棘を編む繭

クナリ

文字の大きさ
上 下
44 / 45

エピローグ 1

しおりを挟む
エピローグ
 二人が待ち合わせた場所は、空き地だった。
 粗末な塀と野放図な雑草に囲まれて、二人は立ったまま向き合った。
 秋の夕日は、今にも闇に飲まれようとしている。
 灰色の髪をした青年が、黒髪の青年に向かって、口を開いた。
「誤解を解くのを忘れていた。僕は、君のことが二の次だったわけじゃない」
「どうかな。あまりご執心いただいていたようには思えなかったが」
「君に見向きもしなかった、ということじゃない。ただ、……君だけは、何があっても絶対に僕の友人でいてくれると信じていただけだ。勝手にもね」
「まあ、そういうことにしておくか。大変勝手だけどな。言っておくが、キリの繭の部分だけを鳴島から引きはがせないからって、鳴島の繭を無理矢理ごっそり切り取るような真似でもしてたら、今こうして平和になんて話してないからな」
「これも、誤解のないように言っておくが。それは彼女を不要に傷つけないためではなく、そんな不純物だらけの繭なんていらなかったんだろうね、あの時の僕は」
「ろくなもんじゃないな」
「欲しいものは、一部じゃ足りないし、無駄な部分もいらない。純粋だろう? 理解できないほどに」
 灰色の髪の青年は、別れの挨拶も交わさずに、空き地から出ようとした。その足元から伸びた影が長い。しかしその横には、同じくらい長く伸びた、黒髪の青年の影が並んでいるのを、彼は見た。こんな風に、並んで過ごした時期があった。ずっと昔に。今はもう違う。
「お前、今何をしていて、これからどうするんだ?」
「前にも言ったろう。今の僕なりの――償い方があるさ。君こそ、僕をどうにかしたいと思わないのか」
「考えたこともあるけどな。ただ、死者も生者も、その尊厳を守れるのは生者の理性しかない。そうとも思ってるよ。お前はまだ、僕にとってはかろうじて理性の範疇内ってことだ」
 二人とも、少し笑いたくなった。しかし、微笑みもしない。
「だから君の傍にはいられない。君に許されるわけにはいかない」
 誰も許すなんて言ってないだろうが、と言葉にする前に、空き地には黒髪の青年一人が残った。
「さて……帰るか。日曜日の日暮れって、何だか早く感じるよな」
 空を見上げる。血のような赤が、今まさに遥か遠くで点になり、消えようとしている。
 その時。
「クツナ」
 アルトが、再び空き地の入り口に立っていた。乏しい光の中、かろうじてその顔が見える。
「何だ」
「……僕が」
「ああ」
「僕が悪かった。取り返しのつかないことをした。済まなかった」
 周囲の街頭の光量が足りないのか、太陽が沈むと、周囲はひどく暗くなった。
 クツナが気がついた時には、もうそこに幼馴染の姿はなかった。
「遅いです。少し出かけるって、何時間経ってるんですか。誰と会ってたんです?」
 自分の家に戻ったクツナは、よく吠える飼い犬を尻目に玄関に入るや否や、アルバイトの高校一年生にそんな風に責められていた。
「いや、悪い。会ってた時間はほんの数分なんだが、家からはつい早く出ちまったんだよ。まあいいじゃないか、今日は依頼も午前中に終わったし」
「クツゲンさんも今日は遅くなるって言ってましたし、電話番しないといけないと思って残ってたんです。そうでなければ、尾幌先輩とどこか出かけられたかもしれないのに」
 尾幌エツには、夏休みが終わる前に、クツナの方から必要な範囲の事情を話してあった。エツは驚いてはいたものの、その後もシイカとはよい友人でいてくれている。
「ところで、どうだ鳴島。最近は何か、仕事内容に不満とかあるか?」
「不満てほどじゃないですけど……。ただ、私には繭も見えないし触れないので、クツナさんが繭使いをしている間、何もできないでぼーっとしているみたいで、それは時々何というか……いたたまれないものがあります。アルバイト料だって、多めにいただいてます
し」
「ん。手伝ってみたいか?」
「依頼者の人たち、皆、救われたような顔になって帰っていくじゃないですか。そういうのは、いいなって……思います。不思議なお仕事ですけど、でも、いいお仕事ですよね」
 二人は居間へ移った。シイカが紅茶を二人分淹れる。クツゲンはよく茶葉を大瓶で買ってくるのだが、それがしけってしまわないように、最近はクツナも半ば強制的に紅茶派となって、消費に協力していた。
「でも私、どうしてこのアルバイト始めたんでしたっけ。私、こんな不思議な能力のこと、簡単に信じるような性格じゃないと思うんです」
「まあな」
「私、ここで働くの好きですよ。でも、何か、時々……変なんです。辛いっていうか、あ、いえ、辛いといっても、嫌だとかではなくて……」
 シイカはぱたぱたと手を振った。口数は以前より増えたし、身振りも大きくなっている。しかし時折、一人で何かを悩んでいるのも事実だった。
「変な言い方になっちゃうんですけど……ここにいればいるほど、不安になることがあるんです。これでいいのかな、私ってなんでこうしてるんだっけって。何の役にも立ってませんし。依頼者の方を少し接客したり、ちょっとヒアリングするくらいじゃないですか。
私、アルバイトっていうほどのことできてるんでしょうか」
「見てみるか?」
 紅茶のカップをクツナがソーサーに置く。アールグレイの水面が小さく揺れていた。
「え?」
「君に何ができて、どんなことをしてくれたのか、見てみるか」
「どういうことです?」
 クツナは、長袖の青いシャツの胸の辺りを指さした。
「今ここに、君の記憶の繭がある。以前、君がある――依頼者に、与えたものだ。この繭は、一度はその依頼者の一部となって、彼を助けた。でもそいつが、二か月以上もかけてようやく、きれいに、過不足なく、自分の繭から切り離してくれた。そいつには、もう充分役に立ってくれたってな。僕がさっき会ってきたのは、そいつなんだ」
「私の……? どうして……」
「それも、この繭を君に戻せば分かる。ただ、楽しい思い出ばかりじゃない。それでもいいって気になったら言ってくれ。いつだって――」
「いいです。ください、その記憶」
 シイカは、両手の拳を握って、前のめりになって言った。
「お、おお。即決だな。いいのか?」
「分かるんです。それが、とても大切なものだって。私がずっと欲しかったものだって」
「承知した。辛かったら、すぐ言えよ」
 施術室でもないリビングで、二人はローテーブルを挟んで立った。
 クツナが慎重に、しかし手早く、自分の胸につなげていたシイカの記憶の繭を切り離し――そしてシイカにつなげていく。
 やがて、クツナの手がシイカの繭から離れた。術式は終わった。
 シイカは何も言わずに立ち尽くしている。
 一分。二分。
 クツナは身をかがめて、シイカの顔を覗き込んだ。面白いほど真っ赤になっている。
「鳴島」
「……はい」
「クツナサンノ記憶ヲナクシテモ、クツナサンノコトハ忘レナイヨウナ気ガスルンデス」
「わ……忘れてないじゃないですか」
「どこがだっ!? 今の今まできれいさっぱり忘れてただろうが!」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

野球部の女の子

S.H.L
青春
中学に入り野球部に入ることを決意した美咲、それと同時に坊主になった。

処理中です...