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どうせ自分は死ぬんだから
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「僕のゴーストの手首を切り離して、先輩の小指に触れていました。僕がまだ、部屋にいると思わせたくて」
「どうして……?」
聞くまでもなく、察しはついていたが。
「水葉先輩に、油断して欲しかったんです。僕が追ってきてるって分かれば、慌てて病院に急行しちゃうでしょう。追いつくまで、時間を稼ぎたかったんですよ」
「そうかあ……。追いつかれちゃったね」
「先輩。咲千花のこと、ありがとうございました。それに、……僕のことも」
奏が深深と頭を下げた。
「ううん、それは、いいんだよ。だって……」
「どうせ自分は死ぬんだから、ですか?」
由良が息を飲んだ。顔を上げた奏の目が、まっすぐに由良を射抜いている。
「水葉先輩。先輩が、自殺をしようとしたのは分かりました。でも、もう何ヶ月も前の話です。あの二人も、先輩も、だいぶ落ち着いたはずです。少なくとも、今生き急ぐ理由としては不自然です。何かまだあるんですか? 僕の知らない、先輩を苦しめているものが」
由良は、少しの間、身動きを止めていた。
それからゴーストの、存在しない肺に溜めていた息を、ゆっくりと吐き出す。
「ないよ。理由なんて、何もない。ただ私は、五月女くんよりも長い間、ゴーストでい続けたから、そのせいかもしれない」
「……ゴーストのせい?」
「私は、いいことをしていると思ったよ。人の怪我や病気を吸い取って、人の役に立っていると思ってた。でも時々、不思議だった。私たちのこの力は、人の苦痛を吸い取ることはできるのに、それを人に与えることはできない。それに、楽しいことや、嬉しい気持ちを吸い取ることはできない。心の病気は吸い取れるのにね。マイナスはどんどん積み重ねられるのに、プラスを手に入れたり、負債のリセットをすることはできない。それじゃ、遅かれ早かれ、限界がくるよ。ただでさえゴーストになるのは、自殺未遂した人だけなのに」
それは確かに、奏も考えたことがある。だから休み休みでなくては病院での治療はできなかったが、そういうものなのだろうとそれ以上は追求しなかった。
「私なりの結論を言うよ。五月女くん、私はこの力は、死にたいのに自殺に失敗した人が、もう一度、心置きなく死ねるように背中を押してくれる能力なんだと思う」
「な……」
「手首を切ったり、深い海に飛び込んだりしなくても、この世にいくらでもある苦痛を手で触れるだけで自分のものにできて、確実に死に向かっていくことができるんだよ。それを繰り返すうちに、自分みたいな人間は自分から死ぬ方が当たり前で、生きようなんて思わなくなる。今の私が、まさにそう。私が、全部――」
由良の瞳が、夜空よりもなお暗い青に染って、揺れた。
「全部背負って、死んであげる」
「……先輩。場所を変えましょう」
奏のゴーストが、由良のゴーストの手を引いた。
まるで、死神の腕の中から、魂を引き剥がすように。
□
僕たちは、ふらふらと道路の上に漂い、そしてすぐに、近くの公園にたどり着いた。
「ここって、あの女装した人が上った気がある公園だよね」
「そうです。ほら、あのドイツトウヒ。てっぺんまで行ってみましょう」
さすがゴーストというもので、木登りなんててんで不得意な僕と、恐らくは同程度の運動神経であろう水葉先輩は、ほどなく樹上の尖った先端にたどり着いた。
「わあ、夜景だね」
「ただの市街地ですけどね」
地表よりも少し冷たい風が、僕たちの内側を通り抜けて吹きすさった。
「咲千花ちゃんだっけ、妹さん。ゴーストにはなってないんだよね?」
「ええ。その様子はないですね」
「偉いね。学校に行けなくなるくらい傷ついて、でも自分から死のうとはしないで頑張ってて」
「それも、いつどうなるか……どんな風に悪い方へ転がるか、分かりませんでしたよ。先輩がいなければ」
水葉先輩が、指で小さくVサインを作った。
「水葉先輩。死なないでください」
「それはもう、難しいかな。何て言うかね、死ぬのが私にとって当たり前になっているの。何をしていても、しなくても、そこへ向かって行ってしまうっていうか」
「もう治療をやめるんです。そうすれば、少しずつでも回復するはずです」
「そうだね。五月女くんは、そうして欲しい。私はもう生きててやりたいこととかないし、両親も……そんなには悲しまないと思う。昔から体が弱くて、小さい頃はあと何年も生きられないかもしれないみたいなことをお医者さんに言われたみたいだし」
「そんなの、先輩が決めつけられることじゃないでしょう」
「分かるよ。家族だもん」
この手応えのなさはどうだ、と僕は焦りだした。何を言っても、先輩の思考は一方通行で、変節する予兆すら見つけられない。
もしかしたら、子供の頃から、希死念慮は先輩の中にずっと存在していたのかもしれない。それが苗床になって、ゴーストの能力を得たことが、自殺衝動を強める相乗効果を生んだ。
そうだとしたら、どうすればいい。幼少期に植え付けられた価値観に対抗して、回復の可能性を高めるには。どうすれば――
「五月女くん?」
原因を、どうにか取り除けないか。水葉先輩の、死へと向かう指向性を断ち切る、根本的な一手はないのか。
考えを巡らせる僕を、先輩は、手詰まりになったのだと判断したらしい。憑き物が落ちたような顔で、語りかけてきた。
「五月女くん、私、五月女くんと今夜会えてよかったよ。何も言えずにお別れだと思ったし、その覚悟をしてきたから。私、最後に凄く……」
「僕は、善良でもなんでもありません」
いきなり僕に話を遮られて、先輩が怯んだ。
「どうして……?」
聞くまでもなく、察しはついていたが。
「水葉先輩に、油断して欲しかったんです。僕が追ってきてるって分かれば、慌てて病院に急行しちゃうでしょう。追いつくまで、時間を稼ぎたかったんですよ」
「そうかあ……。追いつかれちゃったね」
「先輩。咲千花のこと、ありがとうございました。それに、……僕のことも」
奏が深深と頭を下げた。
「ううん、それは、いいんだよ。だって……」
「どうせ自分は死ぬんだから、ですか?」
由良が息を飲んだ。顔を上げた奏の目が、まっすぐに由良を射抜いている。
「水葉先輩。先輩が、自殺をしようとしたのは分かりました。でも、もう何ヶ月も前の話です。あの二人も、先輩も、だいぶ落ち着いたはずです。少なくとも、今生き急ぐ理由としては不自然です。何かまだあるんですか? 僕の知らない、先輩を苦しめているものが」
由良は、少しの間、身動きを止めていた。
それからゴーストの、存在しない肺に溜めていた息を、ゆっくりと吐き出す。
「ないよ。理由なんて、何もない。ただ私は、五月女くんよりも長い間、ゴーストでい続けたから、そのせいかもしれない」
「……ゴーストのせい?」
「私は、いいことをしていると思ったよ。人の怪我や病気を吸い取って、人の役に立っていると思ってた。でも時々、不思議だった。私たちのこの力は、人の苦痛を吸い取ることはできるのに、それを人に与えることはできない。それに、楽しいことや、嬉しい気持ちを吸い取ることはできない。心の病気は吸い取れるのにね。マイナスはどんどん積み重ねられるのに、プラスを手に入れたり、負債のリセットをすることはできない。それじゃ、遅かれ早かれ、限界がくるよ。ただでさえゴーストになるのは、自殺未遂した人だけなのに」
それは確かに、奏も考えたことがある。だから休み休みでなくては病院での治療はできなかったが、そういうものなのだろうとそれ以上は追求しなかった。
「私なりの結論を言うよ。五月女くん、私はこの力は、死にたいのに自殺に失敗した人が、もう一度、心置きなく死ねるように背中を押してくれる能力なんだと思う」
「な……」
「手首を切ったり、深い海に飛び込んだりしなくても、この世にいくらでもある苦痛を手で触れるだけで自分のものにできて、確実に死に向かっていくことができるんだよ。それを繰り返すうちに、自分みたいな人間は自分から死ぬ方が当たり前で、生きようなんて思わなくなる。今の私が、まさにそう。私が、全部――」
由良の瞳が、夜空よりもなお暗い青に染って、揺れた。
「全部背負って、死んであげる」
「……先輩。場所を変えましょう」
奏のゴーストが、由良のゴーストの手を引いた。
まるで、死神の腕の中から、魂を引き剥がすように。
□
僕たちは、ふらふらと道路の上に漂い、そしてすぐに、近くの公園にたどり着いた。
「ここって、あの女装した人が上った気がある公園だよね」
「そうです。ほら、あのドイツトウヒ。てっぺんまで行ってみましょう」
さすがゴーストというもので、木登りなんててんで不得意な僕と、恐らくは同程度の運動神経であろう水葉先輩は、ほどなく樹上の尖った先端にたどり着いた。
「わあ、夜景だね」
「ただの市街地ですけどね」
地表よりも少し冷たい風が、僕たちの内側を通り抜けて吹きすさった。
「咲千花ちゃんだっけ、妹さん。ゴーストにはなってないんだよね?」
「ええ。その様子はないですね」
「偉いね。学校に行けなくなるくらい傷ついて、でも自分から死のうとはしないで頑張ってて」
「それも、いつどうなるか……どんな風に悪い方へ転がるか、分かりませんでしたよ。先輩がいなければ」
水葉先輩が、指で小さくVサインを作った。
「水葉先輩。死なないでください」
「それはもう、難しいかな。何て言うかね、死ぬのが私にとって当たり前になっているの。何をしていても、しなくても、そこへ向かって行ってしまうっていうか」
「もう治療をやめるんです。そうすれば、少しずつでも回復するはずです」
「そうだね。五月女くんは、そうして欲しい。私はもう生きててやりたいこととかないし、両親も……そんなには悲しまないと思う。昔から体が弱くて、小さい頃はあと何年も生きられないかもしれないみたいなことをお医者さんに言われたみたいだし」
「そんなの、先輩が決めつけられることじゃないでしょう」
「分かるよ。家族だもん」
この手応えのなさはどうだ、と僕は焦りだした。何を言っても、先輩の思考は一方通行で、変節する予兆すら見つけられない。
もしかしたら、子供の頃から、希死念慮は先輩の中にずっと存在していたのかもしれない。それが苗床になって、ゴーストの能力を得たことが、自殺衝動を強める相乗効果を生んだ。
そうだとしたら、どうすればいい。幼少期に植え付けられた価値観に対抗して、回復の可能性を高めるには。どうすれば――
「五月女くん?」
原因を、どうにか取り除けないか。水葉先輩の、死へと向かう指向性を断ち切る、根本的な一手はないのか。
考えを巡らせる僕を、先輩は、手詰まりになったのだと判断したらしい。憑き物が落ちたような顔で、語りかけてきた。
「五月女くん、私、五月女くんと今夜会えてよかったよ。何も言えずにお別れだと思ったし、その覚悟をしてきたから。私、最後に凄く……」
「僕は、善良でもなんでもありません」
いきなり僕に話を遮られて、先輩が怯んだ。
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