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「ルチル! 一匹、そっち行ったぞ!」
「はっ、月詠様!」

 十月の、最初の土曜日。
 夕暮れが来るのが早くなってきた空の下で、恐ろしく胴の長い黒い鯉のぼりみたいなお化けが、五匹ほど空中を泳いでた。
 というか、下校しようとした私を狙って、さっきまで向かってきてた。
 悲鳴を上げた私の前に、ステラちゃんが躍り出て、「ぴー!」と鳴いた。
 同時に、ペンダントが鈍く光って、何秒か後には、駆けつけた月詠さんがお化けの一匹に飛び蹴りを入れてた。
 そこへ、すぐにルチルさんも合流してくれたのだった。

「ちっ、図体ばかりでかい蛇妖が群れやがって!」

 そう叫ぶ月詠さんによると、あれは蛇のお化けらしい。
 月詠さんが、一匹の蛇の首(どこまでが首だか分からないけど)に手刀を入れると、その蛇は、墨が水で洗い流された時みたいな跡を残して、空に消えた。
 ルチルさんが、別の一匹をかかとで蹴り落して、これも同じように消えちゃう。
 ……あれって、殺しちゃってるのかな。
 いつかの天狗の時みたいに、遠くに投げ飛ばさないんだな、と思った。でもこれ、後でルチルさんに聞いたら、「人型をした怪異は、凛殿の前ではあまり生々しく倒さないようにしておられるのですが、『蛇だし、掻き消えるようにいなくなるならまあいいかと思った』のだそうです」って教えてくれた。
 うう、私、本当に気を使ってもらってるな……。

 結局、月詠さんが三匹、ルチルさんが二匹倒してくれた。
 ……ルチルさんも、結構強いんだ……(失礼)。

 ぽんぽんと、手についてもない埃を払うようなしぐさをしてる月詠さんに、駆け寄っていく。
 怪異は基本的に夜のほうが強くなるけど、それは月詠さんとルチルさんも同じことだ。
 普通の怪異なら夜のヴァンパイア・ハーフには勝ち目がないからということで、私を目当てにした妖怪たちは、明け方や夕暮れなんかに不意打ちを狙ってくるほうが今のところ多い。
 けど、月詠さんとルチルさんは交代で私のそばにいてくれて、怪異が現れるとすぐに二人そろって戦ってくれる(月詠さんは「いちいちルチルを呼ぶのもめんどうだ」とか言って、一人でやっつけちゃうことも多い)。

「月詠さん、ルチルさんも、けがはないですか?」
「ああ、あの程度なら全然。凛のほうこそ大丈夫か?」

「どこにも、かすり傷一つないです」

 私は、月詠さんの前で、くるりと回った。

「それはなにより。ああ、いや、ちょっと待て」
「はい?」

 月詠さんが、私の右耳のあたりに、手を伸ばしてきた。
 さら、とちょっとだけ指先が私の髪に触れる。

「つ、月詠さん?」
「落ち葉の切れ端がついていた。君の、つややかなうるわしい髪に」

「ふ、普通! 普通の髪の毛ですから!」
「この、絹のような髪が普通? ふ、謙遜というものだな」

「も、もう!」

 月詠さんは、私のことを大切に、価値のあるものとして扱ってくれるから、それはうれしい。でも、毎回口に出されると、どうにも照れちゃうんだ。

「今日も、ありがとうございました。すみません私、本当に守ってもらってるばっかりで……」
「はは、だからいいって言ってるだろ。やりたくてやってるんだし。それに、見返りもあるからな」

「見返り、ですか?」
「君が無事でいれば、いずれ書きあがる名作小説を読ませてもらえるかもだろ。この間読んだやつの続きも、楽しみだしな」

 そう言われて、胸がちょっと詰まった。

「あ、悪い。プレッシャーかけるつもりじゃなかったんだ」

 慌てた様子の月詠さんに、私のほうこそ慌てて答える。

「ち、違うんです。実は、小説のことで、最近ちょっと考えてることがあって」
「うん?」

「な、なんだか、私なんかがこんな言い方するの、おこがましい感じがする気もするんですけど」
「日本語が迷走してるな。……その様子だと、きっと、君の中で大切なことなんだな?」

「そ、そうなんです。私なんかが、あれで、こう、あれなんですけど。私、月詠さんたちのことを――」

 いよいよ口に出そうとした、その時。

「おやおや月詠殿、ルチル殿、凛殿もおそろいで。まゆ殿は、今日は別行動なわけじゃな。先ほどの蛇妖との大立ち回り、まことに結構結構。わしは、どうも肉弾戦は不得手じゃから、うらやましいのう」

 ちょうど、夢野さんが話しかけてきた。
 夢野さんは、月詠さんの家で暮らして同年代の怪異と仲良くなってきたからなのか、伸ばしっぱなしだった髪はちょっと分け目を作ってるし、猫背気味だった姿勢は背筋を伸ばすようになってるしで、確実に見た目がよくなってきてる。
 低い声も、これはこれで渋くてかっこいいかもしれない。
 ……この人、普通にクラスに溶け込んでるなら、そのうち女子から人気出たりするんじゃないかな……。あとは、言葉遣いとか直れば。

 て、ていうか、もう。
 私、話の途中だったのにっ。

「お、夢野。お前、今日いつものスーパーで豚バラ特売だから買って来いよ。おれ、商店街の八百屋でナス買ってくから。豚肉で巻いて焼こうぜ。米はルチルが先帰って炊くってよ」
「はっはっは。会話が、男子学生のそれとは思えんのう」

「ま、おれ、学生だったことがほとんどないからな」
「む。そういえば、そうか。では、文化祭や体育祭といったイベントも未経験なのか」

「まあな。そういうお前はどうなんだよ」
「愚問じゃのう」

「なんだ、経験済みか」
「いいや。さすがにそこまで晴れやかな場に出ると、催眠の効きが悪いのでな。そういう催しの日は、基本的に体育倉庫などで膝を抱えて、終わるのをひたすら待っとったわい」

 遠くを見ている夢野さんに、月詠さんが「……なんかゴメン」と謝った。
 でもそっか、ルチルさんも、そんなこと言ってたっけ。月詠さんは、あんまり学校に行ってない、みたいな。

「おう、そうじゃ」と、夢野さんがぽんと手を打った。「そういえば、間もなく、三年生が修学旅行じゃのう。どうじゃ月詠殿、わしが周りに催眠をかけてやるから、二人して同行せんか」
「ああ? 晴れやかな場じゃ、催眠が効かないんじゃないのかよ?」

「一同そろって校庭に出たり、クラスごとに発表をするのとはわけが違うじゃろう。昼間はごちゃごちゃと固まったり、班に分かれたりして、カオスな感じらしいと聞くぞ。みんな浮かれとるじゃろうし、わしらがちょいと混じっても大丈夫じゃろうよ」
「……ふうん。三年の修学旅行って、行先どこだっけか」

 夢野さんが、西のほうをびしっと指さす。

「京都よ、京都。世界に誇る千年の都、おぬし行ったことはあるのか?」
「いや、ない。ふーん、京都ね……旅行ね……」

 ……これは。
 この感じ、月詠さん、かなり心を動かされてるのでは?

「よいではありませんか、月詠様」
「ルチル。……そう思うか?」

「十月に入って、ムジナ、水鬼、今日の蛇妖と、このあたりのやからはだいぶやっつけました。僕がこちらに残りますから、どうぞ行ってらしてください。……夢野、月詠様に失礼のないようにな」
「いや、わしは、別に月詠殿の家来でもなんでもないんじゃが……」

 私は、ちょっと気になって、手を挙げた。
「あ、あの」

「ん? どうした、凛?」
「月詠さん、私、あんまり詳しくはないんですけど。確か吸血鬼って、川を渡れないんじゃなかったでしたっけ。そんなに遠くに旅行して、大丈夫なんですか?」
「ああ。そういうこともあるらしいけどな。おれの場合は、川を越えるときにちょっとぞわっとするだけで、渡れないことはない。その辺の利根川とか江戸川とかなら、何度も往復してるぞ」

「あ、そうなんですか」
「おれがヴァンパイア・ハーフだからってだけでなくて、ある程度個人差なのかもな。なんたって、血を吸わなくても生きていけるくらいだし。ちなみにニンニクも食べられる」

 月詠さんが、くいっと口角を上げた。
 そこには、人間の犬歯よりも鋭い牙がある。でも、危ない感じは全然しなかった。
 たぶん、私が、月詠さんはその牙を危ないことには使わないって、とっくに信じてるから。

「というわけで、月詠様。修学旅行というのは、二泊三日かそこらでしょう。凛殿とまゆ殿にはアミュレットもありますし、行かれてはいかがですか」

 ルチルさんに、そう勧められて。
 月詠さんの決意は、固まったみたいだった。


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