棘を編む繭

クナリ

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第二章 2

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 午前中だというのに、七月初週の太陽は空高くから、やや寂れた町を強く照らしている。
 クツナのところでシイカが働き出してから、二週間が立とうとしていた。
 基本的に水曜日と日曜日のうちシイカの都合のいい日という、かなり融通の利いた勤務日だったので、シイカがクツナの施術に立ち会った回数はまだ多くはないが、それでも既に五例を経験させてもらつた。仕事での、シイカの一回の拘束時間は二三時間といったところだった。
 治療の予定があってもなくても、クツナからスマートフォンのメッセージアプリで前日までに連絡が来る。
 日曜日の午前九時四十五分、シイカはクツナの家を訪れた。
 シイカはそうしろとクツナに言われている通り、鍵の掛かっていない引き戸を遠慮なく開けて声を上げた。
「来ました、クツナさん」
「お。上がってくれ」
 八畳間の施術室に入ると、白い和服姿のクツナがいた。
「そういえば、どうしてクツナさんていつもこのお仕事の時は和装なんですか?」
「僕の気合が入るだろう」
「そういうものですか」
「いや、本当は、繭使いも古い一族が続けてきたものだからな、当然先達は和装だったわけだ。そうすると伝えられる技術には、たもとやら襟の合わせやら帯やら、和服の構造を利用したものも多い。ちょっと挟んだり押さえたりな。白いのはまあ、白衣みたいなものなんだろ。いずれ鳴島にも用意してやるよ。龍と虎、どっちの柄がいい?」
「……どうして私のはその二択なんですか」
 シイカは、自分のカバンから取り出した本物の白衣を身に着けた。好きな服でいいとはクツナから言われていたものの、一応気を遣った服装にしたつもりだった。
「さてそろそろお客が来るかな。十時の約束なんだ」
 クツナが言い終わるのと同時に、玄関の方からノック音が聞こえた。
「どうぞ。開いています」
 数秒してから、ガラガラと遠慮がちに引き戸が開く音がした。感覚的に、シイカは客は女性だろうと推量する。
 果たして、現れたのは中年の女だった。四十代半ばに見えるが、ずいぶんくたびれている。着ているものも質素で、全体の覇気のなさに拍車をかけていた。手には鳥籠があり、中に黄色いインコが入っている。
「あのう、ここが本当に何でも治し屋さんなんですか」
「繭使い、です。何でも治し屋さんではありませんし、何でもは治せません」
 クツナの極端な強調が、シイカには少しおかしかったが、大切なことではある。
「この子を、治してください。これはお金です……」
 女の細い手が茶封筒を差し出す。クツナはいつも、客の名前も確かめない。受注の際はもちろん聞き取っているのだが、治療の当日はただ、前金を現金で受け取り、施術を行うだけだ。依頼人本人かどうかは、繭を見れば分かると言う。
 クツナに促され、女は鳥籠からインコを出して、施術台に立たせた。インコは飛び立とうともせず、大人しくしている。クツナの前に置かれた動物は、一様にそうだった。
 女を少し下がらせ、クツナがインコの上に右手をかざした。シイカも自分の目に神経を集中する。インコの周りに青白い繭が現れた。飼い主の女にだけは見えない。
「風切り羽と、指先を損傷したのですね。風切り羽は元通りに戻しても?」
「ええ、構いません。飛べるようにしてやってください」
「委細、承知しました。では、治します」
 クツナの指がインコの繭に潜り込む。巧みに光の束をかき分け、六本の糸を取り出した。その六本を全てシイカに渡す。受け取ったシイカの指に、痛みが走った。クツナが視線で詫び、シイカはそれに目礼で大丈夫だと答える。
 クツナは、左手でもう七本の糸を保持した。右手で、シイカの糸と自分のそれをより合わせたり、結びつけたりしていく。
 普段はクツナは右利きだったが、繭を扱う時は両利きのように手を動かせる。シイカがそのことに敬意を示した時、角度や位置によって糸の使い方も様々なので、両手が同じように使えないと仕事にならないのだとクツナは答えた。
 シイカの目にも、クツナが何をしようとしているのかが見えてきた。より合わされた糸が、インコの両翼の端で、風切り羽の形になっていく。まるで編み物のようだが、その進行が恐ろしく早い。シイカがどんなに練習したところで、これほどの痛みに耐えながら、これほどの速度と精度で同じができるとは到底思えなかった。
 羽が終わると、今度は足の指に取り掛かる。羽と同じように爪先の形を糸で成形し終わると、今度はインコの頭の周りを、クツナの指が躍った。
 シイカの持っていた糸もインコに戻し、ようやくクツナが、長く低く息を吐いた。
「終わりました。術前と変わっていないように見えるでしょうが、これからかなり早いスピードで、欠損部分が再生していくはずです。その分体が疲れやすくなると思うので、気をつけて見てあげてください。ケガの痛みによる恐怖心もやわらげておきましたので」
「ありがとうございます。本当に……。こんなにすぐに終わらせていただけるんですね」
「インコは、ということですがね。あなたの脇腹と左腕は治さなくていいのですか」
 頭を下げていた女が、その格好のまま動きを止めた。激しい動揺が、シイカにも伝わる。普段は他人の繭など見ないようにしているが、この時は反射的に目を凝らしてしまった。女の繭には、焦りと狼狽の色がある。
「このインコも、単純なケガというわけではなさそうだ。羽と指は、同じ刃物で切られたものですね。指はもちろん羽の方も、血管まで切られている。それなりに出血もあったのではありませんか」
「そ、……れ、は……」
 女は頭を上げられないままでいた。
「風切り羽は、そのうちまた伸びてくるでしょう。それをわざわざ指と一緒に、ここでいちどきに治そうとしたのはなぜです? これからすぐに、放してしまおうと思っていたのではないですか? たとえば、このインコを傷つけた誰かから引き離すために」
 そこまで言ってから、やや口調を柔らかくして、クツナは続ける。
「言っておきますが、セキセイインコの放野など全くおすすめできません。黄色一色のルチノーはただでさえ日光に弱いとも聞きますが、そんなこととは関係なく、寿命まで生き抜くのは不可能でしょう。飼っている以上それくらいのことをご存じないわけではないでしょうが、正常な判断ができなくなるくらい、あなたが何かに……誰かに、追い詰められているのではないですか」
 シイカにはまるで分らないが、クツナには女の繭を通して、そこまでの確信が得られているようだった。
 手品などで、相手の情報をあらかじめ聞き出した上で様々なことを言い当て、まるで相手が心を読まれているように感じるという技術があるが、クツナの場合はそれこそむき出しの情報源である繭を見ているだけに、こうした状況で外すことはまずない。
 ただ、それ以上の深い情報は、繭の外郭を見ているだけではさすがに読み取れない。
「よかったら、話してみませんか。治療するかどうかは別にして、です」
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