28 / 51
第28話 第七章 シバカタロウ 2
しおりを挟む
アルバイト先の本屋は、八時に閉店する。店長が毎日施錠する事務所のドアを、綾花が合鍵で開けた。
俺達は安っぽいスツールに並んで座り、俺は事務所の真ん中のテーブルに肘をついた。
「他の人はね、……私の周りの人達は……」
「……ああ」
「他の店員さん達も、配送のトラックの人達も、お店に関わってる人達は大抵私の癌のことは知ってるの。それまでは結構、女の私をからかったりする人も多かったんだけど、手術が終わってからはぱったり無くなった。そりゃそうだよね。気を遣ってくれてるんだけど、やっぱり不自然に感じちゃう。そんなの私が、……悪いんだけど」
悪かないと思いますけど、と俺は口の中でつぶやいた。
「手術の後、私、自分が女じゃなくなったように感じたの。それまでは、セクハラじゃないんですかって言いたくなるようなことするおじさんとかも、そんなことしなくなって。それが私には、……自分が女扱いしてもらえなくなったことの象徴みたいに感じられて。変だよね、あの頃は、訴えてやるうなんて言ってたのに。本当に嫌だと思ってたのに」
変ではないと思うっす、と、また声には出せない。
「私がシバ君にべたべたしてたのは、シバ君がまだそのことを知らなかったからなの。分かってるのよ、私は今だって間違いなく女だし、子宮だけが女の全てじゃないって。でも……」
隣の綾花は、斜め下をじっと見つめて、俺とは全く目を合わせないまま、言った。
「今までごめんね、思わせ振りなことして。シバ君が、女の私に慌ててくれるのが嬉しかったの。あなたの前でだけは、……私はまだ、……女でいられたから。今日までは……」
俺は、相槌すら打てなかった。
共感なんて、しようが無い。綾花の苦悩は、俺にはきっと一生、その一片も理解してやれない。
「見たでしょ、さっき。結婚って言われた途端に、私ぐらついちゃって。そんなに結婚に執着する女、みっともないよね。私もそう思ってた、手術するまでは。先生のくせに、学校にいるのが、最近怖くなるの。女子達は皆、女としての体がどんどん出来上がって行く。皆、一人残らず子供が作れる。私以外は、全員が。あの子達皆にできることが、……私にだけは、できない。時々、たまらなくなるの……!」
二人で、しばらく黙った。空気が、一秒ごとに重くなっていく。その重さで、この人を潰させるわけにはいかなかった。ここに、俺がいるのに。
「綾花さん、数学の先生でしたよね。俺数字関係ぜんぜん駄目なんで、これから休憩時間とかバイト上がりとかに時間が合えば、勉強教えてくれないっすか。教わる人が先生なんて、最高ですし」
綾花は、目をぱちくりとさせて、一呼吸置いてから、言って来た。
「もしかして、……元気づけようとしてくれてるの」
「……一応。俺なりに、ですけど」
綾花が、小さい声で礼を言った。静かな夜が、静かなままに過ぎて行った。
俺達は安っぽいスツールに並んで座り、俺は事務所の真ん中のテーブルに肘をついた。
「他の人はね、……私の周りの人達は……」
「……ああ」
「他の店員さん達も、配送のトラックの人達も、お店に関わってる人達は大抵私の癌のことは知ってるの。それまでは結構、女の私をからかったりする人も多かったんだけど、手術が終わってからはぱったり無くなった。そりゃそうだよね。気を遣ってくれてるんだけど、やっぱり不自然に感じちゃう。そんなの私が、……悪いんだけど」
悪かないと思いますけど、と俺は口の中でつぶやいた。
「手術の後、私、自分が女じゃなくなったように感じたの。それまでは、セクハラじゃないんですかって言いたくなるようなことするおじさんとかも、そんなことしなくなって。それが私には、……自分が女扱いしてもらえなくなったことの象徴みたいに感じられて。変だよね、あの頃は、訴えてやるうなんて言ってたのに。本当に嫌だと思ってたのに」
変ではないと思うっす、と、また声には出せない。
「私がシバ君にべたべたしてたのは、シバ君がまだそのことを知らなかったからなの。分かってるのよ、私は今だって間違いなく女だし、子宮だけが女の全てじゃないって。でも……」
隣の綾花は、斜め下をじっと見つめて、俺とは全く目を合わせないまま、言った。
「今までごめんね、思わせ振りなことして。シバ君が、女の私に慌ててくれるのが嬉しかったの。あなたの前でだけは、……私はまだ、……女でいられたから。今日までは……」
俺は、相槌すら打てなかった。
共感なんて、しようが無い。綾花の苦悩は、俺にはきっと一生、その一片も理解してやれない。
「見たでしょ、さっき。結婚って言われた途端に、私ぐらついちゃって。そんなに結婚に執着する女、みっともないよね。私もそう思ってた、手術するまでは。先生のくせに、学校にいるのが、最近怖くなるの。女子達は皆、女としての体がどんどん出来上がって行く。皆、一人残らず子供が作れる。私以外は、全員が。あの子達皆にできることが、……私にだけは、できない。時々、たまらなくなるの……!」
二人で、しばらく黙った。空気が、一秒ごとに重くなっていく。その重さで、この人を潰させるわけにはいかなかった。ここに、俺がいるのに。
「綾花さん、数学の先生でしたよね。俺数字関係ぜんぜん駄目なんで、これから休憩時間とかバイト上がりとかに時間が合えば、勉強教えてくれないっすか。教わる人が先生なんて、最高ですし」
綾花は、目をぱちくりとさせて、一呼吸置いてから、言って来た。
「もしかして、……元気づけようとしてくれてるの」
「……一応。俺なりに、ですけど」
綾花が、小さい声で礼を言った。静かな夜が、静かなままに過ぎて行った。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
ここは奈落の凝り
川原にゃこ
ホラー
お前もそろそろ嫁さんを貰ったほうがええじゃろう、と近所の婆さんに言われ、巽の元に女房が来ることとなった。
勝気な女だったが、切れ長の目が涼やかで、こざっぱりとした美人だった。
巽は物事に頓着しない性格で、一人で気ままに暮らすのが性分に合っていたらしく、女房なんざ面倒なだけだと常々言っていたものの、いざ女房が家に入るとさすがの巽もしっかりせねばという気になるらしい。巽は不精しがちだった仕事にも精を出し、一緒になってから一年後には子供も生まれた。
あるとき、仕事の合間に煙管を吸って休憩を取っていた巽に話しかけて来た人物がいた──。
神送りの夜
千石杏香
ホラー
由緒正しい神社のある港町。そこでは、海から来た神が祀られていた。神は、春分の夜に呼び寄せられ、冬至の夜に送り返された。しかしこの二つの夜、町民は決して外へ出なかった。もし外へ出たら、祟りがあるからだ。
父が亡くなったため、彼女はその町へ帰ってきた。幼い頃に、三年間だけ住んでいた町だった。記憶の中では、町には古くて大きな神社があった。しかし誰に訊いても、そんな神社などないという。
町で暮らしてゆくうち、彼女は不可解な事件に巻き込まれてゆく。
赤い部屋
山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。
真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。
東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。
そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。
が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。
だが、「呪い」は実在した。
「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。
凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。
そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。
「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか?
誰がこの「呪い」を生み出したのか?
そして彼らはなぜ、呪われたのか?
徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。
その先にふたりが見たものは——。
【完結】大量焼死体遺棄事件まとめサイト/裏サイド
まみ夜
ホラー
ここは、2008年2月09日朝に報道された、全国十ケ所総数六十体以上の「大量焼死体遺棄事件」のまとめサイトです。
事件の上澄みでしかない、ニュース報道とネット情報が序章であり終章。
一年以上も前に、偶然「写本」のネット検索から、オカルトな事件に巻き込まれた女性のブログ。
その家族が、彼女を探すことで、日常を踏み越える恐怖を、誰かに相談したかったブログまでが第一章。
そして、事件の、悪意の裏側が第二章です。
ホラーもミステリーと同じで、ラストがないと評価しづらいため、短編集でない長編はweb掲載には向かないジャンルです。
そのため、第一章にて、表向きのラストを用意しました。
第二章では、その裏側が明らかになり、予想を裏切れれば、とも思いますので、お付き合いください。
表紙イラストは、lllust ACより、乾大和様の「お嬢さん」を使用させていただいております。
最終死発電車
真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。
直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。
外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。
生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。
「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる