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 月詠さんは、上の階を指さした。
 そのまま歩き出す黒い背中を追って、私もついていく。
 三階は、三年生の教室があるから、普段あんまり行くことはないんだけど。月詠さんは、どんどん進んでいく。

 もう三年生はみんな教室に入っちゃってるからなのか、廊下には、ひとけがなかった。
 不気味なくらいに静まり返ってる。……最上級生の階って、こんな感じなのかな。
 やがて、月詠さんが立ち止まった。
 札のない教室があって、そのドアをがらがらと開ける。

「こんなところに、空き教室なんてあったんですね。月詠さん、よく知ってますね」
「ああ。君と二人っきりになれる場所があるなと思って、気にかけておいたんだ」

「……へ?」

 月詠さん?

 窓にはカーテンがかかっていて、まだ朝なのに部屋は暗い。

「あの、月詠さん、なんのお話があって……?」

 月詠さんが、私の肩を柔らかく抱いて、教室の真ん中のほうへ行くように促してきた。

「わっ。つ、月詠さん?」

 いつの間にか、ドアは閉まっている。
 校舎の中なのに、なんの音もしない。
 不思議な空間に二人だけでいるみたいで、なんだか、ぼーっとしてきちゃうな……。

「君、好きなやつはいるのか?」

 私の肩を抱きながら、私の頭のすぐ斜め上で、月詠さんがそう言ってきた。

「……はい?」
「好きな人だよ。いるのか? それとも、もう誰かとつき合っていたり?」
「し、してませんよ! 好きな人なんていません! なんですか、いきなり!?」

「そうか。……なら、おれにもチャンスはあるんだな」
「チャンス」

「前々から思っていたんだが」
「はい?」

「君、ちょっとかわいすぎないか?」

 ……。

「は、はい!? え!?」

 なにを言われたのか、一瞬分からなかった。
 落ち着いて、月詠さんのセリフを思い返す。
 ま、間違いない。かわいいって言われた。かわいいって!?

「こ、子供っぽいってことですか? 確かに、他にまだそういわれることはあったりなかったり」
「なに言ってるんだ。女子として、とても魅力的だと言ってるんだよ。今まで、何人くらいから告白された?」

 思わず月詠さんの顔を見上げると、あの、きれいな顔がすぐ目の前にあった。
 その瞳が、ばっちりと私と視線を合わせてる。
 は、破壊力がすごい!
 頭が、全然回らない。

「つ、月詠さんこそなに言ってるんですか!? ゼロですよゼロ、そんなのなにかけても永遠にゼロのゼロ人です!」

 頭をぶんぶん横に振りながら、必死に答える。
 だから、月詠さんがなにをしているのか、よく見えなかった。
 気がついた時には、私は、月詠さんの腕の中にすっぽりと包まれていた。
 黒い布地から、ほんのりと甘いにおいが漂ってくる。すごくいいにおい。月詠さんて、こんなにおいの服着てるんだ……
 どころじゃない!

「にえええええ!? こ、これは!? どういう事態ですか!? なにが起きて誰がどーして!?」

 そしてその言葉は、すぐ耳元でささやかれた。

「好きだ」

 鋤田? そういう地名かな?

「愛してる」

 あいしTEL?

 私の脳みそは、完全にパンクしていた。
 けど、そのパンクが高速で修理されて、情報の処理に頭が追いついていく。追いついてしまう。

 す……すすす、好っ……?
 月詠さんが、私を!?

 に、逃げなくちゃ。どうしてだかは分からないけど、今すぐ逃げなくちゃ。
 なのに体に力が入らない。

「い……いけません、月詠さん! こんなの!」
「いけない? なんで?」

「だ、だって私たち、出会ってまだ間もないですし! いきなり過ぎて、もう私はどうしていいのか!」
「いきなりなものだよ。恋は、いつだって」

 こ……
 こっここ、恋……!?

「おれはもう、君への思いでいっぱいだ。胸が痛いくらいに切なくて、もう耐えられない。分かるだろう? そういう気持ち」

 わ、分からなくはない、気は、する。
 私だって、なにかを好きになると、胸が痛むことがあるっていうことは知ってる。
 で、でも、これは!
 今痛いのは、胸じゃなくてほっぺただし!

 ……。
 ん?

 ほっぺた?

 痛い。確かに痛い。ほっぺたが痛い。
 まるで、シャーペンの先で何度もづくづくと連続して突かれてるみたいに、とても痛い。
 それに、両肩も痛い気がする。月詠さんに抱きしめられてるからじゃなくて、もっと、力いっぱいにわしづかまれてるような……

「い、いたあああいっ!?」

 そう叫んだ時、周りの景色がぐるんと変わった。
 私が立ってるのは、ひとけのない教室じゃなくって、明るい廊下だった。

「――凛! よかった、目が覚めたか!」
「えっ!? つ、月詠さん!?」

 あわてて周りを見回すと、そこは二階の、もといた廊下だ。
 三階じゃない。
 え、どうして?

「私、いったい……ああっほっぺがいたいっ!」
「ステラ、もういいぞ。くちばしを止めてやれ」

 私の左肩にステラちゃんが乗っており、ふーと息をつくしぐさをする。
 じゃあ、ほっぺたが痛かったのは、ステラちゃんが、芽生えたばかりのくちばしでつっついてたから?
 そして、肩の痛みは、どうやら……

「すまない、痛かったか? 少し力を入れて握ってしまったからな。女子の、こんなに細い肩を」
「い、いえ全然!」

 私はステラちゃんにくちばしで突かれながら、月詠さんに肩をつかまれて前後に揺さぶられてたみたいだ。
 かなり激しかったのか、首が、ちょっと痛い。

「今君は、夢魔に夢を見せられていたんだ。気がつくのが遅れた、悪い」
「ゆ、夢!? 立ったまま、あんな一瞬でですか!?」

「そうだ。本人が目覚める気をなくすような、楽しい夢を見せることで、現実世界より夢に落ち込んでいくようにするのがやつの能力だ。しかし、白昼堂々――朝だが――、廊下にいる君に仕掛けるとは。なかなかの腕だな」

……げ、現実世界よりも楽しい夢……
じゃあ、私が見ていたの、私が楽しいと思う夢ってことであって……

「気分はどうだ? どんな夢だった? かなりリアルだったろう」

 どんな……と言われると……

「わ、忘れちゃいましたねー! どんなだったかなあ! いやもー残念です、楽しい夢だったはずですけどねー!」

 真っ赤になって冷や汗をかきながらそう言う私に、月詠さんは、
「お、おう?」
 と首をひねりながら、納得してくれる。

「あっ、ところで、その夢魔はどうなったんですか?」
「ああ。おれが、君の介抱に向かったとたんに逃げ出した。教室の窓から飛び出したよ。クラスの中が騒ぎになっていないところを見ると、全体に軽い催眠でもかけたんだろうな」

「え、じゃあ、今は野放しっていう……?」
「そういうことだ。おれはやつを追うから、君はステラと一緒に学校にいろ。もう、おれたちに近づいたらいけない」

 うう。そういえば、さっきの夢は、離れてろって言われたのに近づいて行ったから見せられたのかもしれない。反省しなきゃ。

「しかし、どこに行ったのか、見当がつかんな。ヒントになるような痕跡があればいいんだが。とりあえず、おれはまた姿を消すか。始業前で、人が増えてきた」

 確かに、周りの目が、ちらちらと月詠さんに注がれてるのを感じる。
 そりゃ、目立つもんね。

 すう、と月詠さんの存在感が薄まった。
 これで、みんなからは見えなくなるんだな……。
 私には、やっぱり、ほんのり見えてる。

「……本当は、君を残して行きたくないんだがな」
「そんな、大丈夫ですよ。すぐ教室に行きますから。ステラちゃんもいますし」

「おれが守りたい、と言ってるんだ。こんなにかわいい女の子を守る栄誉を、自ら捨てる愚を犯そうとしているおれを、笑ってくれ」
「笑ったりなんて、……え?」

 今、なんと?
 かわ……え?
 さっきの夢の中の月詠さんに言われても、あんなに動揺しちゃったのに。
 夢じゃない月詠さんにいきなりそんなこと言われたら、私、どうしていいか……

 ……。
 ん?

「やっぱり、あんなやつを追っていきたくないな。君のそばで、君を守らせてくれ」

 月詠さんが、私のすぐ前に来た。
 その服から、甘いにおいが漂ってくる。
 これは、さっきもかいだ。
 ってことは。

「夢じゃん!」

 ばちっ、と両目を大きく開いた。
 私の肩で、大きくそっくり返ってたステラちゃんが、あわてて体制を戻す。
 ……ステラちゃん、つっつこうとしてたね? いや、いいんだけど。

「凛?」

 さっきと変わらない位置に立ってた月詠さんが、たっと私に駆け寄ってきてくれた。

「またか? 今の一瞬で? やはり、手練れだな。そして、明らかに君を狙っている。夢に陥らせて、人質にでもしようとしたんだろう。……だが、うかつだったな」
「はいっ。私も、そう思います」

 月詠さんが、微笑んでうなずいた。

「今の仕掛け方を見るに、やつはまだ遠くには行っていない。むしろ、すぐ近くにいる。そうでなければ、あんなに簡単に術は使えない。やつの魔力の位置を、探るぞ」

 私たちは、息をひそめて、辺りに注意を向けた。
 ……といっても、私は、ただ静かに呼吸していただけで、なにも分からなかったけど。
 月詠さんの目は真剣そのもので、耳に神経を集中してるのが分かった。
 そして。

「ぴー!」とステラちゃんが鳴いて(そういえば鳴き声は初めて聞いた)、くちばしで一方を指すのと。
「そこだ!」と月詠さんが叫んで駆け出すのは、同時だった。

 向かったのは、さっき天狗が投げ飛ばされた、廊下の窓。
 私は月詠さんには追いつけないので、手近な窓を一つ開けて、首を外に突き出した。

「ひえっ!?」

 目当ての窓のすぐ下に、大きな黒いものが、トカゲみたいにへばりついてるのが見えた。
 あ、あれが、夢魔!? 教室の外側から回り込んで、こんなところに来てたんだ。
 その真上の窓から、月詠さんが外に躍り出た。
 落ちる、と思ったけど、月詠さんの体は夢魔のすぐ前の空中でぴたりと静止して、そのままむんずと夢魔を右手でつかんだ。

「ぐ、ぎゃああああ!」
「やかましい! そんなに痛くしてないだろ!」

 夢魔が、悲鳴を上げながら、素早く腕を月詠さんに突き出した。
 その指先が鋭く光ってる。……爪!?

「月詠さんっ!」

 私が叫ぶと同時に、夢魔の腕が月詠さんの胸を貫く。
 でも、すでに月詠さんは、胴体を霧にしていて、なんのけがも負わずに、夢魔の反撃は空振りに終わった。
 思わず、私は深々とため息をつく。

「とりあえず、大人しくなってくれよ!」

 そう叫んで、月詠さんが、夢魔のお腹に深くパンチを入れた。
 どすっ! と鈍い音がして、「ぐへ……」とつぶやいた夢魔が、ぐったりとくず折れる。

 月詠さんは、動かなくなった夢魔を壁からべりべりと剥がすと、屋上に向けて放り投げた。
 なすすべなく、放物線を描く夢魔。
 かすかに、べちっと音がした。多分、屋上に乗ったんだろう。
 その後を追って、月詠さんが宙を進んでいく。

「凛、昼休みにでも迎えに行く。それまでは、こいつはふんじばっておくよ。もう術も使わせない」
「は、はいっ!」

「君の教室の外には、また大鴉を待機させておく。ま、落ち着いて授業を受けてくれ」

 こうして。
 隣のクラスの怪異は、朝一番で、吸血鬼の力によってとらえられたのだった。


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