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第7話 第三章 感染
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「斯波方君。部室棟で何があったのか、説明して」
柚子生先輩の、珍しく真剣な声。
「殿音君が蟲に憑かれたのは分かるよ。でもなぜそれは、三階で、……だったの? 蟲がいたのは、一階だったじゃない」
ざわ、と私の背筋に悪寒が走った。確かにそうだ。高台にいれば安全なはずの、夜煌蟲なのに。そもそもあの一階の蟲も、どうやって部室棟の入口の石段を乗り越えたのか、まだ分かっていない。
斯波方先輩が、重そうな口を開く。
「……ここで、生きてる人間に会ったら、気をつけてください」
「うん?」
「俺と殿音は、まず一階を見て回りました。慎重に行ったから時間はかかったけど、異常は無かった。蟲は一粒も見えなくて、さっきの奴はどっか行ったんだなと思った。部室も一つずつ見てみたけど、鍵が開いてる部屋も、中には誰もいなかった」
「うんうん」
柚子生先輩が、こくこくと頷く。
「二階も、同じです。で、三階に着いて、一番手前の美術部は……鍵がかかってたんです。他の部室も暗かったし、誰もいないんだと思って。で、一応俺らの部室を見て。当然、無人」
「そうよね」
そこで、斯波方先輩の顔が急に強張った。
「その時、物音が聞こえんたんすよ。バチンて。後から思えば、あれは……美術部の部室の鍵が、内側から開けられた音でした」
とっさに分からなくて、私は訊き返した。
「内側から、ですか? 誰もいなかったんじゃ?」
「電気も消えてて、鍵もかかってたが、中には人がいたんだ。何人も。そして、俺らが文芸部の部室にいる間に、わらわらと出て来た美術部員……いや、それ以外の奴もいたか。十人以上も階段の上に集まって、邪魔で降りられなくなった。それに、全員様子も変だった。四つん這いの奴や、膝歩きする奴もいてな。殿音が心配してそいつらに寄ってったら、いきなり四五人に抱きつかれた。そして……」
その時、
ガラッ!
と、教室のドアが開いた。私と柚子生先輩が、
「ひゃああッ!」
と叫び、男子二人は驚きながらも身構える。
そこには、一人の男子生徒が立っていた。黒髪で眼鏡をかけた、大人しそうな人だ。一坂が息をついて、
「無事ですか。何年生です? あ、上履き赤だ、二年ですね。びっくりしましたよね、こんな……」
と歩み寄ろうとした。
が、
「新九郎、寄るなッ!」
斯波方先輩の一喝が飛ぶ。
眼鏡の男子生徒が、一坂にふらふらと近づいた。
「そいつの正面にいるな新九郎! 柚子生さん達もあいつから離れろ!」
一坂が、斯波方先輩に気圧されて斜め後ろに下がる。男子生徒は机にぶつかり、動きを止めた。
次の瞬間、
「がぱっ!」
という声と共に、男子生徒の口、目、鼻から、緑色の粘液が飛び出した。いや、粘液ではなくて、不定形の塊。蛍光灯の光の下だったので光っているのは少し分かりづらいけど、間違いなく夜煌蟲だ。幸い、遠ざかった一坂は無事だった。
「触んじゃねえぞ! 殿音は、それを浴びて蟲に取り憑かれた。その二年生ももう駄目だ、体の奥まで蟲にやられてる。新九郎、窓開けろ」
一坂が窓を開けると、男子生徒は夜煌蟲による自殺衝動のままにそこへ飛び込んで、落ちた。私達も窓際へ行って、見下ろす。下は花壇だ。さすがに二階からでは即死しなかったようで、男子生徒はよろよろと立ち上がる。そこへ、四方八方から緑色の波が殺到した。
その後まで見ずに斯波方先輩が窓を閉め、私達を見渡して、言った。
「殿音の体に、部室棟の連中が吐き出した蟲どもがズルズルと、……ありったけ入って行った。それからあいつは美術部員が持ってたペインティングナイフを二本ひったくって、止めようとした俺を切りつけて、……そいつを口の中に突き刺してから、顔面から落ちた。三階の他の連中も同じようにナイフで自殺し出したから、俺は必死で駆け下りて、お前らの所までたどり着いた。あんなの、初めて見たぜ。人から人によ……」
教室の床の上では、さっきの二年生に吐き落とされた虫が、もぞもぞと動き出していた。
「隣の教室に移るぞ。……つまり部室棟で起こったことの理由でもあるんだが、これが奴らの……繁殖、方法なんじゃねえか。部室棟の一階で見た蟲が、誰かに取り憑いた。そいつの体内に充分に巣食ったら、手近な人間を捕まえて口からぶちまけて、何て言うかな……感染、させるってのが近いかな。後はネズミ算だ。今日の陽が落ちた頃から校内でこれを繰り返してれば、校庭にあんだけ広がるのも、不可能じゃないってわけだ。不意打ちに不意打ちを重ねりゃ、あっという間だ」
私達は2‐Aを出て、隣の2‐Bへと向かった。廊下には、人気が無い。柚子生先輩が、滅入った表情で、言う。
「そうすれば、人間の体に載って、二階でも三階でも移動できるってわけなのね。部室棟の三階では、明らかに狙って斯波方君達に罠を張ったんだもん。知能、……あるのかな。やっぱり……」
「あの、……」
「ん、なあに? エリヤちゃん」
「夜煌蟲って、……殖えるんですか」
夜煌蟲は、いわゆる虫ではない。顕微鏡で見てみてもただの光の粒で、頭も腹も、肢も無い。だから潰しても殺せないし、虫避けも効かない。代わりに、交尾しているところもまだ発見されていないはずだった。
斯波方先輩が、嘆息して言った。
「殖える、んだろうな。俺ら世代は、街中で見かけることも珍しくなくなってるから麻痺してっけど……今まで殖えて来たように、これからも殖えて行く。俺達を餌にして、あんな風によ」
そして、窓の外の校庭を見る。
月の光が褪せるほどに、したたかな――……
でも、ひたすら不気味なだけの、緑の光を。
柚子生先輩の、珍しく真剣な声。
「殿音君が蟲に憑かれたのは分かるよ。でもなぜそれは、三階で、……だったの? 蟲がいたのは、一階だったじゃない」
ざわ、と私の背筋に悪寒が走った。確かにそうだ。高台にいれば安全なはずの、夜煌蟲なのに。そもそもあの一階の蟲も、どうやって部室棟の入口の石段を乗り越えたのか、まだ分かっていない。
斯波方先輩が、重そうな口を開く。
「……ここで、生きてる人間に会ったら、気をつけてください」
「うん?」
「俺と殿音は、まず一階を見て回りました。慎重に行ったから時間はかかったけど、異常は無かった。蟲は一粒も見えなくて、さっきの奴はどっか行ったんだなと思った。部室も一つずつ見てみたけど、鍵が開いてる部屋も、中には誰もいなかった」
「うんうん」
柚子生先輩が、こくこくと頷く。
「二階も、同じです。で、三階に着いて、一番手前の美術部は……鍵がかかってたんです。他の部室も暗かったし、誰もいないんだと思って。で、一応俺らの部室を見て。当然、無人」
「そうよね」
そこで、斯波方先輩の顔が急に強張った。
「その時、物音が聞こえんたんすよ。バチンて。後から思えば、あれは……美術部の部室の鍵が、内側から開けられた音でした」
とっさに分からなくて、私は訊き返した。
「内側から、ですか? 誰もいなかったんじゃ?」
「電気も消えてて、鍵もかかってたが、中には人がいたんだ。何人も。そして、俺らが文芸部の部室にいる間に、わらわらと出て来た美術部員……いや、それ以外の奴もいたか。十人以上も階段の上に集まって、邪魔で降りられなくなった。それに、全員様子も変だった。四つん這いの奴や、膝歩きする奴もいてな。殿音が心配してそいつらに寄ってったら、いきなり四五人に抱きつかれた。そして……」
その時、
ガラッ!
と、教室のドアが開いた。私と柚子生先輩が、
「ひゃああッ!」
と叫び、男子二人は驚きながらも身構える。
そこには、一人の男子生徒が立っていた。黒髪で眼鏡をかけた、大人しそうな人だ。一坂が息をついて、
「無事ですか。何年生です? あ、上履き赤だ、二年ですね。びっくりしましたよね、こんな……」
と歩み寄ろうとした。
が、
「新九郎、寄るなッ!」
斯波方先輩の一喝が飛ぶ。
眼鏡の男子生徒が、一坂にふらふらと近づいた。
「そいつの正面にいるな新九郎! 柚子生さん達もあいつから離れろ!」
一坂が、斯波方先輩に気圧されて斜め後ろに下がる。男子生徒は机にぶつかり、動きを止めた。
次の瞬間、
「がぱっ!」
という声と共に、男子生徒の口、目、鼻から、緑色の粘液が飛び出した。いや、粘液ではなくて、不定形の塊。蛍光灯の光の下だったので光っているのは少し分かりづらいけど、間違いなく夜煌蟲だ。幸い、遠ざかった一坂は無事だった。
「触んじゃねえぞ! 殿音は、それを浴びて蟲に取り憑かれた。その二年生ももう駄目だ、体の奥まで蟲にやられてる。新九郎、窓開けろ」
一坂が窓を開けると、男子生徒は夜煌蟲による自殺衝動のままにそこへ飛び込んで、落ちた。私達も窓際へ行って、見下ろす。下は花壇だ。さすがに二階からでは即死しなかったようで、男子生徒はよろよろと立ち上がる。そこへ、四方八方から緑色の波が殺到した。
その後まで見ずに斯波方先輩が窓を閉め、私達を見渡して、言った。
「殿音の体に、部室棟の連中が吐き出した蟲どもがズルズルと、……ありったけ入って行った。それからあいつは美術部員が持ってたペインティングナイフを二本ひったくって、止めようとした俺を切りつけて、……そいつを口の中に突き刺してから、顔面から落ちた。三階の他の連中も同じようにナイフで自殺し出したから、俺は必死で駆け下りて、お前らの所までたどり着いた。あんなの、初めて見たぜ。人から人によ……」
教室の床の上では、さっきの二年生に吐き落とされた虫が、もぞもぞと動き出していた。
「隣の教室に移るぞ。……つまり部室棟で起こったことの理由でもあるんだが、これが奴らの……繁殖、方法なんじゃねえか。部室棟の一階で見た蟲が、誰かに取り憑いた。そいつの体内に充分に巣食ったら、手近な人間を捕まえて口からぶちまけて、何て言うかな……感染、させるってのが近いかな。後はネズミ算だ。今日の陽が落ちた頃から校内でこれを繰り返してれば、校庭にあんだけ広がるのも、不可能じゃないってわけだ。不意打ちに不意打ちを重ねりゃ、あっという間だ」
私達は2‐Aを出て、隣の2‐Bへと向かった。廊下には、人気が無い。柚子生先輩が、滅入った表情で、言う。
「そうすれば、人間の体に載って、二階でも三階でも移動できるってわけなのね。部室棟の三階では、明らかに狙って斯波方君達に罠を張ったんだもん。知能、……あるのかな。やっぱり……」
「あの、……」
「ん、なあに? エリヤちゃん」
「夜煌蟲って、……殖えるんですか」
夜煌蟲は、いわゆる虫ではない。顕微鏡で見てみてもただの光の粒で、頭も腹も、肢も無い。だから潰しても殺せないし、虫避けも効かない。代わりに、交尾しているところもまだ発見されていないはずだった。
斯波方先輩が、嘆息して言った。
「殖える、んだろうな。俺ら世代は、街中で見かけることも珍しくなくなってるから麻痺してっけど……今まで殖えて来たように、これからも殖えて行く。俺達を餌にして、あんな風によ」
そして、窓の外の校庭を見る。
月の光が褪せるほどに、したたかな――……
でも、ひたすら不気味なだけの、緑の光を。
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