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第二章 子守唄
十九話 死姫
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◇
昔々、あるところに名のある大名がいました。
大名は大変家臣思いで、人柄が良いと誰からも敬われるような人でした。
そんな大名には、妻と三人の子がいました。
大名は家族の事も大変愛しており、その時代では珍しく仲睦まじい理想的な家族でした。
わざわざ森の中に領地を構えたのも、皆が幸せになれるよう縁起の良い場所に屋敷を建てたかったからです。
皆が等しく幸せに暮らせる、そんな国を作っていきたいと大名は常々志していました。
ですが、とある夜。
事件は起きてしまいました。
突如開いた黄泉ノ国、地面に大きな亀裂が走り、大名は一番に取り憑かれてしまいます。
気付けば大名は、隣で眠っていた妻を殺していました。
大名は大変哀しみました。
自我が保っていられる内に、何とか一番下の娘だけはと家臣に座敷牢へ連れて行くよう命じました。
それからすぐに、大名は自我を保てなくなりました。
大切に思っていた家臣たちを殺し、愛していた二人の子供たちも殺しました。
ただ一つだけ、大名の意思が残っていた事があります。
それは殺してしまった妻に、子供たちに逢いたい、逢って謝りたいという願望です。
なので異形の主と化しながらも、大名は子守唄を口ずさみました。
唄を歌いながら次々と、順に斬り殺していきました。
僅かに残っていた大名の心は、ひたすらに泣いていました。
そしてとうとう大名は、一番下の娘まで手に掛けました。
大名の意識はもう残っていません。
悦んで見せたのは黄泉ノ国の意思です。
だって大名は娘を、心の底から愛していましたから――。
◇
長くウェーブ掛かったままだが、色の抜け落ちた髪。
桃色の着物は、煌びやかな純黒のドレスに。
その赤く染まった瞳は、何を映しているのか。
纏うオーラは、邪気そのものである。
そんな変貌を遂げた玖々莉は、心の内までも綺麗に洗い流されてしまったようで。
ただ、見上げた月が綺麗だと思った。
「……なんで悩んでたんだっけ。まあ、もういいや」
どうでもいい。
無力を痛感して、深く憎悪して、全部を諦めて。
それから、どうなったんだろう。
今は気持ちも真っ白で、でも何処か真っ黒に染まってしまったようでもあって。
感覚が、酷く鈍い。
「でも、あなただけは祓わなくちゃ。そうしないといけない、ような気がする」
そう言って玖々莉は異形の主へと徐に視線を向ける。
理由を思い出そうとするのだが、何故かしっくりこない。
記憶を失った訳ではなく、ただどうしてあそこまで一人の少女の霊に固執していたのかがよく思い出せないのだ。
ただの霊魂の一つ。
これまでにも散々触れて来た、祓ってきた対象の一つに過ぎないというのに。
今はもう、そこまで入れ込むような必要性を感じていない。
「なのにどうしてかな、心がざわつくのは。あなたを見てると、脳の髄まで疼いてくる……」
玖々莉は自分の変化にまだ適応できていなかった。
けれど変化しても尚、引きずっている物も確かにあって。
それが余計に惑わせた。
やがて異形の主が動き出す。
再び玖々莉へと手のひらを向けて波動を放ってきた。
それに対し玖々莉はその場で微動だにせず、それがもろに直撃する。
だが先程の様に吹き飛ばされるような事もなかった。
何も起きていない、起きたに値しない。
今の圧倒的な邪気を身に纏う玖々莉に、もうその攻撃は届かなかった。
玖々莉の背後からは異形たちが群がって来た。
十体程いるだろうか。
やがてその場で囲まれる玖々莉。
だが表情の一つも変えずに、振り返る事もなく。
ただ淡々と、右手を真横に振り払った。
その動作を合図にして、玖々莉の最後の戦いが始まる。
絵画のような美しい桜並木の幻想が周囲に出現し、辺りが一気に華やぎを見せる。
養分にするようにして月光を浴びながら、蕾は開花させていった。
そうして玖々莉は黄泉化した事で芽吹いた、新たな特性を行使する。
「『死姫華懲図』掛軸壱番――夜桜に死」
花を開かせたそれらからは大量の花びらが舞い始め、やがて周囲を桜の薄桃色で染め上げた。
吹き荒れる桜吹雪、だが異形たちは何が起きているのか分からず、そのまま玖々莉へと斬り掛かってくるのだが。
一体、また一体と。
異形たちは玖々莉に届く前に、ファサァァと静かな音を立てて、桜の花びらを散らせた。
異形の霊体は存在もろとも桜吹雪に変容し、玖々莉に近づいた順から静かに爆散していった。
そうやって次々と異形は無に帰っていき、辺りは桜並木と異形の主だけが残る。
まさに一瞬の出来事であった。
「あとはあなただけ」
玖々莉はそのまま立て続けに技を見舞う。
「『死姫華懲図』掛軸弐番――雪月花に餞」
突如、玖々莉はその場から姿を消した。
すると次の瞬間には玖々莉は大きく頭上に跳躍しており、満月を背景にして異形の主へと斬り掛かっていた。
対して、異形の主は動かない。
季節の代表的な風物は、四季を通じて時の移り変わりを仄めかす。
だがこの技はそれに反して、時を完全に止めてしまう力だ。
桜々伝花の上位互換と言えるだろう。
四季の流れにさよならをする、それがこの技の意味となる。
頭上から大きく斬り掛かりってそのまま、最早動かなくなった敵に対して玖々莉は刃を振り続けた。
程なくして技を解き、ダメージを負った異形の主が唸りを上げる。
どうやら致命打にはなっていなかったようだ。
だがそれでも玖々莉は何でもない事かのように、徐に異形の主を見上げるだけであった。
「まだ足りないんだね。あなたはきっとそれだけ、罪深いんだ」
とうとう刀を抜き出した異形の主に対してそう言った玖々莉。
異形の主は目にも止まらぬ速度で玖々莉へと斬り掛かって来る。
だがそれに対し玖々莉は、逆手に持つ脇差一本で軽々と受け止めた。
何度も振られる刃、だがその全てが玖々莉の脇差によってことごとく打ち落とされる。
「もう終わりにしよ」
玖々莉は異形の主の刀を弾くと、そのまま最後の攻撃を行う。
「『死姫華懲図』掛軸参番――桜華に舞う狂姫」
玖々莉の握る二振りの脇差に、幾つもの桜の花びらが纏い始める。
それが徐々に形を成していき、くの字の刃二つが連結された、桃色の特徴的な武器となった。
逆手に持つそれで異形の主へと、下から斜めに斬りつける。
一つ目の刃が展開する歪みを、そして二つ目の刃が本体を順に斬り裂いた。
――救えなかった、守れなかった。でも、それがなに?……どうしてこんなに、胸が痛いのかな。
それを両手で交互に行った、胡旋舞を舞うようにして、何度も何度も何度も。
反撃の余地すら与えやしない。
敵がこの世から消え去るまでひたすらに、激情を体現したかのような舞いで何度も回転しながら、屠り続けた。
――どうして、どうしてどうしてどうして。ねぇ、どうして……?
玖々莉は、憐れな魂すらも無碍にしてしまうような。
死臭を漂わせながら舞い踊る、死姫となった――。
昔々、あるところに名のある大名がいました。
大名は大変家臣思いで、人柄が良いと誰からも敬われるような人でした。
そんな大名には、妻と三人の子がいました。
大名は家族の事も大変愛しており、その時代では珍しく仲睦まじい理想的な家族でした。
わざわざ森の中に領地を構えたのも、皆が幸せになれるよう縁起の良い場所に屋敷を建てたかったからです。
皆が等しく幸せに暮らせる、そんな国を作っていきたいと大名は常々志していました。
ですが、とある夜。
事件は起きてしまいました。
突如開いた黄泉ノ国、地面に大きな亀裂が走り、大名は一番に取り憑かれてしまいます。
気付けば大名は、隣で眠っていた妻を殺していました。
大名は大変哀しみました。
自我が保っていられる内に、何とか一番下の娘だけはと家臣に座敷牢へ連れて行くよう命じました。
それからすぐに、大名は自我を保てなくなりました。
大切に思っていた家臣たちを殺し、愛していた二人の子供たちも殺しました。
ただ一つだけ、大名の意思が残っていた事があります。
それは殺してしまった妻に、子供たちに逢いたい、逢って謝りたいという願望です。
なので異形の主と化しながらも、大名は子守唄を口ずさみました。
唄を歌いながら次々と、順に斬り殺していきました。
僅かに残っていた大名の心は、ひたすらに泣いていました。
そしてとうとう大名は、一番下の娘まで手に掛けました。
大名の意識はもう残っていません。
悦んで見せたのは黄泉ノ国の意思です。
だって大名は娘を、心の底から愛していましたから――。
◇
長くウェーブ掛かったままだが、色の抜け落ちた髪。
桃色の着物は、煌びやかな純黒のドレスに。
その赤く染まった瞳は、何を映しているのか。
纏うオーラは、邪気そのものである。
そんな変貌を遂げた玖々莉は、心の内までも綺麗に洗い流されてしまったようで。
ただ、見上げた月が綺麗だと思った。
「……なんで悩んでたんだっけ。まあ、もういいや」
どうでもいい。
無力を痛感して、深く憎悪して、全部を諦めて。
それから、どうなったんだろう。
今は気持ちも真っ白で、でも何処か真っ黒に染まってしまったようでもあって。
感覚が、酷く鈍い。
「でも、あなただけは祓わなくちゃ。そうしないといけない、ような気がする」
そう言って玖々莉は異形の主へと徐に視線を向ける。
理由を思い出そうとするのだが、何故かしっくりこない。
記憶を失った訳ではなく、ただどうしてあそこまで一人の少女の霊に固執していたのかがよく思い出せないのだ。
ただの霊魂の一つ。
これまでにも散々触れて来た、祓ってきた対象の一つに過ぎないというのに。
今はもう、そこまで入れ込むような必要性を感じていない。
「なのにどうしてかな、心がざわつくのは。あなたを見てると、脳の髄まで疼いてくる……」
玖々莉は自分の変化にまだ適応できていなかった。
けれど変化しても尚、引きずっている物も確かにあって。
それが余計に惑わせた。
やがて異形の主が動き出す。
再び玖々莉へと手のひらを向けて波動を放ってきた。
それに対し玖々莉はその場で微動だにせず、それがもろに直撃する。
だが先程の様に吹き飛ばされるような事もなかった。
何も起きていない、起きたに値しない。
今の圧倒的な邪気を身に纏う玖々莉に、もうその攻撃は届かなかった。
玖々莉の背後からは異形たちが群がって来た。
十体程いるだろうか。
やがてその場で囲まれる玖々莉。
だが表情の一つも変えずに、振り返る事もなく。
ただ淡々と、右手を真横に振り払った。
その動作を合図にして、玖々莉の最後の戦いが始まる。
絵画のような美しい桜並木の幻想が周囲に出現し、辺りが一気に華やぎを見せる。
養分にするようにして月光を浴びながら、蕾は開花させていった。
そうして玖々莉は黄泉化した事で芽吹いた、新たな特性を行使する。
「『死姫華懲図』掛軸壱番――夜桜に死」
花を開かせたそれらからは大量の花びらが舞い始め、やがて周囲を桜の薄桃色で染め上げた。
吹き荒れる桜吹雪、だが異形たちは何が起きているのか分からず、そのまま玖々莉へと斬り掛かってくるのだが。
一体、また一体と。
異形たちは玖々莉に届く前に、ファサァァと静かな音を立てて、桜の花びらを散らせた。
異形の霊体は存在もろとも桜吹雪に変容し、玖々莉に近づいた順から静かに爆散していった。
そうやって次々と異形は無に帰っていき、辺りは桜並木と異形の主だけが残る。
まさに一瞬の出来事であった。
「あとはあなただけ」
玖々莉はそのまま立て続けに技を見舞う。
「『死姫華懲図』掛軸弐番――雪月花に餞」
突如、玖々莉はその場から姿を消した。
すると次の瞬間には玖々莉は大きく頭上に跳躍しており、満月を背景にして異形の主へと斬り掛かっていた。
対して、異形の主は動かない。
季節の代表的な風物は、四季を通じて時の移り変わりを仄めかす。
だがこの技はそれに反して、時を完全に止めてしまう力だ。
桜々伝花の上位互換と言えるだろう。
四季の流れにさよならをする、それがこの技の意味となる。
頭上から大きく斬り掛かりってそのまま、最早動かなくなった敵に対して玖々莉は刃を振り続けた。
程なくして技を解き、ダメージを負った異形の主が唸りを上げる。
どうやら致命打にはなっていなかったようだ。
だがそれでも玖々莉は何でもない事かのように、徐に異形の主を見上げるだけであった。
「まだ足りないんだね。あなたはきっとそれだけ、罪深いんだ」
とうとう刀を抜き出した異形の主に対してそう言った玖々莉。
異形の主は目にも止まらぬ速度で玖々莉へと斬り掛かって来る。
だがそれに対し玖々莉は、逆手に持つ脇差一本で軽々と受け止めた。
何度も振られる刃、だがその全てが玖々莉の脇差によってことごとく打ち落とされる。
「もう終わりにしよ」
玖々莉は異形の主の刀を弾くと、そのまま最後の攻撃を行う。
「『死姫華懲図』掛軸参番――桜華に舞う狂姫」
玖々莉の握る二振りの脇差に、幾つもの桜の花びらが纏い始める。
それが徐々に形を成していき、くの字の刃二つが連結された、桃色の特徴的な武器となった。
逆手に持つそれで異形の主へと、下から斜めに斬りつける。
一つ目の刃が展開する歪みを、そして二つ目の刃が本体を順に斬り裂いた。
――救えなかった、守れなかった。でも、それがなに?……どうしてこんなに、胸が痛いのかな。
それを両手で交互に行った、胡旋舞を舞うようにして、何度も何度も何度も。
反撃の余地すら与えやしない。
敵がこの世から消え去るまでひたすらに、激情を体現したかのような舞いで何度も回転しながら、屠り続けた。
――どうして、どうしてどうしてどうして。ねぇ、どうして……?
玖々莉は、憐れな魂すらも無碍にしてしまうような。
死臭を漂わせながら舞い踊る、死姫となった――。
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