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第一章 3
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玄関へ回ると、クツナが引き戸を開け放して待っていた。
自分が名乗っていないことに気づき、シイカは頭を下げながら慌てて言う。
「鳴嶋シイカと言います。本当にすみません、……覗いたりして」
「いいや。これから学校だろうから、手短に説明するな。ただまず先に、君が見たという光。これについては、他言しないでほしい。それと、僕がツバメに何をしていたのかを見たか?」
「何か、ツバメの上で手を動かしていたのは……ごめんなさい、見てました。治療してあげていたんですか?」
「そう……そういうことだ。その時……」
「糸みたいなものを使ってたのが見えました」
「うん。その糸のことも、人には言わないでもらいたい」
口調は優しいが、真剣な響きがある。
「はい。あの……でも、あれは何なんですか」
さっきの光る糸を、頭の中で思い浮かべる。シイカの胸が、わずかに鼓動の早さを増した。クツナの印象とは別に、あの糸には奇妙な胸のざわつきを覚える。
「君が見たとおりだ。僕は、生き物の怪我が治せる。説明するって言っておいて申し訳ないが、詳しい話をするには今ここでは難しい。申し訳ないが、また落ち着いて話をさせてもらうから、さっき言ったように君が見たことは内緒にしておいてほしい。これは僕たちにとって、とても大切なことなんだ。それに……別に、君にお願いもある」
「私に?」
クツナは一度玄関の中へ入ると、そこにあったメモ用紙にさらさらと何かを書き付け、一枚破ってシイカに渡した。
「どうか、聞くだけは聞いてくれ。僕の連絡先だ。メールやメッセージのやり取りに抵抗があれば、番号非通知で電話してくれてもいいし、直接またここに来てもいい。日曜日と水曜日は大抵いるが、土曜日は夜中まで出掛けていることが多い。来られそうな時に連絡をくれ。それにしてもその制服、この近くの高校じゃないよな? どうしてこんな時間に、こんなところに? 通学路だったか?」
「それはその、たまたまというか……えっと」
「いや、詮索するようなことを言って悪かった。ああ、カラスも起き出したな」
ギャアギャアと鳴き声が、早朝の町に響き出す。
「それでは……失礼します」
挨拶してきびすを返そうとすると、強く後ろ髪を引かれる感覚があった。なぜ、なぜこんな気分になるのだろう、とシイカは狼狽する。
「それと鳴嶋、さん」
「はい?」
「もし、怪我をした生き物がいたら僕のところへ連れてきてくれ。その方が説明しやすい」
駅に戻り、さらに適当に時間をつぶして、シイカはようやく登校した。それでも始業時間までにはかなりの余裕があった。
徐々に教室に生徒が増えていく。しかし、シイカに話しかける者はいない。嫌われているわけでも、いじめられているわけでもない。ただ、気に留められていないだけだ。一年生の時も、中学の時もそうだった。
腰まであった長い髪をばっさりと切ったのは、二年生の始業式の直前、今より二ヶ月と少し前だった。しかし、一年の時から同じクラスの同級生さえ、一言もそのことに触れようとしなかった。髪を切ったことに気づかれなかったわけではない。それと分かった上で、特に話題にすることでもないと判断されたのだ。
この状況を作ったのは他でもない、シイカ自身だった。幼い頃から、人とつながりを持つことに強い抵抗があった。対人恐怖症というわけではない。必要な諸事連絡の時には、問題なく周囲とやり取りできる。しかし、特に理由もなく他人と仲良くなることができない。特に、何気ない世間話などしようとすると、話している間に妙に緊張してしまい、上手くいかない。
思えば小さい時から、自分は周りから腫れ物に触るように扱われてきた気がする。父親がいないことに対する同情と、それについての過剰な意識によるものかもしれない。自然、段々と、自分から人に接することもなくなっていった。
他人と疎遠になると、今度は家族との会話もあまり重要ではないことに気づいた。少なくとも、必要な会話とそうでない無駄話とに分けた場合、母や弟との日常会話は圧倒的に後者が多い。口数が減り、話をするわけでもないのに狭い部屋の中で顔を突き合わせていると、居心地が悪くなってくる。その結果、放課後はなるべく遅く家に帰り、朝はなるべく早く家を出るようになった。
今朝のことは、最近にない特別な体験だった。知りもしない人の家をのぞき込み、そこの住人と会話をした。その上、また会いに行くことになっている。
始業のベルが鳴り、教室に入ってきた教師が出欠をとる。
毒にも薬にもならない生徒であるシイカは、他のクラスメイトの誰にも気にされずに、教師の点呼に空気のような返事をした。
放課後はすぐにやってきた。今日は水曜日だ。クツナは家にいるのだろう。
せっかくだから、怪我をした生き物を何か見つけていこうとしたシイカだったが、怪我をしているどころか、シイカに捕まえられそうな手頃な生き物というのがそもそもそうはいない。
学校の敷地の中にはそれなりに植え込みや雑草が茂った場所もあるのだが、だからと言ってヘビやカラスが怪我をしていたところで、電車に乗って持って行くわけにもいかない。
仕方なく、手ぶらで行こうと諦め、シイカは校門を出た。すると校門のすぐ脇のところで、数人の男子が何か騒いでいた。
自分が名乗っていないことに気づき、シイカは頭を下げながら慌てて言う。
「鳴嶋シイカと言います。本当にすみません、……覗いたりして」
「いいや。これから学校だろうから、手短に説明するな。ただまず先に、君が見たという光。これについては、他言しないでほしい。それと、僕がツバメに何をしていたのかを見たか?」
「何か、ツバメの上で手を動かしていたのは……ごめんなさい、見てました。治療してあげていたんですか?」
「そう……そういうことだ。その時……」
「糸みたいなものを使ってたのが見えました」
「うん。その糸のことも、人には言わないでもらいたい」
口調は優しいが、真剣な響きがある。
「はい。あの……でも、あれは何なんですか」
さっきの光る糸を、頭の中で思い浮かべる。シイカの胸が、わずかに鼓動の早さを増した。クツナの印象とは別に、あの糸には奇妙な胸のざわつきを覚える。
「君が見たとおりだ。僕は、生き物の怪我が治せる。説明するって言っておいて申し訳ないが、詳しい話をするには今ここでは難しい。申し訳ないが、また落ち着いて話をさせてもらうから、さっき言ったように君が見たことは内緒にしておいてほしい。これは僕たちにとって、とても大切なことなんだ。それに……別に、君にお願いもある」
「私に?」
クツナは一度玄関の中へ入ると、そこにあったメモ用紙にさらさらと何かを書き付け、一枚破ってシイカに渡した。
「どうか、聞くだけは聞いてくれ。僕の連絡先だ。メールやメッセージのやり取りに抵抗があれば、番号非通知で電話してくれてもいいし、直接またここに来てもいい。日曜日と水曜日は大抵いるが、土曜日は夜中まで出掛けていることが多い。来られそうな時に連絡をくれ。それにしてもその制服、この近くの高校じゃないよな? どうしてこんな時間に、こんなところに? 通学路だったか?」
「それはその、たまたまというか……えっと」
「いや、詮索するようなことを言って悪かった。ああ、カラスも起き出したな」
ギャアギャアと鳴き声が、早朝の町に響き出す。
「それでは……失礼します」
挨拶してきびすを返そうとすると、強く後ろ髪を引かれる感覚があった。なぜ、なぜこんな気分になるのだろう、とシイカは狼狽する。
「それと鳴嶋、さん」
「はい?」
「もし、怪我をした生き物がいたら僕のところへ連れてきてくれ。その方が説明しやすい」
駅に戻り、さらに適当に時間をつぶして、シイカはようやく登校した。それでも始業時間までにはかなりの余裕があった。
徐々に教室に生徒が増えていく。しかし、シイカに話しかける者はいない。嫌われているわけでも、いじめられているわけでもない。ただ、気に留められていないだけだ。一年生の時も、中学の時もそうだった。
腰まであった長い髪をばっさりと切ったのは、二年生の始業式の直前、今より二ヶ月と少し前だった。しかし、一年の時から同じクラスの同級生さえ、一言もそのことに触れようとしなかった。髪を切ったことに気づかれなかったわけではない。それと分かった上で、特に話題にすることでもないと判断されたのだ。
この状況を作ったのは他でもない、シイカ自身だった。幼い頃から、人とつながりを持つことに強い抵抗があった。対人恐怖症というわけではない。必要な諸事連絡の時には、問題なく周囲とやり取りできる。しかし、特に理由もなく他人と仲良くなることができない。特に、何気ない世間話などしようとすると、話している間に妙に緊張してしまい、上手くいかない。
思えば小さい時から、自分は周りから腫れ物に触るように扱われてきた気がする。父親がいないことに対する同情と、それについての過剰な意識によるものかもしれない。自然、段々と、自分から人に接することもなくなっていった。
他人と疎遠になると、今度は家族との会話もあまり重要ではないことに気づいた。少なくとも、必要な会話とそうでない無駄話とに分けた場合、母や弟との日常会話は圧倒的に後者が多い。口数が減り、話をするわけでもないのに狭い部屋の中で顔を突き合わせていると、居心地が悪くなってくる。その結果、放課後はなるべく遅く家に帰り、朝はなるべく早く家を出るようになった。
今朝のことは、最近にない特別な体験だった。知りもしない人の家をのぞき込み、そこの住人と会話をした。その上、また会いに行くことになっている。
始業のベルが鳴り、教室に入ってきた教師が出欠をとる。
毒にも薬にもならない生徒であるシイカは、他のクラスメイトの誰にも気にされずに、教師の点呼に空気のような返事をした。
放課後はすぐにやってきた。今日は水曜日だ。クツナは家にいるのだろう。
せっかくだから、怪我をした生き物を何か見つけていこうとしたシイカだったが、怪我をしているどころか、シイカに捕まえられそうな手頃な生き物というのがそもそもそうはいない。
学校の敷地の中にはそれなりに植え込みや雑草が茂った場所もあるのだが、だからと言ってヘビやカラスが怪我をしていたところで、電車に乗って持って行くわけにもいかない。
仕方なく、手ぶらで行こうと諦め、シイカは校門を出た。すると校門のすぐ脇のところで、数人の男子が何か騒いでいた。
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