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第26話 第六章 再会
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思わず、ダクトカバーの格子の下を覗いた。今、柚子生先輩の端末を持っている人間がいるとしたら、それは斯波方先輩が言うところの、犯人、の可能性が高い。殺人タイプの感染者は、見る限りでは知性がほとんど無いようだったから、端末を持ち運んだりはしないような気がする。
犯人が、端末の画面に表された私の位置へ向かって来ているのなら、その意図は極めて悪意的に解釈すべきだった。こいつが、一階か二階にいるならまだ良い。でも、もし三階にいたなら。平面でしか表示されない画面では、相手が何階なのか分からない。
危険だ。格子から覗くのをやめないと、こっちが見つかってしまう可能性は、ゼロじゃない。
でも、……上手く行けば私が、犯人の顔を見ることができる。
角度のせいで、格子の下、廊下の先の視界はあまり開けていない。私はそのまま動かずに、じっと下を見た。すぐ鼻先に端末を持ち、光点の位置を確認する。近い。でもまだ、見下ろしている廊下には誰も現れない。
光点は画面の中で、私ともう接触せんばかりに近づいている。息が荒くなり、鼓動が加速した。全神経を集中した目を皿のように開いて、ダクトの縁に四角く切り取られた狭い廊下を見る。
ふと、ひとつの可能性に思い至った。柚子生先輩の端末を持っているなら、柚子生先輩本人の可能性だってあるではないか。
胸の中に、温かい期待が広がった。蟲をどうにかしてやり過ごし、そして今、端末に表示された斯波方先輩の端末の位置を頼りに、私達を探しているのかもしれない。
更に言えば、さっきの遺体だって、柚子生先輩であると、顔を見て確認したわけではない。あの時そう確信はしたけれど、この状況で誤認しないなんて言い切れない。
さっきまでの恐怖から一転、私は期待を満々と湛えた目で、また廊下を見下ろした。あの明るく揺れる髪が、ふわりと現れる光景を思い描いて。
でも、いない。廊下には、誰もいない。いくら廊下が一部しか見えなくても、さすがに三階を歩いているなら確実に見えるはずの位置まで、光点は迫っている。
三階にいるんじゃなかったのか、と、私は大きく吐息した。緊張が解いた時、耳が、衣擦れのような物音を捉えた。私はその音につられて、顔を上げた。
目と鼻の先、一メートルほど。
エアダクトの中に、私と向き合って這いつくばっている人間がいた。顔を、廊下から反射した月明かりが照らす。
それは、見慣れた髪型。知っている、顔の造作。でも――……
喉がちぎれんばかりに、私は悲鳴を上げた。
眼球を半ば飛び出させた一坂が、エアダクトの中で包丁を構えた。その顔は、神経とも血管ともつかない、無数の真っ赤な畝に覆われている。
ごぼっ、と一坂がえづくと、その口から大量の夜煌蟲が飛び出して、私の顔に張り付いた。手のひらでめちゃくちゃにそれを拭う。
その間にまた、蟲が蓄えた誰かの記憶が、私の頭の中に流れ込んで来た。動画を再生するように順を追ってではなく、瞬時に多大な情報が頭に閃き、私の脳に刻まれる。一度目とは比べ物にならない濃密さに、私はその場で嘔吐した。そして、……
それは、偶然だったのかもしれない。でももしかしたら、そうじゃないのかもしれない。流れ込んで来た記憶は、私の知っている人達の記憶だった。それが私に、この夜に起きたことの全てを伝えて来た。
なぜ。
なぜ、――……なぜ私は、あの人を信じてしまったんだろう。
なぜあの笑顔を、そのままに受け取ってしまったんだろう。
それだけは、してはいけなかった。考えれば、よく考えれば、分かったはずだ。斯波方先輩が、何を目的としていたのか。
彼は貯水タンクが怪しいと言って、誰かが今夜蟲を氾濫させた方法を突き止め、このエアダクトが安全であることを説明して、私をここに残した。あの説明がなければ、私は大人しくここでじっとしたりしなかった。
違和感はあった。斯波方先輩が一人で階下へ降りて行った理由は、あまりに無理矢理だった。あの時、おかしいと気づいていれば。気づけていれば。
彼には、私と一緒に生き残る気など、さらさらなかったのだ。
私をこんなに、生きたがらせておいて。
悔しい。悔しい。私は、騙されていた。間抜けにも、ほどがある。
涙が滲み、歯軋りが鳴った。
一坂がうめき声を上げながら、窮屈な穴の中で包丁を振りかぶった。飛び出た両目が、殺意で赤く染まっていた。
犯人が、端末の画面に表された私の位置へ向かって来ているのなら、その意図は極めて悪意的に解釈すべきだった。こいつが、一階か二階にいるならまだ良い。でも、もし三階にいたなら。平面でしか表示されない画面では、相手が何階なのか分からない。
危険だ。格子から覗くのをやめないと、こっちが見つかってしまう可能性は、ゼロじゃない。
でも、……上手く行けば私が、犯人の顔を見ることができる。
角度のせいで、格子の下、廊下の先の視界はあまり開けていない。私はそのまま動かずに、じっと下を見た。すぐ鼻先に端末を持ち、光点の位置を確認する。近い。でもまだ、見下ろしている廊下には誰も現れない。
光点は画面の中で、私ともう接触せんばかりに近づいている。息が荒くなり、鼓動が加速した。全神経を集中した目を皿のように開いて、ダクトの縁に四角く切り取られた狭い廊下を見る。
ふと、ひとつの可能性に思い至った。柚子生先輩の端末を持っているなら、柚子生先輩本人の可能性だってあるではないか。
胸の中に、温かい期待が広がった。蟲をどうにかしてやり過ごし、そして今、端末に表示された斯波方先輩の端末の位置を頼りに、私達を探しているのかもしれない。
更に言えば、さっきの遺体だって、柚子生先輩であると、顔を見て確認したわけではない。あの時そう確信はしたけれど、この状況で誤認しないなんて言い切れない。
さっきまでの恐怖から一転、私は期待を満々と湛えた目で、また廊下を見下ろした。あの明るく揺れる髪が、ふわりと現れる光景を思い描いて。
でも、いない。廊下には、誰もいない。いくら廊下が一部しか見えなくても、さすがに三階を歩いているなら確実に見えるはずの位置まで、光点は迫っている。
三階にいるんじゃなかったのか、と、私は大きく吐息した。緊張が解いた時、耳が、衣擦れのような物音を捉えた。私はその音につられて、顔を上げた。
目と鼻の先、一メートルほど。
エアダクトの中に、私と向き合って這いつくばっている人間がいた。顔を、廊下から反射した月明かりが照らす。
それは、見慣れた髪型。知っている、顔の造作。でも――……
喉がちぎれんばかりに、私は悲鳴を上げた。
眼球を半ば飛び出させた一坂が、エアダクトの中で包丁を構えた。その顔は、神経とも血管ともつかない、無数の真っ赤な畝に覆われている。
ごぼっ、と一坂がえづくと、その口から大量の夜煌蟲が飛び出して、私の顔に張り付いた。手のひらでめちゃくちゃにそれを拭う。
その間にまた、蟲が蓄えた誰かの記憶が、私の頭の中に流れ込んで来た。動画を再生するように順を追ってではなく、瞬時に多大な情報が頭に閃き、私の脳に刻まれる。一度目とは比べ物にならない濃密さに、私はその場で嘔吐した。そして、……
それは、偶然だったのかもしれない。でももしかしたら、そうじゃないのかもしれない。流れ込んで来た記憶は、私の知っている人達の記憶だった。それが私に、この夜に起きたことの全てを伝えて来た。
なぜ。
なぜ、――……なぜ私は、あの人を信じてしまったんだろう。
なぜあの笑顔を、そのままに受け取ってしまったんだろう。
それだけは、してはいけなかった。考えれば、よく考えれば、分かったはずだ。斯波方先輩が、何を目的としていたのか。
彼は貯水タンクが怪しいと言って、誰かが今夜蟲を氾濫させた方法を突き止め、このエアダクトが安全であることを説明して、私をここに残した。あの説明がなければ、私は大人しくここでじっとしたりしなかった。
違和感はあった。斯波方先輩が一人で階下へ降りて行った理由は、あまりに無理矢理だった。あの時、おかしいと気づいていれば。気づけていれば。
彼には、私と一緒に生き残る気など、さらさらなかったのだ。
私をこんなに、生きたがらせておいて。
悔しい。悔しい。私は、騙されていた。間抜けにも、ほどがある。
涙が滲み、歯軋りが鳴った。
一坂がうめき声を上げながら、窮屈な穴の中で包丁を振りかぶった。飛び出た両目が、殺意で赤く染まっていた。
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