男娼館ハルピュイアの若き主人は、大陸最強の女魔道士

クナリ

文字の大きさ
5 / 39

第一章 キーランドと薬術院の君3

しおりを挟む
 キールが、微笑んで応えた。

「その通りです。女性に、身体的に満足していただくのが、私の仕事です」
「あんた、なんでそんな仕事……いや、そんなって言って悪いけど。普通に、騎士団に入ればいいじゃないか。腕が立つだけでなく、立ち居振る舞いだって、その優美さ……なんらかの訓練を受けてきたはずだ。それがどうして……」

 私は、コーヒーカップを傾けて、苦い液体を飲み下した。
 リシュの言いたいことは分かる。
 この大陸でも、性を売り物にする仕事は存在する。相当数。それは地球と変わらない。
けれど、たとえば日本と大きく違うのは、体を売る仕事をしている人が、極端に地位を低く見られるところだった。
 日本でだって、そういう仕事に就いている人はそれぞれに偏見を受けがちだし、決して褒められたものじゃないという見方をされるのは、私だって知っている。ところが、ベルリでは、奴隷や野良犬と大差ない扱いを受けるのだ。それが最近まで問題視されることなく、公然と差別されてきた。
 それが差別だと認識されることさえ、長い間なかったんだと思う。最近になって多少、同情や励ましの声が届くようになったらしいけれど、過渡期というにはまだまだ大勢の価値観は変わっていない。

 リシュが、騎士として高い水準にあることが明らかなキールの現状に、強い疑問を持つのはもっともだった。国内で最大限に尊敬と賛辞を受けられる騎士団にいられるはずの人材が、最も見下される立場に甘んじているということなのだから。

 キールは、リシュの前で背筋を伸ばす。礼儀正しさが、キールの場合は威圧感を生まない。これは彼が受けてきた訓練の成果というより、彼の人格からくるものだと、私は勝手に思っている。

「リシュ様。あなたがこれからどのくらいの期間、ハルピュイアにおられるかは分かりません。ですが、今もこの先も知っておいていただきたいのは、私はこの仕事に心から望んで就いていますし、もともと、ルリエルにこの商売を始めるきっかけをもたらしたのは、私だということです」
「え?」

 リシュが私のほうを向いた。

「んー、まあ、そうね。その通り。嘘じゃないよ。あ、このビスケットおいしい。シナモン入ってる?」
「ええ。最近は、香辛料やハーブを練り込むのに凝り出しました」

 嬉しそうに答えるキールに、リシュが「手作りなのかよ……」と小声で突っ込んだ。
 そこへ、事務室のドアを開けて、やや低い声が割り込んでくる。

「キールの野郎の菓子は、そこらの店より上等だからな。そこのボク、ありがたく味わえよ」

 入ってきたのは、ダンテだった。ダンテ・マーラー。キールと同じく、このハルピュイアのスタッフをしている男子だ。
 男子というのは男娼館のキャストを務める男性の呼び方で、実年齢がいくつだろうとみんな男子と呼ばれる。
 ダンテはキールより一つ年上の二十三歳で、青みがかった黒髪をオールバックにしている。それが癖で少し跳ねているので、まるでライオンみたいだ。
 ダンテの身長は百八十八センチくらい。キールよりも筋肉質であちこち盛り上がっている体を強調するように、いつも薄手のシャツを着ている。今日も、白いシャツをまくった袖口は、浅黒い肌に押され、ぱんぱんに張って窮屈そうだった。

「おやボク、コーヒーも手をつけてないのか。苦いのは苦手かな?」
「ばかにするな。コーヒーくらい飲める」

 ダンテが軽く目を見開いた。

「えっ……飲めるのか」
「……なんだよ、きょとんとして。飲めたら悪いのか」

 私は、小声でリシュに告げた。

「実はダンテってコーヒーだめで、紅茶党なのよね。仲間ができたと思って、一瞬喜んだんだと思う」
「苦いのが苦手って、自分のことじゃないか……」

 ダンテは事務室の奥のミニキッチンに向かいながら(自分用の紅茶を入れるためだ)、
「ふっ。苦手なものを苦手と言えるのはいいことだ。恥ずかしいことでもなんでもあるまい」
「……紅茶だって苦いし渋いと思うぞ。今は旬からも外れているし」とリシュがぼそりと言ったけれど、
「でも紅茶はいい匂いだろうが! おれ様はいい匂いのものが好きだ!」と返したダンテは構わずにお湯を沸かしに行く。
 リシュは「おれ様……」と再び呟いた。

 さすがにベルリ大陸にはガスや電気の代わりになるものはないので、熾火をとっておける釜がどの家のキッチンにも据えつけられている。
 ダンテは太く長い指で器用に釜から炭を取り出すと、それを炉に敷き、やかんに水がめの水をくんで火にかけた。

「む。薪の残りが心もとないようだ。新しい木片を入れておくか」
「あ、はーい。火はつけておくからいいよ。種火よー」

 私が指を鳴らすと、ミニキッチンの釜がぽっと一瞬火を噴いた。

「おお。ありがとうよ。しかし、ルリエルがいるとどうも火起こしを怠けてしまっていかんな」
「いいじゃない、使い減りするわけじゃないんだし」

 その様子を見ていたリシュが、またなにか言いたげにしている。

「どうかした、リシュ?」
「『七つの封印』の魔道士ソーサラーが……火口箱ほくちばこみたいなことを……」
「特技って、実生活に使えてなんぼよね」
「特技……。そ、それに、さっきから気になっていたんだけど。ダンテ・マーラー。あなた、確か素手格闘パンクラティオンの王者じゃないのか。その顔、髪、……見覚えがあるぞ」

 ぴた、と、私、キール、そしてダンテの動きが止まった。
 ダンテが、やかんのお湯の温度に見当をつけながら、手元を見て答えてくる。

「よく知ってるな、ボク。確かにそういう時代はあった。しかしその前は別の仕事をしていたし、今はこのハルピュイアで働いている。それだけだ」
「なんなんだよ。騎士みたいなのに、格闘王。経営者は西大陸最強と言われる魔法使い。この宿は、一体なんなんだ」

 そのリシュの問いに答えて、また一つ、新しい声が事務室に加わった。

「それは男娼館ですよ、なにかと言われれば。自分めもまた、ここに勤める男子の一人ですしね……」

 全員の目が、一斉に部屋の入り口を見る。
 そこに立っていたのは、身長は百七十センチに少し足りないくらいで、闇色の髪をストレートに伸ばした、痩せ気味の男子だった。庭師用のエプロンをしている。
 前髪が小鼻の上辺りまで伸びているので、こちらからは彼の目が見えない。
髪も黒ければ、服も黒い。私は、彼が黒以外の衣服を身につけているのを見たことがない。今年で十八歳のはずだけど、筋肉があまりついていなくて直線的な体つきをしているので、彼自身がヒト型をした植物のような印象がある。
 ポケットがたくさんついたエプロンには、はさみやら鎌やら、いろんな道具が収まっているのだけど、それらの柄もどれも黒かった。

「あ。あんた、さっきの。……庭師じゃないのかよ。え、ていうか、それで前見えてるのか?」
「見えていますとも……。申し遅れました、自分めは、トリスタン・シシーと申します。リシュさん、先ほどのじょうろさばき、慣れておいででいないように見受けましたが、丁寧ないい水やりでした」
「それは……どうも?」

 リシュは、私に耳打ちしてきた。

「なあ、トリスタンて、あの前髪は……顔の上のほうに傷でもあるのか?」
「あ、ううんそういうんじゃ全然ないない。ただ、あのほうが落ち着くんだって」
「ええ……よくあれで、娼館の男子なんてやれるな……。おれはてっきり、けがか、あるいは目の形に魂腑冷腐コンプレックスでもあるのかと」
「あはは、違う違う。……リシュが見ることになるかどうかは分からないけど、一応言っとくね。トリスタンの素顔はね……顔が、かなりイイよ」
「なんてことだ……かなりイイのかよ……」

 リシュは、こくりと喉を鳴らした。
 なかなかいいノリしてるな、この子。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

家族転生 ~父、勇者 母、大魔導師 兄、宰相 姉、公爵夫人 弟、S級暗殺者 妹、宮廷薬師 ……俺、門番~

北条新九郎
ファンタジー
 三好家は一家揃って全滅し、そして一家揃って異世界転生を果たしていた。  父は勇者として、母は大魔導師として異世界で名声を博し、現地人の期待に応えて魔王討伐に旅立つ。またその子供たちも兄は宰相、姉は公爵夫人、弟はS級暗殺者、妹は宮廷薬師として異世界を謳歌していた。  ただ、三好家第三子の神太郎だけは異世界において冴えない立場だった。  彼の職業は………………ただの門番である。  そして、そんな彼の目的はスローライフを送りつつ、異世界ハーレムを作ることだった。  ブックマーク・評価、宜しくお願いします。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

この聖水、泥の味がする ~まずいと追放された俺の作るポーションが、実は神々も欲しがる奇跡の霊薬だった件~

夏見ナイ
ファンタジー
「泥水神官」と蔑まれる下級神官ルーク。彼が作る聖水はなぜか茶色く濁り、ひどい泥の味がした。そのせいで無能扱いされ、ある日、無実の罪で神殿から追放されてしまう。 全てを失い流れ着いた辺境の村で、彼は自らの聖水が持つ真の力に気づく。それは浄化ではなく、あらゆる傷や病、呪いすら癒す奇跡の【創生】の力だった! ルークは小さなポーション屋を開き、まずいけどすごい聖水で村人たちを救っていく。その噂は広まり、呪われた女騎士やエルフの薬師など、訳ありな仲間たちが次々と集結。辺境の村はいつしか「癒しの郷」へと発展していく。 一方、ルークを追放した王都では聖女が謎の病に倒れ……。 落ちこぼれ神官の、痛快な逆転スローライフ、ここに開幕!

神々の愛し子って何したらいいの?とりあえずのんびり過ごします

夜明シスカ
ファンタジー
アリュールという世界の中にある一国。 アール国で国の端っこの海に面した田舎領地に神々の寵愛を受けし者として生を受けた子。 いわゆる"神々の愛し子"というもの。 神々の寵愛を受けているというからには、大事にしましょうね。 そういうことだ。 そう、大事にしていれば国も繁栄するだけ。 簡単でしょう? えぇ、なんなら周りも巻き込んでみーんな幸せになりませんか?? −−−−−− 新連載始まりました。 私としては初の挑戦になる内容のため、至らぬところもあると思いますが、温めで見守って下さいませ。 会話の「」前に人物の名称入れてみることにしました。 余計読みにくいかなぁ?と思いつつ。 会話がわからない!となるよりは・・ 試みですね。 誤字・脱字・文章修正 随時行います。 短編タグが長編に変更になることがございます。 *タイトルの「神々の寵愛者」→「神々の愛し子」に変更しました。

処理中です...