16 / 45
第三章 5
しおりを挟む
結局、クツナが茎川教師と打ち合わせをして日取りを決め、シイカが欧華橋高校の生徒に扮して潜入することになった。
茎川の依頼があった翌日の月曜日には、クツナは女子用の制服をひと揃い茎川から借り受け、井村橋駅で待ち合わせたシイカに渡した。
「明日の火曜日、行けるか?」
「行けなくはないですけど、既にとても神経にこたえてます」
「別に他校の生徒だってことがばれたところで、そんなに大した問題になるとは思わんが。あまり辛いようならやめるか」
「いえ、やります。……やれるところまでは、ですけど」
「理想を言うと、それなりに尾幌エツという生徒と仲良くなって欲しい。茎川氏とも相談したが、施術場所は今回、欧華橋高校の生徒指導室にしようと思う。そこに茎川氏と、助手の君と、僕が一時だけ潜入する。そうすれば、短時間で済ませられるだろう」
シイカは自信なさげに、制服の入った紙袋をもて余して、両手で持ち変える。
「どうして仲良くなってるといいんです?」
「気心の知れている人間がいた方が、繭が柔らかくなる」
「私、いまだに自分の学校でも、友達って言えるほどの友達がいないんですが。それは、前よりはずっとましですけど。人と仲良くなるなんて……私には一番厳しい試練かもしれません。深海魚に空を飛んでみろって言ってるようなものではないかと」
「いや……そんな寂しいこと言うなよ」
クツナと別れて、シイカは電車に乗った。自宅の最寄り駅に着き、母と弟に紙袋を見とがめられたら何と説明しようかと考えながら、夜道を歩く。
すると、目の前に人影がひとつ差した。街灯の明かりを受けて、やや長身の男性が立っている。
「今晩は」
「……どなたですか」
シイカは、男――青年の灰色の目を奪われながら、いぶかしんでそう言う。
「君、毎回反応が同じだな。警戒する時の動作も。当たり前か」
余裕のある苦笑を浮かべて、青年は近づいてくる。
「どれ、繭を見せて」
「何を――」
警戒するシイカの繭が、しかし青年の手でたやすく取り出され、糸の状態に解されていく。
「君はいちいちうるさいね。何、高校生の恋愛処理? 本当に下らない仕事だな」
「あ、あなたは、繭を」
「もうそのやり取りは飽きたよ、何回目だと思ってるんだ。でもそうだな、君もクツナの母親のことを聞いたみたいだし、いいこと教えてあげる。あいつのこと、もっと知りたいだろ?」
シイカは、こともなげに自分の繭を好きにいじっている見知らぬ男への恐怖で固まり、何も言えないでいる。何回目、とは。この青年は何を言っているのか――……
「いいかい。覚えておきな。クツナはその時、母親を生き返らせようとしたんじゃない」
シイカは目を見開いた。その瞳を覗き込んでくる青年の瞳は、薄く灰色がかっている。
「な、……に、を」
「そもそも、クツナの母親の死は、自殺ではない」
さらにぼそぼそと、彼の言葉は続く。
「放して!」
青年は、シイカと会話をする気はまるでないのは明らかだった。シイカは体を掴まれているわけではなかったが、繭の束をその手に持たれていると、内蔵を直接掴まれているようで、どうしても強く抵抗できない。その感覚には覚えがあったが、青年と会った記憶がシイカにはない。
混乱の中で、シイカは必死で青年を突き飛ばそうとした。しかしその手を捕らえられ、逆に左の頬を平手で叩かれる。
「あっ!」
「だから、うるさい」
崩れ落ちるシイカを見下ろしながら、青年はさもつまらないもののように繭の糸をぞんざいにいじり回した。
「あまり強い印象を残すと、記憶を直しにくくなるんだけど、君のは実に加工が楽だね。孤立癖のある子供なんて、本当にどうにでもできる。特に、自分は一人で生きていくのが当たり前だと思ってるような、思い上がった勘違いをしてる奴は」
最後に一部をちぎり取り、青年は繭の塊ををシイカへ放った。それはシイカのの体を包んでいる繭の本体に吸収され、同一化する。
そして、青年はその場から去った。
「え?」
対照的に、シイカは混乱の局地にいた。家に帰る途中の道で、なぜかへたりこんでいる。頬が痛い。でも、何が起きたのか全く分からない。
頭の中に、声が響いていた。
――クツナはその時、母親を生き返らせようとしていたんじゃない。
――そもそも、クツナの母親の死は、厳密には、自殺ではない。
「誰……? 何の声、これ?」
声には聞き覚えがない。しかし、幻聴ではない。確かに肉声で、この耳で聞いたはずの声だ。
それに、内容もおかしい。母親を生き返らせようとしていたと、他ならないクツナ自身がそう言っていたではないか。
――僕は知っているんだ。クツナのことなら、何でも。僕だけが。
「どうして? 何が起きてるの?」
思わず、両腕で自分の体を抱く。我が身を包む繭に、目を凝らしてみた。ひどく動揺して、頼りなく震えている。
クツナに会いたい。助けて欲しい。しかし、少しずつシイカのことを評価してくれてきているらしい今、おかしなことを言い出す煩わしい子供だと思われたくなかった。
そして、家と学校には、シイカがこんなことを相談できる相手はまだ誰もいなかった。
茎川の依頼があった翌日の月曜日には、クツナは女子用の制服をひと揃い茎川から借り受け、井村橋駅で待ち合わせたシイカに渡した。
「明日の火曜日、行けるか?」
「行けなくはないですけど、既にとても神経にこたえてます」
「別に他校の生徒だってことがばれたところで、そんなに大した問題になるとは思わんが。あまり辛いようならやめるか」
「いえ、やります。……やれるところまでは、ですけど」
「理想を言うと、それなりに尾幌エツという生徒と仲良くなって欲しい。茎川氏とも相談したが、施術場所は今回、欧華橋高校の生徒指導室にしようと思う。そこに茎川氏と、助手の君と、僕が一時だけ潜入する。そうすれば、短時間で済ませられるだろう」
シイカは自信なさげに、制服の入った紙袋をもて余して、両手で持ち変える。
「どうして仲良くなってるといいんです?」
「気心の知れている人間がいた方が、繭が柔らかくなる」
「私、いまだに自分の学校でも、友達って言えるほどの友達がいないんですが。それは、前よりはずっとましですけど。人と仲良くなるなんて……私には一番厳しい試練かもしれません。深海魚に空を飛んでみろって言ってるようなものではないかと」
「いや……そんな寂しいこと言うなよ」
クツナと別れて、シイカは電車に乗った。自宅の最寄り駅に着き、母と弟に紙袋を見とがめられたら何と説明しようかと考えながら、夜道を歩く。
すると、目の前に人影がひとつ差した。街灯の明かりを受けて、やや長身の男性が立っている。
「今晩は」
「……どなたですか」
シイカは、男――青年の灰色の目を奪われながら、いぶかしんでそう言う。
「君、毎回反応が同じだな。警戒する時の動作も。当たり前か」
余裕のある苦笑を浮かべて、青年は近づいてくる。
「どれ、繭を見せて」
「何を――」
警戒するシイカの繭が、しかし青年の手でたやすく取り出され、糸の状態に解されていく。
「君はいちいちうるさいね。何、高校生の恋愛処理? 本当に下らない仕事だな」
「あ、あなたは、繭を」
「もうそのやり取りは飽きたよ、何回目だと思ってるんだ。でもそうだな、君もクツナの母親のことを聞いたみたいだし、いいこと教えてあげる。あいつのこと、もっと知りたいだろ?」
シイカは、こともなげに自分の繭を好きにいじっている見知らぬ男への恐怖で固まり、何も言えないでいる。何回目、とは。この青年は何を言っているのか――……
「いいかい。覚えておきな。クツナはその時、母親を生き返らせようとしたんじゃない」
シイカは目を見開いた。その瞳を覗き込んでくる青年の瞳は、薄く灰色がかっている。
「な、……に、を」
「そもそも、クツナの母親の死は、自殺ではない」
さらにぼそぼそと、彼の言葉は続く。
「放して!」
青年は、シイカと会話をする気はまるでないのは明らかだった。シイカは体を掴まれているわけではなかったが、繭の束をその手に持たれていると、内蔵を直接掴まれているようで、どうしても強く抵抗できない。その感覚には覚えがあったが、青年と会った記憶がシイカにはない。
混乱の中で、シイカは必死で青年を突き飛ばそうとした。しかしその手を捕らえられ、逆に左の頬を平手で叩かれる。
「あっ!」
「だから、うるさい」
崩れ落ちるシイカを見下ろしながら、青年はさもつまらないもののように繭の糸をぞんざいにいじり回した。
「あまり強い印象を残すと、記憶を直しにくくなるんだけど、君のは実に加工が楽だね。孤立癖のある子供なんて、本当にどうにでもできる。特に、自分は一人で生きていくのが当たり前だと思ってるような、思い上がった勘違いをしてる奴は」
最後に一部をちぎり取り、青年は繭の塊ををシイカへ放った。それはシイカのの体を包んでいる繭の本体に吸収され、同一化する。
そして、青年はその場から去った。
「え?」
対照的に、シイカは混乱の局地にいた。家に帰る途中の道で、なぜかへたりこんでいる。頬が痛い。でも、何が起きたのか全く分からない。
頭の中に、声が響いていた。
――クツナはその時、母親を生き返らせようとしていたんじゃない。
――そもそも、クツナの母親の死は、厳密には、自殺ではない。
「誰……? 何の声、これ?」
声には聞き覚えがない。しかし、幻聴ではない。確かに肉声で、この耳で聞いたはずの声だ。
それに、内容もおかしい。母親を生き返らせようとしていたと、他ならないクツナ自身がそう言っていたではないか。
――僕は知っているんだ。クツナのことなら、何でも。僕だけが。
「どうして? 何が起きてるの?」
思わず、両腕で自分の体を抱く。我が身を包む繭に、目を凝らしてみた。ひどく動揺して、頼りなく震えている。
クツナに会いたい。助けて欲しい。しかし、少しずつシイカのことを評価してくれてきているらしい今、おかしなことを言い出す煩わしい子供だと思われたくなかった。
そして、家と学校には、シイカがこんなことを相談できる相手はまだ誰もいなかった。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
平衡ゴーストジュブナイル――この手紙を君が読むとき、私はこの世界にいないけれど
クナリ
青春
生きていたいと願うべきだと分かっている。
でも心からそう思える瞬間が、生きているうちに、何度あるだろう。
五月女奏は、不登校の高校生。
彼はある日、幽体離脱のように、自分の「幽霊」を体の外に出せるようになった。
ただし、幽霊がいけるのは自分のいる世界ではなく、それとよく似た並行世界。
そして並行世界では、彼の幽霊は、けが人や病人に触れることで、そのけがや病気を吸い取ることができた。
自分の世界ではなくても、人を癒すことには意味があると信じて「治療」を続ける奏だったが、ある雨の日、彼は自分の世界で、誰かの「幽霊」らしきものを見る。
その「幽霊」の本体は、奏の幽霊がいける並行世界に暮らす、ある女子高生だった。
名前は、水葉由良。
彼らは幽霊を「ゴースト」と呼ぶことにして、お互いの世界の病院で人々を治し続ける。
いくつかの共通点と、いくつかの違いを感じながら。
次第に交流を深めていく奏と由良だったが、それによって奏は、由良の身に何が起きていたのかを知る。
二つの世界に住む二人の交流と決断を描いた、現代ファンタジーです。
【新編】オン・ユア・マーク
笑里
青春
東京から祖母の住む瀬戸内を望む尾道の高校へ進学した風花と、地元出身の美織、孝太の青春物語です。
風花には何やら誰にも言えない秘密があるようで。
頑なな風花の心。親友となった美織と孝太のおかげで、風花は再びスタートラインに立つ勇気を持ち始めます。
※文中の本来の広島弁は、できるだけわかりやすい言葉に変換してます♪
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
隣の席の関さんが許嫁だった件
桜井正宗
青春
有馬 純(ありま じゅん)は退屈な毎日を送っていた。変わらない日々、彼女も出来なければ友達もいなかった。
高校二年に上がると隣の席が関 咲良(せき さくら)という女子になった。噂の美少女で有名だった。アイドルのような存在であり、男子の憧れ。
そんな女子と純は、許嫁だった……!?
黄昏は悲しき堕天使達のシュプール
Mr.M
青春
『ほろ苦い青春と淡い初恋の思い出は・・
黄昏色に染まる校庭で沈みゆく太陽と共に
儚くも露と消えていく』
ある朝、
目を覚ますとそこは二十年前の世界だった。
小学校六年生に戻った俺を取り巻く
懐かしい顔ぶれ。
優しい先生。
いじめっ子のグループ。
クラスで一番美しい少女。
そして。
密かに想い続けていた初恋の少女。
この世界は嘘と欺瞞に満ちている。
愛を語るには幼過ぎる少女達と
愛を語るには汚れ過ぎた大人。
少女は天使の様な微笑みで嘘を吐き、
大人は平然と他人を騙す。
ある時、
俺は隣のクラスの一人の少女の名前を思い出した。
そしてそれは大きな謎と後悔を俺に残した。
夕日に少女の涙が落ちる時、
俺は彼女達の笑顔と
失われた真実を
取り戻すことができるのだろうか。
汐留一家は私以外腐ってる!
折原さゆみ
青春
私、汐留喜咲(しおどめきさき)はいたって普通の高校生である。
それなのに、どうして家族はこうもおかしいのだろうか。
腐女子の母、母の影響で腐男子に目覚めた父、百合ものに目覚めた妹。
今時、LGBTが広まる中で、偏見などはしたくはないが、それでもそれ抜きに、私の家族はおかしいのだ。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる