45 / 45
エピローグ 2
しおりを挟む
「お、覚えてましたよ! 変わったアルバイト先の変なことができる人です!」
「そんな認識だったのか、この何ヶ月……! 肝心なことは忘れまくった上で……」
「仕方ないじゃないですか、繭がなくなっちゃってたら!」
「言ってることが違うじゃないか!」
「ち、違ってません!」
二人とも立って向かい合ったままで叫び合い、はあはあと肩で息をした。
「君の大声って、久しぶりに聞いた気がするな」
「私も、中学の音楽の合唱の時間とかより今の方が大きい声出したような気がします」
揃って、すとんとソファに腰を下ろす。
「でも、そうですね……大切なことは思い出せましたけど、辛いこともありました。キリさんのこと、クツゲンさんやお母さんのことも」
「『私がいなければこんなことには』とか思ってるんじゃないだろうな」
「えへへ。少し」
シイカの苦笑を見て、クツナは座ったまま身を乗り出す。
「繭使いは、心や体の傷は治せても、運命は編めない。起こることは誰のせいでもないし、出会うことは常に開かれている。鳴島は、僕たちと出会ったことを後悔してるか?」
「ずるいですよ、そんな言い方は」
「君が君を肯定するためなら、何でもするさ。僕たちはつまるところ、独りぼっちずつなんだ。だから独りではな
くなることができる。それを分かって欲しいからな」
シイカがカップを口元に当てた。顔をうつむかせ、カップは少々大きく傾けて、隠した目元をこっそりぬぐう。クツナは、見ないふりをする。
「アルトさん……どうされてました?」
「さてね。とりあえず元気そうではあったが」
「私、思うんですけど。アルトさん、クツナさん以外の人への執着を、切断ではなくて結紮してたんですよね。つまり、切り捨ててはいなくて、ずっと……持っていた」
「言ったろ、切断よりは結紮の方が手っ取り早いんだ。それでも、あるいはその施術が完璧なら、今さら君の中のキリの繭にこだわったりはしなかったかもしれないな。自分への繭使いというのはそれだけ難しいってことでもある」
「不完全な施術だったなら、なぜその後、改めて切断してしまわなかったんでしょう」
クツナがかすかに眉を上げた。小さ過ぎる動作だが、その意味は、シイカへの敬意だった。
「その辺が、あいつの更生においての一縷の望みだな」
シイカがカップを置いた。わずかな沈黙を挟んで、切り出す。
「私……これからもここでお仕事していいですか」
「もちろん。来てくれなくちゃ、困る。もうとっくにそういう存在だよ」
「でも、もう繭使いのお手伝いもできないのに。戻ったのは、記憶だけですもん」
「それでも構わないが、そうと決まったわけでもない」
怪訝な顔をするシイカが、カップを置いた。
「今返した記憶の繭には、アルトのやつが、君から移植したキリの繭をつなげてあった。
君が奴にやった繭が、量だけはそっくり戻ってきたってことだ。結果、つまり今の君には、以前とほぼ同量のキリの繭が宿っている」
シイカが目を見開く。
「あっち行ったりこっち行ったりして、全くの元通りではないから、前までと同程度の繭使いができるくらいに成長するか、そこまでには至らないか、あるいはさらに伸びるか。
どうなるかは僕にも分からないが、試してみる価値はあると思わないか」
「あ、あります! 凄くあります。私、頑張ります」
シイカが上気した顔で立ち上がった。
「僕もアルトもやってるから、なんだか繭の移植ってのは簡単にできているように見えるかもしれんが、結構な革命的技術だぞ、これは」
「凄いです、二人とも」
「ま、必要は進歩の最大の糧ってことだな」
その時、外から犬の鳴き声が響いた。
クツナが頬を掻いて、ぼやく。
「ヨイチのやつ、こんなに鳴くとはなあ。もう少し静かになるよう、しつけられるもんかな」
「元気になりましたよね、本当に」
「そうだな」
「私も」
「ああ」
シイカが紅茶を淹れ直した。
「クツナさんが、いつか言ってたんですけど」
「何だよ」
「いいコーヒー豆を、人と分かち合いたい時があるって。私も今、このお茶を淹れていて、そんな気持ちです」
「僕もだよ。繭を使わずに分かり合うって、いいもんだろ」
テレビもついておらず、屋外からも特に物音は聞こえない。
静寂の中、しばらく、二人も黙る。
それでも居心地が悪くなるということもなく、何か話したいことがあれば口にするだろうし、そうでなければ静かにしている。
そんな自由な沈黙があることに、シイカは驚いていた。
手の中のカップが温かい。いい香りがして、落ち着く。
お互いの大切さが、そんな空間にたゆたっている。
そして家に帰れば、以前よりもずっと安らいで眠りにつける。
目線が合うと、クツナが、目と口元で笑った。
幸せだな、とシイカは思った。
END
「そんな認識だったのか、この何ヶ月……! 肝心なことは忘れまくった上で……」
「仕方ないじゃないですか、繭がなくなっちゃってたら!」
「言ってることが違うじゃないか!」
「ち、違ってません!」
二人とも立って向かい合ったままで叫び合い、はあはあと肩で息をした。
「君の大声って、久しぶりに聞いた気がするな」
「私も、中学の音楽の合唱の時間とかより今の方が大きい声出したような気がします」
揃って、すとんとソファに腰を下ろす。
「でも、そうですね……大切なことは思い出せましたけど、辛いこともありました。キリさんのこと、クツゲンさんやお母さんのことも」
「『私がいなければこんなことには』とか思ってるんじゃないだろうな」
「えへへ。少し」
シイカの苦笑を見て、クツナは座ったまま身を乗り出す。
「繭使いは、心や体の傷は治せても、運命は編めない。起こることは誰のせいでもないし、出会うことは常に開かれている。鳴島は、僕たちと出会ったことを後悔してるか?」
「ずるいですよ、そんな言い方は」
「君が君を肯定するためなら、何でもするさ。僕たちはつまるところ、独りぼっちずつなんだ。だから独りではな
くなることができる。それを分かって欲しいからな」
シイカがカップを口元に当てた。顔をうつむかせ、カップは少々大きく傾けて、隠した目元をこっそりぬぐう。クツナは、見ないふりをする。
「アルトさん……どうされてました?」
「さてね。とりあえず元気そうではあったが」
「私、思うんですけど。アルトさん、クツナさん以外の人への執着を、切断ではなくて結紮してたんですよね。つまり、切り捨ててはいなくて、ずっと……持っていた」
「言ったろ、切断よりは結紮の方が手っ取り早いんだ。それでも、あるいはその施術が完璧なら、今さら君の中のキリの繭にこだわったりはしなかったかもしれないな。自分への繭使いというのはそれだけ難しいってことでもある」
「不完全な施術だったなら、なぜその後、改めて切断してしまわなかったんでしょう」
クツナがかすかに眉を上げた。小さ過ぎる動作だが、その意味は、シイカへの敬意だった。
「その辺が、あいつの更生においての一縷の望みだな」
シイカがカップを置いた。わずかな沈黙を挟んで、切り出す。
「私……これからもここでお仕事していいですか」
「もちろん。来てくれなくちゃ、困る。もうとっくにそういう存在だよ」
「でも、もう繭使いのお手伝いもできないのに。戻ったのは、記憶だけですもん」
「それでも構わないが、そうと決まったわけでもない」
怪訝な顔をするシイカが、カップを置いた。
「今返した記憶の繭には、アルトのやつが、君から移植したキリの繭をつなげてあった。
君が奴にやった繭が、量だけはそっくり戻ってきたってことだ。結果、つまり今の君には、以前とほぼ同量のキリの繭が宿っている」
シイカが目を見開く。
「あっち行ったりこっち行ったりして、全くの元通りではないから、前までと同程度の繭使いができるくらいに成長するか、そこまでには至らないか、あるいはさらに伸びるか。
どうなるかは僕にも分からないが、試してみる価値はあると思わないか」
「あ、あります! 凄くあります。私、頑張ります」
シイカが上気した顔で立ち上がった。
「僕もアルトもやってるから、なんだか繭の移植ってのは簡単にできているように見えるかもしれんが、結構な革命的技術だぞ、これは」
「凄いです、二人とも」
「ま、必要は進歩の最大の糧ってことだな」
その時、外から犬の鳴き声が響いた。
クツナが頬を掻いて、ぼやく。
「ヨイチのやつ、こんなに鳴くとはなあ。もう少し静かになるよう、しつけられるもんかな」
「元気になりましたよね、本当に」
「そうだな」
「私も」
「ああ」
シイカが紅茶を淹れ直した。
「クツナさんが、いつか言ってたんですけど」
「何だよ」
「いいコーヒー豆を、人と分かち合いたい時があるって。私も今、このお茶を淹れていて、そんな気持ちです」
「僕もだよ。繭を使わずに分かり合うって、いいもんだろ」
テレビもついておらず、屋外からも特に物音は聞こえない。
静寂の中、しばらく、二人も黙る。
それでも居心地が悪くなるということもなく、何か話したいことがあれば口にするだろうし、そうでなければ静かにしている。
そんな自由な沈黙があることに、シイカは驚いていた。
手の中のカップが温かい。いい香りがして、落ち着く。
お互いの大切さが、そんな空間にたゆたっている。
そして家に帰れば、以前よりもずっと安らいで眠りにつける。
目線が合うと、クツナが、目と口元で笑った。
幸せだな、とシイカは思った。
END
0
お気に入りに追加
1
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
「南風の頃に」~ノダケンとその仲間達~
kitamitio
青春
合格するはずのなかった札幌の超難関高に入学してしまった野球少年の野田賢治は、野球部員たちの執拗な勧誘を逃れ陸上部に入部する。北海道の海沿いの田舎町で育った彼は仲間たちの優秀さに引け目を感じる生活を送っていたが、長年続けて来た野球との違いに戸惑いながらも陸上競技にのめりこんでいく。「自主自律」を校訓とする私服の学校に敢えて詰襟の学生服を着ていくことで自分自身の存在を主張しようとしていた野田賢治。それでも新しい仲間が広がっていく中で少しずつ変わっていくものがあった。そして、隠していた野田賢治自身の過去について少しずつ知らされていく……。
ヤマネ姫の幸福論
ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。
一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。
彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。
しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。
主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます!
どうぞ、よろしくお願いいたします!
北白川先生(♀ 独身)に召喚されました
よん
青春
小田原の県立高校に勤務する国語教諭――北白川。彼女はある目的を果たすために、自分が受け持つ五人の生徒を毎晩二時に召喚するようになった。一日一度のことわざ、そこに込められた思いとは……。
『イルカノスミカ』『フラれる前提で私にコクる鈴木くん』のスピンオフ。
俯く俺たちに告ぐ
凜
青春
【第13回ドリーム小説大賞優秀賞受賞しました。有難う御座います!】
仕事に悩む翔には、唯一頼りにしている八代先輩がいた。
ある朝聞いたのは八代先輩の訃報。しかし、葬式の帰り、自分の部屋には八代先輩(幽霊)が!
幽霊になっても頼もしい先輩とともに、仕事を次々に突っ走り前を向くまでの青春社会人ストーリー。
足を踏み出して
示彩 豊
青春
高校生活の終わりが見え始めた頃、円佳は進路を決められずにいた。友人の朱理は「卒業したい」と口にしながらも、自分を「人を傷つけるナイフ」と例え、操られることを望むような危うさを見せる。
一方で、カオルは地元での就職を決め、るんと舞は東京の大学を目指している。それぞれが未来に向かって進む中、円佳だけが立ち止まり、自分の進む道を見出せずにいた。
そんな中、文化祭の準備が始まる。るんは演劇に挑戦しようとしており、カオルも何かしらの役割を考えている。しかし、円佳はまだ決められずにいた。秋の陽射しが差し込む教室で、彼女は焦りと迷いを抱えながら、友人たちの言葉を受け止める。
それぞれの選択が、少しずつ未来を形作っていく。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる