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キサラギ・サラが死んだ場所
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放課後、プール棟の入り口で待ち合わせをしていたので、時間通りにハインツがやって来た。
カルフも来ると騒いだのだけど、僕は例のツタの人影とやらを静かにじっくりと見てみたかったので、ハインツと二人で調べることにした。
「やあ、ハインツ」
「やあ。どうだった、日比野先輩は」
「今のところ、何もなし」
正直に伝え、建物の北側下回りこむ。
こんな日当たりの悪い所によくも、と言いたくなる程に、ツタはプール棟の壁面を覆っていた。
ツタは複雑な陰影を形作っていて、人影の様に見えるところもあれば、そうでないところもある。
「ねえ、ハインツ。幽霊がいたとして、いたとしてだよ。ツタに浮かび上がってなんて来ると思う?」
少し黙ってから、ハインツが答えた。
「思わない。幽霊がいたとして、だよな? ツタも生命体だから乗り移るくらいは出来るのかもしれないが、動物の様な筋組織もないのに、一朝一夕に何らかの意味ある造形を成すなんて不可能なんじゃないか」
ハインツらしい物言いに、僕は何だか安心してしまう。
「ハインツ、僕はね、幽霊はいると思う。でもそれは、いわゆる亡霊ではないんじゃないかとも思う。人間に宿る魂が肉体から抜け出して、ふわふわと物理世界を漂って、時には物を言ったり、何かを操ったり、生きている人間相手に恨みを晴らしたり、宿る物質もないのに何年も自縛霊として存在したり。魂って、そんなに都合のいいものじゃない気がするから。大脳無しに、感情や思考を有することが可能かっていうのもピンと来ないし」
「……お前、可愛げないなあ」
どっちがだよ、と胸中でいいながら、僕は続けた。
「幽霊は死んだ人じゃなくて、生きている人間が作るんだと思うんだよ。いなくなった人への祈りや恐れが、僕らの脳の中に幽霊という夢を作り出す。だから僕らは、自分で見た幽霊を無視出来ないんだ。だってそれは、自分が見た夢なんだから」
「目を開けて見る方の、ってことだな」
こういうところ、僕は友達に恵まれたと思う。
「僕は、このツタに幽霊が見える。それは、未練とか、思い入れとか、気のせいとかって呼ばれる様なものなんだろうけど。何か、解き明かさなくちゃならないものがこのプール棟の中にあるんだ」
複雑に絡まりあったツタの中に、ぼんやりと人影が浮かんで見える。
きっと、僕がそれをそこに見たがっているから。
その顔は、泣き顔の様に見えた。それは僕の脳の中に住むサラ先輩だ。
その涙を、止めたいと思った。
たとえ、もう死んでしまった人は泣きも笑いもしないと、解っていても。
深夜、立ち入り禁止のプール棟に、僕ら三人は侵入した。今度は、カルフも一緒だ。
西側の窓のひとつにはがたが来ており、窓枠ごと簡単に外すことが出来るのは、生徒の間では公然の秘密だった。
窓は僕らが背伸びすれば届く程度の高さにあり、縦横とも長さが一メートルくらいはあるので、何か台にでも乗ればすぐに中へ進入できる。
プールサイドへ出て、足音を殺しながら、建物の外に光が漏れない様に気を付けながら懐中電灯をかざす。
一番深いプールの手すりが、その光を反射した。
手すりの傍へ寄り、底の方を見降ろす。首を吊るには充分な深さだった。思わず、震えが全身に走る。
縦長の貯水槽の様なそのプールからは、何も発見出来なさそうだった。
と、カルフが、声を出した。
「なんだか、何にもかもがあやしく見えて来るなあ。この扉、なんだろう」
言いながら、取っ手を掴んで扉を開けた。
「カルフ、あんまり好きにその辺触るなよ」
ハインツの声が聞こえているのか、カルフは扉をくぐって行く。
すぐに、ぶは、ぺっ、というせき込む音が聞こえた。
「埃だらけだ、この中。古い用具室みたい」
どの道一通り見て回る予定だったので、僕もその中を見てみた。
懐中電灯で照らしてみる。
ずいぶん前から使っていないのか、置いてある物には、毛布の様に分厚い埃がかぶっていた。
一番近い床に、擦り切れたビート板。
厚いビニールのマット。
ロープやワイヤーの類。
古そうなラジカセなどは懐中電灯の光を鋭く反射していたけど、他のものは灰色に覆われており、もはや判然としない。
人の出入りだけはあるようで、床の埃は薄くて乱れていたけど、中へ踏み込んでいく気にはなれなかった。
その時、ハインツの声が僕の耳に刺さった。
「おい、まずい。人が来る」
僕とカルフが探索に気を取られている間、ハインツは見張りをしてくれていたらしい。
僕らは懐中電灯を消し、乏しい月明かりの中で先程の窓から素早く脱出した。
見回りに来たのは、学長よりもおっかないことで有名な、ノイマン先生らしかった。
独特の低い声で、「明かりが見えた様な気がするが」「誰かいるのか」と言って回っている。
今夜は、これ以上の捜索は無理の様だった。
僕らはこっそり寮へ引き返し、眠れない夜を過ごした。
カルフも来ると騒いだのだけど、僕は例のツタの人影とやらを静かにじっくりと見てみたかったので、ハインツと二人で調べることにした。
「やあ、ハインツ」
「やあ。どうだった、日比野先輩は」
「今のところ、何もなし」
正直に伝え、建物の北側下回りこむ。
こんな日当たりの悪い所によくも、と言いたくなる程に、ツタはプール棟の壁面を覆っていた。
ツタは複雑な陰影を形作っていて、人影の様に見えるところもあれば、そうでないところもある。
「ねえ、ハインツ。幽霊がいたとして、いたとしてだよ。ツタに浮かび上がってなんて来ると思う?」
少し黙ってから、ハインツが答えた。
「思わない。幽霊がいたとして、だよな? ツタも生命体だから乗り移るくらいは出来るのかもしれないが、動物の様な筋組織もないのに、一朝一夕に何らかの意味ある造形を成すなんて不可能なんじゃないか」
ハインツらしい物言いに、僕は何だか安心してしまう。
「ハインツ、僕はね、幽霊はいると思う。でもそれは、いわゆる亡霊ではないんじゃないかとも思う。人間に宿る魂が肉体から抜け出して、ふわふわと物理世界を漂って、時には物を言ったり、何かを操ったり、生きている人間相手に恨みを晴らしたり、宿る物質もないのに何年も自縛霊として存在したり。魂って、そんなに都合のいいものじゃない気がするから。大脳無しに、感情や思考を有することが可能かっていうのもピンと来ないし」
「……お前、可愛げないなあ」
どっちがだよ、と胸中でいいながら、僕は続けた。
「幽霊は死んだ人じゃなくて、生きている人間が作るんだと思うんだよ。いなくなった人への祈りや恐れが、僕らの脳の中に幽霊という夢を作り出す。だから僕らは、自分で見た幽霊を無視出来ないんだ。だってそれは、自分が見た夢なんだから」
「目を開けて見る方の、ってことだな」
こういうところ、僕は友達に恵まれたと思う。
「僕は、このツタに幽霊が見える。それは、未練とか、思い入れとか、気のせいとかって呼ばれる様なものなんだろうけど。何か、解き明かさなくちゃならないものがこのプール棟の中にあるんだ」
複雑に絡まりあったツタの中に、ぼんやりと人影が浮かんで見える。
きっと、僕がそれをそこに見たがっているから。
その顔は、泣き顔の様に見えた。それは僕の脳の中に住むサラ先輩だ。
その涙を、止めたいと思った。
たとえ、もう死んでしまった人は泣きも笑いもしないと、解っていても。
深夜、立ち入り禁止のプール棟に、僕ら三人は侵入した。今度は、カルフも一緒だ。
西側の窓のひとつにはがたが来ており、窓枠ごと簡単に外すことが出来るのは、生徒の間では公然の秘密だった。
窓は僕らが背伸びすれば届く程度の高さにあり、縦横とも長さが一メートルくらいはあるので、何か台にでも乗ればすぐに中へ進入できる。
プールサイドへ出て、足音を殺しながら、建物の外に光が漏れない様に気を付けながら懐中電灯をかざす。
一番深いプールの手すりが、その光を反射した。
手すりの傍へ寄り、底の方を見降ろす。首を吊るには充分な深さだった。思わず、震えが全身に走る。
縦長の貯水槽の様なそのプールからは、何も発見出来なさそうだった。
と、カルフが、声を出した。
「なんだか、何にもかもがあやしく見えて来るなあ。この扉、なんだろう」
言いながら、取っ手を掴んで扉を開けた。
「カルフ、あんまり好きにその辺触るなよ」
ハインツの声が聞こえているのか、カルフは扉をくぐって行く。
すぐに、ぶは、ぺっ、というせき込む音が聞こえた。
「埃だらけだ、この中。古い用具室みたい」
どの道一通り見て回る予定だったので、僕もその中を見てみた。
懐中電灯で照らしてみる。
ずいぶん前から使っていないのか、置いてある物には、毛布の様に分厚い埃がかぶっていた。
一番近い床に、擦り切れたビート板。
厚いビニールのマット。
ロープやワイヤーの類。
古そうなラジカセなどは懐中電灯の光を鋭く反射していたけど、他のものは灰色に覆われており、もはや判然としない。
人の出入りだけはあるようで、床の埃は薄くて乱れていたけど、中へ踏み込んでいく気にはなれなかった。
その時、ハインツの声が僕の耳に刺さった。
「おい、まずい。人が来る」
僕とカルフが探索に気を取られている間、ハインツは見張りをしてくれていたらしい。
僕らは懐中電灯を消し、乏しい月明かりの中で先程の窓から素早く脱出した。
見回りに来たのは、学長よりもおっかないことで有名な、ノイマン先生らしかった。
独特の低い声で、「明かりが見えた様な気がするが」「誰かいるのか」と言って回っている。
今夜は、これ以上の捜索は無理の様だった。
僕らはこっそり寮へ引き返し、眠れない夜を過ごした。
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