上 下
6 / 18

6

しおりを挟む

 感極まったように、月詠さんが喉を鳴らした。
 その時、私には、……確かに、見えちゃった。
 それまでも半透明だったステラちゃんが、足の先から、どんどん色を失って薄くなっていくのが。
 
「お兄ちゃん、私、もうすぐみたいだね」
「ああ……そうだな」

 月詠さんが、私のほうを向いて、
「凛。日野さん。済まないんだが……」

「は、はいっ。私たち、出てますね。……見てないほうが、いいですよね」
「ありがとう。ごめんな。ステラは、君や日野さんに、自分が消えるところなんて見ていて欲しくないと思うから」

 まゆにはステラちゃんが見えてはいないみたいだけど、そういう問題でもないんだろう。

 二人で部屋を出る時、一度だけ振り向いた。
 きょうだいが、二人で微笑みながら、私たちにゆっくりと手を振ってた。
 私も、小さく手を振り返す。まゆも、私を見て、そうした。
 足元を、私より一足先に、大鴉がとことこと歩いて行った。

 二人と一羽で、暗い通路を通って、さっき降りてきた階段を上がる。
 家の中にいるのがなんとなくいたたまれなくて、玄関から外に出た。

「凛。……さっきの、ステラちゃんて、もうすぐ消えちゃうんだね?」
「そうみたい。もうすぐっていうのが、何分後とかなのか、今夜中なのかとかまでは、分からないけど……」

 ドアの外側にもたれかかりながら、私がそう言うと、いきなり、
「ええ。あの様子だと、もってあと五分かそこらでしょうね」
って、知らない声が答えてきた。

「きゃあっ!?」
「えっ? り、凛、誰その人!?」

 私たちのすぐ横に、暗い色の服を着た男の人が立っていた。
 月詠さんも黒い服を着ていてけど、この人のは、少し青みがかってるみたい。夜の中でも、それが見て取れた。それに、肌の色も浅黒いみたいだ。日本人じゃないみたい。
 髪は月詠さんと同じような黒髪だったけど、この人のほうが少し短い。
 目つきは、少し目が大きいためにあまりきつい印象はないけど、そのまなざしの強さに、思わず足が震えた。まるで動物が獲物を見るみたいに、まっすぐにこっちを見てる。
 ……それよりなにより、瞳の色が金色だった。まるで、月が二つ、そこにはまってるみたいだ。

 私は、まゆの前に立って、
「だ、誰ですか!?」
 と叫ぶ。
 ……というか、この人、人間? もしかして、月詠さんやステラちゃんと同じ、人間以外の……

「凛殿も、日野まゆ殿も、なにを身構えているのです。月詠様がこんな時に、この僕が、人間ごときに悪さするわけがないでしょう。そうする気なら、とうにやっていますよ」

 私たちのことを知ってる!?
 ……え。
 この体の色や服の色。私たちのことを知ってるふうで、それに、月詠様って……

「あ、あのう」私はおずおずと、教室で発表する時みたいに手を挙げた。「大鴉、さん? ですか、もしかして?」

 まゆが、「えっ!? あのカラスさん!?」と顔を前に突き出した。

 すると彼は、右手の人差し指で、こめかみのあたりをかりかりとかきながら、
「ああ。そういえば、この姿は初めてでしたか。カラスの姿だと、飛ばないで移動するのは疲れるので」

 よく見ると、その見た目は、私たちと同級生くらいに見えた。以外に顔立ちが幼い。
 身長も、私と同じくらいだ。

「大鴉さんて、人間になれるんですか?」
「夜でしたら。昼間の間も、なれないことはないのですが、体力の消耗を考えて必要な時以外は控えています」

 ……大鴉さんは、そんなに声が低くないうえに、顔もちょっとかわいい系なので、敬語で話されると学校の後輩みたいに見えちゃうな……。

「それはそうと。僕からも礼を申し上げます。凛殿に、日野まゆ殿。今日はステラのために、かたじけない」

 ……かたじけないって、「すみません」だっけ。なんて思ったら、まゆが小声で、
「かたじけないは、『ありがとう』だよ」と教えてくれた。
 うう、なんで、分かんないって分かったんだ。

「月詠様とステラは、実のきょうだいのように仲がよくおいででした。最後に、妹の喜ぶことをしてあげることができて、月詠様もお喜びでしょう」
「……そうだったら、私もうれしいです」

「あてもなく夜の町を浮遊していたレイスを保護してやるなど、月詠様も物好きなことだと思ったものでしたが。一人この日本に残されたご自分と、ステラの境遇を重ねられたのかもしれません」
「え、月詠さんて、外国から来たんですか?」

「特に隠しているわけではないでしょうから、教えても構わないでしょう。ドイツの、デュッセルドルフという街が月詠様の故郷です。ラスベリー畑の夜露の輝きの中、月の光のミルクをまとってお生まれになられた……らしいです。僕もまた聞きですが。ヴァンパイア・ハーフながら、当時は吸血鬼の名家の長男として――」

 その時。
 玄関のドアが開いた。

「月詠さん!」
「月詠様……おいでになられたということは、ステラは、もう……」

 私とまゆは、ふっとうつむく。
 お別れが、済んじゃったんだな……と思ったから。
 でも。

「いや」
「いや、とは?」

 大鴉さんが首をかしげる。

「なにやら、思わぬことになった」
「思わぬこと、とは?」と、逆側に首を傾ける大鴉さん。

「これだ」

 月詠さんが、右手を差し出した。
 軽く握った手の中に、なにか、白いものが見える。うずらの卵より少し大きいくらいの、白くて丸い塊。

「ステラが、体の色を失って、消滅した後の空間に、これが浮いていた。ぷかぷかと、ふわふわと」
「失礼、拝見いたします。……これは……ステラの霊気をかすかに感じますね……」

 私も月詠さんの手の中を覗き込んで、
「え!? じゃあこれ、ステラちゃん!?」
 と叫んじゃった。

 月詠さんが首を横に振って、
「いや。おそらくは、もうステラではないだろう。霊気の残滓みたいな、そういうものだと思う」
「ざんし?」と口にする私に、まゆが「残ったものってことだね」と教えてくれる。
 ……まゆって、小説書いてる私より、言葉よく知ってるっぽいな……。

「正直、おれもこんなものを見たのは初めてだ。どうしたものかな。このままやがて、ステラと同じように薄れて消えるのか、手を加えなければ残り続けるのか、それすらも分からんな」

 そこで、月詠さんは私たちを見回した。

「ま、これのことはおいおいおれのほうで考えるよ。これ以上遅くならないうちに、凛と日野さんは、おれと大鴉で送っていこう。……ん?」

 そう言った月詠さんの手から、白い玉がゆっくりと浮き上がった。
 そして、そろそろと、私のほうに向かって宙を泳いでくる。

「えっ!? な、なに!? なんですか!?」

 これはまゆにも見えるみたいで、つかまえようと手を伸ばしてくれたけど、白い玉はその手のひらをひょいと避けて、さらに私に向かってくる。

「ひ、ひええ!?」

 そして、私の鼻先十センチくらいのところで、ぴたりと止まった。

「これは……」と月詠さん。「凛を親だと思っている、雛みたいなもんかな」
「ええっ!? な、なんでですか!?」

「なぜと言われると分らんが。ほら、」と言って月詠さんは、白い玉をつまんで私から一メートルくらい引き離してくれたけど、「手を離すとまた君に寄っていく」

 まゆがそれを目で追いながら、言った。
「ステラちゃんの記憶とかを引き継いで、凛になついてるんんでしょうか……」
「そうかもな……そうじゃないのかもしれないが。とりあえず実害はなさそうだ。凛、すまないが、今日のところはこいつを持って帰ってくれないか」

「えっ。い、いえ、いいですけど……」と戸惑いながらも、私なんて単純なもので、これがステラちゃんの残したものだと思うと、ばっちりと愛着が湧いちゃうのだった。

「よし。じゃ、凛、日野さん、今日はありがとう。帰ろう。駅まで送るよ」

 そう言った月詠さんに並んで、私たちは歩き出す。
 大鴉さんは、人間の姿のままだった。

「凛」
「はい、月詠さん?」

「君は、ステラだけじゃなく、その他多くの人外が見えるようになってしまった。その体質は、一度定着したら、基本的にはもうなくなることはない」
「……そう、なんですね……」

「そして今日言ったとおり、君はこれから、人外に狙われることが珍しくなくなるだろう。でも大丈夫だ、おれが守る。大鴉もな」
「僕は、本意というわけではありませんが。月詠様がそうおっしゃるのなら」

「こら」
「僕は、群れからはぐれさせられたところを拾っていただいた恩を、一生かけて月詠様にお返しするだけです。たとえ、人間の小娘を守れというご命令だったとしてもね」

 そ、そう言われると、なんだか申し訳ないんですけど。
 すると、月詠さんが私に耳打ちした。

「ああは言ってるけどな。あいつだって、ステラとは仲が良かったんだ。ちゃんと、君に恩を感じているよ」
「は、はい」

 一瞬、低くて心地いい声が耳のすぐそばから聞こえて、すごく恥ずかしくなってしまったけど。
 私は、大鴉さんに、ぺこりと頭を下げた。
 分かった分かったというふうに、大鴉さんは手のひらを縦にひらひらと振る。

「ところで、凛に日野さん。人間に、ヘレン・ケラーって有名人がいるよな」

 え? と私とまゆは顔を見合わせた。
 突然、なんの話だろう?

「はい。目と、耳と、口が不自由だったけど、すごく偉大な人だっていう……」私も、伝記くらいは読んだことがある。

「そのヘレン・ケラーの恩師で、サリバン先生って人がいるだろう?」
「あ、はい。ヘレン・ケラーに、水と、水の入ったコップとの違いを教えたりとか……でしたっけ」

 うう、あんまり細かいところになると自信がないっ。

「そのサリバン先生と出会った日を、ヘレン・ケラーは、『魂の誕生日』と呼んでいたらしい」

 魂の……誕生日。

「わあ……。なんだか、すごいですね。本当に信頼している感じがします」
「本当だよな。で、だ。ステラもどうやら、ヘレン・ケラーについての本を読んでいたみたいでな」

「ステラちゃん、……本当に、読書家なんですね」
「ああ。それで、さっき、この繭に変わる寸前に言ってた。『今日が私の魂の誕生日』だってさ。それくらい特別なことだったんだな。心惹かれる物語を書いた、その本人に会えたっていうのは。あいつにとって」

 私は、思わず、肩先でふわふわと浮いている白い繭に目をやった。
 そんな。
 私だって、私こそ、ステラちゃんみたいな子に、途中までとはいえ、自分の書いたお話を読んでもらえて、うれしかったのに。
 目の奥が熱くなって、鼻がつんと痛くなる。
 両手の中に、そっと繭をおさめた。ほんのり、温かい気がする。

「……今日は、暖かい日だな」と、月詠さんがぽつりと言った。
「えっ? そうですね、確かに、まだまだ昼間は暑いですから、この時間でも……?」
「だよな。そんな日に、夜まで引っ張り回して悪かった。そして、まあ、とにかくだ」

 月詠さんが、私の前に立った。
慌てて足を止めると、つい、夜の中にほの白く浮かんだ、きれいな顔に視線が吸い込まれちゃう。

「は、はい? なんでしょうっ?」
「改めて。明日から、君のことを、守らせてもらう。君は、かけがえのない恩人だ。よろしくな」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

膀胱を虐められる男の子の話

煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ 男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話 膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)

魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました

タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。 クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。 死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。 「ここは天国ではなく魔界です」 天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。 「至上様、私に接吻を」 「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」 何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件

森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。 学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。 そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

時間泥棒【完結】

虹乃ノラン
児童書・童話
平和な僕らの町で、ある日、イエローバスが衝突するという事故が起こった。ライオン公園で撮った覚えのない五人の写真を見つけた千斗たちは、意味ありげに逃げる白猫を追いかけて商店街まで行くと、不思議な空間に迷いこんでしまう。 ■目次 第一章 動かない猫 第二章 ライオン公園のタイムカプセル 第三章 魚海町シーサイド商店街 第四章 黒野時計堂 第五章 短針マシュマロと消えた写真 第六章 スカーフェイスを追って 第七章 天川の行方不明事件 第八章 作戦開始!サイレンを挟み撃て! 第九章 『5…4…3…2…1…‼』 第十章 不法の器の代償 第十一章 ミチルのフラッシュ 第十二章 五人の写真

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

処理中です...