夜煌蟲伝染圧

クナリ

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第49話 第九章 センドウヒワコ 3

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 あれだけ騒いだと言うの、池の周りは静まり返っていて、人気もない。
 いっそ、誰かに、見つけて欲しい。けれど皮肉なことに、辺りには人一人通りがかりそうになかった。
 私はさすまたの先端を、一番桟橋の近くにいる、今にも沈みそうな一人に差し向けた。
「お兄ちゃんに、謝って下さい。そうしたら、助けます」
 けれど、相手はゆらゆらと首を横に振ると、体から力を抜いて行く。
「待って。そのまま行かないで。お兄ちゃんに、……そう、皆に、あなた達がお兄ちゃんを殺したんだって、ちゃんと、あなた達の口から……」
 五人とも、今まさに、鼻が水面の下へ沈むところだった。
 ブクブクと末期の空気が、五人の口と鼻から漏れる。そうだ、これは潜水ではない。入水なんだ。
「ねえ、待って! 助けます、助けますから、これを掴んで! そして、一言だけ謝ってください。悪いことをしたって。後悔してるって。自分達の仕業だって、言って下さい。お願い!」
 四人は既に、頭まで水に浸かっていた。最後に一人、リーダー格らしい人がおでこまで沈んだ状態から、一度だけ水をかいて、水面から顎まで出した。
 私は、反射的にさすまたの先をそちらに向けた。
「私の言うとおりに、してくれるんですね? 謝って、くれるんですね!」
 彼は、十数秒、黙った。その目には、深い思考の色はない。ただただ、ぽかんとしているだけに見えた。
 それでも、私は待った。
 ほんの一言、言ってくれればそれでいい。心から謝罪して欲しいけれど、それが到底望めない相手だというなら、せめて口先だけでも構わない。
 自分達は、悪いことをしたと。取り返しのつかないことをしたと。
 ただそれだけを認めて、ほんの一言。そうすれば、あなたは。私は――……
 私は、桟橋の上で両足に力を込めた。「ああ」の一言でもあれば、その瞬間に飛び込む。
 いや、もう待てない。一人でも多く助けるには、今すぐに飛び込まなくては。
 今まで、ぐずぐずしていたのを悔やんだ。情けない。あまりのことに、思考が停止していたんだ。
 とにかく、死んじゃいけない。死んだら、全て終わりなんだから。
 彼らに近づけば私も、彼らに憑いた夜煌蟲に襲われるかもしれない。でも、そんなことを考えている場合じゃない。何とかするんだ。何とか、なる。
 そして私が今にも跳ねようとした瞬間、一番近くの彼が、口を開いた。
「謝る、……。何で?」
 その言葉を聞いて、私の足から筋肉の緊張が消えて無くなった。
 どうした。何してる。彼がどんな性格だろうと、関係無い。行くんだ。行け。助けなくちゃ。でも、……
 ――何で?
 彼の半開きの口がまた水面の下に降り、水が流れ込んで行く。
 彼はすぐに、頭まで水の中に入ってしまった。
 もう五人の誰一人、浮き上がっては来ない。二度と生きては、浮上して来ない。
 私の手からも力が抜け、闇色のさすまたが、軽い音を立てて桟橋の上で一度跳ねた。そのまま、水面へと落下する。アルミ製の筒は、沈まずに水面に浮かんだ。
 死んだ。
 五人とも。
 私が、殺した。
 形の上では、私の集めた夜煌蟲を彼らがひったくろうとして自ら浴びたわけだから、私が直接殺人を犯したわけじゃない。でも、その蟲を集めたのも、この場に持って来たのも、私の殺意だ。
 殺意。
 本当に? ……
 最初から、彼らを殺すつもりは少しでもあったのか……本当に蟲を使うつもりなんて無かった、でも、……何パーセントかは、その気があったのか。私みたいな力の弱い痩せっぽちに、そんなことが出来ると思っていたのか。
 分からない。
 むしろ、返り討ちになることを望んでいたような気がする。
 大切なものをいくつも奪われて、生きる意欲もないまま、ただ心臓が止まらないからという理由で、別の土地へ逃げて呼吸を続けている。そんな生活から、ひと思いにあの世へ飛び出してしまえないものだろうか。そう考えていなかったはずがない。
 あの五人にもう一度同じ目に遭わされたら、私はもう生きては行けなかっただろう。その時には、あの蟲を自分で頭からかぶるつもりだった。そうすれば、一も二もなく確実にこの世から逃げ出すことが出来る。
 それが、最も私が求めていた結果なんじゃないだろうか。
 死にさえすれば、兄さんに会うことが出来る。体に染みついた最悪の記憶からも、永遠に自由になれる。
 それなのに、……
「何で、生きてるの……」
池の周りは、相変わらず無音だった。風音や池のさざ波、虫の音や他の生き物の鳴き声くらいは鳴っていたはずだけど、私の耳には全く響いて来なかった。
 桟橋の上から手を伸ばし、すぐそこに浮いていたさすまたを拾う。ボート小屋のドアに画鋲で貼り付けていたワンピースも、画鋲ごと回収する。
 空になったビニールバッグを肩にかけ、私は桟橋から岸に戻った。
 痕跡を残さないよう腐心する自分は、酷く冷酷な人間に思えた。
 この時振り返れば、もしかしたら、溺死した五つの死体が池の水面に浮かんで来ていたかもしれない。けれど私は、努めて池に背を向け、小走りで公園を出た。
 ほんの少しでも、可哀想だとか、悪いことをしたとか、思いたくなかった。
 そうしたら、きっと私は耐えられなくて潰れてしまう。そんな気がしていた。
 
 私は公園から逃げ帰ると、物音を立てないようにして自分の部屋に戻った。
 胸に入れていた携帯電話の録音は、その足で消してしまった。彼らの「自白」は、これでもう、永遠に手に入らない。すぐに消すことはなかったのかもしれない。でも、五人の断末魔が自分の携帯電話の中に残っていることに耐えられなかった。
 彼らとの一部始終を、誰かに見られていたりしないだろうか。そうしたら私は、殺人犯として捕まるのだろうか。
 私のしたことは、殺人になるのだろうか。前に私があの五人にされたことは、私の罪が裁かれる時に考慮されるだろうか。それで罪が軽くなったって、嬉しくとも何ともないけど。
 ぐるぐるといくつもの考えが私の頭を巡った。
 五人のうち一人の携帯電話には、私と待ち合わせをするためにやり取りをした時の記録が残っているはずだ。そこからたどって、彼らがなぜ私に連絡を取ろうとしたのか、私はどう応じたのか、警察に聞かれたりしたらどうしよう。
 眠れるわけなどないまま、夜は過ぎて行った。

 夜が明けると、お母さんが私の部屋のドアをノックした。
 私は感情を限界まで抑えて、今日までに数え切れないほど言って来た、「今日は休む」というセリフを機械的に告げた。
 ……告げた、と思う。
 あんまり、よく覚えてないけれど。
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