18 / 42
彼が死んで先輩は小指をくれた
しおりを挟む
「そんな……あの木、首を吊れるような手頃な枝なんてないですよ……何かの間違いじゃ」
「幹に釘を何本か打ちつけて、そこにロープを引っ掛けたみたい。それでね、その人が……黄色い、女物のワンピースを着てたらしいの」
まさか、と頭をよぎっていた嫌な予感が当たり、目眩がした。
「私の世界で、昼間そんな話が流れてきて……こっちに来てみたら、やっぱり同じことが起きてるのね。この人って、私たちが昨夜会った、あの人かな」
「多分、そうだと思います……その場所、その特徴なら」
「もしそうなら……昨日のあの時には、もう死ぬつもりだったのかな。そんな感じ、私、全然……」
「僕だって分かりませんでしたよ、そんなこと。……仲良くなれそうには思えませんでしたけど、……沈みますね」
「うん。……五月女くん、変なこと聞くんだけど。五月女くんは、自殺しようとか思ってないよね」
え?
「いえ、思ってませんけど……今言ったように仲良くなれるタイプでもなさそうでしたから、そっち方向に引っ張られるようなことはありませんし」
「今までにも、死のうと思ったことはない?」
「少なくとも、真剣にそうしようと思ったことはありませんね」
「そっか。……うわ、こっちの私が携帯探し始めた! やばい、もう切るね。ねえ、三十分後に、病院のベンチに来れる?」
「行けます」
そこで電話は切れた。
出かけるための支度をしながら、先輩の話が、ぐるぐると頭に渦巻いていた。
死んだ。
あの人が。
ふてぶてしくて、マイペースで、そんな風には見えなかったのに。
どうして死のうと思ったのか……どうして、生きるのをやめようと思ったのか。
女の服を着たり、踊っていたことと関係あるのだろうか。
長袖のシャツのうちから、特に暖かそうなものを取り出して袖を通し、ハーフコートを羽織る。
人間て、こんな風に死ぬのか?
直前に、目の前にいた人間に、そんな気配を悟らせもせず?
さちかに声をかけ、家を出た。まだ母さんは帰っていない。
道は、仕事帰りの人や、放課後の学生で混んでいた。その中を進みながら、彼の姿を思い出す。
今にもかき消えそうな月の横で、くるくると誇らしげに踊っていた。
あの人がもういない。
町はすっかり暗くなった。
病院の外のベンチに、ゆらゆらと水葉先輩のゴーストがたたずんでいる。
人の通りはまだそれなりにあったけれど、マフラーで口元を隠せば、先輩と小声で会話しても特に不審には思われないだろう。
「先輩、お待たせしました」
「うん。ごめんね、急で」
「いえ、全然。どうせ家にいますし」
傍らに目をやると、例のドイツトウヒが夜空に屹立している。
「五月女くんさ、いいものあげようか」
「え……まさか、早乙女世界の水葉先輩の私物じゃないでしょうね」
「違うよ、この私から」
水葉先輩は、僕に手を出すように促した。
その手のひらに、ぽとりと、白い小さな棒が置かれた。
いや、白いというより、半透明にぼんやりと光っている。
これは……まさか。
「それは、私のゴーストの、左手の小指なのでした」
水葉先輩が、にゅっと左手を僕に突き出して手のひらを広げた。すると、確かに小指が根元から欠けている。
「う、うわああああっ!?」
「あ、ほらっ。大きい声出さないっ」
何人かの通行人が、うさんくさそうにこちらを見るのに気づいて、慌てて僕は手で口を抑えた。もう片方の手には、悲鳴の原因になった指がちょこんと乗っている。
「ぐ、グロい……! いやこうしてみると少しきれいですけど、グロいですよ! 指って!」
「ゴーストって、ものを持って並行世界には行けないけど、服は着ていけるじゃない? てことは、この服は私のゴーストの一部ってことでしょ? それくらいの自由度があるなら、一部を切り離しても大丈夫かなって思って試したら、できたんだ」
「それは新発見ですけど……何のために……」
「これは、五月女世界に置いておく」
「え? ……これを僕にくれるということは、僕が保管する、という……?」
「そういうこと」
「な……なぜそんな、ちょっとホラーなことを。第一、先輩のゴーストが水葉世界に帰れば、この指も消えるのでは」
それがね、と先輩は腕組みした。
「何度かこっそり実験してみたんだけど、ゴーストのスカートの切れ端とかを五月女世界に置いて私が目を覚ますと、次に幽体離脱しても、まだスカートは欠けたままだったの。五月女世界に置きっぱなしになるのね。前の日置いた場所に、次の日も同じ状態で落ちてたから。ちなみに戻す時は簡単で、ただくっつければいいだけ」
「そんな怖い実験、何で一人でやるんですか……」
「だって、五月女くん反対しそうなんだもの」
確かに。止めると思う。
「なぜそんなことをするのかというとね。これがあれば、携帯電話なしでも連絡が取れるでしょう。指先にインクでもつければ少しは筆談できるし、合図を決めれば簡単な意思疎通も可能だし」
「筆談? ……意思疎通って?」
「ほら」
僕の手の中の指が、ぴこぴこと動いた。
「うっわあ……」
「二回曲げ伸ばしは、『病院のベンチに集合』だよ」
もう決まっているらしい。
「あ、どうせなら指なんかじゃなくて、手首で切ればいいと思ってるでしょう。一応やってはみたんだけど、これが意外に結構、ゴーストなのに骨の感じとかが、」
「いえ全然思ってませんいいです詳細に言わなくて。……ん?」
今度は、指先が小さく丸を描くような動きをしている。
「……これは何のサインですか?」
先輩は、笑って答えた。
「貸してくれた本が、面白かった。またよろしく」
「幹に釘を何本か打ちつけて、そこにロープを引っ掛けたみたい。それでね、その人が……黄色い、女物のワンピースを着てたらしいの」
まさか、と頭をよぎっていた嫌な予感が当たり、目眩がした。
「私の世界で、昼間そんな話が流れてきて……こっちに来てみたら、やっぱり同じことが起きてるのね。この人って、私たちが昨夜会った、あの人かな」
「多分、そうだと思います……その場所、その特徴なら」
「もしそうなら……昨日のあの時には、もう死ぬつもりだったのかな。そんな感じ、私、全然……」
「僕だって分かりませんでしたよ、そんなこと。……仲良くなれそうには思えませんでしたけど、……沈みますね」
「うん。……五月女くん、変なこと聞くんだけど。五月女くんは、自殺しようとか思ってないよね」
え?
「いえ、思ってませんけど……今言ったように仲良くなれるタイプでもなさそうでしたから、そっち方向に引っ張られるようなことはありませんし」
「今までにも、死のうと思ったことはない?」
「少なくとも、真剣にそうしようと思ったことはありませんね」
「そっか。……うわ、こっちの私が携帯探し始めた! やばい、もう切るね。ねえ、三十分後に、病院のベンチに来れる?」
「行けます」
そこで電話は切れた。
出かけるための支度をしながら、先輩の話が、ぐるぐると頭に渦巻いていた。
死んだ。
あの人が。
ふてぶてしくて、マイペースで、そんな風には見えなかったのに。
どうして死のうと思ったのか……どうして、生きるのをやめようと思ったのか。
女の服を着たり、踊っていたことと関係あるのだろうか。
長袖のシャツのうちから、特に暖かそうなものを取り出して袖を通し、ハーフコートを羽織る。
人間て、こんな風に死ぬのか?
直前に、目の前にいた人間に、そんな気配を悟らせもせず?
さちかに声をかけ、家を出た。まだ母さんは帰っていない。
道は、仕事帰りの人や、放課後の学生で混んでいた。その中を進みながら、彼の姿を思い出す。
今にもかき消えそうな月の横で、くるくると誇らしげに踊っていた。
あの人がもういない。
町はすっかり暗くなった。
病院の外のベンチに、ゆらゆらと水葉先輩のゴーストがたたずんでいる。
人の通りはまだそれなりにあったけれど、マフラーで口元を隠せば、先輩と小声で会話しても特に不審には思われないだろう。
「先輩、お待たせしました」
「うん。ごめんね、急で」
「いえ、全然。どうせ家にいますし」
傍らに目をやると、例のドイツトウヒが夜空に屹立している。
「五月女くんさ、いいものあげようか」
「え……まさか、早乙女世界の水葉先輩の私物じゃないでしょうね」
「違うよ、この私から」
水葉先輩は、僕に手を出すように促した。
その手のひらに、ぽとりと、白い小さな棒が置かれた。
いや、白いというより、半透明にぼんやりと光っている。
これは……まさか。
「それは、私のゴーストの、左手の小指なのでした」
水葉先輩が、にゅっと左手を僕に突き出して手のひらを広げた。すると、確かに小指が根元から欠けている。
「う、うわああああっ!?」
「あ、ほらっ。大きい声出さないっ」
何人かの通行人が、うさんくさそうにこちらを見るのに気づいて、慌てて僕は手で口を抑えた。もう片方の手には、悲鳴の原因になった指がちょこんと乗っている。
「ぐ、グロい……! いやこうしてみると少しきれいですけど、グロいですよ! 指って!」
「ゴーストって、ものを持って並行世界には行けないけど、服は着ていけるじゃない? てことは、この服は私のゴーストの一部ってことでしょ? それくらいの自由度があるなら、一部を切り離しても大丈夫かなって思って試したら、できたんだ」
「それは新発見ですけど……何のために……」
「これは、五月女世界に置いておく」
「え? ……これを僕にくれるということは、僕が保管する、という……?」
「そういうこと」
「な……なぜそんな、ちょっとホラーなことを。第一、先輩のゴーストが水葉世界に帰れば、この指も消えるのでは」
それがね、と先輩は腕組みした。
「何度かこっそり実験してみたんだけど、ゴーストのスカートの切れ端とかを五月女世界に置いて私が目を覚ますと、次に幽体離脱しても、まだスカートは欠けたままだったの。五月女世界に置きっぱなしになるのね。前の日置いた場所に、次の日も同じ状態で落ちてたから。ちなみに戻す時は簡単で、ただくっつければいいだけ」
「そんな怖い実験、何で一人でやるんですか……」
「だって、五月女くん反対しそうなんだもの」
確かに。止めると思う。
「なぜそんなことをするのかというとね。これがあれば、携帯電話なしでも連絡が取れるでしょう。指先にインクでもつければ少しは筆談できるし、合図を決めれば簡単な意思疎通も可能だし」
「筆談? ……意思疎通って?」
「ほら」
僕の手の中の指が、ぴこぴこと動いた。
「うっわあ……」
「二回曲げ伸ばしは、『病院のベンチに集合』だよ」
もう決まっているらしい。
「あ、どうせなら指なんかじゃなくて、手首で切ればいいと思ってるでしょう。一応やってはみたんだけど、これが意外に結構、ゴーストなのに骨の感じとかが、」
「いえ全然思ってませんいいです詳細に言わなくて。……ん?」
今度は、指先が小さく丸を描くような動きをしている。
「……これは何のサインですか?」
先輩は、笑って答えた。
「貸してくれた本が、面白かった。またよろしく」
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
「南風の頃に」~ノダケンとその仲間達~
kitamitio
青春
合格するはずのなかった札幌の超難関高に入学してしまった野球少年の野田賢治は、野球部員たちの執拗な勧誘を逃れ陸上部に入部する。北海道の海沿いの田舎町で育った彼は仲間たちの優秀さに引け目を感じる生活を送っていたが、長年続けて来た野球との違いに戸惑いながらも陸上競技にのめりこんでいく。「自主自律」を校訓とする私服の学校に敢えて詰襟の学生服を着ていくことで自分自身の存在を主張しようとしていた野田賢治。それでも新しい仲間が広がっていく中で少しずつ変わっていくものがあった。そして、隠していた野田賢治自身の過去について少しずつ知らされていく……。
やくびょう神とおせっかい天使
倉希あさし
青春
一希児雄(はじめきじお)名義で執筆。疫病神と呼ばれた少女・神崎りこは、誰も不幸に見舞われないよう独り寂しく過ごしていた。ある日、同じクラスの少女・明星アイリがりこに話しかけてきた。アイリに不幸が訪れないよう避け続けるりこだったが…。
燦歌を乗せて
河島アドミ
青春
「燦歌彩月第六作――」その先の言葉は夜に消える。
久慈家の名家である天才画家・久慈色助は大学にも通わず怠惰な毎日をダラダラと過ごす。ある日、久慈家を勘当されホームレス生活がスタートすると、心を奪われる被写体・田中ゆかりに出会う。
第六作を描く。そう心に誓った色助は、己の未熟とホームレス生活を満喫しながら作品へ向き合っていく。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
【完結】カワイイ子猫のつくり方
龍野ゆうき
青春
子猫を助けようとして樹から落下。それだけでも災難なのに、あれ?気が付いたら私…猫になってる!?そんな自分(猫)に手を差し伸べてくれたのは天敵のアイツだった。
無愛想毒舌眼鏡男と獣化主人公の間に生まれる恋?ちょっぴりファンタジーなラブコメ。
Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説
宮 都
青春
幼なじみへの気持ちの変化を自覚できずにいた中2の夏。ライバルとの出会いが、少年を未知のスポーツへと向わせた。
美少女と手に手をとって進むその競技の名は、アイスダンス!!
【2022/6/11完結】
その日僕たちの教室は、朝から転校生が来るという噂に落ち着きをなくしていた。帰国子女らしいという情報も入り、誰もがますます転校生への期待を募らせていた。
そんな中でただ一人、果歩(かほ)だけは違っていた。
「制覇、今日は五時からだから。来てね」
隣の席に座る彼女は大きな瞳を輝かせて、にっこりこちらを覗きこんだ。
担任が一人の生徒とともに教室に入ってきた。みんなの目が一斉にそちらに向かった。それでも果歩だけはずっと僕の方を見ていた。
◇
こんな二人の居場所に現れたアメリカ帰りの転校生。少年はアイスダンスをするという彼に強い焦りを感じ、彼と同じ道に飛び込んでいく……
――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――
「史上まれにみる美少女の日常」
綾羽 ミカ
青春
鹿取莉菜子17歳 まさに絵にかいたような美少女、街を歩けば一日に20人以上ナンパやスカウトに声を掛けられる少女。家は団地暮らしで母子家庭の生活保護一歩手前という貧乏。性格は非常に悪く、ひがみっぽく、ねたみやすく過激だが、そんなことは一切表に出しません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる