夜煌蟲伝染圧

クナリ

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第4話 第二章 裏門の棘

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 私達は裏門へ無かって、早足で歩き出した。本校舎へ職員室を見に行く気など、誰も起きなかった。
 裏門までの道は細く、自動販売機、木立、用具室などがあって、死角が多い。全員、目を皿のようにして不自然な発光が無いかを探した。
 自動販売機の前を通り過ぎ、木立を抜けて、用具室を越える。私達は息をつめたまま、ついに裏門へたどり着いた。裏門は背の低いツツジの植え込みの切れ目にある分厚い木のドアで、表門ほどの設備は据えられていない。
 山倉部長が、ドアノブに手をかけた。ひねろうとして、止まる。斯波方先輩がその手元を覗き込んだ。
「どうしたんですか? 早く、……あ! こんにゃろ鍵かかってやがる」
 一坂が続いて、
「錠まで付いてるじゃないですか。いつの間にこんなもの……ありましたっけ。でも、これが裏門のセキュリティ? 表門に比べて、ずいぶんアナログだなあ」
 頭をかいて思案顔になる一坂の傍らで、殿音先輩が素っ頓狂な声を上げた。
「あれ、部長。何やってるんですか」
「ちょっと山倉君、やめなよ。危ないってば」
 と柚子生先輩も続く。
 いつの間にか山倉部長が、植え込みを乗り越えて、コンクリート塀によじ登っていた。既に、塀の上端に両手がかかっている。ハリネズミのような有刺鉄線に、もう触れそうだった。
 斯波方先輩が手でメガホンを作り、山倉部長に声をかけた。
「部長、無理ならやめて下さいよ。どうです、乗り越えられそうです?」
 山倉部長は塀の上に膝立ちになり、特製の有刺鉄線を両手でつかんでいる。無数の棘が手のひらに当たっているはずだったけど、我慢しているのだろう。部長の頭がちょうど有刺鉄線の上に出て、外を見るように首を伸ばす。
 そして部長は、ぶんぶんと首を横に振り始めた。斯波方先輩はその様子を見て、
「あ、やっぱり無理そうですか。んじゃ、降りててください」
と苦笑して言う。
 明るい部室棟一帯を離れて、やっと私の目も本格的に暗闇に慣れて来た。もう一息で学校から出られそうだとあって、幾分皆の表情からは緊張感が失せている。
 この壁一枚外に出れば、ひとまず当面の危険からは逃れられる。他に残っている生徒達を何とか呼びよせて避難したら、後は多分警察の出番になる。それから大騒ぎになるだろうけど、私達にできることはもう無い。
 ふと見ると、山倉部長が、まだ塀の上で首を振っていた。しかも、ずいぶん勢いをつけて、激しく。
「部長、……?」
 異様さについ声が出たけど、山倉部長は応えない。
 その部長の手の甲に、棘のようなものが生えていた。
 いや、違う。有刺鉄線を強く握りしめ過ぎて、棘が貫通している。
「山倉部長、何してるんですか!」
 私の声に驚いて、皆が塀を見上げた。部長がなお横に振り続ける首の動きに合わせて、異常な音が聞こえて来る。
 ザキッ、……ガリッ、ザキュッ……
 部長の首の肉が、月明かりの中でもはっきりと、大きくえぐれているのが見えた。飛び散る血飛沫の、黒い影も。
 山倉部長は、有刺鉄線の棘で、自分の首をかき切っている。
 柚子生先輩が、両手で口を覆った。殿音先輩は頭を抱えて、
「うわ……うわああああ」
 と呻きながら膝をつく。
 一坂が、一足飛びに山倉部長に飛びかかって行こうとした。それを斯波方先輩が片腕で止める。
「部長に近寄るな。見ろ……」
 塀の上の山倉部長の襟首から、ライスシャワーのように、緑色の粒がこぼれた。ズボンの裾からもそれはこぼれ落ち、地面を叩いて明滅する。目や耳からも、夜煌蟲があふれ出た。振られる首の動きに合わせて散る血飛沫と共に、辺りに振りまかれて行く。これでは、近づけない。
「山、倉……君!」
 柚子生先輩の呼びかけと同時に、部長の動きが止まった。四肢から力が抜けて崩れ落ち、体がどすんと植え込みに落ちた。
 そのまま、もう、動きはしない。
 死んで、しまった。
 夜煌蟲が、首の肉を半分近く失った異様な死体から、飽きたように這い出て来る。あっという間に、裏門付近は蟲達がたかった。
「新九郎、時森、離れろ。もうここは駄目だ……殿音、何してる!」
 斯波方先輩が叫ぶ。殿音先輩が、裏門の頑強な扉に向かおうとしていた。
「ここを、ここを出れば助かる。もう少しなんだろう、なら」
「駄目だって言ってんだろ、見ろよ。……もう目が暗がりに慣れて来てる。分かるはずだ」
 斯波方先輩が指差した先は、ツツジの植え込みだった。
「な……」
 殿音先輩だけじゃなく、私達も絶句した。固そうに茂った植え込みのそこかしこに、小さな夜煌蟲が点々と灯っている。ひとつひとつの光が弱過ぎて、今までは分からなかった。かき集めればすぐにひとすくいくらいの量になりそうで、これでは扉を破る前に、取り憑かれてしまう。しかも、山倉部長の体から出て来た夜煌蟲が群れて固まり、フルフェイスのヘルメットくらいの大きさになって、私達を阻むようにドアの前に陣取った。
 一坂が、ドアと距離を空けてつぶやく。
 「こいつら、分かって邪魔してるのかな……知能が?」
 そう聞くと、ざわざわと揺れてうごめく発光体に、じっと睨みつけられている気になり、鳥肌が立った。
「新九郎、気味悪いこと言ってんじゃねえ。くそ、とにかく簡単には出られなくなったかよ」
「斯波方君、部室に戻ろう。これじゃ、部室でこもってた方が良いよ」
 ただ一人の三年生になった柚子生先輩が言う。ただ、実質的なリーダーシップは、今や斯波方先輩にあると思えた。
「そうですね、……一度戻るか。他の部の連中で、誰か良い考えを思いついた奴がいるかも知れねえし」
 私達は、元来た道を戻り出した。殿音先輩が、
「こもるって、……それじゃ、万が一生きてても間に合わない……救急車、今呼べれば……二人とも……」
 と漏らす声が聞こえた。
 さっき殿音先輩が斯波方先輩に、冷たい、と言っていた。その通りなら、さっさと自分達だけ逃げようとしている私達は全員冷たい。
 この十数年で夜煌蟲が珍しくなくなって、私達の世代が死に対して感覚が鈍化しているという話は、ニュースでもよく聞く。でも、殺人や強盗などの凶悪事件は、むしろ中年以上の世代がよく起こしている。それは、死に対して鈍化していない世代の人達だからこそ起こす事件なのだろうか。
 なら、死に対してとことん鈍化した時、この世の中は平和になるのだろうか。誰も、自殺などしないくらいに。
 私達は、さっき通った景色を逆に進んだ。先頭は斯波方先輩と柚子生先輩、殿音先輩と私が続いて、最後に一坂。よく見ると、この道の周りにもちかちかと小さな夜煌蟲がまたたいていた。
 用具室の脇を過ぎ、木立を抜けて、自動販売機に差しかかった時、
「待った!」
 いきなり、一坂が声を上げた。先頭の二人が足を止める。
「見てください、斯波方さん。自販機の下」
 一坂が指差した先を、全員で凝視する。そこには、手のひら大の夜煌蟲が何体も這いつくばっていた。
「あ、危ねえ。柚子生さん、離れて。こいつら移動は緩慢でも、獲物に飛びかかる時はそれなりに素早いからな」
 斯波方先輩が、後ずさりながら言う。殿音先輩がおずおずと夜煌蟲を見下ろして、
「く、来る時は気がつかなかった。それじゃ、部長は植え込みで蟲に捕まったんじゃなくて、ここを通った時に食らいつかれて……」
 と声を震わせた。一坂が舌打ちして、応える。
 「部長にくっついてた量からすると、あの植え込みにいた奴らにしては多過ぎますからね。自販機の明かりが強すぎて、こいつらがいるのに気づかなかった。この下に、まだまだいそうですし。……まんまと、蟲を裏門に運んじゃいました。……くそ」
「もう、しょうがねえよ。全員、やられてないよな。……行くぞ」
 そう言った斯波方先輩が先頭に立って、私達はまた、歩き出した。
 歩きながら、私の中で、ひとつの疑問が渦を巻いていた。きっと、他の人達もそうだったろう。
 自動販売機の下に夜煌蟲がいたのは、偶然なのだろうか。強い人口の光の中に擬態するように隠れていたのは、偶然なのだろうか。
 罠を張り、待ち伏せをして、私達を利用して、裏門を使えなくした。そう思えてしまうのは、気のせいなのだろうか。
 蟲達に知能、……という一坂のさっきの言葉が、不気味な反響を伴って、頭の中に去来した。
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