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第一章 弔イ歌
十一話 新居
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◇
玄関先から届けられた呼び出し音は果たして、一体こんな夜遅い時間に誰が、何の為か。
楓は固唾を呑んでリビングから様子を伺っていた。
静まる室内。
音は一度だけで、それ以降気配も全くない。
楓は芽唯の顔を見ると、何やら真剣な面持ちをして玄関の方の長廊下を見つめていた。
警察か、自分たちで対処するか。
二択を迫られた楓は勇太に助けを乞いたい気持ちにもなるが、如何せん距離が距離な為間に合いそうにない。
電話で対処法を聞くべきか、そこまで考えていると急に芽唯が立ち上がった。
「え?白百合さん、どうするつもりですか……?」
問われた側の芽唯は何を思ったのか、スタスタと廊下の方へと歩き始めた。
その行動に流石の楓も危機感を感じ、咄嗟に止めに入る。
「だ、だめですって……!危ないですよ……!」
「大丈夫でしょ。何もいきなり刺されるような事にはならないって」
「そんなの分からないじゃないですか……!」
「へーきへーき。ストーカーなんてどーせ根性なしのやる事でしょ」
「根性がなきゃストーカーなんて続きませんって……!」
芽唯の楽観的思考は危険だと判断する。
楓もニュースを良く見る方ではないが、ストーカー殺人など昔から定期的に耳に入るくらい頻発するイメージだ。
だから何としても芽唯に玄関の扉を開けさせてはならない。
そう固く決意した楓は芽唯にしがみついてでも行かせないように努める。
「ぐっ!ぬぬぬぬ……!!」
「……。」
それなのにスタスタと何事もないかのように歩き続ける芽唯。
背後から芽唯の腰に両手を回して踏ん張っているというのに、寧ろ楓の方が引きずられて進んでしまう。
楓は、酷く非力であった。
そうこうしている間にあっさりと玄関に辿り着く芽唯は、ドアの覗き穴から外の様子を伺っている。
「ほら、誰もいないって。来るだけ来て逃げるとか、ピンポンダッシュの小学生より臆病でしょ」
「ダメですよ!開けたら絶対ダメなやつです!」
「へーきだって。夜御坂さん心配し過ぎ」
そうしてカチリ、と芽唯はドアのオートロックを解錠する。
そのままドアハンドルを握り、扉を大きく開け放つ。
「ほら、何にも――」
「白百合さんっ!!」
楓の視点からは、鋭利そうなナイフを持った帽子姿の男が見えた。
そのナイフは逆手に握られており、今まさに芽唯に突き立てられようとしていた。
心構えはしていたが、突然の出来事に対応しきれない楓。
咄嗟に庇おうと前に駆け出したのだが、間に合う筈もなく。
ナイフが、芽唯の首に突き刺さった。
楓は瞬間の出来事に頭が真っ白になりながらも、芽唯へと手を伸ばす。
悲痛な面持ちの楓の手が、芽唯の身体に触れた。
けれど何故か、楓の手は空を切った。
「だからへーきだって言ったじゃん?」
「……白百合さん……霊装、したんですか……?」
霊体となった芽唯の身体は、男のナイフなど楓の手同様に空を切るだけである。
寧ろ霊感のない一般人の男は突然芽唯が消えたと思ったようで、辺りをキョロキョロと見回していた。
空かさず芽唯は刀を抜き出し、男のナイフを手元から弾き飛ばす。
霊装時の武器は何も怨霊だけに効果がある訳じゃない。
物理的な攻撃も意識の通し方次第で可能となるのだ。
カランカラン!とマンションの廊下に転がったナイフを見て、男は顔を青褪めさせる。
そうして男は一目散にこの場から逃げ出したのであった。
「ふう、まったく。楽しい時間を奪われるなんて、損害賠償ものね」
「は、はあぁ~~……」
「夜御坂さん!?」
あまりの衝撃に腰が抜けた楓は、玄関でヘナヘナと座り込んだ。
本当に刺されてしまったかと思った、怖かった。
安堵のため息と共に、全身の力が抜けていくようだった。
一旦落ち着いて芽唯とテーブルで対面している。
楓は紅茶を啜りながら、芽唯の話に耳を傾けていた。
「……つまり、この部屋には盗聴器が仕掛けられていると?」
「そ。普段一人暮らしの私は家では会話をする機会もない。今回夜御坂さんとの会話で寿司屋の店の名前を口に出した。だから私の住所近くまでやって来られたってわけ」
「じゃあ、さっき平然と玄関を開けたのは」
「勿論聞いていると思ったから、過信させる為ね」
まんまと芽唯の策略にハメられた訳だ、ストーカーとおまけに楓も含めて。
なるほど、と楓は思う。
どんなに窮地に陥ろうとも一人で解決できてしまうのが、白百合芽唯という人物なのだ。
それだけ機転が利く上に度胸もあり、尚且つ魂鎮メの四世家当主という立場がそれをより強固なものにさせるのだろう。
けれど、それでもまだ自分と同じ未成年の女の子なのだ。
「……分かりました。でも一つ提案があります」
「なに?」
「これは私の意見だけでは叶わない事ではありますが、白百合さんにも勇太さんにもお願いしたい事です」
「うん」
「もうストーカーに住所がバレちゃってますよね?だったら警察に相談するか、引っ越すしかないと思うのですが」
「だね。でも警察は被害にあっても実害がないと動いてはくれないだろうし、引っ越すしかないだろうね」
楓は真剣な表情で芽唯を見つめながら言う。
自分からこんな無茶な提案をするのは、きっと生まれて初めての事だろう。
それでも心配なものは心配なのだ。
楓にとって初めての友達なのだから、きっと当然の感情である。
「なら白百合さん、家に来ませんか?」
「……は?」
「部屋は余ってますし、事情を説明すればきっと勇太さんも許可をくれると思います。だから」
「いや、それは藤堂さんに申し訳ないでしょ」
そう断りを入れて来る芽唯。
きっと今までの楓なら、ここで折れていた事だろう。
けれど今の楓には自分の意志がある。
今までにない程明確になった、誰も失いたくないという強い意志が。
「……白百合さんは、私の大切な友達なんです。もしまた今回のような事があったら、それでも白百合さんは一人で解決してしまうのかもしれません。それでも……だとしても……。一緒にいて助けになりたいという気持ちは、迷惑ですか……?」
楓はその素直な想いを言葉に乗せた。
◇
懇願するような上目遣いでこちらを見て来る楓に、芽唯は思う。
(いや、反則でしょコレ。だって犬耳が見えるもん、完全におねだりだもん)
常識的に考えて、いきなり他人の家に住まわせてもらうなど在り得ない事だ。
それがいくら同業者で近い血縁関係に当たるかもしれないとはいえ、それは謂わば伝承にも近しいものでしかない。
四世家は確かに元は一つの一族だった、だが今は違う。
藤堂勇太には藤堂勇太の生活があり、いくら部屋が余っているからと言って押し入っていい理由にはならない。
「——ああ、そういう事なら構わないよ」
「ありがとうございます勇太さん!」
という考えをしていた筈だというのに、気付けば話はトントン拍子に進んでいた。
いや待て、まだイエスとは言っていないぞ。
「今確認しました!勇太さんオッケーだそうです!」
「いやいやいや、スマホもう使いこなしてんの。ってそうじゃなくて」
芽唯は頭を抱える。
こんなにも行動力のある人間だっただろうか、夜御坂楓という人物像が揺らいでいくようであった。
もしかしたら、いやもうそれしか浮かんでこないのだが。
この短期間で自分の行動力が伝染しているのかもしれないと芽唯は思った。
原因は自分の日頃の行いのせいかもしれないという事だ。
「……白百合さん、私と一緒じゃ嫌ですか……?」
「いや、そういう事じゃなくて……。うう、ああもう!」
そうして芽唯は立ち上がり、捲し立てる様に言う。
「分かったわよ、じゃあ藤堂さん家でお世話になるから。暫くの間だけね」
「……はい!不束者ですが、よろしくお願いします!」
「いやそれ、わざと言ってる?」
「はい?」
そうして芽唯は楓に手伝ってもらいながら、荷物の整理を始めるのであった。
翌日、大家さんには事情を説明してすぐさま退居する事となった。
最低限の荷物だけを持ち出し、残りの家電や家具は後日業者に見積もってもらう。
お気に入りだった物も多いし部屋自体気に入っていた為、痛恨の痛手にはなるのだが。
まあこれはこれでアリかもしれない。
「あ、おかえりなさい白百合さん!」
「……ただいま」
夕方。
新曲のMV撮影の仕事を終えた芽唯は藤堂家に帰宅すると同時に、玄関先で楓に迎え入れられた。
わざわざここで待っていたのだろうか、何だかまあ、何だかなあな気分である。
そもそも「ただいま」なんて口にするのはいつ以来だろう。
芽唯は照れ隠しの為、スタスタと早足でリビングまで歩く。
「藤堂さんはまだ帰ってないの?お店はもう閉まってたみたいだったけど」
「勇太さんなら買い物に行ってますよ。白百合さんの部屋に必要そうな物を見繕ってくるそうです。白百合さん、お忙しそうなのでとりあえずの物をと」
「何から何まで申し訳ないなあ。お金ならいくらでも出せるんだけど」
などと軽口混じりに言うと楓が別の報告をしてくる。
「私も何か出来ないかと思って、白百合さんの部屋を掃除しておきました!あ、大丈夫ですよ!私物には触れてませんので!」
「別に気にしなくてもいいわよ。まあ、ありがと」
他人との生活なんて、想像もつかなかった。
物心ついた時から母親と二人きりで、それもすぐにその母はいなくなってしまって。
始めは親戚を頼っていたが結局それも上手くいかず、外見だけでスカウトされたアイドルに躍起になって活躍して。
そのまますぐに自活して、一人で生きていく事が当たり前になって。
そんな是が非でも他人を頼る事をしなかった芽唯にとって、これは新しい心境の芽吹きだろうか。
良い意味で他とは違った効果をもたらすのは、楓ならではの特性かもしれないと芽唯は思った。
「ま、これからよろしくね。夜御坂さん」
「はい!こちらこそです、白百合さん!」
名字呼びくらいが丁度いい。
少なくとも今はそれくらいの距離感がある方がしっくり来るなと、芽唯は同居人となった友人へと視線を向けた――。
玄関先から届けられた呼び出し音は果たして、一体こんな夜遅い時間に誰が、何の為か。
楓は固唾を呑んでリビングから様子を伺っていた。
静まる室内。
音は一度だけで、それ以降気配も全くない。
楓は芽唯の顔を見ると、何やら真剣な面持ちをして玄関の方の長廊下を見つめていた。
警察か、自分たちで対処するか。
二択を迫られた楓は勇太に助けを乞いたい気持ちにもなるが、如何せん距離が距離な為間に合いそうにない。
電話で対処法を聞くべきか、そこまで考えていると急に芽唯が立ち上がった。
「え?白百合さん、どうするつもりですか……?」
問われた側の芽唯は何を思ったのか、スタスタと廊下の方へと歩き始めた。
その行動に流石の楓も危機感を感じ、咄嗟に止めに入る。
「だ、だめですって……!危ないですよ……!」
「大丈夫でしょ。何もいきなり刺されるような事にはならないって」
「そんなの分からないじゃないですか……!」
「へーきへーき。ストーカーなんてどーせ根性なしのやる事でしょ」
「根性がなきゃストーカーなんて続きませんって……!」
芽唯の楽観的思考は危険だと判断する。
楓もニュースを良く見る方ではないが、ストーカー殺人など昔から定期的に耳に入るくらい頻発するイメージだ。
だから何としても芽唯に玄関の扉を開けさせてはならない。
そう固く決意した楓は芽唯にしがみついてでも行かせないように努める。
「ぐっ!ぬぬぬぬ……!!」
「……。」
それなのにスタスタと何事もないかのように歩き続ける芽唯。
背後から芽唯の腰に両手を回して踏ん張っているというのに、寧ろ楓の方が引きずられて進んでしまう。
楓は、酷く非力であった。
そうこうしている間にあっさりと玄関に辿り着く芽唯は、ドアの覗き穴から外の様子を伺っている。
「ほら、誰もいないって。来るだけ来て逃げるとか、ピンポンダッシュの小学生より臆病でしょ」
「ダメですよ!開けたら絶対ダメなやつです!」
「へーきだって。夜御坂さん心配し過ぎ」
そうしてカチリ、と芽唯はドアのオートロックを解錠する。
そのままドアハンドルを握り、扉を大きく開け放つ。
「ほら、何にも――」
「白百合さんっ!!」
楓の視点からは、鋭利そうなナイフを持った帽子姿の男が見えた。
そのナイフは逆手に握られており、今まさに芽唯に突き立てられようとしていた。
心構えはしていたが、突然の出来事に対応しきれない楓。
咄嗟に庇おうと前に駆け出したのだが、間に合う筈もなく。
ナイフが、芽唯の首に突き刺さった。
楓は瞬間の出来事に頭が真っ白になりながらも、芽唯へと手を伸ばす。
悲痛な面持ちの楓の手が、芽唯の身体に触れた。
けれど何故か、楓の手は空を切った。
「だからへーきだって言ったじゃん?」
「……白百合さん……霊装、したんですか……?」
霊体となった芽唯の身体は、男のナイフなど楓の手同様に空を切るだけである。
寧ろ霊感のない一般人の男は突然芽唯が消えたと思ったようで、辺りをキョロキョロと見回していた。
空かさず芽唯は刀を抜き出し、男のナイフを手元から弾き飛ばす。
霊装時の武器は何も怨霊だけに効果がある訳じゃない。
物理的な攻撃も意識の通し方次第で可能となるのだ。
カランカラン!とマンションの廊下に転がったナイフを見て、男は顔を青褪めさせる。
そうして男は一目散にこの場から逃げ出したのであった。
「ふう、まったく。楽しい時間を奪われるなんて、損害賠償ものね」
「は、はあぁ~~……」
「夜御坂さん!?」
あまりの衝撃に腰が抜けた楓は、玄関でヘナヘナと座り込んだ。
本当に刺されてしまったかと思った、怖かった。
安堵のため息と共に、全身の力が抜けていくようだった。
一旦落ち着いて芽唯とテーブルで対面している。
楓は紅茶を啜りながら、芽唯の話に耳を傾けていた。
「……つまり、この部屋には盗聴器が仕掛けられていると?」
「そ。普段一人暮らしの私は家では会話をする機会もない。今回夜御坂さんとの会話で寿司屋の店の名前を口に出した。だから私の住所近くまでやって来られたってわけ」
「じゃあ、さっき平然と玄関を開けたのは」
「勿論聞いていると思ったから、過信させる為ね」
まんまと芽唯の策略にハメられた訳だ、ストーカーとおまけに楓も含めて。
なるほど、と楓は思う。
どんなに窮地に陥ろうとも一人で解決できてしまうのが、白百合芽唯という人物なのだ。
それだけ機転が利く上に度胸もあり、尚且つ魂鎮メの四世家当主という立場がそれをより強固なものにさせるのだろう。
けれど、それでもまだ自分と同じ未成年の女の子なのだ。
「……分かりました。でも一つ提案があります」
「なに?」
「これは私の意見だけでは叶わない事ではありますが、白百合さんにも勇太さんにもお願いしたい事です」
「うん」
「もうストーカーに住所がバレちゃってますよね?だったら警察に相談するか、引っ越すしかないと思うのですが」
「だね。でも警察は被害にあっても実害がないと動いてはくれないだろうし、引っ越すしかないだろうね」
楓は真剣な表情で芽唯を見つめながら言う。
自分からこんな無茶な提案をするのは、きっと生まれて初めての事だろう。
それでも心配なものは心配なのだ。
楓にとって初めての友達なのだから、きっと当然の感情である。
「なら白百合さん、家に来ませんか?」
「……は?」
「部屋は余ってますし、事情を説明すればきっと勇太さんも許可をくれると思います。だから」
「いや、それは藤堂さんに申し訳ないでしょ」
そう断りを入れて来る芽唯。
きっと今までの楓なら、ここで折れていた事だろう。
けれど今の楓には自分の意志がある。
今までにない程明確になった、誰も失いたくないという強い意志が。
「……白百合さんは、私の大切な友達なんです。もしまた今回のような事があったら、それでも白百合さんは一人で解決してしまうのかもしれません。それでも……だとしても……。一緒にいて助けになりたいという気持ちは、迷惑ですか……?」
楓はその素直な想いを言葉に乗せた。
◇
懇願するような上目遣いでこちらを見て来る楓に、芽唯は思う。
(いや、反則でしょコレ。だって犬耳が見えるもん、完全におねだりだもん)
常識的に考えて、いきなり他人の家に住まわせてもらうなど在り得ない事だ。
それがいくら同業者で近い血縁関係に当たるかもしれないとはいえ、それは謂わば伝承にも近しいものでしかない。
四世家は確かに元は一つの一族だった、だが今は違う。
藤堂勇太には藤堂勇太の生活があり、いくら部屋が余っているからと言って押し入っていい理由にはならない。
「——ああ、そういう事なら構わないよ」
「ありがとうございます勇太さん!」
という考えをしていた筈だというのに、気付けば話はトントン拍子に進んでいた。
いや待て、まだイエスとは言っていないぞ。
「今確認しました!勇太さんオッケーだそうです!」
「いやいやいや、スマホもう使いこなしてんの。ってそうじゃなくて」
芽唯は頭を抱える。
こんなにも行動力のある人間だっただろうか、夜御坂楓という人物像が揺らいでいくようであった。
もしかしたら、いやもうそれしか浮かんでこないのだが。
この短期間で自分の行動力が伝染しているのかもしれないと芽唯は思った。
原因は自分の日頃の行いのせいかもしれないという事だ。
「……白百合さん、私と一緒じゃ嫌ですか……?」
「いや、そういう事じゃなくて……。うう、ああもう!」
そうして芽唯は立ち上がり、捲し立てる様に言う。
「分かったわよ、じゃあ藤堂さん家でお世話になるから。暫くの間だけね」
「……はい!不束者ですが、よろしくお願いします!」
「いやそれ、わざと言ってる?」
「はい?」
そうして芽唯は楓に手伝ってもらいながら、荷物の整理を始めるのであった。
翌日、大家さんには事情を説明してすぐさま退居する事となった。
最低限の荷物だけを持ち出し、残りの家電や家具は後日業者に見積もってもらう。
お気に入りだった物も多いし部屋自体気に入っていた為、痛恨の痛手にはなるのだが。
まあこれはこれでアリかもしれない。
「あ、おかえりなさい白百合さん!」
「……ただいま」
夕方。
新曲のMV撮影の仕事を終えた芽唯は藤堂家に帰宅すると同時に、玄関先で楓に迎え入れられた。
わざわざここで待っていたのだろうか、何だかまあ、何だかなあな気分である。
そもそも「ただいま」なんて口にするのはいつ以来だろう。
芽唯は照れ隠しの為、スタスタと早足でリビングまで歩く。
「藤堂さんはまだ帰ってないの?お店はもう閉まってたみたいだったけど」
「勇太さんなら買い物に行ってますよ。白百合さんの部屋に必要そうな物を見繕ってくるそうです。白百合さん、お忙しそうなのでとりあえずの物をと」
「何から何まで申し訳ないなあ。お金ならいくらでも出せるんだけど」
などと軽口混じりに言うと楓が別の報告をしてくる。
「私も何か出来ないかと思って、白百合さんの部屋を掃除しておきました!あ、大丈夫ですよ!私物には触れてませんので!」
「別に気にしなくてもいいわよ。まあ、ありがと」
他人との生活なんて、想像もつかなかった。
物心ついた時から母親と二人きりで、それもすぐにその母はいなくなってしまって。
始めは親戚を頼っていたが結局それも上手くいかず、外見だけでスカウトされたアイドルに躍起になって活躍して。
そのまますぐに自活して、一人で生きていく事が当たり前になって。
そんな是が非でも他人を頼る事をしなかった芽唯にとって、これは新しい心境の芽吹きだろうか。
良い意味で他とは違った効果をもたらすのは、楓ならではの特性かもしれないと芽唯は思った。
「ま、これからよろしくね。夜御坂さん」
「はい!こちらこそです、白百合さん!」
名字呼びくらいが丁度いい。
少なくとも今はそれくらいの距離感がある方がしっくり来るなと、芽唯は同居人となった友人へと視線を向けた――。
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