうか。……で、最近はそういうこともなくなったみたいだから、てっきり女に飽きたのかなあと思ったんです。でも、違ったかあ」
「……女に飽きる、ってなんだか凄いですね……」
なんといっていいのか分からず、そんな言葉が漏れてしまう。
ふ、と海未さんが笑った。
「そんな時でも、私は全然だめでした。壮弥は私の気持ち分かってるはずなのに、いつもはぐらかされて、彼女にするっていう選択肢の中にも入れなかったんです。だから、」海未さんは手の中のグラスを強く握る。「……凄く悔しい」
「海未さん、それは」
海未さんはグラスを放し、軽く両手を広げた。
「三木元さん。私、かわいくないですか? 見た目はかなりいいと思うんだけどなー」
いきなりそんなことを言われて――人からされたことのない質問でもあったので――驚いた。仲のいい友達などに言うのでなければ、かなり自分に自信がなければ言えない言葉だ。少なくとも、私には、初対面に近い相手には口にできない。
海未さんの口調はふざけ気味だった。
でも真剣に答えなくてはならないと思った。壮弥くんの時と同じで、生きていれば、時折、そういう問いがある。今のこれは、冗談めかされていても、きっとそうだ。
「かわいいですよ。私から見て、とってもかわいいです」
「ありがとうございます。三木元さんもですよ。……前に彼氏がいたことあります?」
「……あります。一瞬だけ」
「振りました?」
「振られました」
「そうなんだ。見る目のない男だったんですね。壮弥と違って」
私はてっきり、海未さんに、二人きりになって悪罵でもされるのかと思っていた。
少なくとも、今までの様子から見て、よくは思われてはいないはずだから。
でも今の海未さんの態度には、嫌味がなく、丸みがある。
「私も三木元さんみたいにマンガが描ければ、可能性があったのかな。情けないけど、羨ましい」
「そんな。私なんて、なにもない人間ですよ。人づき合いは下手だし、今から、できるだけ人間としゃべらないでできる仕事はないかと探しているくらいですし」
ついテーブルに握りこぶしを置いて力説する私に、海未さんが吹き出した。
「なんですか、それ。変な人」と海未さんが言うと。
「全くです。なんの話をしてるんですか」と壮弥くんの声が後ろから聞こえた。
「あっ、お帰りなさい」
「なによ、早いじゃない」
「もう十分経ったぞ」
「あっそ。……壮弥、一個だけ訊いてもいい?」
海未さんの声は、軽い調子だった。
「私、なにがそんなにだめだったかなあ」
「だめなことなんかないよ。ただ、海未のことはいい加減にはできなかった。それだけだよ。……冷たくしたりして、悪かった。ごめん」
海未さんが立ち上がった。
「壮弥、女装きれいだね」
「ありがとうよ」
「三木元さん、あなたは素敵な人ですね」
「あ、ありがとうございます……?」
「壮弥、はい」と海未さんが一枚のコピー用紙を壮弥くんに渡す。
「なんだこれ?」
「断酒会の案内。こないだはこれをおばさんに渡しに行ったの。おばさんなりに、あんたたち――主にあんたをだろうけど、心配してるみたいだよ」
「……分かった。ありがとう。父さんに渡すよ」
そして海未さんは歩き出す。
「じゃ、私はこれで」
「ああ。またな」
海未さんは、店員さんに、壮弥くんを指さして「私の分はあいつが払いますんで」と言って、ファミレスを出て行った。
「おれたちも行きましょう、三織さん」
「は、はい。……海未さん、は……」
壮弥くんが伝票を手に取る。
「おれなりに誠実に対応するつもりです。あなたをおれの特別にすることで誰かが悲しむっていうのは、避けたいですからね」
「……はい」
壮弥くんが支払いを済ませてくれて、私たちもお店を出た。
夜の中を二人で泳ぎ出す。
海未さんのことを何度も考えた。
たぶん、壮弥くんも同じだった。
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