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第37話 第八章 羊の歌 2
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全てが一変したのは、高校生になってしばらくして、あたしが先生の子供を妊娠したことが発覚した時だった。
どうしても、産みたかった。姉さんの果たせなかったことを、あたしが代わりにやってやるんだと決意した。
それを、先生のアパートで、彼に告げた。手放しで喜んでくれないことは覚悟していたけれど、先生から帰って来たのは、思いもよらない言葉だった。
――ついてないな――
確かに、そう言った。
どういうことですか、と訊くあたしに、先生は見たことの無い表情で答えた。
笑っているような。
呆れているような。
――どうしてそう簡単に、子供なんてできるのかね――
――君のお姉さんで、僕は懲りておけば良かったんだが――
雷に打たれたような衝撃だった。先生は姉さんの、かつての担任でもある。でも、考えたこともなかった。姉さんが決して言わなかった、子供の父親。まさか、……まさか。
――産まれちゃ困る。処分の手伝いはしてあげるよ。でも、それで僕らは終わりだ――
――楽しかったがね――
――君はもう、彼女の妹として、何と言うのかな、上手く伝わる言い方かどうかは分からないけど、つまり――
――そう、つまり、僕が味見したい部分を残してはいない、ということなんだ――
――僕は、君個人には興味はない。好奇心を満たし終わったら、もう用はないんだ。だって君は――
――彼女……君のお姉さんではないから――
高揚はそのまま、絶望に変わった。
死にたい。心の底から、そう思った。
気がついた時には、先生のアパートを飛び出していた。
あてどもなくさ迷って、とうとう公園のアスレチックジムの中で眠ろうとしたあたしは、公園の隅の桜の木で、夜煌蟲に取り憑かれた女の人が首を吊るのを見た。
女の人が死んだ後、その体にまとわりついた夜煌蟲を、間近に寄ってまじまじと見つめた。
その時、ほんの数滴の蟲が、死体からほろりとこぼれてあたしにくっついた。
すぐにつまみ取ってしまえる程度の、ちっぽけな光。
あたしと同じだ、と思った。
あたしは蟲をつまむと、自分の口に放り込んで飲み込んだ。
体の中ですぐに蟲が増殖して行くのを、あたしはただ感じていた。
噂通り、頭の中に、これまでの犠牲者達の記憶が次々に閃きながら展開して行く。でもそれらはどれも、ついさっき強烈に味わった厭世感の前には生ぬるかった。生きることへの渇望を失ったあたしには、蟲が与えて来る死への衝動は、少し強く降る雨くらいの存在感しかなかった。その雨に濡れるように、夜煌蟲とあたしは、夜の公園で混ざり合って行った。
夜煌蟲に取り憑かれても自殺しようとしなかった、多分最初の人間が、このあたしだと思う。生きたがっていない人間は、進んで死のうともしなかった。
アスレチックジムの中でじっとしながら、ふと、お腹の赤ちゃんのことを考えた。あたしは、この子を産むのだろうか。まともに、育つのだろうか。育てられるのだろうか。
そう考えた時、あたしの中で、先生への殺意が弾けた。自分を殺すために蟲が生むはずの衝動が、先生を殺すための殺意へと変換して、頭の中に噴き出した。
殺意は、あたしの脳の中で、早くもすっかりそこに居着きつつあった蟲に宿った。そしてあたしは、蟲が変質するのを感じた。宿主を自ら死なせる従来通りの自殺促進型から、他人を殺す衝動を生み出す、新型へ。
新たな蟲は、体の外からやって来た異端者ではない。あたしの中で生まれた、オリジナルの存在。しばらく後にあたしが他者殺害型と名づけるその蟲達へ、あたしは新型専用の居場所として、どんどん子宮へ降りて来るように脳内で語りかけた。
自殺促進型に感染しても自殺しなかったのと同じで、あたしが新型の蟲のせいで直接人を殺したいという衝動に駆られることはなかった。なら、共存することができるはずだ。
蟲達はその通りにして、あたしの子宮の中に宿った。あたしと蟲は、もう不可分の存在だった。ただこの時は、自分の体で新型の蟲を育めるというだけで、その使い道はまだ何も思いついていなかった。
他者殺害型でない、従来通りの自殺促進型も、まだあたしの体内に残っている。あたしは、こっちの蟲を取り憑かせて先生を自殺させてやろうと、アパートへ駆け戻った。
しかしその時、既に先生は近くの踏切で、飛び込み自殺していた。
遺書は無い。そして目撃者の話では、夜煌蟲に感染していた様子も無いとのことだった。
どうしても、産みたかった。姉さんの果たせなかったことを、あたしが代わりにやってやるんだと決意した。
それを、先生のアパートで、彼に告げた。手放しで喜んでくれないことは覚悟していたけれど、先生から帰って来たのは、思いもよらない言葉だった。
――ついてないな――
確かに、そう言った。
どういうことですか、と訊くあたしに、先生は見たことの無い表情で答えた。
笑っているような。
呆れているような。
――どうしてそう簡単に、子供なんてできるのかね――
――君のお姉さんで、僕は懲りておけば良かったんだが――
雷に打たれたような衝撃だった。先生は姉さんの、かつての担任でもある。でも、考えたこともなかった。姉さんが決して言わなかった、子供の父親。まさか、……まさか。
――産まれちゃ困る。処分の手伝いはしてあげるよ。でも、それで僕らは終わりだ――
――楽しかったがね――
――君はもう、彼女の妹として、何と言うのかな、上手く伝わる言い方かどうかは分からないけど、つまり――
――そう、つまり、僕が味見したい部分を残してはいない、ということなんだ――
――僕は、君個人には興味はない。好奇心を満たし終わったら、もう用はないんだ。だって君は――
――彼女……君のお姉さんではないから――
高揚はそのまま、絶望に変わった。
死にたい。心の底から、そう思った。
気がついた時には、先生のアパートを飛び出していた。
あてどもなくさ迷って、とうとう公園のアスレチックジムの中で眠ろうとしたあたしは、公園の隅の桜の木で、夜煌蟲に取り憑かれた女の人が首を吊るのを見た。
女の人が死んだ後、その体にまとわりついた夜煌蟲を、間近に寄ってまじまじと見つめた。
その時、ほんの数滴の蟲が、死体からほろりとこぼれてあたしにくっついた。
すぐにつまみ取ってしまえる程度の、ちっぽけな光。
あたしと同じだ、と思った。
あたしは蟲をつまむと、自分の口に放り込んで飲み込んだ。
体の中ですぐに蟲が増殖して行くのを、あたしはただ感じていた。
噂通り、頭の中に、これまでの犠牲者達の記憶が次々に閃きながら展開して行く。でもそれらはどれも、ついさっき強烈に味わった厭世感の前には生ぬるかった。生きることへの渇望を失ったあたしには、蟲が与えて来る死への衝動は、少し強く降る雨くらいの存在感しかなかった。その雨に濡れるように、夜煌蟲とあたしは、夜の公園で混ざり合って行った。
夜煌蟲に取り憑かれても自殺しようとしなかった、多分最初の人間が、このあたしだと思う。生きたがっていない人間は、進んで死のうともしなかった。
アスレチックジムの中でじっとしながら、ふと、お腹の赤ちゃんのことを考えた。あたしは、この子を産むのだろうか。まともに、育つのだろうか。育てられるのだろうか。
そう考えた時、あたしの中で、先生への殺意が弾けた。自分を殺すために蟲が生むはずの衝動が、先生を殺すための殺意へと変換して、頭の中に噴き出した。
殺意は、あたしの脳の中で、早くもすっかりそこに居着きつつあった蟲に宿った。そしてあたしは、蟲が変質するのを感じた。宿主を自ら死なせる従来通りの自殺促進型から、他人を殺す衝動を生み出す、新型へ。
新たな蟲は、体の外からやって来た異端者ではない。あたしの中で生まれた、オリジナルの存在。しばらく後にあたしが他者殺害型と名づけるその蟲達へ、あたしは新型専用の居場所として、どんどん子宮へ降りて来るように脳内で語りかけた。
自殺促進型に感染しても自殺しなかったのと同じで、あたしが新型の蟲のせいで直接人を殺したいという衝動に駆られることはなかった。なら、共存することができるはずだ。
蟲達はその通りにして、あたしの子宮の中に宿った。あたしと蟲は、もう不可分の存在だった。ただこの時は、自分の体で新型の蟲を育めるというだけで、その使い道はまだ何も思いついていなかった。
他者殺害型でない、従来通りの自殺促進型も、まだあたしの体内に残っている。あたしは、こっちの蟲を取り憑かせて先生を自殺させてやろうと、アパートへ駆け戻った。
しかしその時、既に先生は近くの踏切で、飛び込み自殺していた。
遺書は無い。そして目撃者の話では、夜煌蟲に感染していた様子も無いとのことだった。
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